「はぐらかされて黙っているのも限界なんです。はっきり言って『かちん』と来ています、『かちんかちん』です」


 ティアレスの急襲から3日が経った。

 ローロは自分自身でへし折った左手親指の関節こそ痛むものの、メフトによる【再生力強化】の魔法のおかげもあり、自然治癒に任せるよりも遥かに早く回復に向かいつつある。ちなみに【再生力強化】などの治癒系魔法は超高難易度の部類であり、それを使えるだけで一生職に困らないほどだ。相変わらずメフトはすごいな、とローロは感心してしまう。

 さて。

 ゆっくりと雲が空を泳ぐ晴れの日。

 ローロはメフトにとある相談をしていた。


「……いいけど。別に」


 かつての廃城、その主が住んでいたとされる王の私室。広々としてはいるものの調度品が非常に少なく殺風景な部屋の中。午後のいとまを、窓際の机に広げた書簡の確認に当てていたメフトは、部屋にやって来たローロの相談事に、少しだけ嫌そうな顔をしていた。


「あまり乗り気ではないように見えます」

「そりゃそーよ。でも、ローロは心配なんでしょ?」

「はい。心配です」

「……変なことされそうになったら大声で叫びなさい」


 少女がその淡い紫の瞳に真摯な色を宿しているから渋々許すのだと、言わんばかりな態度。これでも三日前よりは随分軟化したのだとローロは知っている。


「ああそうだ」


 ぺこりと頭を下げて部屋を出ようとしたローロへと、メフトは言葉をかける。すっかり忘れてた、と書簡に目を下ろしながら呟いた。


「あのアホが壊した塀なんだから、さっさと直しに来いって伝えといて」




 ◇




 森の中を歩いてしばらくすると、ぽっかりと開けた平野部に差し掛かる。その中央にはテントが一つ建っていて傍では燃え立つ焚火。そして、行儀よく正座で地べたに座り込み、ぼんやりと炎を見詰めている女の背中。

 あれだけボロボロだった服は綺麗なものに替わっている。恐らく替えを何枚も持ってきているのだろう。踝まで覆うロングワンピースに同じ丈の白いエプロン──腰裏を彩る大きなリボン結び。ちょこんと後頭部で一つに結ばれた金髪が、まるで犬の尻尾みたいで、なんだか可笑しい。

 どうやら煙草を吸っているらしい。

 頭上から伸びる白煙が一筋ある。

 ──歩み寄って、常に真っ直ぐに伸びる背中へと声を掛けた。


「タバコ体に悪いですよ」

「……痛みを和らげる薬草だよ、煙草じゃない」


 ふむ。言われてみれば臭いも煙草とは別だ。鎮痛作用のある葉を加工したものを吸っているらしかった。


「お元気そうで安心しました、ティアレスさま」

「やあ久しぶり。ローロ。よくここがわかったね」

「なんとなく、別れの挨拶もなしに消える人じゃないと思っていたので」

「はは。大当たりだよまったく」


 三日前、メフトを殺すため城へやって来たメイド服姿の女は、名をティアレスと呼ぶ。メフトの【終末魔法】を受け、全身の骨という骨を砕かれるほどの重傷を負っていた。

 こちらへと首を巡らせた彼女はそれ以前の頃から変わらぬ快活な笑みを浮かべている。


「元気そうで安心しました」

「いやあ中身はボロボロだけどね。強引に魔法で骨やら血管やらを繋ぎ合わせてるだけだよ。……おかげで遠方へ行くこともままならない」


 このまま放っておけばそのうち治るけどね、とティアレスは笑う。折れた骨を繋ぎとめることはできても、痛みまではどうにもならないのだろう。失神してもおかしくないほど痛覚が悲鳴を上げているはずだが、なんてことはないと彼女の振る舞いが物語っている。彼女の精神力はそれだけで驚嘆に値するものだ。

 とはいえ怪我は怪我。今もちらちらと見える素肌のあちこちに擦過傷の跡がある。

 ローロは女の側に腰を下ろすと、一緒に持ってきた鞄──の中に詰めてきた包帯や貼り付け剤を取り出した。


「怪我、手当します」

「……いや、いいよ別に」

「だめですよ。せめて消毒だけでもしないと」

「いやいいからホントに。こんなのそのうち治るし」

「……」

「わ、わかった。わかったからそんな見つめないでくれ……」


 ティアレスの怪我の手当てが目的で森へやって来たのだ。嫌がられても絶対に手当てをするつもりでいる。

 三日という期間を開けたのは、治療道具を使うにはメフトの許可がいるし、そのメフトが了承するのに少しほとぼりを冷ます必要があると判断したからだった。……同様に、ティアレス側にも時間が必要だろうと。


