第十三話 聖域

 春賀達が本部としていた林道の終わりの方まで土砂は到達していた。大型バンは土砂を退けないと自走できない程、砂泥に埋まっている。


 車内に人はいない。ケーブルや計器が繋がれた機械類は点灯したままで、ついさっきまで人がいた痕跡があった。


 巫女、卜部由華も春賀晃とともに『べついんさん』がいるであろう、林中の鎮守堂に向かい、木々に覆われた薄暗い参道を駆ける。


 磐座いわくらの一部を切り出した携帯巫座モバイル・シャーマニック・デバイスを身に着けている為、霊的には勿論、電子的にも同期したまま行動できるのだ。


 碓井は金戸石と渡辺の救助に向かっている。

 『べついんさん』こと吒枳尼天の化身を名乗る者とその『犬神人』は厄介な相手であった。予想外にも前衛両名をあのような鬼手であしらうとは。


 しかし、治安や秩序を脅かす存在を看過することはできない。それが春賀達の、『ホクメン』の統一意思である。


 前方に見えていた光が次第に大きくなっていき、ついに視界が開けた。

 

 神仏習合らしい、朽ちかけの木造りの鳥居が彼らを出迎える。

 苔むした石畳の先には古びた本堂が鎮座しており、その前に雌雄の霊狐らしき像。風雨と苔土に侵されて原型を留めていない。

 そのすぐ近くに一人の少女がいる。


 古びて朽ちかけた小さなお堂と学生のなりをした少女の組み合わせは廃墟の美しさというか、退廃的な趣があった。


「ようこそ、凪川稲荷北別院へ」


 眼前の少女は妙に妖艶さを含む笑みをたたえながら二人を歓迎した。


 高校生ぐらいの年齢に見えるが実際はもっと年を取っているようにも、もっと幼くも感じられる。


「警察庁特別機捜室だ。獣化事件の重要参考人としてその身柄を拘束する」

「お断りします、と言ったら?」

「実力行使で是が非でも」

「ふふ、もとより開放の見込みがない拘束、でしょう?」


 春賀の物腰は柔らかいが、自分の存在意義も任務も重々理解していた。もとより人権だとか、法令遵守コンプライアンスだとかを気にする相手ではない。


「よく分かっているようだね。吒枳尼天を騙り、地域の治安を乱し、人心を騒擾そうじょうさせた罪は重い。誅滅ちゅうめつの対象さ」


「騒擾?治安を乱した?私が?あくまで法を犯しても平然とのさばる者への掣肘です。法で処罰されない不逞の輩が跋扈するのは正常なことでしょうか?」


人間じんかんの問題は全て法に則って対応する。すがった人々を呪詛しヒトでないものに変生へんじょうさせ、詐欺、傷害、殺人を行う、法によって裁けないとしても明らかにこの世の理を逸脱した行為だ」


「ヒトでないものへの変生…最近起きた獣化の事件、私達の所為せいと思っておいでのようですね。それは私達ではありません。他に人々に獣化を促す者がいるのです」


「減らず口を…」


 言い訳は聞き終えた。そう言う代わりに春賀は腰間の刀を抜いた。冷たく光る切っ先が薬師峰の面に突きつけられる。


「では仕方ありませんね」


 薬師峰が言い終えるが早いか、茂みから飛び込んできた影が、春賀と衝突して鋭い金属音が鳴る。


「もうそろそろ来ると思ったよ」


 春賀は余裕の表情を崩さず、吒枳尼天の使いキツネに扮した忠平の攻撃を受けた。


 忠平は砂泥にまみれ、服もボロボロ、身体にも複数の傷があったが、まだ闘志は消えていない。さらなる強引な体当たりで、優男と共に境内の外に飛び出した。


 あとに残された卜部は薬師峰と対峙した。


 薬師峰はあいも変わらず、笑みを含んだ表情である。それが卜部には正体不明の妖人がにやにやと嘲り笑っているように見えたのか、眼差しに警戒以上の怒気が混ざる。


「危害を加える気は毛頭ありませんよ」

「黙りなさい、神人じにん補助役サポートだと思って侮ったら痛い目見るよ」

「仕方ありませんね」


 そうつぶやいて薬師峰は『視線』を投げたが、卜部のそれとは重ならない。既に瞳術は彼女の強力な探知力で回避されたのだ。


「瞳術使いなのは会ったときからお見通しよ」

「これはこれは」


 動ずる事なく、次は指を鳴らす。

 

