「ちなみに23歳です」



 ローロに勝機があるとすれば、瞬間的な魔法展開による不意打ちしかなかった。


「こっちだ」


 ……状況を整理しよう。

 第一に、場所は街中。市場から離れた裏道を黙々と歩いている。人目につかない道を選んでいるようだが、先導する仮面の男の目的地は不明。外縁部へは向かっていないことから街を抜けるつもりはないと思われる。

 第二に、仮面の男は複数いる。ローロを先導する一人。背後と真横に一人ずつ。全員が同じ背格好であり、同じ白いばかりで何もない仮面を着けている。

 第三に、ローロは携行している武器の類はない。街へ入る際の検問で怪しまれないため、ローロもメフトも武器を持ち込まなかった。

 そして第四に──。


「どこへ向かっているのですか?」

「さてな。どこでもいいんだが」

「……目的が分かりません」

「君の主君に関することだよ、ローロ・ワン」


 彼らはローロとメフトの素性を理解している。

 仮面の男が【気配遮断】の魔法を展開している以上、周囲に助けを求めることはできない。同じ仮面を着けた男達が歩いているというのに通り過ぎる誰もがそれを異常なことだと認識していないのだ。ローロが叫んだところで誰も聞こえないだろう。

 メフトは今頃どうしているだろうか。突然居なくなった少女を心配しているに違いない。こんな不穏な状況、とにかく打破しなければならない。

 機会を待つ? 

 その機会とやらはいつ来る? 恐らく来ない。行動は迅速であればあるほど良い。

 ローロは男の後を追って道の角を曲がる。足の向きを変えた瞬間、


「あ」


 思い立ったように口を開き──左横を歩いていた仮面の男が首を巡らせて。


 ・──『ここ』


【推進】を左腕の各関節に一斉展開。

 瞬間的な加速が少女の左腕を鈍器としてしならせる。

 仮面の男の腹部に小さな拳が直撃し、その体をくの字に折り曲げ吹き飛ばす──それを見届けることもなくローロはさらに【推進】を全身の関節に展開した。


「──」


 人体稼働域を無視した動きが、少女に回し蹴りを実現させる──狙いは背後の男。

【強化】よりも強引な動きが可能な分、不意打ちをするなら【推進】が適していると判断した。しかし【強化】と違い魔法的人体防護が無い【推進】のみの発動は、ローロ・ワンの肉体に急激な負荷を生む。




 回し蹴りが男の腰を砕く。

 同時に、ローロの右足首が嫌な音を発する──次いで認識した左肩の異様な熱。

 骨折──脱臼──靭帯損傷。

 片腕はもう使い物にならない。




 どちらにせよ、あと一人……! 起点とした左足をさらに動かし、残る右手を貫き手の構えに。

 把握する。

 判断する。

 ローロ・ワンの主制御セカンダリが更なる魔法展開を急ぐ。もっと速く。もっと正確に! 

 狙いは未だ反応できずに居るだろう仮面の男、最後の一人。

 振り向きざまの貫き手を、男がいるだろう位置に突き刺、





 居ない。





 視界が急激に上下し、ローロ・ワンの体はいつの間にか地に叩きつけられていた。背後からの衝撃、なぜ、いつ。――読まれていた?


「──!」

「随分小さな魔力放出だ。情報通りだな」


 頭上から男の声が聞こえた。胸骨を砕かれるんじゃないかという圧迫感で背中が押されている──抑えつけられている。身動きが取れない。


「ローロ・ワン。君が稀有な魔力操作技術を持っていることは把握している。その魔法展開速度は驚嘆に値するが、理屈が分かれば対策は簡単だ。──魔法維持の限界を待てばいい」


 人生で一度も足りているなどと思ったことのない狭量な魔力総量を、ローロは無理やり捻り出す。


「……!」

「【強化】単体なら、まあ」


 少女には発破の咆哮を上げるための酸素すらなかった。人体防護を無視した魔法による動作はそれだけで少女の心肺機能を限界まで酷使させている──酸欠だ。

 かろうじて動く右腕すべてに【強化】を付与した。

 その魔法展開速度は音を超えていた。

 しかし、


「それくらいか?」


 しかしあまりにも魔法起動に使用できた魔力が少なかった──否、【強化】の展開範囲が雑過ぎる。右腕全域に付与したつもりが、【強化】が発揮した範囲は僅か右の・・人差・・指のみ・・・。無力な少女ががむしゃらに暴れているのと、何も変わらない。

