「…………実は今まで黙っていたんだが、ニンジンが大好きなんだ私は」

 メフトが五年前に近隣一帯の土地と共に買い取った廃城には、地下一階の風呂場に温泉が湧いている。厳密には近くにあった湯脈をメフトが引っ張ってきたらしいが、おかげで加温加水なしでいつでも気ままに湯船に浸かれる。


「ふー」


 もうもうと立ち込める湯気の中。浴槽の縁に背もたれたティアレスが熱の籠った吐息をした。


「この城の一番いいところは、こうやって好きな時に好きなだけ風呂に入れることだろうな。はは、ぬる湯で体が溶ける……」

「ティアレスさま。お体の調子はどうですか?」

「うん? ああ、おかげさまで完治したよ」


 実に心地よさそうな女が薄っすら赤い頬を緩めて見せる。

 ティアレスは半年前の戦闘で、メフトによって全身の骨という骨をへし折られていた。本来ならしばらく寝たきりでの生活を強要されるほどの重傷だったが、彼女は折れた骨や損傷した筋肉や血管を無理やり魔法で繋ぎ合わせるという荒業で日常生活をそれまでと変わらず送っていたのだ。


「気にしないでくれ。骨を折ることなんてこれまでもしょっちゅうあったよ。というか、うん、──はは。全身の骨という骨を五回は折られてるからなあ私は。もう慣れたもんだ」


 尋常でない精神力と痛みへの耐性が必要なことを、大したことでもないようにティアレスは言ってのける。懐かしい思い出に浸るように目を瞑っている。


「それは……一体なぜ」

「“騎士”に必要な骨格を作るためにね。あとは痛覚に慣れるため。実家でそういう処置を受けてるんだ」

「ホルル家、ですか」

「ああ」


 ティアレスが生まれた家は、騎士を代々輩出する家系だったらしい。“騎士”──1900年代における戦略兵器の代名詞。人体限界を突破した驚異的速度にて敵地を強襲し、その速度のみでありとあらゆる破壊を引き起こす死の類義語。無論、大いに才能を要求される存在である。ティアレスはその“騎士”に必要な肉体を作るため、全身の骨をへし折り再生させる事で矯正したのだという。彼女の、ローロよりも頭二つ分は高い身長も大柄な体格も、それが理由なのかもしれない。

 ローロも騎士を目指す端くれだ。理想の騎士たるティアレスが呑気に鼻歌を歌っている中、ぐっと両の手を握り拳に変えた。


「わ、私も……全身の骨を折れるように頑張ります……!」

「はは。いや、君はそんなことしなくても十分強いんだからいいよ。出来栄えの悪い私みたいなのは必要のあることだけど」


 マッハ25……極超音速まで1秒を要さず加速可能な領域にある【強化】魔法の使い手にそう言われてしまうと、ローロは返答に窮してしまう。

 彼女が言っている『十分強い』とは【MOSマギマ】のことだろう。

【MOS】。ローロが常時発動し続ける演算機構型魔法群百京によって構成される複合魔法であり、ローロ・ワンの生体ハードウェアが寄こす情報から何をすべきなのかを判断する絶対演算魔法。その処理能力は、それこそ光に近い速度での行動策定が可能だ。


「……」


 しかしローロには【MOS】の操作権限がない。【MOS】自身が稼働状態への移行についての判断機能を持っているからだ。基本的に命の危機にでも瀕しない限り【MOS】は稼働しない。

 ローロ・ワン本体にあるのは、それら演算機構型魔法群をナノミリメートルサイズで展開可能な程度の魔力操作技術だけ。捻出できる魔力はその小さな両手で納まるほどに少なく、大半の魔法は使い物にならないか効果範囲が虚しいくらい狭い。


 ・──『ティアレスさまのような』『大規模な魔法は』『一生使えない』


 その通りだ。

 ローロ・ワンは瞬間的かつ極めて小さな範囲で極超音速までの加速ができても、そういった魔法を1秒維持するだけの魔力さえ無い。

 ──もじもじと自前の銀髪を撫でることしかできないローロの隣に、水面を揺らして腰を下ろす女が一人。


「あまりローロに変なことを吹き込むのはやめて」


 ローロを挟んでティアレスの反対側に座ったのは、メフトだった。この城には現在三人しかいないのだから当然と言えば当然だろう。彼女のつるんとした艶めく黒髪は、今は団子状に纏められて存在感を主張している。


