第二話 妖狐顕現

 同じグループの城島が薬物取締法で逮捕されてから、大羽は苛ついていた。

 『ISOLAイソラ』は、凪川、近隣の風橋市だけでなく名古屋近辺にも勢力を拡大している半グレグループである。詐欺や窃盗を行うチーム、薬物や違法輸入を行うチームなど複数のチームが存在する。


 大羽はその中でももっと凶悪な、暴行、拉致、拷問、殺人を専門とする集団の中心人物である。純粋にそれだけを生業とする訳ではなく、他の集団とも合同で犯罪行為を行う。


 元自衛官、格闘家という経歴もあり、口も腕も実績もあった。容姿も長身で無駄のない筋骨、獲物を狙う蛇のような眼光の持ち主で、周囲からは一目置かれている。


 その大羽の配下が城島と一緒に逮捕され、しかも意思疎通のできない状態で発見されたのだ。


 警察は違法薬物使用の疑いで城島らを検挙したが、付き合いの長い、忠実な部下がヤクに手を出して逮捕されるとは考えにくい。女とコトに及んで使った雰囲気もない。であれば敵対する暴力団や組織の仕業か――。


 数々の修羅場をくぐってきた嗅覚が自分たちが攻撃されたことを告げていた。今チームの面々を拠点にしているこのバーに集め、敵の情報をまとめようと試みた。が――。


「おい、板井は?」

「電話にもテレSNSにも出てない」


 主要メンバーは大羽を含め6名、この地下にあるバーのVIPルームに集合していた。当然ながらこのバーも彼らの息がかかったものだ。SNSを通じてメンバーに集合をかけていたのだが、若手の板井がまだ姿を現していない。


「どっか寄り道でもしてんすかね、それかオンナのとこ?」

「板井は忠実なヤツだから、召集に遅れたことないだろ」

「まさか例の女?」

「知らねぇけど、誰もまだネタ掴んでねぇの?」


 同じ半グレグループの女衒、城島が捕まったことは当然、大谷のチームにも知れ渡っていた。直前のやりとりから一人女をゲットしたとかやりとりが残っていた。


「名簿の名前もラインも全部嘘なんだろ?決まりじゃん」


 他組織からの攻撃、というのが濃厚な線で目下その女の所在を探しているのだが、その所在は一向に分からなかった。しかもその姿を見たことのある者の証言はちぐはぐで、美女だったいや普通だった、大人びた中学生、若作りしてたなど、掴みどころのないものばかりである。その正体の掴めなさに加えて板井が一向にやってこないことも大羽を苛立たせた。 


 そうこうしているとバーの入り口がにわかに騒がしくなり、VIPルームに足音が近づいた。


「大谷さん、すみません、遅くなりました!」


 勢いよくドアを開けるとともに金髪の男が入ってきた。どうやら板井に何かあったという推測は杞憂に終わったようだ。


「板井、おせえよ」

「サーセン!シノギでちょっとトラブってて」


 一見人懐っこそうな、笑顔を振りまくが、この金髪男は違法薬物の横流し、それを利用して女を薬物中毒にして違法風俗で働かせるなど、大谷よりもアコギな稼ぎ方をしている。


「あの女の情報は?」

「いや、実はですね」


 にやにやしながら勿体ぶった感じで板井は大谷に近づく。


「――?!!!」


 白刃が大羽の腹部に突き刺さった。板井が隠し持っていたナイフだ。


「じつはじつはじつは」


 板井は表情を変えず壊れたスピーカーのように言葉とともにナイフを突き立てる。周りの人間も突然のことで反応できない。


「野郎!」


 テーブルに座っていた男が中身の入ったままのビール瓶を手に取って板井の頭部目掛けて殴りつける。瓶が割れ、酒とガラスの破片が飛び散る。


「じつはじつはじつはじつは」

「何だこいつは!?」


 普通なら激痛で崩れ落ち昏倒するほどの一撃を喰らったのに、若干動きが止まったのみであった。まるで壊れたブリキ人形のように距離を詰めようとする。


 大羽も咄嗟に机にあった灰皿を取って板井の頭を殴りつける。それでも止まらない相手にさらに足払いをかけ転倒させたところを巨漢の男が覆い被さってようやく制圧した。


 板井の頭はすでに血まみれであったが、気味の悪い笑みを浮かべてまだ「じつはじつは…」と繰り返し続けている。


「何なんすかこいつは?やべぇクスリでもキマっちまったのか?」

「敵だ…!」

「え?」

「敵にヤラれてんだよ!」


 腹部を刺されていながらも大谷は自分の状況を把握しようとしていた。そして自分に対する敵意は野生的に察知していた。


 しかし誰がどのように?大谷の思考が巡る中、第二波は訪れた。


 短い衝撃音と共に周囲は暗闇に変わった。VIPルームの外も混乱している声が微かに届く。表の業務をやってる店長が普通の客を一旦外に出させているはずである。仲間の一人がVIPルームの外でセキュリティ役をしている手下と連絡しようとした、その時。