 その右腕さえも別の男に踏みつけられる。肉を、皮膚を、血管を潰される痛みにローロの口からくぐもったうめき声が漏れる。

 背中を抑える仮面の男は尚も喋っている。


「“ホルル家の最高傑作・・・・”ティアレス・ティアラ・ホルルを打ち負かしたと聞いて相当警戒していたんだが……情報精度に誤りがあるのか? まあいい……」

「……っ」

「魔法戦は単純な攻性魔法のぶつけ合いじゃないんだ。絡め手、事前の情報収集、魔法以外の罠、ありとあらゆる手段を用いた情報戦なんだよ。今の君相手なら魔法を使う必要もないな」


 ──ローロ・ワンにはまだ、奥の手が一つだけ残されている。

 極めて少ない魔力でさえ当代最強の“騎士”とさえ渡り合える領域に昇華される絶対演算魔法が。【MOSマギマ】が。

 しかし、【MOS】は発動しなかった。非稼働状態を維持し続けていた。 


 ・──『なんで』『【MOS】が』『来ないの!?』


 分からない。意識が混濁している。呼吸ができない。全身が痛い。

 左肩が異様に熱い、右足首が痺れている。

 ………………誰か。


「戦略兵器である“騎士”だけが戦場の王道ではない」


 誰か・・

  


「ローロ・ワン、君は君なりの戦い方を理解すべきだ──」

「──あ、そ。随分なご高説どうも。じゃあ死んで」


 背中を抑えつけていたものが突然なくなり、ローロの体は身軽になった。

 一体何が──咳込みながら体を起こし。


「…………あ」


 女が、居た。

 長い黒髪をした女だった。その四肢は細く、たやすく折れそうなほどで。

 そのほっそりとした右手は、今、男の頸部を絞め上げたまま壁に叩きつけていた。


「ナメた真似をしてくれる」


 言葉は零下。

 情動を殺した声音に、壁に押し付けられた男は身動きができない。──ローロを拘束していた一人も、少し離れた位置で体を起こそうとしていたもう一人もだ。

 彼らは、誰と相対しているのかを理解していた。


「メフト、さま」

「この街を行き来する生体反応は羽虫まで含めて【探知】ですべて把握し続けていたから、どうしてあなた達からは反応がないのか、なんて思っていたけど──」


 彼女の左手にはクッキーがあった。ローロが先ほどの喫茶店で食べ損ねたクッキー。それには目視不可能な細さの魔力で編まれた糸が付着している。男達に気取られぬよう落とした菓子と、展開していたナノミリメートルサイズの魔力糸──メフトならば必ず気付いてくれると信じていた。


「おい、いいのか……! 動けばそこの娘の命は──」

人形ね・・・


 メフトの右手から離れようともがきだした仮面の男へと、女は淡々と述べ。


「なら容赦しなくていいか」


 そし・・て男・・が蒸・・発した・・・

 秋だというのに、瞬間的な温度上昇が周囲を包む。まるで酷暑、いや、溶岩の中じみた熱──。

 『   ! ! !』と、膨張した熱によって路地裏を駆け巡る音に似た熱風。その衝撃に、眼前の光景に、誰もが言葉を失った。


「────な」


 【発熱】魔法だった。

 メフトは【発熱】魔法で仮面の男を蒸発させたのだ。

 一瞬で人体を気化させるほどの高温がどれくらいの温度になるのか、ローロには分からない。しかしどれほどの魔力が必要なのかは理解できる──自分には決して捻出できない魔力総量。


「もういい。奴隷に興味はないの」

「──逃げられない! 【空間閉鎖】が展開されている!」


 彼我の実力差を理解した仮面の男が一人、逃亡を図ろうとする。

 しかし透明の壁に阻まれ逃げることは許されなかった。……【空間閉鎖】、それは世界で数えるほどしか扱える者がいない超難度の結界型魔法。

 無防備に背中を晒していた男へと一斉に金属製の槍が突き刺さった。虚空から現出した槍はメフトの背後から射出されたものであり、その射出速度はいずれも音速を超えていた──【物質化】【推進】の超高速複合展開。


「ここは人が多いから、手加減だけはしてあげるけど」

「──どうなっている!? あの女から魔力放出も確認されていないんだぞ!」


 無手で女は悠々と歩いた。

 獲物が逃げ出す心配など必要なかった。彼女には、距離も、速度も、阻む障害も、意味を成さないのだから。


「ごめんなさい。手加減しか出来ない」

「魔力放出無しの魔法展開──そんな神業、あり得るのか!?」


 吠えた仮面の男は、ローロが瞬きを終えた頃には消えていた。男がいたはずの場所にはどのように表現すべきかも分からない程ぐちゃぐちゃの、のっぺりとした固形物だけがある。

