第十二話 狐狩り その三

 ――あのクソ神!何が自分で使うだ!!


 怒りを原動力にして飛ぶように境内を抜けた忠平は薄暗い杉林を抜け、沢、竹林、藪も構わず跋渉ばっしょうしていく。


 薬師峰から告げられた作戦と言うには博打めいたそれに忠平は閉口したが、取るべき手は少ないので否応も得なかった。


 すでに呪符の一枚は投擲した。囮なのはバレるだろうが、時間稼ぎと撹乱だ。その間に別院から最も近い敵を止める。


 小さな林道に達すると幾つかの人影が眼の前に現れた。人間?いや、人間の顔がない、黒子のような人型の存在が、わらわらと集まって行手を阻まんとしている。


 ――呪法による人型ヒトカタか、非人間なら遠慮は無用。

 忠平は手にしていた素振り用の木刀で薙いだ。軽い動作だったが黒子の頭が異様に曲がり、打突で後方に吹っ飛ぶ。一定のダメージを与えた人型ヒトカタはしぼむ風船のように急速に縮んでいくと、後に小さな紙片が残る。


 近づいた人型は鎧袖一触というにふさわしく、彼の猛進を止めることはできない。

 

 そして背後から飛び込む影を、強化された聴覚と触覚は確実に捉えていた。


「うぎゃ!」


 漫画に描いたような無様な声でそれは叫んだ。忠平の後蹴りが完璧なタイミングで入ったのだ。しかし――。


「おうおう、強いなぁ。颯兄ぃが負けるのも分かるわぁ」


 その影、金髪でMA1ジャケットを着た女は、満足げに微笑んだ。


 通常の人間なら顎の骨が砕ける一撃を食らって、全くなんともない様子である。長身で体格も良いが一般人の域を大きく外れるものではない。


 難なく着地したその女は、持っていた巨大な長柄の木槌を振り回すと、平然と再び忠平に向かってきた。モーションを読んでバックステップで躱すと、振り下ろした木槌が申し訳程度の舗装された路面に叩きつけられる。


 一瞬で亀裂が広がり、アスファルトの破片が飛び散る。


 耐久力、怪力、どう見ても『誓約者』であることは疑いようもない。


 周りにもまた人型どもが集まってきている。時間はない。あの槍使いが囮を始末したらこちらに向かってくるだろう。


「人型ども、手ぇ出すなよ!ウチが遊んでるやろ!」


 暴風のように木槌を振り、辺りを破壊しながら忠平に迫る。


 怪力女が振りかぶる、その時を忠平は見逃さなかった。鋭い突きが柄頭に当たって得物は後方に飛んだ。驚いた表情の女に二度目の衝撃が走る。幅広の木刀が風を切って胴にめり込む。 普通人ならその場で悶絶、肋骨骨折内臓破裂するほどの一撃だ。


「効くなぁ、でも捕まえたで」


 にやりと女は笑うと、木刀をがっしと掴んだ。並外れた力は忠平のそれ以上か、木刀を引き抜くことはできない。


「このまま力比べといこうかぁ?ん?」


 怪力女はじゃれ合う猫のように笑いかける。

 どうする。このままでは――。


 急に、力の均衡が崩れた。忠平の姿が消えた。

いや、上に跳んだのだ。自分の得物を手放して。


 体勢が崩れたは木刀に呪符が張られているのが目に入った。


 「あ」


 気づいた時には呪符の効果が発現していた。呪符が貼られた木刀から木の幹が急速に伸び、女の体に絡まり拘束する。更には呪符を攻撃しようとして人型たちが群がる。


 間を開けずして、黒い雪だるまのような物体が素っ頓狂な声を上げながら谷底に転がっていった。


「まず一人」


 忠平は低く呟くと、すぐに北に向かって走った。




 十中八九囮なのは分かっていたが、慎重な同期の班長、晃はあらゆる可能性を潰してきたいのだ。


 渡辺颯は呪符から発生した人型から槍を引き抜いた。


 それとほぼ同時に背後から音もなく飛び掛かったもう一つの影の一撃を難なく避ける。


「はっ、来る頃だと思ったよ!!」


 急襲を躱したその動きから反撃の一突き。が、既に狐の面を被った忠平の姿は空を舞う。


「…その木槌がそこにあるってことは…金戸石はやられたってことだなぁ」


 忠平の手元にあるあの怪力女――金戸石の木槌を見て颯の目の色が変わった。霊気、いや闘志が身体中から滾って溢れているさまが仮面越しにも感じられる。莫大な圧力マグマを内部に溜め込んだ火山だ。