「いいかなローロ。怪我の手当てをするってことはつまり素肌を晒すって事だ」


 なにやらティアレスはぶつぶつと言い訳じみた言葉を並べている。


「ほら、私の格好を見てみるといい」

「いつものメイド服ですね」

「ああそうだ、お気に入りなんだ。しかしこの侍従の格好で素肌を晒すのはつまりほとんどの服を脱ぐってことになるんだぞ。君に半裸を晒すんだぞ!」

「なんでそんな緊張するんですか? もう裸を見せあった仲ですよね」

「…………君に裸を見せるのが恥ずかしいって素直に言えばいいのか!?」


 もう言ってますよ。

 とは思ったが、ローロはじっとティアレスの了承を待った。やがて根負けしたティアレスが諦めた様子でため息を吐くと、火の着いた紙巻の薬草を吸い切り、焚火に捨てる。

 白い煙をこぽこぽ口から零し終えた頃になって、女は唇を尖らせつつやや俯いて見せる。


「実はまだ本調子じゃないんだ。そのう、服を脱がせてくれると助かる……」

「いいですよ」


 ローロはティアレスの背後に回った。

 腰のリボン結びにされた紐を解けば、エプロンがぺろりと落ちる。紺色のロングワンピースは首裏のボタンで留まっているから、それをぷちぷちとローロは外していった。

 露わになる。

 剝いたように。騎士の、やや筋張った背中が。

 その素肌は痛々しい内出血の跡がまだら模様に踊っていた。外傷を伴っている箇所をローロは消毒し、貼り付け剤をそっと貼り、包帯を巻いていく。


「ん。こそばゆいな……」

「ここが特に辛いとか、ないですか?」

「うーん。そうだな──はは」


 唐突に、女の背中が小さく上下した。


「? どうかされましたか?」

「いや。はは、自分の情けなさがね。刃を向けた相手に情けまで掛けられ、あまつさえ命を救われるとはな。元々家の中でも落第者だったがこうも情けない所まで来るといよいよ笑う他ないだろ?」

「私も落ちこぼれですよ。ここへ来る前にいた士官学校では、騎士団には入れませんでした」

「? 君がか」


 驚いた様子でティアレスが背をよじろうとする。それをそっと制止して、代わりに彼女の右腕を持ちあげる。腋から肋骨にかけて亀裂のような裂傷。同じように消毒と貼り付け剤をして、包帯を巻く。


「それは随分とおかしな話だ。君程の反応速度を持つ者が何故落第扱いに……」

「私、考えることが得意じゃないんです」

「前も言ってたね。……よくわからないんだが、それはつまりどういう状態なんだ? 私みたいに考え無しな言動をついしてしまうとか?」

「具体的には一度に三小節以上の論理記述ができません」


 言っている意味がわからないと、ティアレスの横目が続きを促す。


「私の生体脳は、一度・・に三・・小節・・以上・・の思・・考が・・でき・・ない・・んです・・・


 それをローロは『頭の中に空白がたくさんある』と許容している。

 本当に、ぽっかりとした穴が脳内に、無数にあるような感覚なのだ。常に思考はままならず、感情といった精神機序の働きでさえよほど強いものでないと沸き起こらない。生体脳としてのローロ・ワンはほとんど常に眠っているに近い。


「……なら、今こうして私と喋っている君はなんなんだ?」

「シナプス代替魔法です」

「は?」

「シナプス代替魔法による、主に判断機能を司る私です」


『ローロ・ワン』は知っている。

 自分の脳内で生まれた頃から常時展開され続ける魔法があることを。ローロの母親はそれを【シナプス代替魔法】と呼んだ。脳内にある、生物の思考を司る器官──シナプスを代替する魔法、だそうだ。 

『頭の中に空白がたくさんある』少女が、なぜかその代わりのように生まれ持った、たくさんの【シナプス代替魔法】。生体が持つ神経電位信号の代替となり、生体の代わりに思考をするに至った魔法群──それも・・・ローロ・ワンを構成する一つのユニットだ。

