第十六話 交錯する人々

 近倉正蔵ちかくらまさぞうは現代の土豪とも言うべき存在であった。


 彼は凪川市の隣の市、真城しんしろ市で父の代からの建設土木業を継承し、好景気を下支えに事業を確実に拡大した。公共工事の予算が槍玉に挙げれやすい今日、空家リノベーションで別荘として売り出したり、売電ビジネスや農業体験施設なども経営している。


 彼が職人、親方気質を持ちかつ、経営的センスと起業へのバイタリティを備えていたことが大きかった。


 またその事業成功を背景に地元政治家と関係を構築し、地元行政にも隠然たる影響力を持っている。


 更には彼の長男、賢介けんすけも正蔵の建設業を継承するだけでなく、飲食店経営や知人から譲り受けたキャバクラや風俗業も手掛けるようになった。


 無論それは政治家や他の有力者連中へのご機嫌取りや首根っこを掴むためのものである。いずれ県議会議員の秘書を勤めている次男の勇介ゆうすけが、地元から立候補をする野心と地盤を固める、その布石としての事業であった。


 このように隆盛を極める近倉家であったが、破滅は思わぬ形で起こった。二週間前の夜、正蔵と賢介が何者かの襲撃を受けたのである。


 激しい雨の降る夜、凪川よりもさらに田園と山林の多い真城は目撃者も皆無で、今のところ犯人の手がかりは見つかっていない。


 正蔵は瀕死の重傷だったがなんとか一命を取り止めた。しかし賢介は、頭部を強打されたことが原因で翌日帰らぬ人となってしまった。


 事業を一代で拡大した彼を恨むものは少なからず存在する。正蔵は家族を殺された無念を晴らすべく、自らも調査を開始した。探偵だけでなくあらゆるツテに情報を求めたものの、全く犯人の足取りは分からなかった。


 犯人の手がかりは、正蔵のおぼろげな記憶に残る、狐の面を被っていたということだけだ。


 わらをも縋る気持ちで彼が最後に頼ったのは、命と引き換えにあらゆる願望を叶えるという、凪川稲荷、北別院の噂だった。キツネで有名な寺院に狐を退治しろ、と願いに行くのも奇妙な話だが、少なくとも悪さをしたものをその元締めが懲罰するのが筋、と思ったらしい。


「親父もあの事件以来、すっかり老け込んでしまってましてね。あんな噂、信じるタマじゃなかったのに…ええと」


「塩塚、塩塚愛美しおつかえみです」


 つい三十分ほど前に、近倉勇介は賢介の元で働いていたという女性と面会していた。本来は正蔵を訪ねてきたのだが、怪我の治療が重なってしまい、代わりに兄の身辺整理に来ていた勇介が応対したのである。


 塩塚は賢介の店で従業員として働いていたという。従業員というのはホステスのことだろう。三十代前後の田舎らしくない、熟れた果実のような、匂い立つ良い女であった。


 勇介は三十五歳、よく日に焼けて学生時代ラグビーの選手として鍛えた体格と、活力に満ちた眼差しが特徴的である。彼の雇い主である県議会議員の衛藤の加齢臭ぷんぷんの俗っぽいイメージとはかけ離れた、いずれ政治の表舞台に立って活躍する爽やかな野心が見て取れた。


 彼は仕事柄、身内のこともあまり語らないが、ついつい正蔵の事も含め話してしまったのはこの色香にほだされてしまったからなのかもしれない。自然と緩むほお肉を引き締める。


「それで、塩塚さんの本当のお願い、というのは何なのですか?」


「ふふふ、流石は衛藤議員の懐刀、隠し事はできませんね」


 観念したかのような振る舞いで、少し身を正して塩塚は話し始めた。


 彼女の父方の祖父は真城市在住で、それなりの山林と田畑を持っていたが、友人の事業が失敗した事でその借金を肩代わりしなければならなくなった。いわゆる連帯保証人というやつだ。土地をいくつか手放さなければならなくなった際、信用できる人間に土地を任せたい、という意向から白羽の矢が立ったのが近倉正蔵であったということだ。


 近倉は情に厚いとはいえ契約面ではなあなあでは決して処理しなかった。その土地を自分の所有にしたうえで、「今は預かる。お金を返せるようになるまで他の人の手には渡さない」という文言を覚書として残していた。


「その土地に複合発電施設を作る、という計画があるということを知り、今日お願いに参ったのです。その計画を考え直して欲しい、と」


 当の本人はすでに亡くなっており、一度手放した土地のことにこだわりがあるようには見えないが、親戚等のしがらみ以外にも、かつて祖父に連れられてその地で遊んだ記憶がよみがえり、まずはお願いしてみよう、と思ったらしい。