「あなたの家は傍から見ればかなりおかしいのよ。自覚ないから余計にタチが悪いし」

「そんなことは…………ないと思うんだけどなあ」


 くっきりとした二重瞼の下で作られた詰るような眼差しに、ティアレスが頭を搔いた。メフトは、ふん、と小さく鼻を鳴らして湯船に肩まで浸かる。


「頭洗ってる時、さっきの話が聞こえてきたんだけど。怪我治ったのね」

「ああ。だいぶ掛かったよ。昔ほど再生力に勢いがない。歳だな、はは」

「21の女が何を言ってるの?」

「まっとうな人間なんだよ、私はな」


 ……この二人は不思議だ。

 さっきまであんなに罵り合っていたのに、こうやって穏やかに会話ができる。会話の内容とて彼女たちの恩讐に関連する『ホルル家』についてだというのに、さして気にする様子はない。

 なんというか。超然としている。


「ローロ」

「あ、はい。メフトさま。なんでしょうか」


 ティアレスとの会話の最中、メフトがこちらに視線を移す。彼女の長いまつ毛が湯気で小さく震えていた。縁取られた黒い瞳が柔らかく笑む。


「今日の夕食は何か食べたいもの、ある?」

「メフトさまは何かあるのですか? メフトさまの食べたいものが食べたいです」


 優しい顔をするメフトがにっこりと笑った。ローロの滑らかな額を流れていく湯の滴を、そっと拭いつつ。


「今はローロに訊いてるの。あなたの食べたいものを教えて」

「私の……。三人で食べられる夕食なら、なんでも食べたいです」

「おおっ。ローロはいつも可愛いことを言うな」


 ティアレスのやや角ばった片手がローロのつむじに触れる。湯温よりもいくらか高い体温に少女がこそばゆさを覚えていると、メフトが言った。


「ティアレスあなた、また肩幅広くなってない?」

「うるさいぞ。これでも気にしてるんだからな。……そういうお前はまた痩せたな」

「そーお? 食べる量は昔から変わってないけどね」

「もっと肉を食うべきだ。その細すぎる腰に肉を付けた方がいい」

「肉食動物みたいなこと言わないで」


 確かに水面の奥でぐにゃぐにゃと歪むメフトの腰回りは非常に細い。話の流れてローロがつい主君の裸体をじっと観察していると、途端にメフトの頬の赤みが増した。意味もなく自身の体を両腕で覆いだす。


「ローロ。あまりそうやって見るのは感心しな──」


 少女は見た。

 少し詰るような口調になりつつあったメフトの背後へと、いつの間にかティアレスが物音ひとつ立てずに回っていたことを。いたって真剣な表情の女が両手を広げ──ローロが何か言う前に。


「ほら! 私の両手だとへそまで触れるくらい胴が細いんだ! 信じられるかローロ。一体どこに内臓があるんだこれは……」

「──な、なっ」


 メフトが実に珍しいことに固まっている。目を瞠る彼女の腹部には、背後から回されたティアレスの両手。


「……」


 確かに、腰骨付近に当てられたティアレスの大きな手がぐるりとメフトの腰を覆っている……へそに爪先が掠っている……。なんなら私の主君の腹部を揉んでいる! 