 そしてもう一つ、ローロ・ワンを構成するユニットがある。


「私は、生体神経系のみで構築される人間ではありません。生体脳スレーブ代替魔法脳セカンダリ、それら二つの上位に立つ絶対制御脳マスターコントロールの三つの思考回路によって成り立つ生体・魔法複合人格です」


MOSマギマ】。絶対的演算精度により『ローロ・ワン』の行動を都度策定する最上位権限魔法群。

 ローロ・ワンは、【MOS】の命令を拒むことができない。そのように出来ている。


「……うん。よくわからない。私の足らない頭じゃローロの言う内容のほとんどが理解できないと思う」


 ですよね、とローロも小さく頷く。

 ローロが自認する自我の状態を完全に理解していたのは、母と、今は遠方にいる一人の友人だけだ。

 胸部にちくりと小さな痛みが走る。そんな幻痛を覚えた。

 心など、情動など、ほとんど非稼働だというのに。


「──でも、君は君だよローロ」

「……」

「君は私を助けてくれたろう? あの時君がめいっぱいに広げた両腕の大きさを、私はしっかり覚えている。きっと二度と忘れることはない」

「ありがとう、ございます」


 俯いて、小さく呟く。

 生体脳が反応を寄こさないのではローロには分からない。

 この、何故かトクトクと暖かい鼓動を刻む感覚は、一体何なのだろう……。 


「──というか、そうそう。ローロは凄いな、まさか私の極超音速に付いてこれるとは思わなかった」

「【MOS】のおかげです」

「あの天使の輪みたいなあれかい?」


 まさに『天使の輪みたいなあれ』だ。稼働状態に移行した【MOS】は紫色の輻輳円環という形で少女の後頭部に顕現する。


「あれが使えるなら騎士団なんて簡単に入れそうなものだけどね」

「【MOS】は【MOS】自体が起動条件の判断機能を持ちます。私には自由に制御できません。例えば私の、命の危機とか……そういう時でないと起動してくれません」

「確か、母親からもらった魔法だと言っていたね。失礼だが君のお母様の名は?」

「マギアニクスです」

「……ふむ」


 急にティアレスの調子が一段階落ちた。どうしたのだろう。


「いや、なに。昔、メフトからそれに似た名を聞いたことがあるだけだ。確か……マギアニクス・ファウスト、だったか」

「それ……母の名です」


 ティアレスがメフトと交友があったのは五年前まで遡ると言う。つまり、五年前にはローロの母親の名をメフトは知っていたことになる。


 ・──『メフトさまが』『母さんを』『知ってる?』


 何故……。


「ティアレスさま。あなたは……メフトさまとどういう関係なんですか?」

「語れるほど愉快な話でもないよ」

「──そういうのいいから早く教えてください」

「いッでぇ!」


 急にティアレスがはぐらかし始めたので、ローロは女の背中を少し力を込めて殴った。飛び跳ねた女が慌てた様子でこちらを見やる。


「ろ、ローロ? ちょっと本気で泣きそうだぞ?」

「痛くしました。さあティアレスさま。早く全部教えてください」

「な、なんだ。急に押しが強くなってないか」

「はぐらかされて黙っているのも限界なんです。はっきり言って『かちん』と来ています、『かちんかちん』です」

「わかったわかった。顔が近いから、……いや近すぎるから! そういうの得意じゃないから! あのっ、ほんと、顔が近くて……! ほんと、ほんとにやめて……っ!」


 最近なんとなくわかったこと。

 ティアレスは、鼻と鼻が触れるくらいの至近距離から凝視されると顔を真っ赤にして大体の言うことは聞いてくれる。


「大人を泣かせるなんて罪な少女だな君は」

「さあ教えてくださいティアレスさま」

「うぐぐ……なんだか私には押しが強い気がするなあ……」


 涙目になっている大人の女が、こちらを恨めしそうな上目づかいで睨んでいたが──やがて。  

 嘆息と共に、女は実につまらなさそうな顔をする。


「……私の生まれた家、ホルル家は、代々騎士を輩出する家系にあったんだ。あいつは十五年前ホルル家に転がり込んできてな。当時は私と同じメイドをしていた」

「十五年前」


 ローロが今年で16歳になる。

 十五年前というと、メフトは当時七歳だ。そんなころからティアレスと付き合いがあったのか。


「ホルル家には一族にのみ伝わる魔法というものがあった。メフトは、五年前にそれを盗んだ。そしてホルル家はメフトによって全滅させられた。私を除いてな」

「全滅」

「殺されたんだ。メフトに」

「それが……復讐の理由?」


 ローロの脳裡に普段のメフトの姿が浮かび上がる。畑に苗を植えて、野菜を収獲し、仕事終わりには靴の泥汚れを丁寧に落とす彼女の手指。常に日々を生きることを是とする穏やかな瞳。書簡に何らかの文字を筆に乗せて走らせる際、無意識のうちに耳周りの黒髪を掻き上げるゆったりとした仕草。

