「んっ? あ、あれっ、なんか塀が綺麗になってないか!?」


 ──昼を過ぎた、午後の三時頃のこと。

 城に着くなり、アルはその丸っこい目つきを興味津々といった様子で輝かせた。濃青の翡翠にも似た瞳は空の青を取り込んで澄み切っている。


「おおー。ここが魔王さまのお家かー。かっこいいお城だねえ魔王さま!」

「どうもありがとう」


 メフトはにっこりと微笑んで見せた。

 今のところアルとメフトの関係は良好にいっている。街から帰ってくるまでの旅程一日は平穏そのものだった。ローロを治癒してくれたことに感謝しているメフトと、メフトが魔王と知ってもさして動じることなくいつもの調子で接するアル。二人に不和が生じる理屈がない。


「じゃあ話した通り私は買ってきたものを整理しておくから、ローロはアルに城の中を案内してもらえる? よければ先にお風呂に入ってもらって」

「はい。わかりました」


 戻ってくる最中に、買い出しで集めた荷物をとりあえず仕分けしようという話になって、アルの歓迎会はその後という事で決まっていた。アルもアルで自身の幼馴染がどのような生活をしているのか気になっているらしい。特に異論はない様子でふんふん頷いている。

 ──と。三人が城門を潜り、庭に入ろうとする最中。

 立ち止まったアルがきょろきょろと塀を見回しながら言った。


「なんか塀、変じゃない?」

「変?」


 とメフト。


「んっと……ごてごてしてる」


 彼女が言うところの『変』とはつまり、『塀のあちこちが凸凹していて不格好だし、二割ほど未完成の状態になっているし、塀として機能していないのでは?』という意味になる──とローロは長年の付き合いで解釈した。

 十年来の付き合いになる幼馴染の言葉遣いは感覚的なところが多い。


「アルはティアレスさまに壊された塀が、塀にしては不格好だと言いたいんだと思います」

「そーそー、そういう感じ!」

「なるほど。そーね……ちょっと色々あってね。今修復してもらってるのよ」

「ふーん」


 何かに納得した様子のアルが小さく頷く。

 腕組みなどしている彼女は、さして迷うこともなく、


「ならわたしが直してあげるよ!」


 言うが早いか、アルは魔力を放出した。

 城をぐるりと囲う塀全体を、覆い尽くす量の魔力。無色透明の『霧らしきもの』が展開されきると、女は両の手を掲げて──。


「【ふん】っ!」


 ──握り拳を作る。

 すると。


「直り……ましたね」 

「…………驚いた」


 ローロとメフトが感嘆している眼前で、塀はその不格好さを完全に失っていた。

 ぴっちりと揃った面、整然と並ぶ継ぎ目、均一に削られた石──修繕を加えたという言葉では足らない。もはや作り直したと言った方が適切なほどだった。

 アル・ルールが。稀代の天才治癒系魔法使いが、その才覚によって魔法を展開し物質を再構成したのだ。


「これは治癒系魔法というより、【物質化】に似た魔法よね。でも……既存の物質に手を加えているうえ、【物質化】とも展開工程が違うように見えた。治癒といえば治癒だけど……」

「おおー、魔王さまは魔法に詳しい感じ? わたしよくわかんないけど、これ【物質化】って言う魔法なんだね?」

「……アルは感覚だけで魔法を使う魔法使いなんです」


 多少なりとも理論化がされている1900年代的魔法価値観で言うと、アル・ルールの魔法の使い方は『古い』と評されるだろう。感覚的魔法展開は、気分やその時々の状態に左右されがちな分、魔法の精度にムラが出てしまう。


「だから本人も『こうしたい』『ああしたい』ってイメージに基づいてしか魔法を使っていないので、具体的にあれがどういう魔法なのかは、たぶん本人もよくわかってないと思いますし、厳密に区分けできる魔法でもないはずです」