 まるで、突然上から圧し潰されたような、跡だけが。


「【圧縮】……」


 重力の部分的増加とさえ言われるその魔法は、人間の尊厳を無視した殺傷性魔法として禁術指定がされた末、遺失した魔法のひとつ。

 人体を瞬時に蒸発させるほどの【発熱】。 敵対者を決して逃がさないための【空間閉鎖】、魔法展開の瞬間さえ把握できなかった【物質化】、容赦などない【圧縮】……。

 無限の魔力。

 無限の手数。

 無限の戦術。

 圧倒的な力の前には小細工など通用しない。

 どのような絡め手も彼女の振るう破壊の前には無力だ。彼女自身が、魔法戦において最強なのだから。






 強すぎる。






 【終末魔法】など無くともメフトは史上最強の魔法使いだった。

 魔法展開に準備を要さない、膨大な魔力を放出なしに振るえる“魔法使い”。それは言い換えれば敵にどのような魔法が発動されるかの予測を一切与えないということ。

 無限の魔法を手繰り、どのような魔法が発動するかを知らせることもない魔法使い。それはいつの時代であろうと比類なき最強である。

 状況の終了と共に、メフトが小さく息を吐く。ローロは壁を支えにゆっくりと立ち上がった。


「メフトさま。よかった、ご無事で……」

「──ローロ!」


 そして、弾けたように。

 切羽詰まった声と共にメフトがすぐさま目の前に詰め寄る。彼女の手がローロの全身を診断目的で触れだした。

 ローロが特に痛みを覚える部分を触れていくたびにメフトの顔色が悪くなっていった。


「左肩靭帯の断裂。右足首の脱臼……いえ、関節部の骨折の可能性もある。右腕前腕部の裂傷、鎖骨にも、ヒビ──ああ! なんで……!」

「……」

「こんな。こんな、私は……」

「……ごめんなさい」


 謝ることしか、出来なかった。

 ……ローロ・ワンはもっと冷静になるべきだった。

 魔力糸をメフトは確かに追ってくれたのだ。彼女の技量ならばいかに目視不可能なほどに細い魔力糸だろうと追跡できることは明白だったのに、ローロはそれを信じていなかった。自分で何とかしなければいけないと思い込んでいた。

 その結果がこの惨状だ。

 右足がまともに曲がらない。左腕に力が入らない。右腕の痛みが徐々に酷くなっている。先ほどから嫌な汗がずっと止まらない。吐き気がする、息が苦しい、呼吸するだけで痛みが走る──。

 それでも。

 ローロは、目の前で真っ青な顔をしているメフトに何かを言わなければならないと。


「私の、せい、ね」

「え?」


 しかし先に口を開いたのはメフトだった。


「あなたを、こんな目に合わせてしまった。私は……あなたに、苦しい思いをさせている」

「──そんな! そんなことはありません!」


 彼女の、本当なら吸い込まれそうなほど綺麗な黒の瞳が、涙を溜めて潤んでいる。自責と悔恨に耐え切れないとその震える全身が物語っている。

 何故、メフトが苦しむのか。

 危機を救ってくれた主君がなぜ従者の怪我ひとつひとつに絶望の色を濃くするのか。


「これくらい私一人で何とかしないといけなかったんです。なのに【MOS】が起動しなくて……私、私には出来ることが……」


 布屋に着くまで、二人で繋いでいた手がある。今のローロにはメフトの手指を握ることさえ出来ない。

 守られるばかりで。

 弱くて。痛くて。

 何も出来なくて。

 ──【MOS】が稼働しなかったことなんて言い訳だ。


「魔法さえまっとうに使えたら。私にも、力さえあれば……!」


 何が騎士だ。馬鹿馬鹿しい。

 こんな弱い姿を晒して、一体自分に何ができる。何なら出来ると胸を張る……! 


