第三十五話 突撃

 窓に外からの衝撃音が伝わり、堕ちかけた精神が、引き戻される。


 声が届いた。


 薬師峰――!


 それは聞き慣れた声であった。


 微かな声。否、薬師峰の精神に呼びかける声だ。


 薬師峰――!


 吒枳尼天の魔眼に魅入られ、悦楽の世界へ引きずり込まれる寸前のところで止まった。


「――!?」


 薬師峰の唇を弄んでいた一柱の吒枳尼天の唇は引き離された。ほかでもない、彼女の腕が男の身体を下から押しのけたのだ。


 意外という表情で、ガラス細工のような双眸そうぼうを見開いている。


「駄目ですね。あなた、下手すぎます。あの人の〝一突き〟の方がよほど刺激的でした」


 薬師峰はにやりと笑い、汚れた口から唾液を嫌悪感たっぷりに吐き出す。


「貴様……あの男を」


「よそ見をしてる場合ですか?」


 窓の外に目を向けた吒枳尼天に対して、薬師峰は霊力を噴出させた。


 黒い触手のようなエネルギーの表出が吒枳尼天を吹き飛ばす。


 部屋の照明が落ち、黒い霊気が部屋中に満たされ、飽和状態になった部屋の窓ガラスが割れた。


 黒い炎がみるみるビジターセンター、最上階ゲストルームの窓から壁面を焦がす。


 薬師峰、吒枳尼天の姿は既に部屋に無い。


 二者の姿は空中に浮遊しており、正宮山の山頂に設けられている電波塔の上にゆっくりと着地した。


「悪いことは言わない、我とともにあれ――。それこそが最も自然なあり様なのだ。そして我々がまっとうたる存在であることが、結果的に衆生の為になる」


「しつこいですね。粘着質なのは女性に嫌われますよ」


「……仕方ない。少し躾をした方が良さそうだ」


 陰陽の、相対する存在は同時に手をかざした。


 最高度最優位結界。


聖域アジール


 夜空が明転した。


 ◇


 衝撃波のような強力な波動が周囲を襲った。


 電子巫座のモニター画面が滅茶苦茶なノイズで乱れ、あらゆる検知装置から非常音アラートが鳴り響く。


 直前で霊力感知をシャットダウンしていなければ卜部の脳が焼ききれていたであろう。


『間違いない!聖域アジールの発現を確認!』


「これは……薬師峰ともう一柱の吒枳尼天、同時に発動して相殺されているということか……」


 観測モニターの数値に、春賀は驚きを隠せなかった。


『天網展開!金戸石!』


 卜部のバイザーにLEDの白い光が灯り、四方五キロメートルの霊力反応と生命反応を表す点が車内モニターの映し出される。


「行くでぇ!おらぁぁぁぁ!!」


 颯と金戸石が山道に鎮座する大岩を山側から押す。重機ですら簡単に動かすことができない数トンの大岩が少し揺れたと思うと、勢いよく谷に向かって転がり落ちていく。


「突入!」


 運転手役の奥平がアクセルを踏み込む。


 巨獣の咆哮を思わせるエンジン音が響く。


 颯は既に走り出し、金戸石はその後を追う。


 樹林帯を抜けて視界が開けると、果たしてビジターセンターの最上階は崩壊し、そのすぐ東側の山頂から凄まじい霊気が立ち上っていた。


 朝焼けとも夕焼けとも言えない、不気味なオレンジ色の光。それがドロドロとうねり、夜の闇と混ざり合い、不気味な渦を形成している。その発生源は山頂に林立する尖塔に在する神の化身だ。


 『既にこちらに向かってくる魔獣、鬼人多数!』


『颯、金戸石は雑魚にかまうな、目標は儀門、ビジターセンター一階ホールに突貫。狐も両名を援護しつつビジターセンターに向かえ』


「了解!!」


「碓井さん!式神を!」


「了解!!」


 春賀が矢継ぎ早に指示を下す。


 助手席に座る碓井が呪符をばらまき、掌印を結び、呪言を詠唱する。


 たちまち、黒子の兵とシェパードの形をした式神が五十体ほど現出し、車両を護衛するように展開する。


「大盤振る舞いだ!お前たち、しっかり守れ!」


 雑魚は巫座付きバンと式神と呪符、碓井と奥平の三十八口径マニ弾で式神と黒子兵が打ち漏らした敵を確実に仕留める。


 弾丸には限りがある。行動は迅速でなくてはならない。

 

 正宮山全体に散開する敵が既に集まり始めていた。




 金戸石と颯は走り迫る魔獣達を蹴散らしつつ進む。

 

 先行して山頂域に出ていた忠平はヤマイヌ状の魔獣を斬り伏せ、潰しながら二名に合流した。



 ガラス張りのエントランスまであと数メートルというところで、警備員のなりをした者たちが道を塞ぐ。当然彼らも〝調整〟を受けたものだ。


「遅い!」


 颯の動きはそれをはるかに上回る。 


 異形へと変生を始めたときには既に赤く燃える豪速の突きが一匹の心臓を貫通していた。

 

 他の鬼人が完全に変化する前にそのまま槍を掴んで薙ぎ払う。


 豆腐を切るように敵の頭部がまとめて寸断され、溢れた血液ごと焼却された。


 まさしく鎧袖一触というに相応ふさわしい光景であった。


 金戸石がまだ息のある鬼人の頭を鉄槌で砕き、追いすがってきた魔獣の胴体を忠平が剣シャベルで叩き斬る。


 鮮血の霧と肉の焦げる臭いが無惨な殺戮区域キリング・ゾーンが形成されたことを示していた。


「このまま雑魚を殺してもどうにもならない!」


「颯兄!!」


「あせんなよ、いくぜ!」


 颯は幅広で長い穂先の槍に持ち替え、呼吸を整える。体を捻りこむと、凄まじい高温が穂先を赤から橙、白色へと変えていく。

 

 短い声とともに、赫々と灼けた槍は投擲された。超高温のそれはまず正面自動扉を開けて出てきた鬼人の胸部を穿ち抜き、ガラスの自動扉を溶かし、 そのままホールの扉をも貫いた。


 間髪入れず、颯は扉ごと燃え上がる鬼人の死体を蹴倒して、会場の中に突入した。

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