「だとしても感覚だけで魔法をあそこまで自由に操るのは尋常の才能じゃない。あなたの幼馴染は凄いわ」

「……はい。そうですね」


 メフトが手放しにアルを褒めている。我が事の様に嬉しいはずなのに、そのような情動が湧きおこらない。わからない──とにかくメフトの顔を見れない……。

 ローロは、だからというわけでもないが、城門から離れた位置の──具体的に言えば畑に隣接した位置の塀をぼんやりと見つめ。

 ふと、違和感を覚えた。

 あれ。

 なんだろう。なんか……なんといえばいいのか。

 あそこだけ、塀の一部が変なような。

 隣のメフトも少しだけ眉をひそめているような。


「……」

「メフトさま、あの──」

「んっ? あ、あれっ、なんか塀が綺麗になってないか!?」


 と。ローロの声を遮る、驚きに満ちた大声が響き渡った。声の主は城の裏手から石材を運んで来ていたメイド服の女、ティアレスだった。まっすぐ伸びた背筋が映える長身の女に、アルは瞳をまた輝かせている。


「なんなんだこれは……一体なんなんだ……」

「ティアレスさま、それは──」

「いや言わなくていい! 私にはわかる!」


 石材を傍に置き、ティアレスは至近距離でじっと塀を見詰めている。細いあごに手を当てて観察する様子は、職人技に矯めつ眇めつの鑑賞者のようだ。その動きに合わせ、彼女の後頭部で一つ結びにされた金髪が子犬の尻尾のようにふりふり揺れていた。


「これは……腕利きの職人による仕事だ。ここ数か月堀を作ることに専念していた私にはよく分かるんだ、なんていうことだ、これは素晴らしい出来栄えだぞ──おいメフト、一体これは誰によるものだ?」

「そちらの彼女よ」


 帰りの挨拶がないことに眉根を寄せるメフト(彼女は特にティアレスに対し、礼儀やマナーが欠けていることを不満に思っているらしい)は、ティアレスの視線を自身の隣へ誘導する。

 メイド服姿をした長身の女性が自分に対し尊敬の視線を送っていることに気付いたアルは、両手でVの字を作ってみせた。実に誇らしげに胸を張っている。


「綺麗にしといたよ! このわたしが!」

「お、おお……君がやったのか。魔法かい?」

「いえす!」

「──やったー! これでメフトからチクチクネチネチ陰険ないじめを受けなくて済むぞー!」

「ちょっと」


 いよいよティアレスの言いたい放題な態度に普段通りの不機嫌さを発揮し始めているメフトだったが、ティアレスの喜びようは半端ではなく、アルの側に駆け寄るとそのまま彼女と会話をしだしてしまった。