「土地のことなら親父に確認しましょう。しかしながら私は地方議員の秘書でしかないし、計画を進めているのは県や電力会社です。どうこうできる立場ではないことをご留意頂きたい」


「それは存じております。お兄様を、賢介さんを亡くされて、お気持ちの整理がついていないところを本当に恐縮なのですが、私、頼るところが」


 塩塚が身を乗り出して勇介を潤んだ瞳で見つめる。

 勇介は、相手が女を使って落としに来ている、と悟りつつも女の発する果実の香りがより強く思考を支配していくのに抗えなかった。


 逡巡した結果、なんとか衛藤に取りなしてみると約束してしまった。偶然かもしれないが衛藤は地元最大会派の電力施設推進グループに所属している。土地も全てが買収に応じているわけではないから精査が必要だろう。


 塩塚は機会を設けてくれるなら自ら衛藤にも掛け合いたい、と言ったがそれは今は保留にした。俗物で好色な衛藤のことだ、塩塚を気に入るのは明白だった。が、勇介には彼女を他の男に触れてほしくない、という気持ちが湧いていた。


 何度も礼を言う塩塚が最後に握ってきた手の感触が残っていた。その時点で勇介の運命は決定したのかもしれない。

  

◇◇◇


 風橋市の臨海工業団地付近にある小さな貸し工場は深夜というのに窓から煌々と明かりが洩れている。


 中には撮影スタジオのようなセットや五台ほどのパソコンが並び、操作する音のみが響く。


 橋爪はヒップホップ系のファッションを身につつむいわゆるヤンキーのなりをしていた。自らは大型のソファにどっかりと腰掛け、投稿した動画の再生数を眺めながら悦に浸る。


 ――やっぱり俺のメソッドが一番固いっすよ大羽センパイッ――。


 本来安全標語が掲げられていた場所に狐をかたどったマークのフラッグが取って代わっている。


 彼らこそが天罰代行集団、KOORNの正体であった。


 橋爪は元々名古屋周辺で幅を利かせていた半グレ集団『ISOLA』の末端メンバーであった。しかし、三ヶ月程前に中心人物らが違法薬物騒ぎで捕まり、求心力を失ったグループは雲散霧消してしまった。ヤクザのようなヒエラルキーがある訳では無いが、橋爪はビッグになりたいとか、ガイシャ乗り回して豪遊したいとか行動力を伴わない曖昧な上昇志向の持ち主なだけであった。彼はセンパイと呼ぶ大羽やその右腕だった板井らにもバカにされていたが、それ幸いして大した実績もなかったため捜査の手が及ぶこと無く逃げおおせれた。


 他の集団とつるみ始めたりする連中も出てきた中、橋爪は凪川稲荷の狐に関する噂を耳にして、アイデアがひらめいた。正確にはボンヤリした願望に火を付けるきっかけがあったのだ。


 これからはワルじゃなくて正義系でやっていく方が世間の受けはいいし、パクられる心配もないというアドバイスを受け、動画配信サイトを立ち上げた。


 コンセプトは普段大半の人がマナーに反した行為、ルール破りと思ってることを問題提起、突撃する”だけ”だ。


 だがやり過ぎは禁物である。ギリギリを攻める必要はあったが過激すぎる映像は動画サイトから排除される可能性があるからだ。


 つい最近公開した動画も、かなり綱渡りだったがその分伸びた。地元政治家と結託して国税を貪る企業にとつったところ、その日の夜、襲撃事件が発生し、自分達の関与が疑われた。


 結局自分達にはアリバイがある、ということで警察からもそれ以上の追求はなかったし、その事もネタにして美味しい思いもした。


 これから、メンバーシップやグッズ販売も始めて行く計画が橋爪の脳裏に去来する。これがうまく行けば動画プロデューサーとしての栄達も夢ではない。


 その時、橋爪の携帯が鳴った。連絡先を見て、いそいそと電話に出る。


「あぁ!お世話になります!」


 元半グレの声色が妙に柔らかくなる。立場が上の相手から掛かってきたのは明白だった。席を離れつつ倉庫の外に出て応対を続ける。


「えぇ、アドバイス通り、バッチリですよセンセイ!」


「警察…?あれからは特に何も…?次の企画もバズり確定ですよ!」


 橋爪の相手は経営コンサルタントなのか、細かい報告と指導のやり取りが続く。


「え?えぇ…え…はい、はい」


 機械的な相槌を数分繰り返した後、橋爪は電話を切って居室に戻った。


「おい、次の企画中止。差し替えるから。今から”センセイ”からの企画書共有する。それを基にもう一回作り直し」


 戻ってからの急な方針転換に編集の面々は戸惑いを隠せない。


「でも、もう編集ほぼ終わってま」

「いいから!やんねーとクビだよ?」


 意見を遮った橋爪の顔は無機質な威圧感を帯びていた。

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