第三十話 暗欝より
身体の感覚があいまいなわりに意識ははっきりしていた。
これが死ぬという感覚か、と忠平は思った。
銃弾が急所に当てられたせいか、痛みよりも先に衝撃が走り、一瞬で意識が暗転した。
自分にとってもあっけない幕切れであった。
が、死んでいるなら意識なぞ残っているはずもない。これは、薬師峰が何か術式を施したのか。それとも、精神だけが生きている、幽霊というべき状況なのだろうか。
――まあ、普通じゃできない体験もしたんだから、俺のチンケな人生にしてはましな瞬間だったのかもしれないな。
他人事のような感想だが、死んでしまったからには過ぎたことである。
だが、忠平の心には儀門の言い放った言葉が棘のように残っている。
――不様だね。
事実だ。忠平の人生は、中途半端であった。それは本人自身が分かっていた。大学進学も努力不足で希望の大学にも入れなかった。大学でも何を成し遂げるというわけもなく、就職も周りの空気に合わせてやっているだけで曖昧な精神状態で続けていた。
これは、その生き方の罰か。
忠平の生き方は自堕落で無軌道、唾棄すべきものなのだろう。
「――さん」
忠平の茫漠たる意識に他者の呼びかける声が届いた。
「忠平さん――」
それは幼い少女の形をしていた。
いつの間にか忠平の傍らに座り込んでいる。
「薬師峰さん――」
夢の中で喋るような感覚であった。
彼女の姿とは異なるが、なぜだかその少女を彼女だと認識していた。
「意識があるのなら良かった」
「俺は……やっぱり死んだのか?」
「半分は。私の術、
あの時のおまじない、と称して首元を噛んだのがそれか――。
決して
『聖域』が展開されている以上、身体の外に呪法を発現させることはできない。薬師峰はその術を忠平の身体に保険として埋め込んだのだ。
「あまり時間がないので手短に。忠平さんには三つの選択肢があります。
一つはこのまま、死を受け入れるか。
もう一つは呪法の力で蘇り、戦いを続けるか。
そして最後に、蘇ったあと、今までの事を忘れて、普通の日常に戻るか」
普通の日常に戻る、か。
それができる方が幸せなのは確実だ。
それともいっそのこと、全てを捨てた虚無へ旅立つか。それこそ最大の安寧かもしれない。
肝心なのは魂がそれらに適するかである。
全て忘却して平凡な日々に戻る。
駄目だ。その平凡生き方ですら落伍したのだ。合わない鍵を無理に入れようとしてもお互いに摩滅を生むだけだ。
かと言ってこのまま死を迎えるには悔いがあった。
では最後、蘇ってまたあの化け物じみた連中とまた戦うのか。
これも幸福とは程遠い、遥かに厳しい道だ。再び死に至る選択肢である。
「薬師峰さんは――」
「薬師峰さんは、俺にどうして欲しいんだ?正直俺なんかじゃああんな奴らに敵うとは思えない。そして――」
「俺がやっている狐役は何度も交替していたんだろう?俺にこだわらなくてもいいはずだ」
少女姿の薬師峰は少し上を向いた後、唇を開いた。
「何度も、狐役が変わっているのは事実です。それは決して使い捨てにしてきた訳では無く、適正の問題です」
「どんなに身体的、霊的に優れていてもこの役目を全うできない人々はいます。むしろそれが普通なのです。あなたほどの適合者はいない。
このような事を続けられる方が異能で、奇貨なのです」
「ですから――。お願いです。私のところへ来て下さい。儀門の企みを打ち砕かなければ、また更に犠牲者は増えるでしょう。この地はその野望に蹂躙される――」
忠平は横たわりながら首だけ動かした。
「あの儀門の横にいた奴は」
「……あれは私であって私ではない、もう一柱の吒枳尼天。
陰と陽、太陽と月、光に対する闇。私もようやく気づけた。
幼い少女の薬師峰は不安そうに忠平を見つめている。
相変わらず無茶を言う神様だ。どう考えても分が悪い勝負に引き込むつもりだ。
だが、心地は悪くなかった。
「やってやるよ。大したことは出来ないけど」
結局、心は決まっているのだ。たとえ無茶でも此処が自分の居場所だと、忠平にははっきりとした自己の認識があった。
「このまま死んだら、つまんねぇし、あの『いけすかない』奴らを野放しにすんのはもっとつまんねえよ」
薬師峰はふふ、と笑う。
「言うやよし。――ありがとうございます。では行きましょう」
◇
ひとしきり降った雨は止み、辺りは薄暗くなり始めていた。湿った空気が漂う。
凪川稲荷はガス爆発があったとか何とか理由を付けて、完全封鎖されていた。
死体袋が三個、SP班の西郷、水野、もう一つは佐上忠平のものだった。
応戦した残りの人員も重傷を負って、現在医療チームの治療を受けている。
散々たる状況だった。
室長の宇多に対する処分は確定だろう。
だが、作戦が失敗したといえ後処理は変わらない。十鹿神社から戻った処理班を始め、各々が忙しなく動いていた。
彼らの遺体を収容しに来た処理班が遺体を搬送しようとキャスターをそばに持ってきたときである。
忠平の遺体の腕が死体袋から露出していた。
いわゆる死後硬直というやつだろう、と処理班員の一人は感情を無機質にして腕を掴んだ。その時――。
死体が動いた。
処理班員の腕は逆に掴まれていた。
「うわぁっ!」
処理班員は思わず腰をついた。
ぐっしょりと濡れた黒い腕が自らの胴体を引きずり出し、半分砕けた仮面をつけた頭部がゆっくりと持ち上がった。
眼光が闇夜に光る。
彼が報告から戻る前に、その姿は忽然と夕闇の中に消えていた。
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