第二十七話 逆撃

 十鹿神社で騒動が始まる前、凪川稲荷の境内は賑わいとは真反対の寂幕に包まれていた。


 時より作務で清掃をする音や参拝客の玉砂利を踏みしめる音が微かに、最祥殿まで届く。


 忠平と薬師峰はその最祥殿の一角、一般客立ち入り禁止の客間に『封印』されている。

 

 危害を加えられることはないだろうが、いかめしいSP四名、その他情報班も含むこの特殊な警察部隊に囲まれてあえて戦いを挑む馬鹿はいはない。


「なんか呆気ない終わりですね」


「そうですね、彼らが成功すれば、ね」


 対面にはSP一人が立ったまま二人を監視している。


「すみませんでした。相談もなく、勝手に動いて」


「何か思惑があって、なのでしょう?」


 忠平は少し逡巡しゅんじゅんしたのち白状した。


「もしかしたら、この一連の事件が薬師峰が全て裏で手引きしたことかも、と思ってしまって。軽率だった。すまない」


「私が真犯人ではない物証を、と言われれば何も無いです。改めて私の使命は人々の望みを叶えること。魂と引き換えに。でもそれはあくまで覚悟の証明としてのもの、あんな風に人を変えるのは倫理的でないし、その必要もないはずです」


「そうだな、鬼化した人たちを浄化したり、今こうして拘束を甘んじて受けれている」


「まあ、過ぎたことです。結果として犯人が特定できたことで良しとしておきます」


「結局、儀門が裏で人を変生させていた、ということ、ということで決着か。今まで発見されなかったのは、彼が呪法を用いて霊力を隠匿し、隠れていた、ということなのか?奴の目的は?」


「それはまだ分かりません。警察の方が彼を逮捕できたら真相が判明するかもしれませんが」


「どうかな。何しろ物騒な方々だし、その場で処分ってのも考えられるよな」


 忠平は部屋の中にいるSPを一瞥した。長身で細面のSPは忠平たちの会話に無反応である。


 事件、というのは往々にしてこのような自分たちの手の届かない結末を迎えるのだろう。当事者、というよりは巻き込まれた側だが。


「折角戦う準備もしていたのに、残念ですね」


「え、分かるのか?」


「鍛錬を積まれているのはすぐに分かりますよ」


「そうか……徒労に終わりそうだけどな」


「大丈夫ですよ……また衆生救済を……」


 薬師峰が言いかけで中断した。


「おかしい」


 急に立ち上がった彼女をSPが制止する。


「外に行くことは許可されていていません」


「違う、なにかが」


が展開されている……?いえ違う……。なぜ気付けなかったの?」


「SPの方、室長に伝えて下さい、こちらに敵が来ると」


今まで常に鷹揚とした態度をとっていた薬師峰らしからぬ様子である。言葉の中に焦りが混じる。


「何をいっているかわからんが何の妖気も霊力も感知されていない。妙な動きをしたらそれこそあなた方を処分しなければならない」


 SPはその提案を即却下した。


 太陽の光は午後四時を過ぎたというのに弱まるどころか、より強く地表を焦がし続けている。


 それがおかしいのだ。いかに初夏とはいえ暑さとは別に太陽は傾き始める。しかし太陽の位置は正午から全く変わっていない。天の理が歪められ、異様な空間が発生している。


 聖域アジール。最高度最優先結界。

 

 そしてそれに気づいているのは、この周辺において薬師峰瑠璃だけであった。


 ◇


 寺院の総門ほか、全ての出入り口各所に凪川市警察署から派遣された警官と特別警捜室・警備SP班が配置されているものの、完全封鎖はされていない。


 その一つ、車両用の出入口に一人の男が近づいてきた。すぐに凪川署の警官が対応に走る。


「あれぇ、今日はなんかあったんですか?ものものしい」


「本殿以外は急遽改修工事で、入れなくなっているんですよ」


「それにしてもお巡りさんが警備なんて、ずいぶん大袈裟ですねぇ。」


 訝しんだSPが様子を伺うと、男の顔を見て、表情が一変した。


「な!ぎ、」


 発しようとした言葉は体外に出る前に途絶させられた。

 屈強な男は一撃で昏倒させられ、所轄の警官は無言でその場に蹲った。


「さあて、楽しい楽しい宴の始まりですよ」


 愉快そうに笑って、男はおもむろに黒い狐の仮面を装着した。




「水野?水野!?応答しろ!」


 SP班の班長、西郷は異変にすぐ気づいた。


 薬師峰とかいう、神の化身と称する正体不明の少女が敵の襲来を訴えていたが、所詮は神人じにんの戯言と取り合わなかった。

 