 彼女が、条約を破った締結国を徹底的に破壊したことは知っている。

 世界大戦を複数の殺人によって止めたことも。

 ティアレスを──助けようとしたローロでさえ、殺そうとしたことも。

 だけどローロには、メフトが殺人を積極的に行うようにはどうしても見えない。

 そして。


「私には……ティアレスさまがメフトさまを憎んでいるようには見えません」

「憎悪なんて、とうに枯れたよ」


 褪せた笑みを浮かべているティアレスも、メフトへの憎悪だけが復讐の動機ではないと言う。

 あまりにも根深い問題が目の前に広がっている気さえした。


「──命を救われこうして施しを受ける以上、義理は果たす」


 唐突に、ティアレスは話を変える。

 女のあまりに真剣な物言いに、ローロは何も言えない。


「君が危機に瀕した時。君が心の底から力を求める時。微力ながら助太刀しよう」

「……」

「それに、君のように純粋な子は嫌いじゃないんだ」


 ……だからあまりあの女に入れ込みすぎるな。


「──メフトは自分の娘を絞め殺すことで【終末魔法】を得た」


 ローロの判断機能は、ティアレスが三日前にメフトに向かって叫んだ言葉を思い出す。


「メルツェル……まさか、それが?」

「ああそうだ。メフトは、メルツェルという名の娘を殺している」

「その。メフトさまは、ご出産の経験が?」

「いや、実の娘じゃないんだが……ほとんどそれに近い存在だったんだよ、メルツェルはね」

「? ティアレスさまの言葉がよくわかりません……」

「私じゃうまく説明できない」


 すまないね、とティアレスは付け足す。

 ローロは手当を進めながら事実の整理を始めた。

 ……十五年前、七歳だったメフトはホルル家に流れ着いたと言う。

 そうして当時六歳のティアレスと共に十年の時を過ごしたあと、ホルル家に伝わるという魔法を盗み──ティアレスの家族を皆殺しにした。


「私が許せなかったのは、私の家族を全員殺したことじゃない。あいつが……メフトが、自分の娘を殺してしまったことが許せないんだ」


 世界大戦を引き起こしかけていた主要国家の代表者たちをも殺し。

 果てには……自分の、娘をも……? 


「あれは、嬰児殺しだった」

「──」


 一体どこが終着点になるのだろう。

 メフトという魔王にまつわる、底の無い闇は。


「何もかも壊してしまった女だ。夢を見るのはやめろ。ましてや、共に業を背負うだなんて──あまりに惨い。君は人生を棒に振る気か?」

「そんなつもりなんかありません」


 暗にメフトの側に居るのは止めろと言われている。即座に少女は首を横に振った。


「私にはなりたいものがあって、今はそれがメフトさまのおそばで叶えられたらいいと思います」

「ふハ。そうか、ずいぶん強かになったじゃないか。それでこそ魔王の騎士だ」

「それに……ティアレスさまもいてくれます」

「…………いや。別に長居する気はないんだが」


 困ったように“騎士”が言う。


「怪我が癒えたら去るよ。復讐も失敗に終わったし、恥を晒してまでここに居座る理由は……」

「私をいつか助けてくれるんですよね? なら、ティアレスさまには近くにいてもらわないと困ります」

「……私の足なら世界の半分は数時間で移動可能だよ」

「それでもティアレスさまには傍にいてほしいと思います」

「ずいぶん言うようになったな、はは」


 会話をするうちに手当は終わっていた。

 ロングワンピースのボタンを留め直してやると、エプロンを戻したティアレスがぽんぽんと自身の隣の地面をそっと叩く。──薦められるまま、ローロは彼女の隣に座り込んだ。

 二人の前にある焚火は、その勢いを少し弱めている。

 幼い炎が揺れるのを薪をつぎ足すこともせずにティアレスは眺めていた。


「私は、さ」


 ──ほとんど自嘲の響きしかない声音。


「私はメフトが言うようにぽんこつなんだ。考えて考えても、ぽろっと言ってはいけないことを口に出してしまう」

「……そんなことは」

「あるよ。昔からね、考えなしに行動して、やってしまった後から後悔するのが常だ。いつもメフトからはそういう部分を詰られたっけな。こんな私が、あまつさえ本気で殺そうとした君の下で出来ることなんてないよ」


