第五話 転校生とある事件の顛末

 凪川西部高校に急遽転校生がやってくる。それも東京から、ということで2年生の間では話題になっていた。


 この中途半端な時期に奇妙ではあったが、獣害事件で暗い空気が漂っていた中で多少は明るい話題になった。


 特に単純な男子たちにとっては、朗報になった。


渡古とうごまりえです。両親が海外赴任のため祖父母の家がある凪川に引っ越してきました。」


 東京から来たという転入生は上背の凛とした、垢抜けた雰囲気の美少女であった。切れ長の瞳が一見取っ付きにくそうな印象だが、一転笑顔が人懐っこく、人当たりも良いのですぐにクラスに馴染んだ。


「石川さん、同じ方向ですよね?途中まで一緒に帰ろ?」


 クラスでもそう目立つ方ではない石川梨乃いしかわりのは、突然の誘いに困惑したものの、特段断る理由もなかったので、帰路を共にした。


 渡古まりえは初めてこの地域についてあれやこれや梨乃に尋ねてきた。梨乃は戸惑いながらも丁寧にそれに答えた。 


「梨乃さん、そのストラップ」

「これは、昔買ってつけたままになってて、古くて子供っぽいよね」


 リュックに付けた昔流行ったキャラクター付きのストラップをあわててしまおうとした。


「そんなことない!可愛いです!私だって、ほら!」


 と、まりえは、交通安全のお守りを鞄ごと梨乃の目の前にかざす。


「おばあちゃんが付けろって言うから」


 と少し顔を赤らめて言った。それが意外な感じで梨乃とまりえは声を出して笑った。


「これね、友達とお揃いだったんだ」

「同じクラスの子?」

「ううん、別のクラスの…この前、獣害事件があったでしょ?あれで亡くなった子」


「伊保香はね、保育園からの友達で、中学生の時に一度引っ越しで学校変わっちゃったんだけど高校で再会して」

「小学校の修学旅行で買ったストラップ、お互いにずっとつけてて、それが嬉しくれて…あ、ごめんねこんなこと」

「いいえ、聞きたいです」


 それから梨乃は伊保香が正義感が強かったこと、気の弱い梨乃がクラスに馴染めないという悩みを色々聞いていた、ということを語った。


「クラスにずっと欠席してる子、いるでしょ?宇野さんていうんだけど、あの子と私上手くいってなくて」


 上手くいっていないというのは、石川梨乃がクラスの中で孤立していたということだ。当古まりえがこのクラスに越してきた時から、なんとなくそれは感じられた。


 宇野については少しまりえも少し耳にしていたが、1番目立つ女子で態度も大きく派手なグループを形成しており、大人しい梨乃が標的にされていたようだ。


 その宇野が葉山伊保香が被害に遭って三日後に欠席しており、普段から欠席しがちだったので今回もズル休みかと思われていた。しかし三日、四日経っても休んだままで、警察に失踪届けが出ていることが分かった。


 獣害事件との関連性はまだ分かっていないが、周囲は皆葉山伊保香と同じ『獣』の被害にあったのではないか、と既に噂になっている。

 その噂と宇野不在のせいか、梨乃はいじめは止まっていた。


「渡古さん、『べついんさん』って知ってる?」

「いえ…、なんですそれ?」


「ここって凪川稲荷が有名じゃない?その北のどこかに北別院ていうのがあって、そこにお詣りして絵馬に願い事を書いて『命』と引換えにどんな願いごとも叶えてくれるって、噂」


 まりえの眼はまっすぐ梨乃を見つめている。


「伊保香、そこにお詣りに行ったんじゃないかって。あの事件の前に私に言ったの、『神様にお願いした』『きっと良くなる』って」


 梨乃は感情が溢れてなみだぐんでいる。


「で、葉山さんが亡くなって、宇野さんも学校に来なくなった、皆は『べついんさん』が二人の命を奪ったんじゃないか、って噂してるってこと?」


「実は…私もお願い、しちゃったんだ…でもそこが『べついんさん』なんて…、ただの古い近所のお稲荷さんだったから、そんな」

「考えすぎですよ、そんなのただの言い伝えでしょう?」

「そうだといいんだけど…」

「梨乃さん、こんな越してきたばかりのわたしに話してくれてありがとう。色々辛かったでしょう」


 まりえはハンカチを渡して、細い指が赤くなるぐらい力強く梨乃の手を握ってきた。切れ長の目が潤んで、少しきつそうな面立ちからのしおらしい仕草は女性でもどきりとするものだった。


 渡古まりえは薬師峰瑠璃が変装、というか変身した姿であるのだが、当然ながら瞳術をはじめとした神通力で教師も含めた周囲の人間に信じ込ませているのだ。


 いわゆる巷の『べついんさん』についてもその神通力によるもので、「波長が合った者のみ」が参拝を許される。


 一つの疑義があった。石川梨乃も葉山伊保香も願掛けをしていたが、葉山の絵馬はない。それが意味するところとは、まだ闇の中であった。




 それからしばらく、梨乃とまりえは昼食や下校を共にした。明らかに雰囲気の異なる二人が一緒にいるのは奇妙であったが、周囲からは何か共通の趣味か、ちょっとしたきっかけで仲良くなったのだろう、と思われていた。


