第十七話 まだ見ぬ敵

 忠平は柴、薬師峰とともに、願主である近倉を訪ねた。表向きは先の襲撃事件の取材だ。二人は記者見習いということで同行した。忠平はいつものスーツ姿だが、薬師峰は髪をまとめ、スーツでパンツスタイル、メガネをかけて登場した。


 まだ喪の明けぬ間にこのような取材をするのは配慮されるべきだが、彼と息子の賢介を襲った『狐』とやらに関して、少しでも手がかりが欲しい、ということで情報提供をする約束を取り付けた。


 天気予報で空梅雨、と何度も放送するぐらいの、ほぼ真夏の強い日差しが都市と周囲の山なみの輪郭をくっきりとさせている。


 真城市は内陸の山林に囲まれた小都市で、凪川市の上流部に位置する。この地域一の大河にして清流の凪川なぎがわが生んだゆるやかな河岸段丘の上に田畑、住宅が点在している。


 その左岸の丘陵に近倉邸はあった。

遠目からは田圃、果樹園や茶葉に囲まれる大きな邸宅はかつてその地を収めた豪族の砦のようにも見える。付近の道には交通安全ののぼり旗、以外にも『〜建設反対』など書かれたものもちらほら見られた。


 近倉はだいぶ事件の心労がたたったのか、巌のような体格が枯れて小さくなったようだ。かつて辣腕をふるった地元の名士も、ヒゲも薄っすらと生えたままにしており、少し呆けたような印象である。

 

「なんの前触れもなく、突如としてが庭に侵入してきたと伺っておりますが、当時の詳しい状況を教えて頂けますか?」


 正蔵は警察にも何度も説明した当時のことをとつとつと語り始めた。声は大きく話し方もしっかりしている。


「そうだ…本当に突然だった。大雨の日、急に物音がしたから、賢介が様子を見に行ったんだ。私が賢介ー、大丈夫かー、って声掛けて近づいたら、急に横からぶん殴られてねぇ、強ぇ力だった」

「真っ暗だったもんで、よく見えなかっただけど、雷が落ちた瞬間、ぱっ、と明るくなってね、そしたら狐のお面被った奴がぬぅ、と立っててさ」

 

 他の二人と目線が重なるが、忠平は小さく頭を振って否定した。


 ――誓約者だ。そして自分と同じ狐の仮面を被っている。一体何のために?


 横の薬師峰の顔に焦点が合うが、すぐ視線を戻した。警察とやり合った時点でその疑念は晴れた筈だ、そう言い聞かせて疑いの念を押し殺した。


「何か犯人に心当たりは?失礼ですが何か恨みを買うようなことはありませんでしたか?」


「私もねぇ、商売で色々やって来たけど、お天道様に顔向けできないことはやってないつもりだよ。ただ賢介は商売がら、敵を作ってまったかもしれんね」


「賢介さんのお仕事とは…水商売や風俗店経営ですよね?」


「他人の商売だっただけど、譲り先がなくて困ってたから、次男の勇介のこともあって、引き受けた。経営のことは賢介に任せてたから、正直わからんところもある。もしかしたらそこで色々恨みを買うようなこともあったのかもしれん」


「次男の勇介さんは県議会議員の秘書をされてますが、そのことと関わりが?」


「政治家とか団体の集まりでコンパニオンとか、需要はあったから。まあ、あんまり褒められたことじゃあないんだけど情報収集にもなったし、勇介の今後に活かせる、っていう下心がなかったわけじゃないで」


「勇介さんは今どちらに?」


「詳しくは知らないけども、政治家の秘書は色々調整ごとや小間使いみたいな仕事で駆けずり回っとるよ。つい最近も発電施設の土地のことで、こっちにも有権者と来とったよ」


「発電施設の土地、というのは先ほどのぼりが立てられていた、あれですか?」


 道すがらに『〜建設反対』と書かれたのぼり旗ごあったのを思い出した。


「ほうよ。うちが以前買った土地も候補地に含まれとってな。もう権利はこちらにあるんだけども、色々事情があったから契約者の親族の方が訪ねて来てのう。」


「分かりました。本日はご協力頂きありがとうございました。取材で得た情報は紙面でしかお伝えすることはできないのですが、捜査に有益な情報が集まるように、弊紙も協力させていただきます」


 柴が至極丁寧に取材を締めくくった。




「どう思います?」


 車内で柴はハンチング帽を被り直して忠平に尋ねた。


「全体の話はともかく、狐の面というのが気になりますね」


「というか、佐上さんとお嬢が何かしでかしてないか、という不安がありますよ」


「やってないですよ。アリバイを、というと困りますけど」


「今回の願主の以外、復讐を代行するような依頼は受けていません。それに、我々は『監視』されていますから、その方々が動かれてない以上、何もやましいことはしていないということですよ」

 

 薬師峰は釈迦さながらに天を指差した。


 窓から上空を仰ぐと、梅雨間の晴天に黒い点が浮かんでいる。一見すると猛禽類の飛行であるが、それはあの物騒な警察官の式神であろう。


「ん、上に?ドローンでも飛んでいるんですか?」


 霊力のない柴には式神の存在は感知できない。


 もし忠平が近倉親子を襲撃したのなら監視の継続ではなく、すぐにもっと大規模な討伐隊が編成されるはずだ。


「じゃあ、その狐面ってのは」

「十中八九、獣害事件の裏で動いていた者でしょう。そして、我々の敵――」


 薬師峰の声に怒りの色が混じったように聞こえた。


 獣と化した葉山伊保香を操り、死に至らしめ、神の化身を出し抜ける力を持っている存在。


 その存在は自分と同じように正体不明の狐の仮面を被っている。その目的は?なんの為に近倉氏を襲撃した?結局謎ばかりが積み重なって苛立ちがつのる。

 

「柴さん、発電施設の建設計画というのはもう決定事項なんですか?」 


 薬師峰が打って変わって明るい声で話題を変えた。


「この地域の災害時のベースロード電源を確保する構想があるようですね。この辺は幹線道路も通っているけど中山間部には一軒二軒の集落なんてザラですから。でもさっきも見たように工事に伴う環境負荷や低周波の問題なんかがあって計画のけの字もない状態です」


「へぇ…それは、またが嗅ぎつけそうな獲物ですねぇ」


 そう言って薬師峰は山並みへの視線をやりながら手で狐の形を作った。






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