 いつも思う。

 どうしてティアレスはそんなに自己評価が低いのだろう。

 何を言うんだとローロは隣の“騎士”を見上げた。


「私の騎士の理想はティアレスさまです」

「────」


 その横顔が硬直するのを見て、……この人は本当に自分がどれだけ凄いのかなんてわかっていないんだな、と知った。

 少しだけ。

 少しだけ、むっとくる自分がいる。ほとんどの情動を生体脳スレーブが司る『ローロ・ワン』は、よほどの事がないと感情がうまく働かないように出来ているのに。

 ……ああそうか。

 これは、“よほどの事”なのだ。


「私を助けてくれた時、あんなにかっこよかったティアレスさまは、私が目指す騎士そのものです」

「で、でも。君を殺そうとしたんだぞ」


 女の背中が丸まっていく。この世から消えていなくなりたいと、縮こまる。


「ティアレスさまには信念があったのでしょう? 私にはそれを守り通すことがどれだけ難しくて、凄いことなのか、最近分かった気がします」

「……でも」

「私の理想の騎士さまをそんな風に卑下しないでください。私が言いたいのはそれだけです」


 言い切って、立ちあがる。

 道具を鞄に詰め終えたローロは未だにどこかぼんやりした様子のティアレスに頭を下げると。


「ではそういうわけで、──今日のお夕飯はティアレスさまにお願いしますね」

「え」

「私の理想の騎士さまは、きっとおいしいシチューを作ってくれるはずですよね?」

「え……」


 あれ、本気にしてたの。

 などと呟くティアレスは無視した。彼女はきっと城に来てくれるはずだ。


「待ってます」


 ローロは野営地を後にしつつ、考える。

 少し、想像する。

 渋々城にやって来たティアレスが料理を作るのを、遠目に見つめるメフトの姿。私は城の炊事場の勝手がわからないティアレスのために手伝いを買って出るのだ。そのうち一人だけ何もしないでいることに飽きたメフトが無言で野菜を切り出す。

 ティアレスは何も言わない。

 きっと二人には会話などない。

 だけど共に、ティアレスが作った『うまいシチュー』を食べられる。

 ローロが味など関係なく「おいしいです」と言えば、きっとティアレスは頷く。メフトも諦めたように少しだけ、首を上下させるに違いない。

 たったそれだけのことで救われる過去がある。

 あるはずだ。


「……そうだといいな」


 少女は、芽生えた祈りを抱えながら、城へと戻る。




 ◇




 まるで、嵐が過ぎ去ったみたいだったな。

 未だ全身の骨という骨が砕け散っている。

 魔法で強引に繋ぎとめた肉体が完治するのにどれだけ掛かるかわからない。

 それでも少女は恩讐の彼方へ来いと言う。


「まいったな」


 言葉が口から勝手に溢れ出るのを、止められなかった。

 思い返すのは隣に座った少女が当然といった様子で言い放った言葉。


「……理想の、騎士か」


 正座を崩す。両ひざを抱える。お尻で少し体を揺らす。

 私はちょっとだけ嬉しい。

 ちょっとじゃない──かなり嬉しい。


「ふふふ……んへへ……」


 例えばどうしようもない憎悪だけが生んだ過去があって。

 その憎悪さえ枯れた今をそれでも生きるしかないとして。

 だとしても、生きる希望がすぐ傍で花開きつつあるのなら。




 復讐は未遂に終わる。

 残ったのはボロボロの体だけ──ではなかった。

 少なくとも、私の行いには意味があった。 




 だから、たまには鼻歌を歌ってしまう日があってもいいのかもしれない。


「わったしがー、りーそうのきーし、りーそーおのきーしっ、うーれしーなー」

「伝え忘れてました。メフトさまが、塀を直しに来いって」

「ぎゃあああああッッッ!!!!」

「うわっすごい声」

「……き、聞いてた? 今の聞いてたっ? 聞いてないよな、な?」

「………………それでは歌います。聞いてください。ローロ・ワンで、お歌。──『わったしがー、りーそうのきーし、りーそーおのきー」

「今すぐ私を殺せ────ッ!」





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