第三十六話 死闘 その一

 ぶ厚い扉を貫通して、オレンジ色の熱線が儀門が儀門に向かって飛んだ。


 カァン!と高い音が鳴る。金属と金属が衝突する際のそれだ。目標、とする儀門が颯の攻撃を自らの手甲で防いだのだ。


 熱線に見えたのは槍、すでに柄が焼けて、槍先のみがホールの壁に突き刺さった。


 火災報知器がけたたましく異常を知らせ、スコールのように消火装置から噴水が放たれた。


 次に来たのはより重い衝撃だった。


 重たい扉が開くや、黒い塊が跳躍した。


 アリーナ状の階段をそれは一足で飛び降り、鋭い突きが儀門の喉笛目掛け放たれた。

 

 儀門は紙一重、これを躱す。


「瞬槍の渡辺颯、見参」


 猛禽のごとく見開かれたまなこには闘志がぐらぐらと燃え立つ。


 「おやおや……外が騒がしいと思ったら〝ホクメン〟の皆さんですか。部外者は立ち入りお控え下さいって言われたでしょ?」


「その生命いのちと邪謀、ここで断つ!」


 異様なのはこの状況でも動じない、ゲンティアナの会員たちである。動じない、というよりか硬直した、引きつった笑顔を保ち続けていた。


「悪いけど、君の相手をしている暇はないんでね」


 突如背後から、颯に飛びかかる影が三つ。


 だがこの程度の奇襲に対応できない颯ではない。一匹の顔面を石突で打ち、返す槍で残り二匹を瞬時に打ち落とした。


 その間に儀門は舞台袖から逃走した。


「悪い、春賀、そっちに目標が行った。頼む」


 振り返った颯の眼前には、ホール会場を埋め尽くすゲンティアナの会員、化物達の六百の瞳が発光する虫のように蠢く。


 フヒ、フヒヒヒ……フヒ……。

 

 グヒヒヒヒヒ………。


 ヒヒヒヒヒヒ……。


 下品な嘲笑がホール全体から湧き立つ。


 いつしか会員たちの姿は変生していた。目玉は黄色く濁り、口は耳元まで裂け、赤黒い舌がうねる。


「おうおうおうおう、随分と舐められたもんだなァ。三百匹程度で俺を足止め出来ると思ってんのかよ」


 圧倒的な数の包囲に颯は呵々大笑して、周囲を見渡す。


 化物共の笑いは、余裕の表情を見せるこの侵入者に対し、次第に虐殺を宣告する威嚇に変わっていった。


「かかってこいよ、全員いっぺんでいい」 


 颯はもう一本、背中に背負う槍を抜いて両手に構える。


 化物共が一斉に飛びかかると、舞台から灼光があふれ、死の熱風がアリーナに吹き荒れた。



 瞬槍しゅんそう、まさしくまたたきのうちに、そこにある光景は一変していた。


 一列目から五列目は炭化した鬼の屍体が累々と転がる。


 六列目から十列目は肉の間をすり抜けた燃える穂先が頭部を、腕を足を、焼き貫き、異形どもが悲痛な叫び声をあげる。


 十列目より後ろは、一瞬の出来事に動転し、恐慌状態である。


 渡辺颯にとって数の暴力とはすなわちであった。三百対一など造作もなくひっくり返せる。


 「やれやれ、いけませんね。我々の会員様にこのような乱暴を、罰則を受けていただかないと――」


 舞台下手から長身の若い男が現れた。程よく引き締まった体躯と整った顔立ちは美男子というにふさわしい。

 

 胸元にはリンドウのバッジ。この男もあのイベント会場で見かけたスタッフの一人だ。


「ようやく骨のありそうなやつがでてきたな」

 

