第十九話 腥風の進軍

 市街地を見下ろす低山の頂きに、満月の白い光が差す。妙に明るい夜であった。

 

 しかしこの山頂付近はより強い人工の光で装飾されていた。


 九人の人影が陣形のように均一に並んでおり、風にたなびく黒いマントと、撮影用の照明に鈍く反射する銀色の狐の仮面。これから儀式を執り行うオカルト結社然とした胡散臭さが漂う。


『皆さん、こんばんは。我々は天罰代行集団、KOORN――』


『この地の一部は、以前我々が弾劾した、県行政と結託した業者が所有するものです』


 中央の狐面が手を広げた。カメラと照明が動くと、ピーク周辺は樹木が無く、なかだらかな草原広がっているのが真夜中でも分かる。 


『この場所は今、ハングライダーやトレッキングなどでも利用されています。それだけではありません。ここから西に五キロほどの所に磐座石いわざいしという、古くから人々に信仰されてきたの地があります』


『なんと当局と癒着企業は神聖なこの地の開発を強引に進めようとしているのです』


『地域、伝統全てを軽んじる行為は、吒枳尼天に代わって、悪には天罰、KOORNが代行――』


「はいOKー!」


「動画チェック入りまーす」

「あぁ、熱つーっ!」

「虫の数エグっ」


 決めポーズでしばらく固まっていた中央人物が仮面を勢いよく外した。他の出演者も汗だくでハンディクーラーなど使って涼を求めている。


 出演者は中心で話す役も含め、橋爪の反社つながりで同じような階層の者や地元の不良たちであり、演技を飯の種にしているわけではない。既に数テイク撮っており、疲労の色がうかがえる。


 KOORNこと橋爪の配信スタッフは電力発電施設の建設地問題を次なるターゲットにすえていた。ここで県行政と地元企業の間で談合が行われ、開発が進められている話を告発をするという企画である。


 橋爪は奥のモニターで小型の冷風機にあたっている。傲岸なその態度は往年の動画監督と言わんばかりのもので、動画チェックに勤しんでいた。が、暫くした後、「駄目!」と言い放って不機嫌そうに電話を掛け始めた。

 

「”センセイ”、今いいっすか……悪いけどこれじゃ数字伸びねぇわ。色々世話になったけど、クリエイティブな活動にはアンタ向いてねーよ」


 橋爪は先日、企画を差し替えられたのを根に持っていた。いや、日頃から頭ごなしに色々アドバイスと称して上から物申すだけのコンサルとやらに嫌気が差しており、切るタイミングを今か今かと伺っていたのだ。スタッフにも見せつけるようなわざとらしい不機嫌さも彼なりの「演出」というわけだ。


 ここらが手切れの時、そう考えていた。


「何……?これから伸びる?」


『すみませんが、スピーカーモードにして頂けますか?スタッフにもちゃんと聞いて欲しいので――』


 スマホから漏れ聞こえた声は、ビジネス的な柔和さがあった。


 全員がスマホ付近に集まった時、それが分かっているかのようにスマートフォンから大音量で異様な金属音が流れた。


 途端、出演者および撮影スタッフが苦しみだして、ことごとく地面に伏せていく。


 異音を聞いた橋爪も例外ではなかった。割れるような頭痛と悪寒が走り、急速に身体の自由を奪った。


「おご……”センセイ”、なにを……」


 顎ががくがく震えて発声もままならない。


『ショーの始まりだよ。これ以上にない、最高の撮れ高だ、期待したまえ』


 センセイ、と呼ばれた男の声がスマホを通じて響く。それが合図であった。


 ごきり、ごり。みし。ごきっ、ごき――。


 あたりに骨がきしみ、肉が隆る音が鳴る。

 

 口の両端が裂け、歯はすべて抜け落ち代わりに黄ばんだ牙に生え変わった。まなこは白く濁って不気味な光を発し、極端に肥大化した筋骨で窮屈になった衣服を紙のように引きちぎる。  


 天罰代行集団は生まれ変わった。人間でも狐でもない、異形に。


 それはありていに言えば化け物クリーチャー、伝統的な言い方であれば”鬼’というべき存在であった。


 うずくまっていた鬼達はそれぞれ同じように、ゆっくりと立ち上がっていく。


 ぐふ。ぐへへへ。


 一匹が嗤いはじめた。


 ぐほ、ふふふへへ。

 

