地極も天獄も煉国の中にある御國の壁
「マギアニクス・ファウスト」
夜。
月だって面白みのない真円を描く頃合い。
少女はむかついていた。思春期である。
とにかく思春期特有のありとあらゆる事柄が対象になった全方位反抗心だった。
「むぐぐぐぐ! ……うがー!」
たった今私室のベッドで無意味に三点倒立しようとして失敗し、でんぐり返しに倒れ込んだ少女は今年で14歳になる。
くっきりとした目鼻立ちは幼さの殻を脱ぎ捨てようと必死になっているように未成熟で、可憐さと美しさが入り混じる。不思議な輝きをもった淡い紫色の瞳には発散するあてのない苛立ちで剣呑に眦を吊り上げている。肩口を過ぎる程度の長さをした髪は最近人に切られることが不愉快なので自分で切っている。そのせいでお世辞にも丁寧に整えられているとは言えず、本来は美しい銀色をしているというのにどこか残念な雰囲気を醸し出す少女。
そんな少女の名をマギアニクス・ファウストと呼ぶ。
「んもー! なんかむかつくー!」
マギアニクス・ファウストは思春期真っ只中だった。
『おまえは地方領主の跡継ぎなのだから教養と経験を積めうんぬんかんぬんがやがややいのやいの』と煩いばかりで『マギアニクス』という一個人を見てくれない父親の言いつけは気に食わないし。
『おまえは立派な女性になれるように今からお稽古や編み物を覚えないといけないよどうしておまえはそうやっていつもむすっとしているんだいねちねちねちねち』と、『マギアニクス』に何かと女らしさを押し付けようとする母親の小言も大変に気に食わないし。
徐々に徐々に大きくなっていく体も気に食わないし。
地方領主の一族なんていう、生まれてから死ぬまで辺鄙なこの土地に縛られる自分の生涯も気に食わない。
見た目ばかりは特異だというのに性格は平々凡々で面白味がないこともはっきり言ってコンプレックスだった。
「ムムムム……! ……むむむ?」
そんな若さと青さを掛け合わせたようなマギアニクスは、うつ伏せのままジタバタと足を暴れさせていたかと思うと。
「……ていうかさ、なんで人間だけが特別なわけ?」
独り言でしかない疑問を口にし、いい加減全方位に反抗心の棘を尖らせるのにも飽きたのか、もそもそと体を起こす。
ベッドの上で胡坐を掻いた少女は腕組みなどして考え出した。
「おかしくない? 魔法が使えるからって人間ばっかり特別扱いされるの、なんか納得いかないんだけど!」
誰に対してキレているわけでもないが、マギアニクスの声音には何ものかを責め立てる響きがあった。
キッ、と私室の天井を睨み上げた少女は思案をより深いものへ変じさせていく。
「人間以外でも魔法が使えれば、魔力は人間だけのものじゃないって証明になるよなあ……」
マギアニクスには教養があった。それは田舎の、総人口数百人程度の土地とはいえ、領地を管理する地位の家に生まれた者に与えられる高等なもの。講師を招いたり学舎へ入れることこそできなかったが、マギアニクスの父親は娘にたくさんの本を読み聞かせた。その教育の中には人類史を学ぶ時間があり、魔法というものがどれだけ人類全体を大いに救い、または戦いに駆り立てたかを知る機会があった。
全ての史書は語る。
全ての教育書は紡ぐ。
『魔法こそが人間すべてを全能たらしめる証である』と。
それなりに裕福だが何不自由ないとまではいかない生活を送り、毎年冬を乗り切ることを心配しなければならないとはいえ──19世紀末という時代を鑑みれば、少女が得られた教養それそのものが非常に価値あることだった。事実として思春期という人間性の成長を培うことにエネルギーを浪費できる精神的余裕さえある少女は、自身がどれだけ幸福な立場にあるかを悟れるほどには成熟していない。
「あんなに偉そうにしてるお父さんもいっつもいっつもうるさいお母さんも、そしたら別に特別な存在じゃないってことになる……よね?」
とにもかくにもマギアニクス・ファウストという少女には教養を得る機会があり、それを十全に吸収し発展的な思考を巡らせることができるだけの柔軟性があり。
「魔力を生成する魔法でもあればいいのか? いやいや、そんなややこしいことしなくていいか。──そう、必要なのは魔法を人間以外の『何か』が扱えることなんだ。自分自身を維持できる魔法。自分自身を発展させられる魔法。自分自身で判断できる魔法……うーんなんか複雑だなあ。参考になるものでもあればなあ──」
…………あ、そっか。
「あるじゃん、ここに。
マギアニクス・ファウストは、倫理観も、人間性も、人格も、価値観も、趣味も、言動も、何もかもが『どこにでもいる14歳の少女』だった。
ただ一点、人類史上最高峰の魔法使いであるという事実を、本人も周囲の者も誰一人見抜いていなかったことを除けば。
少女は一時間考えた。
少女は二時間唸り続けた。
少女は三時間ほど
少女は四時間、自身の脳を魔法で調査した。