 颯は舌舐めずりをして槍をしごく。


 ぼこり、と美男子の肩から首にかけて巨大な瘤が浮き上がったかと思うと、瘤は次から次へ生まれ男の身体全体を覆い尽くす。


「サァ……オ仕置キノ時間デスヨ……」


 真城市で出現した大鬼よりも更に巨大な大鬼がアリーナを占有した。


 ◇


 一方、鬼人警備員達を撃滅した忠平と金戸石は颯の援護に向かうべく、ビジターセンターの中に突入していた。


「あらあらいけませんねぇ」


「こんなにをしちゃって……大分ストレスが溜まってるようですねぇ」


 ゆるくウェイブのかかったロングヘアの女性と三つ編みをアップスタイルでまとめた女性が左右に分かれて二人を出迎えた。


「悪いけどあんたらの相手をしてるヒマはないんや。マッサージやらアロマはまた今度な」


「あらあら、遠慮しなくていいんですよ、特別マッサージでリフレッシュしましょう」


「そうそう、骨ごとボキボキグチャグチャにしてあげますぅ」


 にこやかに笑う笑顔がみるみる黒い毛に覆われる。


 華奢な女性の立ち姿はずんぐりした巨大なシルエットに変わった。

 

 全長三メートル以上、黒い五本爪は一本一本が鋭いナイフのように鈍く光る。


 ヒグマ。二名の女性スタッフは日本最大の陸上哺乳類へと変生した。


 最後のセリフは大地を揺るがす咆哮であった。

 

 侵入者を肉塊にするべく、二頭の巨獣は猛然と突進した。


 ☆


 儀門はホールの幕間から非常通路を抜け、屋上ヘリポートへ向かっていた。


 ――吒枳尼天め、和合こそが最上と言っておきながら、失敗しているじゃないか。


 かくなる上は薬師峰を神殺の呪印を用い、強引に儀式を進める。『聖域』をこちら側に引き寄せれば、状況を逆転させる事は難しくない。

 

「どこへ行くんですか?儀門清明さん」


 少年のように朗らかな声が儀門の背後に投げかけられた。


 桜の代紋と警察庁特別警捜査室を表す略称が背面に印刷された黒いブルゾンを着た優男が立っていた。新卒のフレッシュな社会人一年目、という印象を受ける。


 腰間に二尺四寸程の打太刀を差している以外は。


 柄に手を当てる音が少し。


 その瞬間、紫電一閃して雷撃と抜き打ちの双撃が走った。


 しかし一方は受け止められ、もう一方は湾曲してあらぬ方向へ着弾した。


「不動明王火界剣」


 怨敵調伏の炎を伴う独鈷剣が、春賀の刀を受け止めている。


 引き際に雷撃を四発同時に撃ち込むが、やはり湾曲して儀門には到達しない。


 雷除の呪術。それを呪符に落とし込み体に装着し春賀の力を制限しているのだ。


「無駄です。あなたの術は既に見切っている。そしてぇ!」


 独鈷剣が伸びた。まるで蛇蝎のそれであった。自在に間合いを変化させて春賀の急所を狙う。


 雷撃が封じられている状況では分が悪いが、それでも春賀の剣舞けんばいは幾分の隙もない。


 双方、十合、三十合と渡り合ったのち、動きがあった。


 春賀が攻撃を受けたほんの少しの硬直から儀門の剣先が鎌首をもたげてより速く、より細く針状に変形して春賀の腹部を貫いた。


「――ッ!」


「これで終わりだよ、好青年」


 致命傷、のはずであった。


 独鈷剣の細い切っ先は春賀の腹部を避けて地面に突き刺さっていた。


 春賀の服の中からスパーク音が漏れる。彼は清爽とした表情を一切崩していない。


 電磁呪衣、とでもいうのだろうか。電気と霊力が編み込まれたボディアーマーを身に着けているのだ。

 

 独鈷剣は物理的、呪的攻撃は防御、干渉されていた。


「君に近づけて良かったよ。いかに雷除けの呪法を用いていたとしても、物理的に焼いてしまえば問題ない」


 大気に電磁波が溢れ、閃光があたりを包んだ。

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