「……」

「……」


 無言の時間がひたすらに重い。俯き、痛みに喘ぐローロ。少女のすべてに己を責め立てるばかりのメフト。二人とも、双方が双方に何を言えばいいのか分からなかった。

 やがてメフトが枯れ切った声で言う。 


「……帰りましょう。怪我の治療をして、また私達は私達の日常に帰るの」

「はい」

「ローロ。あなたは何も悪くない。何一つあなたに恥じるべき点はない」

「……はい」

「あなたはよく戦った。私はあなたを責められない、あなたを誇りに思いたい」

「……」

「あなたは……あなたをね」


 ──少女は、顔を上げた。メフトが何を言おうとしているのか分かったからだ。

 懇願の眼差しが淡い紫の瞳を上目遣いに変えていく。媚びが混ざる、卑しい目つきに……弱い・・者が・・する・・目に・・


「あなたを──」


 お願い。

 ……お願いします。

 どうかそれ以上は言わないでください。

 私をあなたの騎士で居させてください。

 守られるばかりの騎士なんて矛盾した弱者に、私は、なりたくなんか──! 






「私が絶対、守──」

「うわあすっごい怪我! 大丈夫!?」






 能天気な、声。大声、女の声音。

 メフトが背後へと振り向く。ローロも音源に導かれるまま声の主を追う。

 街中の、人気が絶えた裏路地の一角。

 女が居た。緩くうねった豊かな栗毛を肩口の長さにした、旅人だろう若い女だった。──ローロがその姿を認めた瞬間、目を瞠る。


「ちょちょい、そんな大けがはこの超天才治癒士わたしが許さないよ~」

「あ、アル?」

「ん? わたし名前言ったっけ? ていうかあれ?」


 女の、緑に近い濃青の瞳がローロの顔をじっくりと見つめ──。ぱちりと、明確に焦点を合わせる。

 メフトもローロも理解した。【認識阻害】が解除されたと。


「よくよくみたらローロじゃん!」


 メフトが無言で少女を見詰め直す。知り合い? と尋ねる眼差しに、ローロは頷いた。

 一方アルと呼ばれた女は小走りにローロの下へ駆け寄ると、


「うへへ~ローロだあ~──こんなところで何してるの? ていうか隣の人だれ? 最近元気にしてた? ていうか隣の人だれ? てかローロ怪我してんだった! 大変大変!」


 矢継ぎ早な言葉と、毎秒毎秒ころころ変わる女の表情に、二人が口を挟む暇もない。

 しかし少女の状態をしっかりと確認し終えた女──アルは小さく頷くと。


「今治すね!」


 その全身から魔力を放出し、その全てがローロを包んだ。何らかの魔法が発動し──するすると魔力はローロの全身に溶けていき。

 変化はすぐさま現れた。

 少女の全身に生まれていた紫斑が一瞬で消えた。酷い腫れが出来ていた体のあちこちが普段通りの正常さを取り戻した。

 鎖骨のヒビも、左肩靭帯の断裂も、右足首の脱臼も右腕前腕部の裂傷もその全てが嘘のように消えてしまった。 

 その異様な光景と共にローロは五体から痛みが消えたのを理解する。

 ──怪我が、一瞬で治った。


「これは……【細胞増速】? いえ、というより、物質・・の復元・・・……?」


 メフトでさえも呆然とせざるを得ないほどの現象が起きている。かつて魔王は言った。強引な治癒は体にどのような後遺症を残すか分からない、と。

 しかしたった今奇跡を起こした彼女の扱う魔法だけは別だと、ローロは知っている。 

 何故なら。


「な、治った。相変わらず凄いねアルは」

「ふふん。世界一の治癒士だからね」


 何故なら彼女──アル・ルールは世界最高位の治癒系魔法の使い手であり、天才的魔法使いだからだ。


「ローロ、見ないうちにまた綺麗になったねー!」

「ありがとう。アルも元気そうでよかった。あと、治療してくれてありがと」

「うへへ……ローロ好き!」

「むぐ」


 二人の会話には相応の年月が生んだ気安さがあった。栗毛の女は、少女との距離感の近さを示すようにローロへと抱きついている。


「結婚しよ!」

「それは無理」

「……」


 しばらく二人のやり取りを静かに眺めていたメフトは、やがて落ち着いた様子でローロに尋ねた。


「ローロ。この子は?」

「あ、えっと」


 未だに抱き着いたままでいる栗毛の女を困ったように見つめつつ、ローロはメフトを放置していた申し訳なさでか、もしくは知己の者とのやり取りを見られた気恥ずかしさでか、少しだけ目を伏せた。


「私の……幼馴染です」

「アル・ルールって言うよ! よろしく~」

「ちなみに23歳です」

「……私より年上なの?」


 ローロとほとんど背丈が変わらないアルは、少女の腕を抱き寄せつつ、緩々と笑っている。


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