第八話 捜査と遭遇
凪川稲荷は稲荷の通称であるが神社ではない。正式名称は
「ですからその『べついんさん』や『北別院』とやらは根も葉もない噂で、当山も全くの無関係なんです」
まず初めに訪れた凪川稲荷の住職・
住職いわく、ここ最近、とくあの事件以来、特に恨みつらみ、復讐を願う絵馬が多くなったとか。そういった絵馬は人目につかない所に移しているらしい。
「しかしながら、こういったものは
そう言い残して、住職は別の要件で外出するとの事で、その場を辞した。
ここでの調査は特段収穫なく終わった。
それからすぐにI県全体を管轄する名古屋分室の調査官、
服部は調査官というものの所詮は『表の』所轄の生活安全課の巡査長であり、一般的な捜査記録以上の情報は持ち合わせていなかった。合流後、獣害事件の捜査資料の確認をしたが目新しいものはなく、すぐに現場に向かった。
「コイツの鼻、信用できるのかね」
「当然です。」
颯が眼前の犬、正確にはイングリッシュ・ポインターの姿をした式神を見て言うと、碓井は不機嫌そうに眼鏡を直した。碓井は神仏と
いわゆる門前と呼ばれる凪川稲荷周辺や旧街道沿いの市街地とは違い、北部から西北部にかけてはのどかな田園風景が広がる。一部が宅地転用、商業施設化というアンバランスな発展を遂げているが、三人が立つ地は夜間では電灯もわずかな地域だ。
「獣は未だ発見されず、被害者死亡二名、行方不明一名、後に発見。この学生には話も聞けなそうですね。しかも最初の被害者に至っては遺体が盗まれたのち、再発見とは…これはもっと早く本部に連絡されるべき案件ですよ」
「臭うよなぁ。服部さん、名古屋分室には実働部隊もいたはずだけど、捜査には加わらなかったんですか?」
「当時は県西部で事件があって、現場には入れませんでした。実働部隊と言っても2名程度で私も兼任で中々」
中年で白髪混じりの服部は容赦のない質問攻めたじたじである。彼の立場では本来の職務である生活安全課の仕事に追われてそれどころではない、というのも理解はできる。しかし宇多室長は「緊急要件については敬称等略式で」と常に日頃通達しているのだ。
結局、普通の警察官には眼の前の通常業務をこなす方を優先せざるを得ない。
それがこの惨事の原因とまで言わないまでも、被害の拡大を産んだと言っても過言ではない。
碓井のボールペンがカチカチ、と神経質な持ち主の心情を代弁している。
「で、この現場?この有様?イノシシやシカが荒らし回ったってレベルじゃないよね」
颯はヤンキー座りをしながら自らの後方の現場の様子を皮肉った。
眼前にはまだ事件の痕跡が残る県道と田畑があった。道路のアスファルトはひしゃげ、田畝も土がえぐれ畦道も崩壊している。再建にはそれなりの費用と時間が掛かりそうだ。
しかし、何がここで起こった?ここで発見されたのは『獣』に盗まれた遺体が『再発見』されたのみだ。司法解剖の記録も『常識』の範囲内しかない。だが、明確なのは――。
「油売ってないで現場検証に集中してください」
「俺にはやれることはねーよ、ちゃっちゃと『ポインター』に仕事させればいい」
真面目に事件資料の一字一句まで読み込んで現場の細部を確認する碓井と相反して、颯は呑気に近くの河原をフラついたり、大欠伸をしたりしている。
碓井は呆れつつ、ポインター型の式神に探索を開始させた。現場に残された僅かな霊気または妖気を探知追跡させるのだ。
「ごく僅かだが…痕跡があるようですね」
「あ、服部さん、後はこっちでテキトーに調べておくんで、これで解散ってことで」
「あ、もういいんですか?ではこれで」
服部は東京本室の二名の相手から開放される、という喜びがあからさまに態度出ていた。半オクターブ高くなった声で挨拶して、そそくさと表の任務に戻っていった。
二時間ほどして碓井と颯は合流して式神がマークする
周辺は、住宅が入り組む路地で、眼の前には古びた細長い木造アパートが立っている。この今にも倒壊しそうなアパートの部屋の何処かに重要参考人、あの現場から霊力を残したものがいるようだ。
「どうする?片っ端から『聞き込み』するか?」
「刑事みたいなマネしてたら日が暮れてしまいますね。日中ですから、普通の人間なら仕事に出てますよ」
「逆に言えば普通じゃない奴はまだ部屋にいるかもしれんよな、碓井、あの式神使ってあぶり出そうぜ」
「…もともと調査するだけのつもりじゃないのは察してましたが。そこまでして大捕物がしたいんですか?」
「正規のお巡りさんならやれ証拠だ、令状だって気を遣わなきゃならんけどな。人知を超えた存在と命のやり取りをするんだ、こっちだってそれなりの覚悟と勇気が必要なんだよ」
「それは理解してます。そしてその理屈以上にあなたが『戦闘狂』なのもね」
「そこまで分かってるなら話が早ぇ、やってくれよ」
碓井は少し呆れてでため息をつくと、呪文を詠唱し、紙の依代に息を吹きかけた。ひらりと依代が宙に舞うと、三匹のダックスフンドの形に変化した。ポインターは広範囲の獲物の探査とポインティングが出来るが、潜んでいる相手を誘い出すには別の式神が適しているということだ。
三匹の可愛らしい猟犬は、それぞれ各部屋に向かっていった。これで様子を見に出てきたらそこを押さえればよいし、彼らの嗅覚は妖気に反応する。僅かな妖気を感じてマークしたところを颯が踏み込む、という算段だ。
「いた。二〇四号室。式神が反応している」
「じゃあ、手はず通り」
まず碓井がアパートに近づいて二〇四号室の扉をノックした。
「はーい」
意外にも、中から男の返事がした。
「警察です」
「セールスならお断りですよー」
「?」
「はーい、セールスならお断りですよー」
奇妙な相手の受け答えに碓井がさらに質問をしようとした瞬間、反対の窓側から強い衝撃がアパート全体を揺らした。地震のような振動のち、粉塵が舞い、老朽化が進んでいた木造建築は瀕死のあえぎ声をあげる。
「全然手はず通りじゃないだろ!」
「コイツはとんでもない代物だぜぇ…!ご近所諸々のこ苦情は後で聞く…!」
咄嗟に避けた碓井が非難の声を上げるが、破壊の主、颯は意に介さず、標的を見据えている。
手に持った短槍の穂先が
壁越しに確かに貫いた筈の獲物の感触は途端に消え失せ、そこにあるのは槍先の熱で急速に焼け焦げていく一片の札。
身代わりの
「颯!上だ!『別の部屋』にいたんだ!」
碓井がいつの間にか式神を鴉に変え、上空に放っていた。
本来串刺しにするはずだった『獣』。それの姿が崩壊しかかった天井の隙間から垣間見えた。
全身黒衣に真っ白な狐の仮面。異様な妖気を仮面の下から発している。
それはゆっくりと二人に背を向けると、一瞬で消えた。否、跳躍して屋根から屋根へ飛び移ったのだ。
――ついて来い、ってか?面白い。
颯は手応えのある敵との遭遇に歓びつつ、日が傾き始めた街を疾走した。
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