第三章 狐狩り

第七話 北面に侍(さぶら)うもの

 夜半過ぎ、林立するビルの白色灯、多種多様な広告、外灯が密林のようにひしめく街。

 絢爛と猥雑が入り混じったネオン、各種サービスをアピールするマネキンのように着飾った男女、それらを物色する人々。東京新宿、歌舞伎町。日本最大の繁華街はいつも通り異様な熱量を発して、人々を呼び寄せていた。不夜城の名に相応しい様相である。


 その片隅に奇妙な黒い影が走る。眼前の輝きにとらわれた人々には感知できない。


 通りから少し離れた路地裏を駆けるのは警官のような制服を着た二人。先を行く一人は短髪の堂々たる体躯の男、後方の男も長身だがやや線の細い印象である。どちらも常人離れした俊足だ。


「ウスイ!しきはまだか!」

「もうやってる、現在目標の頭上」


 無線で連絡し合う姿は通常の警察組織と同様だが、彼らの目標は常識の範囲外の存在だ。 黒いゴム膜のような羽を上下させ闇夜を舞う、巨大な蝙蝠コウモリ。凪川に現れたものと同様、獣化した人間であった。その姿はあまりに不格好だったが、飛行という優位アドバンテージを有して猟犬たる追跡者を引き離しつつあった。


 しかし、悠然と追跡者を振り切らんとしていた大蝙蝠は、突如空中で停止した。

 黒い羽のオオフクロウが、無音で大蝙蝠を襲撃したのだ。それは無線で話していた碓井うすいが放った式(式神)であった。


「よぉし、よし」


 先行する一人が、莞爾かんじとして微笑んで背中の棒状の物を手繰る。鞘を外して現れたのは白銀の槍、大きく深呼吸して構えると、細かく振動した穂先はたちまち赤色に発光し始める。


「ナベ、投げる方向!」


女性の声がインカムに割り込む。


「わあってるよ!気ぃ散るッ!」


 男の周りが陽炎のように歪み、短く吐いた気迫とともに渾身の力で投擲された。


 燃える槍は地上から天に放たれた流れ星であった。橙色の曳光は幾人かの目に入ったが、一瞬のことなので誰もが錯覚した。


 鈍い激突音が鳴る。大蝙蝠の右脇腹から左肩にかけてを銃弾のように貫通した槍は、役目を終えて放物線を描きながら新宿御苑方向へ消えていった。

 重力に掴まった大蝙蝠は、人目のない路地裏に落ちていく。


「完璧だね」


 ナベ、と呼ばれた男は槍の軌跡を眺めやってご満悦の表情をうかべている。「火事になったらどーするの」とのインカムからの苦情は聞こえていない素振りで。


はやて、まだ目標の沈黙を確認していない、油断するな」

かてぇな、あきらは」


 追いついたもう一人は対照的に冷静で、墜落した目標から目を離さない。


 大蝙蝠は畏怖とも威嚇とも取れる絶叫をあげながら、その姿を元の形に戻しつつあった。


「助け…助けてぇ」


 半裸の情けない風体の中年男性が涙を流しながら、どうしてこんな目に遭ったのか理由もわからぬ様子で命乞いをしている。


「おっさん、まだ獣化して間もないな?もしかしたら、その獣化、解呪できるかもしれんぞ」


 颯と呼ばれた屈強な男は先程とは打って変わって温情をかけるような素振りをみせる。が――。

 にわかに颯の背後が青白く発光した。

 間もなく、前方の獣化が解けかかった男が、虫のように小さく叫んで、すぐに動かなくなった。


はやて、言ったはずだ、要らぬ温情は不要」


 柔和そうなもう一人、晃と呼ばれた男はいつの間にか抜いた刀を納めながら、表情も口調もそのままで渡辺颯わたなべはやてをたしなめた。


「悪い悪い、別に油断していたわけじゃないぜ」

「だといいけどね」


 獣とも人間とも知れない肉が焦げ、異様な匂いが当たりに漂う。

 先ほど人間に戻りかけていたそれは、驢馬のような顔を苦痛に歪めながら息途絶えていた。




 警察庁特別警捜室、通称『ホクメン』、その存在は中世より皇家の警護に携わってきた北面武士に由来する。明治維新を期に廃止されたのは表の話で、警察組織に組み込まれ、怪異によって引き起こされた事件を秘密裏に調査・解決する特殊部隊として再編された。


 先刻の新宿に現れた大蝙蝠、彼らには『ケモノ』『獣人』などと呼ばれている。これらの存在は今日こんにち突如として現れたわけではなく、古来より架空の存在として人々に認識されるものだ。