 水面越しとは言えそれをじろじろ見てしまったローロは、何かを言わなければならない必要性を感じていた。

 そう。

 えっと。

 あの。


「本当に……細いですね、メフトさま……」

「……っ、ティアレスあなたね……!」


 首まで真っ赤になったメフト(本当に本当に珍しい。初めて見た)がティアレスの両手を振りほどき、その勢いで立ちあがり──彼女の片手は振り向きざまに張り手の構え。


「そういう! いきなり人の体に触ってくるところ! 昔から嫌い!」


『ばちーん!』という実に気持ちいい音が浴場に響き渡った。

 張り手を盛大に食らったティアレスが宙を舞い、その首を起点にぐるんぐるんと二回転。──そして、派手な水しぶきとともに浴場へと落下した。 


「溺れて窒息しなさい! というか死んでほんとーに!」


 ……ひょっとするとメフトは【強化】魔法を発動していたのだろうか。魔法の発動に必要な魔力放出の片鱗さえ一切見せないとは、相変わらず凄まじい技量だ。

 とにもかくにも水面にぷかぷかと浮かんで伸びているティアレスへと大きな罵声を浴びせたメフトが、怒り心頭そのままに浴場を出て行ってしまった。


「……ティアレスさま。今のはティアレスさまが悪いと思いますよ」

「いやぁ、また考えなしに行動してしまった。はは。反省反省」


 さして反省の様子が見られないのは相手がメフトだからなのだろうか。

 頬を擦りながら体を起こしたティアレスが呟く。


「メフトのやつは相変わらず人に触れられるのも触れるのも嫌がるんだな。昔っから手を繋ぐだけでもキーキー金切り声を上げてたんだ」

「そうなのですか?」


 ・──『でも』『半年前』『抱きしめ合ったよ』


 その言葉は少し語弊があるような気がしないでもないが。

 半年前、ローロは気付いたらメフトに抱き着いていたことがある。あの時何故そんなことをしたくなったのか、未だにローロには我が事ながら理解できない。……とにかく、今みたいな強い拒絶もなく受け入れてくれたのだが。


「あいつは気分屋なところがあるからな。私の場合はああやってすぐキレられるよ」 

「……ティアレスさまがああいったスキンシップをする方とは思いませんでした」

「あいつとはそれこそ十年来の付き合いだし、風呂なんかいつも一緒に入ってたしなあ。今更むき出しの腰なんか触ったところで何も感じないな」

「ああ。お二人が幼い頃からずっと一緒にいたと以前言っていましたね」

「──メフトは変わらないんだよ。昔から」

「?」


 なんだか、微妙なニュアンスのずれを感じる。

 ティアレスを見やるが、湯船から顔だけ浮かべて口笛を吹いている彼女には特にその意思が伝わることもなかった。


「……幼馴染、みたいなものなんですね」

「はは。まあそんなとこかな」

「私にも幼馴染がいるんですが、たしかにすごくべたべたと抱きついてきます」

「どこも一緒だなあ……」


 さて。主君を独り残して風呂をじっくり堪能するわけにもいかない。

 ローロが立ち上がりティアレスに一声かけようとすると、いつの間にかティアレスが背中を向けていた。普段はまっすぐに伸びた背筋が非常によく似合う大きな背中だが、今は縮まれるだけ小さくなりたいと言いたげに丸い。

 この人も相変わらずだな。


「なぜメフトさまの腰は触れるのに、私の裸は見るのも駄目なんですか?」

「それとこれとは別問題だ……」


 よく分からない線引きだ。

 ローロは気にせず浴場を後にした。 




 ◇




 ローロが思うに、城の地下一階にあるこの大浴場と脱衣所は、使用人達が使うために用意されたものなのかもしれない。廃城とはいえかつては主君がおり、仕える者が大勢いたはずだ。大きさからしても城の規模と合致する。

 とにかく。脱衣所にて。


「しかしなんだ。ローロ、君の髪は相変わらずとてつもなく長いな!」


 三人の中で一番髪の短いティアレスが最も早く着替えを終えていた。いつもの、紺色をした踝まで届くロングワンピースに同じ丈の白いエプロン。──いつものメイド服。普段ティアレスが着ているものとほとんど変わらないデザインだが、驚くべきことにあれは部屋着用らしいというのをローロはこの半年で知った。 

 手持ち無沙汰なのだろう。ティアレスが、風呂上りで髪形を解いているローロの銀髪を物珍しそうに見つめている。 


「今まで一度も切ったことがありません」

「本当かい? そりゃ凄い」

「もう250㎝になるかしらね」

「はい」


 ローロは母親の言いつけで生まれてから一度も髪を切った事が無い。既に自身の身長の1.5倍にまで伸びた銀髪は、普段こそ複雑極まる髪形で纏めてあるものの、一度解けば床にまで広がるほど長い。なので、風呂上りに髪を乾かすまでも後頭部で簡単な一つ結びにしている。──メフトが・・・・


「……で。なんでお前が当たり前のように手入れをしているんだ?」

「何かいけないことでも?」


 鏡台の椅子に座るローロの背後にて、メフトはしれっと言い返している。

 先に風呂から上がっていた彼女は既に身支度を終えていた。いつもの、簡単な長衣一枚だ。


「私も私の主君であるメフトさまに手入れをしてもらうのは心苦しいのですが……」

「いいのよ。私がしたいからしているの」

「……メフトさまにそう言われてしまうと従う他ありません」


 さも当然と言いたげにメフトは少女の髪から水気を優しくふき取っては梳いていく。その手つきは実に慣れたものだ。実際、毎日共に風呂に入っているメフトとローロは、いつの間にかこうして少女の髪の手入れをメフトが行うようになっていた。