 空気が爆ぜた。凄まじい刺突はまさしく火砕流であった。


 高速の突きは水平に放たれる灼熱の溶岩弾の雨となり、周りの木々地表ごと粉々に吹き飛ばす。


 マッチ棒同然にへし折られた杉の木が空中にばら撒かれ発火してしていく。


 一瞬で辺り一帯を薙ぎ払い、黒焦げの立ち木から白い煙が立ち昇る。


 化け物か――。忠平はそんなことを言える立場ではなかったが、およそ生身の人間の芸当ではない。

 何とか回避しきったがまともに食らったら人間でも粉々になってしまうだろう。


 『誓約者』としての能力は圧倒的に相手の方が上だ。薬師峰から貰った呪符は残り1枚。


 すでに細工は仕掛けた。うまく作動して欲しい。うまく作動しなかったら、命はないだろう。


「はは、よく逃げる!"狩り"はこうでなくっちゃなぁ!こっちもそれ相応の用意はしているんだよ!!」


 そう言うと颯は呪符を周囲にばら撒いた。たちまちそれは三十数名の黒子の槍兵となって、忠平への包囲網を形成し始めた。


 追い立てられつつも、木槌で近づいた敵を吹き飛ばして走る。


「まだまだ生きが良いな!だがな!」


 前方に黒い影が二十ほどぬっと現れた。忠平が発現させた影を追う際にあらかじめばら撒いたのだ。


 忠平は最低限の黒子を蹴散らしつつ、尾根の中腹にある竹林に向かっていった。半ば追い詰められるような形であった。


 手入れをしていないであろう竹林は細い沢の上流部にあり、黒子の兵隊達は中々侵入できないようである。しかしその隊長である颯にとっては全く関係のないことだった。


 闘気オーラを身にまとい、周辺を焼き焦がしながら獲物を討滅せんとゆっくりと迫ってくる。


 一斉に黒子たちが槍を竹の間から繰り出す。それを屈んで回避するが上から颯の剛槍が竹藪ごと焼き払いながら忠平を襲う。更にそれを避けて木槌を振りかぶるが―。


 「!?」


 密集した竹に木槌が当たり、動きが制限されたのだ。その隙を見逃す颯ではなかった。


 忠平の腹部に焼けた槍が容赦なく突き刺さる。


「がはっ!」


 自らの血と肉が焦げる匂いが鼻腔に広がる。


 なんとか反射的に諸手で槍を掴んで受け止められた。内臓までは到達していないはずだが、確実にダメージが肉体に与えられてしまった。


 くそっ…まずい…!ここまで来て…!


 体の自由が奪われたうえに黒子の集団が獲物を取り囲まんと隊伍を組んで前進してきた。


 『あれ』の準備が、作動してくれ…頼む…っ!


「諦めな、もう投了だ」


 一重二重の黒子達が漆黒の槍を忠平に差し向ける。再び一斉に突きが放たれようとしていた。


 その直前、パキィン、と乾いた音が谷中に響いた。


 異様な音だった。


「はは、なんの音か気になるよなぁ?」


 狐の荒い息の中にも思わず安堵の色が混じる。


「なんだよ、往生際が悪りぃぞ、どう見ても串刺し一歩手前」

「この竹林の中に小さな沢があっただろ?そこまで見てないか?その沢の上流に何があるのか?ふふふ」


 再び硬質な何かが割れる音が小さな植林帯の谷にこだました。


「呪符、ってのか?原理なんてないようなもんだが、単純に『増幅』装置みたいなもんかな?昔話でもあったよなぁ…人のふりをしたり、川を作ったり…」

「なんだぁ?何を話してる?」

「どうも気づいていないようだから教えてやるよ。小さい沢の源流前にあるもの…砂防ダムだよ。そこに最後の一枚は置いてきた」


 颯の猛禽のような眼がはっと見開く。既に遅かった。


 轟音とともに砂防ダムの断末魔が響く。砂泥のが呪符の力で増幅され、地響きとともに忠平達の方に向かって押し寄せる。


「てめぇ…」


 迫りくる砂泥の波。忠平と颯、黒子達はどうすることもできず黒い土砂の中に呑み込まれていった。

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