第十四話 春光乍洩
忠平は颯と戦った時に焼けた両手だけでなく、全身から煙を出して地面に突っ伏していた。狐の白い面も半分が砕けて、素顔が露わになっている。
強い。今まで戦った獣や誓約者とは段違いだ。奇襲して接近戦に持ち込んだ時点でいける、と踏んだがそれこそが間違いの始まりであった。別院の外へ押し出して間もなく、忠平の身体に文字通り電流が走った。
雷公――。雷を操る能力が春賀の能力である。
離れれば雷撃、近づけば斬撃という遠近の攻撃にまともに近づくことすらできず、忠平は一方的に蹂躙されていた。
「さて、そろそろ終わりだ。所詮は『神人』と『
じにん、いぬじにん…確か民俗学で下級の神官と最下層のそれに使役されるもの、だったか、と全身の痛みに意識を支配されつつも、忠平はかつて大学で取った一般教養の授業で聞いた単語を思い出した。薬師峰と忠平は神とその使徒ではない、という意味に聞こえた。
「君も憐れだな。どういうきっかけか知らないがあの女に籠絡されて、非道を行うことになるとはね。」
「…彼女は獣害事件の主謀者…じゃない。俺はただ、衆生の望みを叶える、その手助けが…したいだけだ」
「では誰がこの地だけでなく各地に獣化の災いを起こしている?全てはあの女が仕組んだことだろう!?」
やはりこの男は忠平達があの獣事件の首謀者だと思っているらしい。
たしかに全て薬師峰が仕組んだことであれば合点がいくのかも知れない。
しかし名も知らぬ犯罪被害者の女性や親友を亡くした同級生のために、体を張る彼女が全て計算で動いている、そうは思えなかった。
そんな思いも知らず、春賀は八相に構え、忠平の首を落とさんとゆっくり近づく。それはまさしく罪人を処刑する様であった。
――まあ、最後にとんだ事に巻き込まれちまったけど、これはこれで面白かったのか、な。
とどめを刺される時の手負いの獣もこんなふうに達観して死ぬのか、と思いつつ忠平は目を閉じた。
鋭利な刃が閃き、狐を騙った男の首を刎ねようとした時。
処刑人の手が止まった。
――天網が、消えた?
春賀の違和感はそれだけではなかった。少し前から己の『雷公』が発現できなくなっていた。天網以外の力が働いていることは明白であった。
由華に限って、あの神人に負けるなどありえない。そう思いたい自分を押し殺し、剣を振るおうとしたその時――。
「お待ち下さい」
暗闇の中から突如、薬師峰がぬるり、と現れた。傍らには行動不能となった卜部を抱えている。
「『天網』が消えたのでまさか、とは思ったが、人質を取ったから交渉に応じるとでも?」
「交渉、するつもりがないのは分かってます。ですから既に連絡させて頂きました。彼女の携帯巫座と電話を拝借して」
「連絡?」
春賀の問いに彼の携帯の呼び出し音が答えた。
「どうぞ、私達は逃げませんから」
一応警戒しつつ春賀は電話を取った。しばらく向こう側とのやり取りを行った後、口を開いた。
「作戦終了、撤収する…」
非常に険しい表情で、春賀は相対する2名にではなくあくまで指揮する立場で全体に告げた。何を話したかは分からないが、彼らの立場が公務員、官吏であればその上層部からこの討伐に対して中止、撤退の命令があったということだ。
その言葉を無線で共有していた班員たち、碓井が颯、金戸石を伴ってやって来た。
「あれ、もうお
「お、あれが例の…べついんさんか…、卜部がやられたのか…」
「どこ見てん、由華ちゃん人質に取られてるやん」
颯と金戸石は泥だらけでありながらももうおどけたやり取りを始めている。
「君たちを無罪放免にする訳じゃない、ただ今は容疑不十分で開放するだけだ」
「よかった、疑いが早く晴れることを期待します」
「えー、もうやらんの?まだアタシはいけんで、なぁ颯兄?」
「止めておいたほうがいい。颯もかがみももう『負けている』よ」
疑問符を頭につけたままの二名を尻目に、春賀は薬師峰から卜部を受け取り、何事もなかったように立ち去ろうとする。
「おい!どういうことだよ?…まあいい、おい狐、また今度な、今度は負けねぇから」
「ほなまたな、会うかしらんけど」
刃を交えた仲、とでも言うのか、なぜだか妙に馴れ馴れしい態度で颯と金戸石は別れを告げて、春賀の後を追った。
結界が解除されたことでこの山火事と土砂災害のが人々の目に止まり、下界は上を下への大騒ぎである。駆けつけた緊急車両のサイレンが遠方から近くまで鳴り響く。レスキュー隊やら消防、警察官が行き交う。その中に処理班の車両も混じっていた。