「君は?」

「アル・ルール。治癒士! そんでローロの幼馴染!」

「ローロの幼馴染。なるほど、事情はよくわからないが客人ということか」


 ローロも首肯する。ローロとメフトが同行している時点で不審には思っていないのだろう。ティアレスは快活な笑顔でアルに自己紹介をした。


「私はティアレス。ティアレス・ティアラ・ホルル──そうだな、城の裏手にある森の管理人……みたいなものをしている」

「自称だけどね、非公認だけどね」


 ぐぐぐ、としかめ面のまま瞳を伏せるという器用な表情のメフトが付け加える。アルはころりと小首を傾げた。


「……城で働いてるメイドさんじゃないの?」

「これは趣味だな、はは」

「趣味なんだ……」


 ティアレスがしている、踝までを覆う紺色のロングスカートに、同じ丈のエプロンという格好を上から下までアルは見つめると。

 急に隣のローロへと耳打ちした。


「ローロ! わたしもメイドやりたい!」

「え……メイド?」

「ああいう格好人生で一度はしてみたかったんだ〜! ここで働くならメイドがいい!」


 次いでティアレスを見て、


「ねえね、ティアレスさんの格好可愛くない!? すっごい可愛いよね!?」

「か、かわいい?」

「しかも背も高くて笑顔も素敵でカッコいいよね!? カッコいいと思う!」

「か──カッコいい!?」

「ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします先輩!」

「せ────先輩!?!?」


 もうティアレスの表情はもう表現のしようがない領域に突入していた。めちゃくちゃ、なんというか……めちゃくちゃ輝いている。頬が林檎よりも赤い。

 とにかく嬉しそうだった。

 その嬉々の感情が爆発したかのように、ティアレスはアルを突然持ちあげてみせた。


「お、おおっ? 力持ちですねえ先輩!」 

「後輩……私に後輩か! うん、とてもいい話だ。私は大歓迎だ、後輩!」

「きゃほー!」


 悠々とアルを持ちあげたティアレスがくるくると回る。それを実に楽しそうに受け入れるアルの姿に、メフトは溜息を吐いている。ティアレスの歓迎の仕方は彼女の好むところではなかったらしい。そんな気はしたが、アルがティアレスとも上手くやれそうなのでローロは少しほっとしている。

 ──同時に、少しだけ複雑なものを覚えている。


「ちなみに23歳でーす!」

「……えっ、私より二個上なのか」


 こうしてアルはその天性の明るさで、城の関係者全員と良好な関係を築くに至った。




 ◇




 城に戻ってからのローロ最初の仕事は、アルを風呂に入れることだった。


「一緒に入ろうよローロ!」

「今日の夜にアルの歓迎会をやりたいってメフトさまが仰るから、私は従者としてお手伝いをするの」

「えー。そんなー……昔はあんなに一緒に入ったのに」

「客人なんだから我慢して。アルはもう大人だから、百まで数えてからお風呂を上がることくらいできるよね?」

「わかった……できると思う。なんとかやってみる……」

「髪はちゃんと拭いて乾かすんだよ。頃合いみて脱衣所行くから、用意した着替え使ってね」

「んー」


 などという会話で年上の幼馴染を無事風呂場で大人しくさせると、ローロはそのまま炊事場へ向かった。


「お疲れ様です。手伝います、ティアレスさま」

「ん。ローロか。ああ、助かる。ならそうだな……そこの野菜を切ってくれるかい。鍋に追加で入れるんだ」

「はい」


 炊事場で料理を担当しているのはティアレスだった。火を熾したかまどに大きな鍋を置いているから、ティアレス特製のシチューを振舞うつもりでいるのだろう。ぐつぐつと煮立つ鍋の中から肉の脂が溶けだしたいい匂いが漂ってくる。 


「……何かあったのか?」


 あくまで鍋から目を逸らさないまま、ティアレスが野菜を切るローロへと声をかけた。つとめて優しい声音で。静かに、聞く者の感情を逆なでしないように配慮して。

 その優しさが分かったから、少女は正直に頷いた。


「何故分かるんですか? まだ……何も言っていません」

「帰って来てからずっと君の顔は浮かないままだ。これでもローロとは半年間の付き合いになる。さすがに分かるよ」

「……ティアレスさまは、やっぱりすごい方です」

「そうかな」


 話してごらん、とティアレスはその全身から発する雰囲気だけで囁いている。こういう時のティアレスは信じられないくらい器用で、大人で、立派で。

 私はいつになったら彼女のような騎士になれるのだろう。


「街で、不審な輩の襲撃にあったんです。メフトさまとはその時離れ離れにさせられていました」

「なんだと」

「私は大けがを負って、そいつらをだけど倒せなくて、だけどメフトさまが助けてくれて──」


 ボロボロの自分を見てメフトは今すぐにでも泣きだしそうな顔になっていたこと。


『私の、せい、ね』

『あなたを、こんな目に合わせてしまった。私は……あなたに、苦しい思いをさせている』


 メフトが、自分を慰めるような言葉を発したこと。


『あなたを──』

『私が絶対、守──』


 そして言いかけた言葉があったこと。その時アルと出会い、彼女がローロの負った怪我をすべて治してくれたこと。だからメフトの言葉を最後まで聞けなかったが──それについて、ローロは。