 それを秘密裏、最低限の漏洩にとどめて処理していくのがこの組織の役目であった。


 然して、ここ最近獣人の活動は活発化して、検挙数も増加の一方である。


 処理班に事後処理を任せ現場を後にした春賀、渡辺は勝利を祝うことなく他の班員が待つ警捜室本室に戻り、直ぐ様ミーティングが開かれた。


「まず、先程の獣人について」


 室長の宇多京介うたきょうすけの低く威圧感のある一声。年は四十歳半ばだが十歳は年上の貫禄があった。細身の体型が日本刀のような怜悧れいりさを連想させる。


「獣化したのは都内荒川区在住、三田智也三十五歳。新宿歌舞伎町の風俗店で獣化発症。既に癒着が強く、『殺処分』としました。獣化の原因は、現在調査中です」

「今月ですでに十件、類を見ない件数だ。獣化を促す原因があるはずだ。調査班は?」

「獣化対象の住所、行動範囲、検体の妖気を調査していますが有力な手掛りは見つかっておりません」


 年長者で第一行動班副班長のウスイ、碓井愁泉うすいしゅうせんが淡々と報告する。ここ最近、獣化の事件は増加傾向にあり、室長の宇多の神経を苛つかせていた。


 特に気がかりなのは首都だけでなく、地方でも同様の報告が地方の補助官から多数上がっているものの、本当の野生動物被害と混在して正確な全数把握はできていない状況だ。ただ、獣人には必ずそれを発生させるみなもとが存在する。それを把握し鎮撫することが獣人の増加を止める方法なのだ。 


「些細な情報、不確定でもかまわん。今分かっている情報を一度吐き出せ」

「一つ、気になることが」


 会議室の隅に座っていた調査班の大久保おおくぼが控えめに挙手する。


「獣化した十名のうち四名、発症前に共通して訪れていた場所がありました」

「何処だ」

「I県凪川市、凪川稲荷です」

「ここ最近奇妙な噂が周辺で広まっているようです。凪川稲荷の北別院、通称『べついんさん』は魂と引き換えにどんな願いでも叶えるというものです。口コミだけでなくSNS上でも確認できます」


「あくまで可能性、ですが、『べついんさん』と称して人々を獣化させているモノがいるのではないかと考えられます」


 発言を引き継いだのは、第一行動班班長、春賀晃かすがあきらである。少し童顔に見えるが眉目秀麗な美男子の言葉は自然に衆目を集めた。


「更に、名古屋分室の調査官から報告が上がっていた凪川周辺で発生した獣化被害については、獣人本人の遺体が発見され終息しております。この事件以外にも、獣化と見られる案件の報告が複数上がっています」

「どれも確証はない、引き続き現地補佐官に調査させよう」


「名古屋の補佐官はあくまで兼任の一般警察官でしょ、アテになりゃしませんよ。行って見てくりゃいいでしょ」


 良く言えば豪放、悪く言えば極めて大雑把な物言いは、先の討伐で超人的活躍をした渡辺颯である。どうも颯は直感的に何かある、と踏んでいるらしい。


「私も賛成します。その凪川の事件の詳細も気になりますし、獣化の増加は首都東京の問題だけでなく、国全体の危機でもあります」


 意外な賛同に対し、調査班バックアップの卜部が怪訝そうに二人の顔を見やる。


「よろしい、だが第一行動班全てではなく、渡辺、碓井二名で、先般の獣人事件の調査も含め対応せよ。残りは捜査班・情報班と獣害事件の捜査、以上解散」


「男二人旅ってぇのがシケてるが、まぁホシかが出れば御の字、なければ味噌カツでも食べて帰るわ」

「すまない颯、本当は僕も行きたかったんだが、室長は都内の調査を優先したいらしい」

「かまわねぇよ。しっかし、名古屋の調査官は何やってんだよ。ちょっとシメてやらんと」


「おー颯兄ィ、ええなぁ名古屋出張、お土産はひつまぶしなぁ〜」


「ひつまぶしは名古屋でしょ、それに持ち帰りはできませんよ」

「凪川市…そんなに大きな街じゃないね」

「わーってるて、細かいな由華ちゃんは〜」


 颯の後から軽いウェイブのかかった金髪ショートカットで制服の上にMA1ジャケットを羽織った長身の警察官らしからぬ姿の女と、正反対の真面目そうで端正な顔立ちのポニーテールの女性が近づいてきた。班員の金戸石かなといしかがみとバックアップ担当の卜部由華うらべゆかだ。


「颯、あくまで調査が主体の任務だ、もし獣人と遭遇しても決して無理はするな」

「了解了解、『無理をしない範囲』、でな」


 颯は碓井に目配せしながら、にやりと笑う。およそ調査で終わる雰囲気ではないことは、誰の目にも明らかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る