 するとたちまち、狐の面をして武装した黒い人型が三十人ほど現れて、卜部を包囲した。刀槍のビジョンも携えて、一斉に攻撃する。


 しかし無駄である。


 人型たちは一瞬で寸断された。頭部、腹部、武器を持った腕部が膾切りになり、破壊された紙片だけが舞い散る。


「言ったでしょう?どうやら痛い目に遭いたいみたいね?」

「ふふ、楽しみ甲斐がありそうですね」




 舞台を堂の裏に広がる森に移して二名は絶え間なく戦いを続けていた。


 卜部は掌をかざしてを祓詞を詠唱する。指と爪の間から白い糸が生きているかのように薬師峰に向かう。操糸術。それが先程人型を軽々屠った術の正体である。木々を避けて複数の糸が薬師峰に伸びる。

 糸は届く直前で青白い炎に焼かれた。


 やはり、所詮は神人じにんだ。持ちうる術も妖力も神を称するに相応しくない。卜部は己の『天網』を用いた感知力からそう断定した。どのように妖力を得たかは不明だが、この程度なら大したものではない。


 卜部は詠唱や印相を組んだ様子がないのは奇妙に思ったが、必要以上に警戒して相手のペースにはまるわけにはいかない。


「畳み掛ける!」


 数十の糸が林や笹藪を抜けて薬師峰を襲う。が、それらを炎で焼き切って薬師峰は余裕の構えを見せる。


「まだ続けます?」

「そこまで言うならそちらが攻め手になれば?」

「では遠慮なく」


 今度は複数の狐火が闇を縫うように飛んで卜部に向かっていく。


 卜部は微動だにしない。飛んできた狐火は何かにぶつかって消失していく。糸が小さな石や落枝を操ってデコイにしているのだ。


 互いに攻守を入れ替え、一進一退の攻防を続ける。


 その均衡を破ろうとしたのは薬師峰であった。

 周囲の複数の火の玉が集合し、大きな火球となる。流星痕のように青い軌跡を残しながら周囲を焼き払い卜部を一気に呑み込む。


 青い炎に飲まれた人間がぼろぼろと炎に焼き溶かされて崩れていく。


「あっけなかったですね」


 数秒も立たず、数片を残すのみとなった追討者の姿を見て、神の化身を名乗る女は失望しつつ言い放った。


「そちらがね、やはりこの程度ね」


 卜部が薬師峰の背後から突然現れた。空中にある何かをぴん、と弾くと、途端に薬師峰の四肢が木偶のように釣り上げられた。極微細の糸が頸部、腰部、手関節、足関節等に結束されている。