「聞けなくてよかったって、なかったことになってよかったって、思ってしまいました」

「……そうか」


 滔々とした説明にも関わらずティアレスが口を挟むことはなかった。少女の心の内に溜まっている澱みをすべて受け止めるような静かな頷きを繰り返していた女は、ローロがひとしきり言い終えてからようやく口を開く。 


「ローロ。君は十分によく働いた。それは客観的な事実だよ。それは、わかるね?」

「はい。……でも、あそこにいたのがティアレスさまだったら、もっともっとうまくやっていたはずです。少なくとも怪我なんてせずに襲撃者を撃退できていました」

「だろうね」


 当代最強の“騎士”ティアレス・ティアラ・ホルルは純然たる事実に対し、謙遜することなく認めてみせる。

 彼女ならばローロのような無茶な戦闘をせずに済んだのだろう。少なくとも、【強化】魔法を十分に展開できるだけの魔力総量さえあれば、自身の攻撃によって自分自身が重傷を負うなんて馬鹿な真似はせずに済んだ。


「だけどねローロ、──私は君じゃないんだ。君ほどあの女に忠誠心なんかない……というか無い」


 半年が経ち、殺し合いをするほど殺伐とした関係ではなくなっても、過去の恩讐がすべて消えてなくなるわけではない。

 メフトはティアレスの家族を五年前に全員殺しているらしい。

 ティアレスは、メフトがその際同時に殺したというメフトの娘『メルツェル』について決して許すことは無いと言う。


「私がここにいるのは君がそう望むからだよローロ」


 半年前、ティアレスはメフトと殺し合いを繰り広げ──一方的に打ち負かされた。圧倒的な力の差。メフトが振るう超光速の殺傷性魔法【終末魔法】は当代最強の“騎士”であるティアレスでさえ歯が立たない領域にあった。

 そうして騎士が殺されかけた時、ローロはメフトを説得し、結果としてティアレスの命は救われた。

 その恩義に報いるため、ティアレスは未だ森で生活している。ローロが助けを求めたらすぐ駆けつけられるように。


「私が君の立場だったら……たぶんメフトが命を狙われていようと無視するだろうな。そしてメフトも、私が襲われようと無視して城に帰ってくるよ」

「そんな……」

「はは。悪いがこれに関しては間違いなくそうだと言える自信がある」


 そんなにも冷え冷えとした関係だとは、ローロは思いたくなかった。今では憎まれ口を叩き合うとはいえ、まっとうに会話をするだけの余裕が二人にはあるのだ。

 いつか。きっと、いつか。

 二人が心の底から笑い合えたら。

 ──未来を良い方向に想像してしまうローロには、ティアレスの優しい微笑みがあまりにも酷に映った。 


「君だからこそメフトはそうまで悲壮な顔をしたのさ。

 そしてメフトだから君はそこまで落ち込んでいる、悩んでいる」


 あの時。あの瞬間。傷ついたのがローロだったから。二人で買い出しに行ったから。メフトがローロを連れて行ったから。それら何れかが欠けても今の現実はない。


「悲しみがあったとして──……その情動の意味を、ゆっくりと考えてみてもいいはずだ」

「はい。ありがとうございます、ティアレスさま」

「いいさ。いつでも聞くよ」


 全てに因果があり、現実が『そうなった』ことには意味があると、ティアレスは言っている。

 答えを求めての相談事ではなかった。だからローロにティアレスは的確なアドバイスをせず、会話の終わりと共に料理に集中しだす。ローロもまた頼まれていたことに向き直った。


 ──私は今、メフトさまの何なのだろう。


 漠然とした疑問にローロは答えが見つけられない。 

 それでも、包丁で野菜を切る。




 指を切らないように注意しながら。


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