第二十九話 雨
「全員退避したな!」
「大久保以外、我々はこれで全てです」
奥平と榊原が情報班を建物の外に誘導している。
そこに黒いセダンが勢いよく入ってきた。大久保が十鹿神社へ応援を呼びに行った際の車両である。
「外には出られません!この門前町付近まで強力な結界が発生しています!」
車の窓から乗り出して大久保が悲痛な報告をあげた。
「SP班は壊滅だ。おそらく班長も」
奥平の報告に大久保は絶句した。
◇
忠平は人気の無くなった最祥殿の中をゆっくりと進む。
本来はうぐいす張りを施した廊下がきしり、きしりと音を鳴らすのだが、それすら聞こえぬほどの忍び足である。
奴はもう近くに来ているはずだ。
玄関から最も近い部屋に差し掛かった時。
一歩、踏み出したところを鋭い蹴りが側頭部をめがけて繰り出された。
バラバラに散らばる引き戸の木片。
ちらりと垣間敵の姿が忠平の視界に入り、反射的に中段前蹴りを鋭く打ち出す。
が、白い服が揺れたのみでダメージが通った手応えはない。
「皆を退避させるために勝ち目のない敵にも挑む……その姿勢は称賛しましょう……が」
黒い狐は部屋の中に隠れもせず、堂々と姿を晒している。
仮面の切れ長の目の部分から、人間の瞳の輝きが見える。それは相対する忠平を侮蔑するような、ぬるりとした気色悪さがあった。
あの仮面の奥には、間違いなく、儀門がこちらをせせら笑っているのだ。
「この前の借りは返す、儀門!」
と呟くと忠平は一気に距離を詰めて上段蹴り、足払いのコンビネーションを喰らわす。
常人なら技の速さと剛力だけで圧倒される、はずである。
が、寸前でひらり、ひらりと木の葉が揺れるように躱された。
儀門からお返しと言わんばかりに鋭く、最小限の動きで繰り出されるジャブ。忠平はパーリングでいなすが両腕に電流が走る。
無論それでは終わらない。そこから怒涛の
忠平は呼吸もする間もなく、弾丸が如き突きの連打を捌き、受ける。
ガードをしているはずなのに、体力が切削されるように減っていく。
強い。真城市での初遭遇ですでに感じ取っていたが技倆に圧倒的な差がある。
逃げ場のない室内でやり合うのは危険であった。
やまない攻撃にたまらず忠平は後ろに飛び退いた。
「――ここでは分が悪い、と思っていますね。では望み通り、外に出てもらいましょうか」
「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク――」
真言の詠唱。
途中から声でなく奇っ怪な音に変わったのは聞き取れないほど極限まで詠唱を圧縮したからだ。
部屋の中に熱風が渦巻いた。
炎の風が黒狐の右腕に絡め取られ、独鈷剣の形を作る。
「不動明王火界剣」
鋭い吠えにも似た気迫とともに打突。高熱に灼けた剣が忠平の喉元にせまる。
忠平は横に跳んで回避したはずだったが、凄まじい熱風に煽られて吹き飛ばされる。
降魔の獄炎をまとった如意の剣は木造りの壁をやすやすと貫き、境内まで達した。
土煙が起こって、白い玉砂利は豪熱に抉り溶かされた。
バラバラと木片と瓦の残骸が降り注ぐ。
意が叶って建物の外に出た、が、状況は変わらない。むしろますます不利になった。
不動明王の力を借りた術。
体術だけでなく、強力な呪法も使えるとは。
勝てるのか?いや
今、十鹿神社で儀門を確保に動いている警操室のメンバーは何を追っているのだろうか。
この状況で全員の避難の間の時間稼ぎを買ってでたのはいいが、生命の保障は全く無い。
薬師峰はどうだろうか?もう一人の敵と遭遇し、無事でいるのだろうか。
様々な想いが去来する中、忠平はゆっくりと、四肢の無事を確かめながら立ち上がった。
大穴の空いた最祥殿の中から風が流れ込んでいる。風の原因は強力な霊力を漏出し続ける、黒い狐、儀門清明がその発生源である。
「弱い、弱い、弱すぎる。これで神の眷属を名乗るか、片腹痛い」
儀門は豪語した。力の差は歴然としていた。