 本当にきっかけは覚えていない。ローロの長すぎる髪を触りたがっていたメフトにブラシを手渡したのが始まりだったのか、それともメフトが「触ってもいーい?」と聞いたのが最初だったのか。


「メフトさまの手で梳かれると、乾くのが速くて助かります……それに暖かいです……」

「それは魔法で暖めてるからね」


【発熱】の魔法を使っているのだろう。

 放出した魔力を別物質に変性させる【物質化】魔法の一つで、魔力を熱エネルギーに変換させる魔法だ。最も初歩的であり、最も奥が深いと言われている。

 とはいえメフトのように、規模を掌程度に限定し、発熱量を人肌より少し熱い程度で維持・固定し続けられる【発熱】というのは高度な技量と集中力が要求される代物だった。


「生活に必要なことも魔法で代理できるんですね」

「大したことじゃないわこんなの」


 魔法は人類社会の生活には根差していない。極めて少ないとはいえローロでさえ持つ魔力は、放出者の意思によって自由に──それこそどんなものにでも変質するものの、大抵の人間は大雑把な制御しか出来ないのだ。

 魔法は大概に過剰火力を生み出し、大抵それは殺傷性を伴う。

 野菜を切ろうとした少女が、包丁が手元にないからと【切断】魔法を使った結果、自身の指を切断したような事件さえある。

 そしてローロには、メフトが言う所の『大したことじゃない』も出来ない。


「いーいティアレス。私もだいぶローロの難しい髪形を作るのに慣れてきたのよ、見てなさい」

「おお」


 背後ではメフトが器用な手先を使って、ローロが普段している髪形を再現しようとしていた。


「まず両サイドの髪を編み込みにするの」

「ふむ」

「うなじ付近で髪を一つに纏め団子状にし、編み込みで形を固定する。残った髪を今度はざっくりと肩口の長さで二つ折りにしてバレッタで留めるのよ」

「おお?」

「それでも多く余る髪はまたさらに三つ編みに束ねて……三つ編みで作ったリボン結びを、お団子の頂点で作って……」

「お、おお……」

「それを簪を挿して固定する。それでも余ってしまうこの髪の量」

「うーん目が回ってきたなあ」

「ここでようやくストレートに背中へと下ろされて。……はい、いつものローロが完成」

「もうなにがなんだかわからないぞ私には」


 いつもの調子で言うメフトだが、鏡の中に映るローロの髪形には実に満足げだ。

 鏡越しに淡い紫の瞳を主君へと向ける。 


「ありがとうございます。メフトさま」

「気にしないで。にしてもローロ、あなたよくこんな複雑な髪形を思いついたものね」

「幼馴染が考えてくれたんです」

「へーえ」


 少女の小ぶりな丸い肩へと、女の決して小さくはない両手がそっと置かれる。ティアレスのごつごつとしたそれとも違う、不思議な熱を持った細い手、指。


「そのうちローロの昔話を聞かせて」

「はいっ」


 ローロは未だ、メフトの過去に何があったのかについて多くを知らない。これまでの半年間の生活で、まず間違いなくローロ・ワンとメフトの間には何かがある、という事だけ。

 しかし少女は主君が自ら語ろうとしない限り強引に聞くつもりもなかった。

 メフトが柔らかい声音でローロの経歴を知りたがるのは、二人の間に深い信頼があるからだと少女は分かっている。


「そろそろ夕食の支度をしましょうか。ティアレス、あなた今日こそはニンジンを食べなさいよ」

「……や、野菜は苦手なんだ。いいだろ別に食べなくても」

「ローロの前でよくそんな事が言えるものね。ローロ、ニンジンを食べ残す騎士ってどう思う?」

「私の理想の騎士さまはきっと好き嫌いをしないと思います」

「…………実は今まで黙っていたんだが、ニンジンが大好きなんだ私は」

「おお。やはりその強さの秘訣はよく食べることなんですね」

「あ、ああ! 私はなんでも食べるからな。はは、…………ははは」


 今日という一日がつつがなく終わっていく。

 風呂上りだからか。心地よい疲労が熱となって解けていくのを、ローロは先を行く二人の後を追いながら実感した。




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