 更に大きな衝撃とともに何か扉から投げ込まれた。


 中にいる5人がスマホのライトでその何かを照らす。


 それは気絶した見張り役の二人だった。


 何者かが二人を部屋の中に投げ入れた、とすれば凄まじい怪力であろう。そして大谷の予想は確信に変わった。


「誰かいる」

「は?」

「部屋の中に俺ら以外の奴がいるんだよ!そいつが敵だ!」


 大羽が吠えたその時、低いうめき声がした。扉の近くにいた男が倒れたようだ。


「畜生〜!」


 しびれを切らした男が大型のナイフを振り回しながら出口へ走る。ドアまであと一歩というところで突然壊れた人形のように膝から崩れ落ちた。


 部屋はそれほど大きいはずがないのに、侵入者の姿を捉えられない。この中にいることは確かだ。既に気絶している4人の男が証左である。


 このままだと、全員やられる。大羽は狼狽する残った3人を怒鳴りつけ、縛り付けられた板井を含め倒れた男らを置いて脱出するよう指示した。


 タイミングを見計らって、大羽らは一斉に扉へ向かった。この時大羽だけは一歩離れ、姿勢を低くして扉まで向かった。前に行かせた連中はシノギの上でも所詮捨て駒なのである。しかしそれが仇になった。


 VIPルームをあと一歩で出る瞬間、横殴りで大羽の体は飛ばされ、部屋の中に戻された。そして再び分厚い防音扉が閉じられ、手元数十センチも見えれない暗闇の中に閉じ込められた。


 手前、何者だ、など虚勢を張って、わざわざ相手に位置を教えるようなヘマはしない、負傷していても冷静な戦士としての力量はあった。先程突き飛ばされた時も咄嗟にカランビットナイフを繰り出し、相手を刺突するつもりだった。


 しかし「相手」の存在は空気のようで、依然として掴めない。


「どこにいる!何もんだ!」


 つい先程まで声を出さないつもりだったが、不安がそれに勝った。大羽は自分を奮い立たせる大声を上げた。ヤクザや対抗組織との修羅場も乗り越えてきた自負心があったがそれが崩れようとしている。


 狩られている、この俺が。訳の分からぬ奴に。


 ゆっくりと、隙を作らないように大谷はポケットに入れたLEDライトを探し当て、スイッチを入れた。白い光が周囲を照らす。


 かすかな物音がした方向にライトを振った瞬間、鉄塊を振り下ろしたかのような衝撃が大谷の右腕を襲った。みし、と鈍い音が体内に響く。


「ーッ!!」


 人間の蹴りの重さではない。本来ならカウンターを入れてカランビットナイフで八つ裂きにするはずだった。が、先程のジャブ程度の一撃が想定の範囲を超えていた。


 無機質な金属音を響かせて、ナイフは床に落ちた。


「なんなんだ!なんなんだ!」


 半グレとしてこの生涯常に他を圧倒していたという自負の牙城ががらがらと崩れる。ライトを持ってまだ構え解かないのはギリギリの防衛線だった。


 ライトの端の方に、黒い人影がぼんやりと現れた。それはゆっくり大谷の方に近づく。真っ黒な上下、パーカーを目深に被り、白い、狐の面が異様に輝く。


 あ、っと大羽が何か言葉を発しようとしたその時、更に重い衝撃が大谷を襲った。



 カラッと晴れた春の終わりの、優しさを通り越した強い日差し。自動車の通り過ぎる音も鳥の囀りも普段と変わらない日常の音。


 忠平は例の公園の同じベンチで目覚めた。


 忠平は昨夜と思っていたのが実は夢だったんじゃないか、と思った。が、全身の筋肉痛と手の中にある、白い狐の仮面がそれを否定した。


 大変なことをしでかしてしまったという動揺と、いわゆる悪党と言われる連中を膺懲ようちょうしたことによる達成感が心の中を浮き沈みしている。


「…大丈夫かなぁ」


 とりあえず各種ネットニュースやSNSのキーワードを検索してもそれらしい話題はヒットしない。ただ数件、「繁華街で違法薬物騒ぎ 6名逮捕」という記事があるのみだった。


「お疲れ様です」


 頭上に降ってきた言葉は言わずもがな、あの謎の女、薬師峰のものだっだ。


「これで願主の願いは成就しました。娘を凌辱した者への報復…実行犯以外も含まれていましたが、余罪ある者たちですので。あ、ご心配なく、警察には気取られておりませんよ」


「それならいいけど」


「その力、決してみだりに使わないように。善悪に関わらず行き過ぎた力は氾濫する川に如く、全てを飲み込みます」


 薬師峰は思わせぶりに指を唇にあて微笑んだ。初めて会った時と変わらず若者らしからぬ口調と物腰である。彼女の言う通り本当に吒枳尼天の化身なのかもなのかもしれない。


「なぁ、聞いてもいいか?」

「はい?」

「結局なんで俺なんですか?」

「ですから、めぐり合わせですよ、たまたまこの公園で出会って、たまたま忠平さんがここにいて、たまたま私のお願いを聞いてくれて、上手くできた、それだけのことです」

「ですので、是非これからも、よろしくお願いしますね」


 悪戯っぽい笑顔で差し出した手。それは改めての誓約うけいであった。


 忠平は深いため息のあと、それに答えた。


 妖狐、凪川に顕現す。

 



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