「とんだ選択ミスだったね。佐上忠平クン」
「……なぜ俺の名前を」
「君も色々嗅ぎ回っていたじゃないか。深淵を覗くものは…、じゃないが、ウロチョロ嗅ぎ回っているキツネがいれば気になるのは当然さ」
黒い狐面の下で儀門が、フンと鼻で笑う。
「本当に君の人生、救いようがないね。
調べたよ、大学も努力が足りず二流、いや三流か。仕事も人員整理で肩叩き。学業も仕事も中途半端、で、奮起して努力するでもなく女に誑かされてワケの分からない正義の味方ごっこ。終わってるって表現は良くないけど……
不様だよね」
「貴様ッ!」
怒りに任せて遮二無二突きかかる。
「結局、あの女の色香に
「違う!!」
「どこが?さっきからあの女の匂いを漂わせて、さもしいにもほどがある」
あの時、まじないと言って彼女が懐に入ってきた光景が
一瞬の精神のゆらぎにつけ込んだ重量のある蹴りが忠平の顎にめり込んだ。
忠平の目から火花が散り、足が脱力して膝をつく――。そうはならなかった。さらなる儀門の追い打ちで飛び膝蹴りが水月を打ち貫いた。
狐の面は砕け、肢体は木偶人形のように砂利の上に何度も転がる。
「ごほっ」
口の中が鉄の味で満たされている。
――まだ……
朦朧とする意識の中、忠平はなんとか闘う意志を保っていたが、どうあがいても形勢が好転する要素は少ない。
「あの女……薬師峰瑠璃とか言ってたかな。君は彼女に選ばれた、と思い込んでいる様だけどそれも違う。実際は取っ替え引っ替え。目についた奴を籠絡して、汚れ仕事を手伝わせていたんだよ。才能のあるなしじゃないのさ。――君に資質何てこれっぽっちも感じ取っちゃいない」
――違う。忠平の口はかろうじて動かすのが精一杯であった。
「狐!」
呼びかけた声が強制的に忠平を覚醒させる。
SPの奥平だ。律儀にも戻ってきて、ずたぼろのこの狐を援護しようというのだ。
「やめろ……敵わない……」
奥平は制止を聞かず、拳銃を構え、警告なしに発砲した。あくまで牽制射撃だ。相手の行動を制限するのみで、彼の目的は瀕死のこの白い狐を救出することにある。
弾丸は虚空に飛んでいった。
黒い狐は鋭く飛んで奥平の方へ向かう。
術式で強化した神速と轟撃を兼ねた回し蹴り。
鈍い音がして車にはねられたかのように奥平の体は高く跳ね跳ぶ。
どちゃり、と肉が落ちた音が絶望に絶望を添えた。
「余計な事をするとその無駄に命を散らすことになる」
「そろそろかな――、興も醒めたし――、ほら観てご覧よ」
儀門が忠平に近づき、頭を掴み無理矢理視線を破壊された建物の方に向かせる。
そこには脱力して男に抱えられた。己の主人の姿。
――薬師峰。
忠平は絶叫しようとしたが、声は出なかった。否、出せなかった。
代わりに乾いた破裂音が境内に響いた。
儀門の手にはいつの間にか奪い取った拳銃が硝煙をくゆらせている。発射された弾丸は忠平の胸を貫いた。
短く漏れた声の後、とどめの銃弾が四発、全て忠平の体に撃ち込まれた。
「そちらは終わったか、儀門」
「ああ。ちょうどね」
「行こう――。次の段階へ。もう準備はできているんだろう?」
二名は悠然と女を抱えて立ち去って行く。
最祥殿の北側、表の施設と厨房施設などを遮る門扉の隙間から、残った人員は一部始終を目撃していた。
最後に残ったSPの榊原を含め非戦闘員の班員らは何もできず、襲撃者らを見送る他なかった。
真っ青な青空が急転して、重い鈍色の雲が急速に発達し、一つ地面に染みをつくる。それは結界の解除を示すものだった。
数分も経たず強い雨音が地面を叩いた。
ごうごう、とうなりながら排水口が渦を巻く。
吒枳尼天の眷属を称した者の死体が水溜りに沈んでいる。傷跡から血液が流れ、その濁流に吸い込まれていく。
敗北。
ここで生存する誰もがその言葉を心中に打ち付けられていた。
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