車両が破損したわけではないので、土砂の除去作業が終われば移動できるようになるだろう。
「表向きは調査中、突然起きた土砂災害に巻き込まれた事になってます」
小声で処理班の班員が碓井に告げた。
報告を受けて以後の対応を手短に打ち合わせ終わったのち、碓井はあらためて宇多に電話した。本来班長である春賀がやるべきだが、彼は今卜部の介抱にあたっていた。
宇多室長からの唐突すぎる撤退命令。今までに観測されたことのない妖力。いや、霊力、と訂正したほうが良いのかもしれない。一体何が起こっているのか、末端の人間でも知る権利がある、と碓井は思っていた。
「室長、我々もこんな任務についているとはいえ公務員です。命令には従う義務があります。しかし、命懸けで戦う班員にも納得できる理由を伺いたいです。」
「…春賀も、君も若い。この判断は上層部によるものだ、私の意思は存在しない」
「我々は警察庁長官直属の組織です。ゆえにその判断は国家公安委員会、内閣総理大臣の意向を組むものしか存在しない。源流ははっきりしている筈です」
「『かのお方』だ。そういえば君も察しがつくだろう。これ以上の状況の進行について『深い憂慮』をお示しあそばされた、ということだ」
「そんな…ではやはり本当に」
「『あの方』と『狐』は泳がせておけ、当然監視は付けておくように、以上だ」
電話は一方的に切られた。
「かのお方って…
碓井は驚きつつも、何かを諦めたような表情をして、車両の方に向かった。が、まずはその外にいる薄汚れた二名を労った。
ドアに手をかけた碓井を、金戸石が蚊の鳴くような声で制止し、バツ、のマークを作る。
巫女座付車両内では、一時意識不明であった卜部が目を覚ましていた。
深い眠りから目覚めたように、しばらく黙ったままであったが、急に側にいた春賀に詰め寄った。
「あの女…!晃、あの女は?」
「由華、良かった。どうやら精神汚染はないようだね。」
「作戦は終了した。討伐は中止だ。」
「終了?中止!?」
「命令だ。仕方ないことなんだ」
優しくたしなめるような口調に対して、卜部は急に上体を起こして春賀の胸ぐらを掴んだ。
「冗談じゃない…あいつ、あの女…」
「由華、落ち着け、何をされたんだ」
「何もできなかったの!この私が、今までどんな敵でも倒してきたのに…子どもみたいに…!一方的に…」
卜部は涙をにじませ屈辱に震えている。
「…晃!あの女をぶち殺してよ!じゃないと…」
「分かったよ、分かった…」
卜部の肩を抱きながら、春賀の瞳に火が灯った。それはとても
一行が立ち去った北別院の境内は再びいつも通り、木々の揺れる蕭条とした場所へ戻っていた。
偽装結界が再び効力を発揮して、下界の喧騒は木々のざわめきに遮断されている。
忠平はほぼ気絶寸前であった。全身傷だらけ、目まぐるしく変わる状況に疲労困憊、仰向けになって石畳の上に仰向けになっている。
とんだ安請け合いで、犯罪よりも大変なことに巻き込まれてしまった。しかし、その一方で得も言われぬ昂揚感と充足感が胸の奥からふつふつと湧き上がってくる。
「お疲れ様です。忠平さん、よくやって下さいましたね」
「まあ、最後はボロボロだったけど、多少は役に立ったのか、な」
「また、こんなお願いをするのも憚られるのですが、これからも一緒に衆生のため力を貸して下さいますか?」
「…薬師峰さん、信じていいんだよな?人を獣に変える存在がまだこの地を脅かしているなら、ささやかだけど」
忠平はかすれる意識の中ゆっくりと手を挙げた。それだけで相手に意図は通じた。
「ありがとうございます」
薬師峰はこれまでに見たことのない、優しさをたたえながらこの忠実な従者を見つめた。
「少し、疲れました。この『躰』に無理をさせてしまった」
そんなような言葉が聞こえたと同時に忠平は自分の脇腹辺りに柔らかな感触を覚えた。おぼろげな視界。その中に薬師峰の身体が自分に寄り添うよう座っているのが見えた。
果実のような甘い芳香が鼻腔に流れ込む。忠平は少し口を開こうとしたが、もう一言も発する事なく深い眠りへと落ちていった。
これからの戦いにおいてはほんの僅かな、ひとときの休息。神の化身とその従者は、晩春のうたかたの中にいた。
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