 部屋の外から出入口を見張っていた水野の位置を確かめる。その姿は確認できない。


「本部より、卜部へ、襲撃を受けている。繰り返す。」


 西郷は繰り返し無線で通信を試みたが通じない。それを敵の襲撃と判断できるのは彼が冷静な証拠であった。


「情報班大久保!十鹿神社まで車で走れ!」


「は、はい!」


 突然呼ばれた大久保は声を慌てながら駆け出ていった。


「石川!榊原!天野!本多!呪符を展開しろ!敵を迎撃する。」


 SP全員が呪符を展開する。しかし――。


「呪符が発動しません!!」


「敵の結界制限下にあるということか……」


 警捜室SP班はただのSPではない。苛酷な鍛錬を積んだ肉体的な強固さだけでなく、呪符や呪法についても一通り体得した戦士で構成されている。


 特に、先に西郷が呼びかけた四人には『封印法術』と呼ばれる化物を封印する術を会得しており、これにより薬師峰と佐上の行動の自由を制限していた。


 更には呪的装備、と称される対異形用の拳銃、特殊警棒を装備している。魔獣、小鬼の類なら恐れるに足りない。

 

 西郷は部下とともに水野がいた車両用出入口の方を見据える。


 強い日差しが陽炎を生んで、数十メートルでも像が歪んでいる。


 揺らめく像はそれの正体を見定めるのを阻害した。

 

 不安定で黒い頭部に白い服の人影のようだった。それはブリーフィング時に紹介された『黒い狐面』の姿に一致した。


「止まれぇ!止まらんと撃つぞ!」


「止まれぇ!」


 三度目の警告を行う前に石川が発砲した。


 輪経マニ弾。拳銃は警察に正式採用されているシグ・ザウエルP230のそれだったが、弾丸はマニぐるまと同様真言マントラが彫られている。


 怨敵調伏の効力を持った弾丸は命中すれば物理的ダメージだけでなく、妖怪変化の類の妖力を封滅する効果がある。


 避ける間もなく、人影に着弾した。

 スローモーションのように膝からゆっくりと倒れていく。


「水野?水野ォーッ!!」


 奇っ怪であった。像のゆらぎが解け、そこに現れたのは黒服の、先程まで出入口を見張っていたSP班の水野であった。

 

 動揺を隠しきれない石川に迫る影。


 拳銃を差し向けた時にはすでに間合いを詰められていた。


 腕ごと銃を蹴り飛ばされ、強烈なボディブローで身体が浮き、障子戸を吹き飛ばして室内に叩きつけられる。


「ごっ……法印か……」


 血を吐きながら石川は自身に起こった事象を冷静に分析していた。狐面も彼ら同様、法具を身にまとって霊的攻撃力を増幅しているのだ。


「流石、日本の異形専門のお巡りさんだ。すぐ手の内がバラされちゃいますね」


 舐めきった態度の黒い狐。


 天野が至近距離で発砲する。だが弾丸は跳弾で明治時代からの歴史的建造物に傷をつけただけだった。

 

 黒い狐は体を百八十度反転させて天野の背後に回り込んでいた。

 恐るべき運動能力と反射神経である。


 天野が敵を再び視界に収める前に顔面を蹴り飛ばされた。常人なら首の骨がへし折れるぐらいの威力だが、壁に叩きつけられるだけで済んだのは霊的身体的鍛錬のおかげであった。が、更に留めの一発で完全に動かなくなった。


 野郎……!無手で三名の部下を倒された西郷は敵に憎悪の念を抱きつつも、窮めて冷静にターゲットを捕捉し引き金を引いた。


 部下の体が射線からきえたことでさらに至近距離からの発砲である。


 当たるはずであった。


 だが、背後に目がついている如く、発射の直前に身体が跳ねて弾丸はまたも壁に穴を開けたのみ。


 代わりに鞭のように伸びた中段蹴りで拳銃は弾き飛ばされた。


 めき、ごきめきめき――。


 西郷の右手の骨が複雑骨折した音が骨振動として全身に伝わっていく。


 それでもバックステップで飛び退いて左手で特殊警棒を抜く。


 称賛すべき気迫だが、明らかに劣勢だった。


 黒い狐面はゆっくりと、泰然と構えた。


 西郷には相手が果てしなく大きく距離は凄まじく遠く感じられた。彼は柔道剣道の有段者だが、高重力で潰されるような圧力を全身に感じていた。


「本多!回り込んで背後から撃て!俺に当てても構わん!榊原は情報班員を避難させろ!」


 奥の廊下に警棒を構えていた榊原と本多は一人は廊下を、もう一人は脱兎の如く駆け出して二者が対峙する横を跳んで、前回転で境内まで出た。


 本多にも対異形のSPとしての覚悟はある。完全に上司の西郷が射線に重なる状態で拳銃を構え、引き金を引く。


 はずであった。その行動が止まった。


 射線の前にもう一人いる。強い日差しで黒法師のような影が浮き彫りになっている。いつからそこにいたのか全く気配はなかった。


「本多!どうした!」


 本多は応答しなかった。いや、できなかったのだ。その突如現れた人物の視線と彼の視線が重なってしまったせいで。


「瞳術……まさか?」


 揺らめく空気と強い日差しの中に平然と、黒い狐越しに男の姿が認められたが、その正体を確かめる時間も余裕も、西郷にはなかった。

  

 大喝からの袈裟に振り下ろした一撃は空を斬り、代わりに上段蹴りがカウンターで西郷の顎にめり込んだ。


 めきり、と嫌な音がして、西郷の意識は永遠に失われた。


 「さて、行きましょう……」

 

 黒い狐面は後方の人物を促すと、最祥殿の中に侵入した。

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