 はじめの一匹に倣ってまた一匹また一匹と気味の悪い声で同じように嗤う。おぞましい合唱はついには禍々しい腥風しょうふうとなり、辺り一帯に吹き荒れた。


 かつて橋爪だった一番大きな鬼が長い爪を挙げて、鬼たちを制す。


 大鬼は吠えた。野獣のような遠吠えが遠くまで響き渡る。


 それは進軍の合図であった。


 鬼たちは咆哮とともに眼下に広がる狩り場を目指し一斉に斜面を駆け下った。



 真城市には大きな駅はなく、メインストリートの国道沿いにチェーン店やスーパーが集中する、よくある地方都市の町並みである。


 この日は平日だったため、夜11時近くでも工業団地で働く作業員や配送の客が三人ほどいた。 


 入店のベルが鳴り、店員は反射的に「いらっしゃいませ」と、挨拶をしてしまったが、コンマ三秒でそれが招かれざる客であることに気付いた。

 

 爬虫類めいた緑と薄茶の体色で衣服は下半身に残る程度。耳まで裂けた口を開いてにやついた表情で来店してきた鬼は、どう考えてもまともな注文をする存在ではなかった。


 鬼は無造作に片手を薙いだ。


 店員が間をおかず崩れ落ちる。

 床の上に血の池が広がっていく。


 全員何が起こっているのか理解していなかったし、それがドッキリか何かと錯覚して呆然としている。鬼にとってはただの居すくんだ獲物であった。


 さらに入口から正面のカウンター席の客が第二の犠牲者となった。

 

 立ち上がろうとした客を押さえつけ、その首に食らいつく。

 牙が皮膚を割き肉を食い破り、店内に鮮血が振りまかれる。


「うわぁぁぁっ!」


 恐怖に駆られた他の客達は、一斉に逃げ出した。




 騒乱はいたる所で発生していた。


 付近の住宅でも鬼と化した天罰代行集団の襲撃が行われている。


 既に深夜、多くの人々は寝静まっていた。その家々を鬼たちは各個で襲撃していく。


 標的となったのは何処にである一軒家で、鬼は鍵のかかったドアをものともせず、破壊し、侵入する。

 大きな物音に気づき、玄関に向かった父親は出会い頭に鋭利な爪で袈裟に肩から脇腹まで切り裂かれて吹き飛ばされた。


 居間へのドアを開けてと大きな嘴のような鼻がお目見えした。スンスンと獲物の匂いを嗅ぎながら黄色い肌の異形がぬうっと部屋に侵入してくる。


 大きな物音に起こされた二人の兄弟と母親はその人外の侵入者が血を滴らせた様子に鉢合わせ、絶句した。


 そして鬼の足元で血まみれになっている父親を見て、侵入者が自分たちをどう扱うか、子と母らは本能的に理解した。


「あ、あ、おとうさん」


 恐怖にまみれた声は奴にとっては絶好の香辛料である。


「オ?オ?」


 鬼は怯える母と子をまるでからかうような態度でおどけてみせる。大丈夫、すぐお父さんと一緒の所に送ってやるよ――。と嘲笑しているのだ。


 だが、その運命は一瞬で逆転した。


「グゴゴッ!グゴッ!」


 この世のものとは思えない邪悪な鬼の笑顔が一変し、苦痛で醜く歪む。


 背後からの刺突であった。

 刀身が脇腹から鎖骨まで貫通し、真っ黒な血液が湧水の如く吹き出る。


 鬼の背後に立つもう一人のちん入者、それは全身黒一色に白い狐の仮面。

 心臓から一気に得物を引き抜くと、三〇〇ミリの血濡れた刃が怪光を発する。刈込鋏の片身であった。

 吒枳尼天の元来の姿は夜叉女ヤクシニー、その眷属は主君の獰猛さと剽悍さの加護を受け、鬼を一撃のもとに葬り去った。

 

「旦那さん、まだ息がある……早く救急車を」


 ぼそりと狐面は母親に告げ、闇の中に姿を消した。

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