第三十九話 決着
天に向ってそびえる無機質な電波塔。
まだその上では光と闇が混ざり合う渦が発生し続けている。
その発生源では、陰陽が一歩も譲らぬ戦いを続けていた。
しかし――。
掠れた呼吸音が聞こえる。
それは、薬師峰の消耗しきった生命力そのものであった。
純白のブラウスは赤く染まり、立つことすら困難になりつつある。
横で霊力の回路をつなぐ卜部にも疲労の色が滲む。
もう一柱の吒枳尼天は勝利を確信していた。存外の抵抗があったものの、対する二人を凌駕していた。
音がした。
何者かが電波塔の階段を登る音だ。
その振動が最上階まで伝わる。
ゆっくりと、その正体は姿を現した。
半分が壊れた白い狐面に黒ずくめの服。
片方の人間の目は険しく、 前方の男を
忠平は主人を一瞥もせず向かっていく。
来たぞ、薬師峰――。
――忠平さん。
両者は言葉は交わさなかった。が、思念は確かに互いの心に届いていた。
忠平は駆け出した。目を伏せ瞳術を防ぐ。
吒枳尼天は空いた左手をかざすと、無数の光の触手が周囲から発生し、それぞれ意思を持っているかのように忠平に向かっていく。
忠平の体に接触する前に、全ての触手はガラスのように砕け、小さな光の粒が乱舞した。
破壊したのは忠平の拳である。
敵の動作、空気の振動。軌道。
忠平の能力はここに至って蕾を開かせた。強化された五感からもたらされる情報は、強化された脳の解析力で常人には捉えられない立体性と明瞭さをもたらしていた。
そして手甲は儀門から奪った法印入のものだ。
神をも下す降三世明王と怨敵滅却の大元帥明王を宿したしたそれは本来、陰の吒枳尼天の力を削ぎ、無力化するためのものだった。が、今真逆に利用されていた。
距離が一気に縮まる。
拳は導かれるように、吒枳尼天の顎にめり込んだ。
攻撃は止まらない。更に顔面に二打、腹部に三打。
吒枳尼天は抵抗しようとしていた。否、していたが、全て潰されていた。攻撃は萌芽の更に前の段階で摘まれてしまうのだ。
「――!!」
吒枳尼天の整った顔立ちに赤い線が走る。手刀で眉間から額を切り裂かれ、視界も奪われた。
それでも反撃を諦めず、至近距離で触手を発生させようとする。
だが、かざした手は第二関節から消失した。
卜部の霊糸が切断したのだ。それを可能にしたのは吒枳尼天の力がすでに減衰していることを示していた。
「あの世で皆に詫びろよ」
忠平の拳が唸りを上げて吒枳尼天の腹部を突き上げた。
木の幹が折れるような、蟲の四肢が千切れるような音がして、腹部から背中まで貫かれた。
「ごほぉ!」
吒枳尼天の顔が苦痛に歪む。
吐血ではなく、光の粒子を吐き出す。貫通創からも粒子がこぼれる。
「貴様は……何ということ……陽たる存在が消えれば……それは」
「関係ない。
忠平は無感情に拳を引き抜く。ぼぞっ、と不快な音を合図に、それの身体は痙攣し、急速に力を失い崩れ落ちていく。
吒枳尼天が一瞬笑ったようにみえた。
途端に全身が砂のようになり、崩壊し、消えていった。
背後で薬師峰が倒れた音を聴いて、忠平は我を忘れて、走り寄る。
彼女を抱え、体を起こす。
端正な顔立ちは見る影もなく、血にまみれていた。
「薬師峰!」
薬師峰の瞳は虚ろだ。何か話そうとしているが、口から血が溢れ、うまく喋ることができない。
思考よりも直感が行動を決定した。忠平は薬師峰の口腔に溜まった血を自らの口で吸い、吐き捨てた。
薬師峰は大きく息を吐きだすと、少し和らいだ表情を見せた。
「来てくれて、ありがとう、忠平さん」
「すまない、遅くなって」
「必ず、来てくれると思った」
薬師峰の体から、はらはらと微粒子状のものが落ちる。
「――おい、薬師峰」
「――こうなることは分かってた。あの男を止めれば……それでも私は、衆生のために、人々の無念を救済するために……」
忠平は卜部に助けを求めるような視線を投げるが、卜部は頭を振るのみ。彼女にどうこうできる状態ではなかった。
「生きたかった」
全ては定めであった。
陰と陽、二つが対峙し、相容れない。融合でなく、決裂を選択した時点でその運命は定まったのだ。
「忠平さん……今までありがとう。これからは、自分の人生を、生きて」
「冗談じゃない……俺はあなたが、薬師峰さんが声を掛けなきゃ……死んでいたんだ……俺に生きる価値を与えてくれたのは……あなただ」
薬師峰は小さく笑って、忠平の頰に手を当てた。
それが終わりの合図のように、彼女の体全体が崩れていった。
「あ、あ……」
止めることはできない。極小の砂となり、格子状の足場をすり抜け、落ちて、風に舞って、消えていく。
狐は鳴いた。それは主人を失った眷属の慟哭であった。
外界からサイレンの音が聞こえる。
警捜室の本隊が向かっているのだろう。
卜部は無線で淡々と攻勢終了と事後処理の要請を行っている。
碓井に伴われ、春賀も鉄塔の上に上がってきた。
夜が白み始めた。
獣の哭き声は、山河にこだまし続けていた。
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