第二十一話 月下の戦い その二

 唸るようなエンジン音を轟かせていたバイクが急停車した。


 石造りの鳥居と簡素な檜皮葺ひわだぶきの拝殿が妖しき客人を出迎える。


 平田神社。八千矛神やちほこのかみを祀る神社はかつてこの地が戦国時代の戦場となった時、旗本陣が置かれた由緒があった。まさしく鬼の軍を迎え撃つにふさわしい場所である。


 薬師峰はバイクを降り、まとめた髪を振りほどく。雲間から差したか細い光が、黒髪にかすかな光の輪郭を作り出す。


 そして凛とした眼差して玉砂利の、丁度鳥居と拝殿の中間に立った。


 「さて、巫術の真似事を、されど行われるはまことの神事。八千矛神にして大己貴命、大国主命、いや大黒天よ、我が法に力を添え給え」


 そう言って、ふわりと長い手足を伸ばし跳んだ。


 舞うような動作だがそれは禹歩。


 陰陽道でも用いる呪法をバレエの舞踏のように行う。


 月が雲間から出た。満月の光は舞台で一人舞う彼女を優しく照らす、まるで特別にしつらえた照明装置スポットライトのように。


「ひふみよいなや こともちろらね

 

 しきるゆゐつ 


 わぬそをたはくめか うおゑにさりへて 


 のますあせえほれけ」 


 祓詞の詠唱、というよりそれはうたであり、うたいと言うにふさわしい、独特の調子リズムである。


 玲瓏たる声が月下の境内に響く。

 

 信ずる心は神仏の垣根を問わない。


 真城市内の稲荷社、また神社仏閣、街道の道祖神、地蔵菩薩、馬頭観音。そこに霊力を注ぎ繋ぎ止める。


 簡易に作り出された結界であるが、それは聖域に近しい結界である。


 散らばった鬼どもの位置は把握された。


 薬師峰は舞をやめ、手をかざして狐火を呼び出す。周囲に五つの火の玉が現れた。


「鬼どもをここに」


 狐火は神の化身の命を拝し、すぐに消滅した。


「さて……、問題は」


 境内の空気は張り詰めたままであった。



 大鬼の怒号とともに放たれた大ぶりの一撃は、突風を伴って付近に止めていた軽自動車を段ボールのように吹き飛ばした。


 巨大でいびつなボーリングの玉となったそれは、棒立ちになっている警官に向けられて放たれた。


 巻き込まれて、ズタボロの肉塊になる――。直前に、もう一つの疾風が警官を掻っさらった。


 白い狐の面のほかは全て真っ黒な衣装。忠平扮する吒枳尼天の使いの介入である。


 軽自動車はそのまま、鬼の死体が上に載ったパトカーを巻き込んで、牛丼チェーン店の玄関を破壊して停止した。 


 鬼と狐。異形同士が対峙していた。


 既に付近の道路は交通規制され、動く車はない。また付近で現実離れした大鬼の姿を見た者は、周囲の人間は恐れ慄いて逃げ出しているか、家に閉じこもって、悪夢が終わるのを待っていた。

 

 乾いた銃声が響く。


 何を思ったか、警官たちは既に手にあった拳銃を大鬼に対して発砲したのだ。


 しかし、撃たれた本人にとっては蚊か何かに刺された程度なのか、全く微動だにしない。


 逆に怒りに油を注いだだけであった。さらなる咆哮の後、大鬼は忠平と警官たちに向かって豪然と突進してきた。


 迎え撃つ狐は、掴まれる直前で宙を舞う。がら空きの鬼の顔を蹴り、巨軀を飛び越えた。


 が、これも無傷。


 踵を返す、その振り返りの隙に刈込鋏の片身が豪速の銛となって鬼に投擲される。


 大鬼には、皮一枚傷つけた程度で、攻撃が効いた素振りは無い。


「ゴォォッ!」


 滅茶苦茶に両腕を振り回す、反撃。

 忠平はそれを難なく躱す。


 鬼は諦めず何度も攻撃するが、周囲の被害とは裏腹に狐面はかすり傷一つ負うことなく紙一重で避け続ける。


 ここでの役目は時間稼ぎだ――。


 もとより忠平にまともにやり合う気はない。主人の結界術と呪法の発動までこの知能皆無の鬼を引き付けておけばいいのだ。


 戦闘開始から十分足らずで突如、大鬼の周りに青白い狐火が数個出現した。


 ――ようやく来たか。


 それは薬師峰が結界術を発現させた証であった。鬼を誘うようにフワフワと浮遊する。


「ゴァッ?」


 剛力を除けば間抜けとしか言いようがない。何度も狐火を剛腕で潰そうとするが消えては現れ、消えては現れて眩惑する。


 次第に狐火は鬼を誘導するように絶妙な速度で移動し始めた。


 忠平もそれに倣い、鬼を挑発しながら狐火が飛ぶ方向へ向かった。



 その様子は奇妙に輪をかけて不可思議であった。

 異様な形相の者どもが、浮遊する白っぽい炎の塊にいざなわれ、行進している。


 鬼たちも怒るもの、ふざけたような声を出すもの様々で、火の玉を追い続ける。さらにはその中に、白い狐の面を被った正体不明の者も混ざり、百鬼夜行の一幕が現出したかのような喧騒である。


 奇妙な一団はそのまま市街を駆け抜け、勢いよく石造りの鳥居をくぐり、急に立ち止まった。いや、止まらざるを得なかったのだ。


 煌々と照る月。天からの光はより強く、そこに集いし者たちの姿を露わにする。


 異形の一団、社の前に立つ女、仮面を被った正体不明の者も、月下の舞台ステージに参集した。


 妖しき巫女が微笑みながら唇を開いた。


「掛けまくも――」


かしこき伊邪那岐大神、筑紫の日向の


橘の小戸をど阿波岐原あはぎはらに、


御禊みそぎ祓え給いし時に成り坐せる祓戸の大神等、


もろもろ禍事まがごと罪穢けがれ有らんをば、祓え給え清め給え


まをす事を聞食ききおほせと、


かしこみかしこみみもまをす――」


 祓詞は歌、禹歩は舞となり、聴衆オーディエンスを魅力する。艶やかでありながら清涼とした雰囲気があたりを包む。


 その歌声と姿に見惚れるように立ち尽くす、異形のものたち。


 鬼たちはいつしか涙を流し、ぶすぶすと音を立てながら、盛り上がった筋肉、変色した皮膚が人間のものに戻っていく。


 浄化の儀式は成った。


 やったか。

 忠平は仮面の下で安堵の表情をつくる。

 薬師峰と不意に視線が重なり、相笑う。


 突如、その中の一匹が苦しみ悶え始める。先程まで大暴れしていた大鬼であった者だ。


「やはりこの者は呪が強いか」


 薬師峰は再び詠唱を始めようとしたその時――。


 切れ長の目が見開く。


「忠平さ――」


 呼びかけたときには眷属は既に跳んでいた。接近するものを感知していたのは薬師峰だけではない。


 影と影はぶつかった。


「貴様ァ……!」


 思わず忠平は声を上げた。

 ぶつかり合った拳がわななく。憤怒、いや、ようやく相まみえることができた、と歓ぶ感情も含まれていた。


 月光は二人の姿を浮き彫りにした。


 黒い狐の面に白い装束。忠平の格好と全く正反対の存在。


 一連の事件の裏で暗に蠢動していたもの、それが自ら目の前に現れたのだ。

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