「霊糸術…対峙した時から認識できぬ霊糸を同時に発現していたのですね。視認できる実物の糸は陽動だった、と」


「そう、そしてあなたが大技をかけた私の形をしたもの…あれも全て」

「糸で作った人形」

「今更見破ったところでもう手遅れだけどね、じゃあね」


「フフフ、あは、あはははははは!」


 糸を操作してとどめを刺そうとした時、薬師峰が声を上げて笑い出した。回避不能の死の恐怖で発狂してしまったのか、絶望を感じさせる乾いた笑いであった。


 卜部は不快げに眉をしかめながら、指先をくい、と動かした。薬師峰の首筋にすっと赤い線が走り笑い声が途切れる。霊糸は人体の神経にすら介入できるのだ。


「妖力は霊糸で封じ込めているわ。抵抗するだけ無駄だから」

「ふふ、素晴らしい巫力、ここ数百年でもここまでの方はいなかった。こちらも力を尽くす甲斐があります!」


「あなたの結界『天網』の中で小細工はできない、それは真。でも本当に『封印』できているのかしら?何か見落としていることはない?よく考えてみて?」

「くどい!」


 嫌な目、負け惜しみか時間稼ぎでしかないはずの妖女の余裕めいた態度に怒りがこみ上げた。


「…わからないなら見せてあげる、本当の」


 薬師峰の言葉は途中で頭部とともに途絶えた。


 首が、細い腰、白い手首も、関節に絡みついた霊糸が極細のワイヤーとなり、容赦なく彼女の体をバラバラに切断した。


 ごとり、どちゃ、臓腑と四肢が地面にばら撒かれる。血液が樹木と地面を濡らし、光を失った双眸の視線は虚空を仰ぐ。

 無機質で無惨な光景が広がった。




 手応えがない、何十回、何百回と神人を屠った経験のある卜部は直ぐに違和感を覚えた。

 ぬるりとした感触が糸から伝わる。薬師峰の体は霊糸で切断される前に自らバラバラになったかのようであった。


 まさか――。


「ふふふふ…見せてあげましょう。本当の、私の力を、ふふふふふ」


 落ちた首がニタニタと嗤った。


 もともと薄暗い森の中であったが、太陽の光もいつの間にか雲に遮られている。否、雲ではなかった。薄膜のようなものがこの空間を覆っている。


 何故?卜部の『天網』を逃れて結界を形成するなどありえない。また北別院を偽装していた結界も然りである。どちらでもない、とすると――


「『天網』を発現する前の結界の効果は打ち消したはず…」


 気付いたときには薬師峰の死体は地面の暗がりに溶けて跡形もなくなっていた。偽物フェイクだった?いや、捕捉した際に確かに妖力を観測していた。


「既に結界は展開されていた、あなた達がこの凪川に入る時には、ね」

「まさか…凪川稲荷の結界に偽装していたということ?」

「当たらずしも遠からず、ですね。稲荷の領域はその一部にしか過ぎません。」


 暗がりはいつの間にか宵闇に変わった。


 『天網』はドロドロとした闇に侵食されていく。見逃されていたのだ。あえて。


「まさか…『街』全体が結界!?」

「フフフ…まあそんなものです。この『街』だけでなく、山河全て、私の手中でありどんな呪法術式も、良しとすればあり、悪しとすればなしとなる。決まった呼び方はないんです。抹香臭いのや黴臭いのは嫌ですね。そうだ――」


 最高位兼最優位結界。


「――聖域アジール。と、そう呼んで下さいな」


 ッ!?なんて?

 膨大な領域と妖力は一瞬の観測も許さず、卜部の装着した携帯巫座の回路を焼き切った。

 

 卜部は薬師峰の姿を探知できなくなったことと、その結界の広範さと強大な妖力に衝撃を隠せなかったが、なんとか体制を立て直そうとしていた。


 本当に神なのでは――。今までただの神人、妖女の類かと踏んでいたがそんな考えが卜部の頭脳を侵食しつつあった。


 春賀との合流が優先されるのは明白であったし、それができるだけの冷静さが、彼女にはあった。


 卜部は霊糸を四方に打ち込んで撹乱する。しかしそれも既に悪手であった。ドロドロとした空間に吸い込まれて、逆に抜き取ることができず動きが封じられてしまう。


 迂闊だった――。霊糸を切断して春賀と分かれた方へ走る。走る?何処へ?


 いつの間にか先程までいた森が、漆黒の空間へと変わっている。


 卜部の鼓動が早く、心臓の音が体中に響いている。


「つかまえた」


 どろりとした闇の中から白い手が卜部の手首を掴んだ。悲鳴を低く抑えるだけの理性は残っているようだ。振りほどこうとしてもう片方の肘を闇に向かって振るが、そこも絡め取られいく。足もずぶずぶと闇の中に侵食されていく。


「ふふふ」


 どろりとした闇の中から、薬師峰は現出した。ぬっと卜部の肩の辺りから顔を出し、大きな瞳から均整のとれた横顔をじっとりと眺め、甘い香りのするその白い首筋を口づけるように噛んだ。


「うくっ」


 淡い痛みと共にえも言われない感覚が卜部を襲い、彼女の意識もこの黒い闇の中へ堕ちていった。


 展開されていた『天網』の結界が消え、元の境内に二人の姿はあった。


 薬師峰は卜部の体を抱え、眠り姫を愛でるが如く眺めている。


 ふと、彼女の耳から一筋の血が流れ落ちた。それを気にすることはなく、視線は忠平と春賀がいるであろう方向を向いていた。


「あちらも終わりそうですね。そろそろ決着をつけましょうか」


 戦いの終局が近くにあった。

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