 そんな時、

「渡古さん、ちょっといい?」


 放課後に帰り支度をしていると渡古まりえに、クラスメイトの島田と金谷が声を掛けた。他の同級生も合わせて5人いる。いわゆる宇野のグループの面々だ。


「ちょっと付き合ってよ」


 明らかに宿題や世間話、恋バナをしよう、という雰囲気ではなかった。


「ええ、構いませんよ。梨乃さん、今日は先に帰ってください、長くなりそうなので」


 怯える梨乃を横目に、まりえは余裕綽々である。


 一行は部室棟の一角、部員が集まらず閉鎖しているはずの部室に到着した。そこにはまるで玉座に鎮座するが如く上級生が待ち構えていた。


「渡古さんさぁ、島田から話は聞いたんだけど、大分調子に乗ってるらしいじゃん?」


「はぁ、そう見えますか?」


「とぼけんじゃねーよ!あたしの彼氏に色目使っておいてさあ!」


 胸のリボンの色から同級生と思われるが明るい髪色を化粧をした女が開口一番声を荒げる。


「彼氏…?誰ですかそれ」

「C組の湯沢祐樹だよ!とボケんな!おまえが好きだとか訳分かんないこと言ってるの!」


「すみません、まだ越して来たばっかりであなたもあなたの彼氏さんも存じませんし、その男の子に話しかけられた事すら」


 その派手女がいよいよ掴みかかりそうなのを中央のショートヘアの三年が制する。


「で、あんたのクラスの石川だっけ?クラスに打ち解けてないみたいだから『イジって』やったら真に受けてバカみたいに落ち込んで。今度はそいつのナイト気取りしてるんだって?やめた方がいいよ?」 

「それは忠告ですか?」

「そう。三年しかない学校生活を楽しく過ごしたければ、すっこんでな」


 中央の三年生は明らかな恫喝を当然の如く、大方まりえにも予想はついていたが、ここは私刑リンチ場なのだ。余所よそ者で都会風を吹かせるだけでなく、ささやかな正義感をもった転校生が気に食わない、そんな連中が数の暴力で脅し、萎縮させて嘲笑わらうのが目的だった。


「これ、『いじめ』ですよ。」

「出るとこ出る、って言いたいの?それもやめた方がいいよ無駄だから。あたしの親、デカい建築会社やってて教育委員会にも顔効くし、なんなら逆にあんたが石川をイジメてるって密告ってやるよ」


「鞘原先輩コワッ」

「当古さん早く謝っちゃった方がいいよ」


 子分のコバンザメのような女がいうと、クスクスと島田、金谷達も同調して笑う。


「この前もさぁ、なんか死んじゃった子いたよね?なんて言ったっけ?友達を助けるかなんだか知らないけどちょっとシメてやったら顔真っ赤にして泣いちゃってさ!」

「そうやって、葉山さんをなぶりものにしていたわけですか、クズですね」

「あ?」

「聞こえました?」

「誰にクチ聞いてんだ?その前に謝れよ、あたしに!」


 さっきの化粧女が濡れたモップを顔に近づけて、これでまりえの陶磁器のように白い顔を拭いて辱めようとして用意していたのだ。 


 水滴が床に飛び散る。


 しかし、その瞬間周囲に用意されていたのは驚愕と思考停止だった。

 床を濡らしたのは水ではない。漂う異臭。それが尿だと数秒遅れて失禁した本人の化粧女と周囲は理解した。


 渡古まりえと一瞬目が合う。それだけで十分でなのだ。ここにいる人間すべて、既に吒枳尼天の魔眼の術中にはまっている。

 化粧女だけではない、部室にいるまりえ以外の人間すべて失禁している。

「あら!どうしたんですか?」

「なにを…」

「何もしていませんよ。大変!先生を呼んできますね」

「ま、待て」


 扉に向かったまりえは先輩の呼び止めに留まった、否、思い出しただけだった。


「そうそう、さっきお友達から面白い動画ものが流れてきましたよ」


 そう言ってまりえが取り出したスマホの画面を鞘原に見せる。そこには男子数名が失神して転がっている姿が写っていた。その男らは鞘原が準備していた制裁要員だったが、何者かに全員制圧されていた。


「私は何もしていませんよ。これから先輩方にはここで葉山さんに何をしたのか、全部話してもらいます。そして金輪際、梨乃さんにも関わらないでもらえますか?」


 抑揚のない口調であったが、鞘原一党に手を出してはいけない存在、というものがあることを示唆するものだった。


 梨乃が遠くから校舎の影に隠れて部室の様子を見ていると、脱兎の如く飛び出したまりえが梨乃の方に向かって来る。


「梨乃さん、行こう!」

「あ、うん!」


 まるで追いかけっこをしているような無邪気な声。梨乃は戸惑いながらもその背中を追いかけた。


 爽やかに逃げ去るまりえこと薬師峰瑠璃は、その背後に異様な視線を感じていた。


 刺すような痛みにも似た強い圧力。


 打ち漏らし?いや、それなら眷属たる忠平が先程の不良どものように制圧しているはずだ。


 学校の中ではない、数キロ、数十キロ離れた所から執念、妬み、殺気をまりえに向けてきている。明らかに人外のものである。

 ――餌に食いついたか?

 見極める必要があった。


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