第三十七話 死闘 その二

 正宮山の至る所で死闘が繰り広げられていた。

 

 それは山頂付近にそびえる電波塔群の上でも同様だった。その一番高い塔の上で対峙する二つの存在も。

 

 極小の真紅の玉が、薬師峰の耳から細い顎をつたい落ちた。そのまま鉄製の格子状の足場をすり抜け、闇の中に消えていく。


 それをきっかけに両耳から幾筋も血液の赤い線が描かれていく。白いブラウスはみるみるうちに赤く染まった。


 もう一柱の吒枳尼天が、愉快そうに嗤う。


「ククク……、先ほど我々を陰と陽、と言ったが……訂正するよ。君は我の影だ。影法師でしかない。膨大な力に体が耐えられない、その様子が、証左さ。知っているよ。君の身体は半グレ共に凌辱されて自死した女のものに間借りしている、名前は……〝武田優奈〟だったかな。フフ……まぁどうでもいいか」

 

 薬師峰は無言で眉毛を寄せるのみ。


 分かっていたのだ。自らの身体が、こうなることは。


 これは賭けなのだ。 


 あまりにも分の悪い賭け。


 薬師峰は無意識に膝をついた。


 今や『聖域』は六分半、陽の側に傾きつつあった。

 空の色が黎明のそれに近付きつつある。


「……ナウマク、サマンダ、ボダナン、キリカ、ソワカ……」


 掌印を結び、真言を唱える。本来は必要のないことだが、少しでも時間を稼ぐためであった。


「無駄なことを。もはや結果は明らかだ」


 吒枳尼天は侮蔑混じりの声で言い放つ。自らの勝利を疑わない、秀麗な容姿が嗜虐的に歪む。


 「う……っ……!」


 薬師峰の左眼から血が涙のように溢れた。呼吸は荒く、もやはいつ気を失ってもおかしくない。


 吒枳尼天は己の願望を成し遂げようとゆっくりと薬師峰に近づく。


 が、進めない。


 見えざる何かが吒枳尼天の体を止めている。


 霊糸だ。その使い手は本来、巫座とともにあるはずだった。が、薬師峰の形勢が悪化していた事と、儀門を春賀が抑え込んでいる状況を鑑みて、電子携帯巫座へ切り替えて、突入してきたのだ。


 本体のバンは奥平と碓井が巫女役に呪詛めいた文句を吐きながら、魔獣の猛襲から必死に防衛している。


 霊糸をアンカーのように使い、卜部由華が電波塔の最上階に飛び込んできた。


「……卜部さん」


「勘違いしないで、アンタを助けようってんじゃない。コイツを仕留めないとこの地が、この国が破壊されてしまうからよ」


「巫女よ。中々の巫力を持っているようだな。だがこの糸如きで我を止められると思っていたら片腹痛い」


 吒枳尼天は少し身じろぎすると、弦の弾ける音がして霊糸が切れ飛ぶ。

 

 一歩、にじり寄り、また一本また一本霊糸が切断されていく。


「フフ……フ……、卜部さん、貴方がきてくれて……本当に良かった。『天の巫女』たる貴方が」


 薬師峰は苦痛に顔を歪ませながらも、嬉しそうに口角を上げた。


 その途端に、卜部は首筋が急速に熱くなるのを感じた。それは以前、薬師峰が噛んだ跡から発生しているものだ。


「天照は大日の垂迹すいじゃく神、その顕現の一端たる私へ御力みちから貸したもう」


「まさか……そんな本地垂迹論デタラメで力を引き寄せよっていうの?」


「……もう少し無理が効きそうです」


 薬師峰が微笑むと、両目から血の涙が頬を伝う。


 彼女は初見で卜部の巫術が天照大神の神依と見抜いていたのだ。故に己の力にバイパス出来るように回路チャネルを開いていた、あの咬創はその証であった。


 吒枳尼天の別名、辰狐王菩薩しんこおうぼさつを天照大神に比定する思想を用いての強引な術理が作用する様に。


 ――何なの、この女。


 卜部は慄然したが、一方で熱い何かが、胸中に生じていた。それが、首筋の熱と共鳴して増幅されている。


 霊糸は再び、より強力に敵の体を拘束した。


「……フン、本地垂迹ほんちすいじゃくなど、小賢しい」


 陽の側の圧力も強まる。吒枳尼天が全力をもってこの抵抗を挫こうと最大出力でこれを迎えた。


 その時、下界に閃光と雷鳴が轟いた。


 ☆


 雷鳴が低く連なる山々と、眼下に広がる平野部へ響き渡る。


 儀門の体から黒い煙があがる。近接での雷除けを焼く程の強力なものだった。


 しかし春賀の刀の切っ先は、相手の首筋に届いていない。


 春賀の大腿から細長く変化した火界剣がずるり、と抜けると鮮血が吹き出した。


 一度は電磁呪衣で避けられたが、切っ先が軟体動物のようにくねり再度背後から刺突したのだ。


 致命的な一撃であった。大腿動脈への裂傷は数分で失血死となるだろう。攻撃が届かなかったのもそのせいであった。


 春賀の大腿に極小の電気が走り、肉の焼ける臭いが漂う。自らの血管を焼いて出血を止めたのだ。


「いやぁ、危ない危ない、もう少しで首が飛ぶところだったよ」


 儀門はわざとらしく首をすくめると、独鈷剣にを構える。


「じゃあね優男クン」


 振りかざした剣から降魔の火炎が噴き出す。


 春賀の闘志は揺るがないがこの距離でのこの技は避けきれない。

 

 勝利の確信とともに剣を振りかざす。


 振り下ろす、その動作の直前――。


 儀門の脇腹から鈍い音が鳴った。


 「!?――ごほっ!」


 弾丸、否、高速で打ち出された鋼球だ。


 一体どこから?

 

 儀門は身をよじらせながらも敵の姿を姿を視界に収めようとするが、暗闇の何処から発射されたか判らない。


 ほとんど音もなく暗闇から次弾が打ち込まれ、儀門の左上腕部に着弾した。


 骨が折れる音がした。


 悶絶して絞り出すように呻く、儀門。


 ――間違いない、奴だ。


 狙撃者は誰か、儀門は直感的に理解した。


 少し間をおいて、三発目が投擲された。


 ダメージのため避けることはできなかったがかろうじて防いだ。

 

 が、それは弾丸ではなかった。液体と粉末の混合が飛び散り、儀門の視界と呼吸は燃えるような激痛と、発作で正常さを奪われた。 


 雑木林の中から浮かび上がる、半分砕けた狐の白い面。


佐上忠平。いつの間にか熊の魔獣を金戸石に任せて、雑木林の暗がりに身を潜めていたのだ。


 手には超高分子ポリエチレン繊維のロープで編まれた投石器スリング


 極めて原始的でシンプルな狩猟道具にして兵器。熟達者であれば百五十キロ近い速度に到達する。


 忠平の鍛錬とはつまりこれであった。誓約者の強化された筋力で四インチのベアリング鋼球は時速三百キロ近い高速弾となり、儀門の肋骨を砕き内臓、上腕部に多大なダメージを与えた。


 狐は吠えた。


「あ!あぁっ!!」


 儀門は防御のために遮二無二独鈷剣を振る。


 狙いも定まらないが当たれば一瞬で肉体を破壊されるだろう。


 しかし忠平はそれを紙一重で避けてゆく。驚くべき知覚、集中力である。

 

 儀門の少しぼやけた視界一杯に無機質な白い狐の片目が映る。


 唸る豪腕が顔面と腹部にめり込み、儀門の身体はビジターセンターの壁に叩きつけられた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る