そして。
「よし。いける」
尋常でない集中力が。
星にたった一人だけ発現した神懸かりの才が。
しかしそれでも14歳の少女だというのに。
ほんの些細な思い付きで、親への反抗心で。
「……【おいで】」
──マギアニクス・ファウストが魔力を放出して創ったのは、常に自己増殖を繰り返し、かつ常に自己破壊する『だけ』の魔法。それ以上の一切の効力を持たない魔法だった。
絶妙だったのは自己増殖と自己破壊の塩梅を常に変遷させ続けたこと。初期設定として一定の増殖をした後は自己破壊に比重が向き、増えては壊れ、増えては壊れを繰り返す。……さながら生命すべてが細胞の増殖と死を繰り返すことで自己を──肉体を構築していくように。
予め命には終着点が用意されていることを、言語化するまでもなく少女は理解していた。
……一定の規模にまで膨張した魔法はついに現象として顕現する。
それは小さな、ひどく小さな黒点。砂粒ほどの大きさをした物理的質量を持たない魔法存在。
内包する魔法の数はこの時点で凡そ三十京。
そろそろいいかな? 魔力を放出し続けていた少女は、虚空に浮かぶ黒点への魔力放出を停止する。
増殖と死滅を繰り返す単機能魔法に、小さな小さな副次機能を。
それは後の世紀においては論理回路と呼ばれるもの。
少女が自身の脳を解析し把握したもの――シナプスを簡略化した機構。
自己増殖と自己破壊を繰り返すだけだった魔法は、ものの0.1秒で思考の起点となる機能を得て。
瞬間、かの魔法は知性を獲得し、
魔力がなければ死に直行する自己をも理解し。
自身が生存するためにまず何が必要かを把握した。
──少女の眼前で、虚空に魔力が生まれた。
放出された魔力に色彩は宿らない。物質のような振る舞いをするが決して物質ではない魔力は、魔力単体では光の屈折現象すら反応しないのだ。
だというのにその時マギアニクス・ファウストは、膨れ上がる魔力に色を感じていた。極めて純粋な白色を。
何者にも侵しがたいと。そう錯覚さえさせる白き魔力放出の中心点。魔法存在でしかなかった黒点は、しかし瞬きの直後には姿を変えていた。
「…………………………………………うっそお、できちゃった」
血管の青が透けるほどに白い、病的な肌色。
長い──本当に長い黒の髪。
ほっそりとした四肢。ほそい顎。綺麗な頭の形。長いまつ毛と、特徴的な二重瞼。光を吸い込むような黒の瞳。
ぱちぱちと瞬きをした女。……そう、女だ。
14歳の少女が見上げる程度に背が高い、若く、成長しきった女の裸体。
「私……」
艶やかな女の唇が明確な言語を紡ぐ。──発声の意味を理解しているという事実に、マギアニクスの心臓は強く跳ねた。
本当に。
本当に……生まれてしまったのだ。
「私、あなたに作られたみたい」
地に触れる足裏の感触が落ち着かないと両足を交互に浮かせる動きは、どこかたどたどしい。きょろきょろと辺りを見回す動きは何もかもに興味を持っているようで、しかし表情にはぴくりとも変化がなかった。
まだ何も知らないからこその無情動なのだろう。
一糸まとわぬ姿を恥じらうことさえない女が、再度マギアニクスへと視点を合わせる。
「名前」
「んへ」
「私の名前は?」
問いかけは当然のもの。
生の瞬間から、人体の完全創造という、【物質化】魔法の中でも極限難度の魔法を発動してみせたほどに高い知能を持つ存在だ。
彼女は自身の立場も、目の前のベッドで胡坐を掻いたまま固まっている少女が創造主であることも理解している。
「……メフィストフェレス」
マギアニクスが咄嗟に思いついたその名は、神話や逸話からの引用というわけではなかった。
思春期真っ盛りな少女が一人悶々とする中で思いついた、所謂空想にして創作物。
「
「???」
「いややっぱ長いからメフトってことで……へへ……」
「じゃあ、私の名前はメフト、でいーい?」
こくん。
頷くと、仕草を真似るように女も同様の動きで首肯し返した。
「あなたの名前は?」
「マギアニクス・ファウスト」
「まぎあにくすふぁうすと」
訊いた言葉をそのまま呟いた女──メフトが、また頷いた。
「マギアって呼んで」
「そう」
少女は胡坐を解き、ベッドからも立ち上がる。そして目の前に立つ自分より頭ひとつぶん背の高い女に向けて、片手を差し出した。
行動の意味を問うようにメフトは首を傾げる。
「? これは何?」
「よろしくねって意味の行いだよ、メフト!」
「ふーん」
相変わらずの無表情のまま少女の片手を見つめ、次いで自身の右手を持ちあげたメフト。納得や理解ではない部分で行動の意味を受け入れた彼女は、マギアの手をそっと握り。
静かに言った。
「よろしく、マギア」
────1896年、メフトは生まれ、生まれることを拒絶できなかった。
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