「まだまだ私は成長期です。もしかしたらメフトさまより背が高くなるかもしれません。期待株です、成長株だという自信があります」
数日後のことだ。
天気は快晴。心地よい秋晴れに木の葉が舞う。
ティアレスが木っ端みじんに破壊した塀と城門は随分修復されつつある。形だけはそれなりになった城門の前で、メフトとローロは装備の確認をし合った。
「さてと。準備はいーい?」
「はい」
メフトはいつも着ている長衣一枚でなく、長距離の歩行に適したパンツと丈の短いワンピースに身を包んでいる。ローロも似たような格好だ。足元に履くのも、頑丈さが取柄のブーツ。二人とも大きなリュックを背負っていた。
旅装に身を包んだ二人が忘れ物はないかを確認しあい、よし、と頷く。
「買い出しの準備は大丈夫そうね」
「はい。ばっちりです」
「ん」
そう。二人は今日、最も近い街まで買い出しに行く。城で生活するのでは得られない消耗品などを買い足すためだ。これまではメフトが一人で行っていた買い出しの作業に、ローロは初めて同行が許された。
『明後日……買い出しに行くけど、ローロもどう?』
『いきます!』
『うわすごい食いつき』
何の気なしにされたメフトの提案を、こくこく頷いたローロだ。
──半年前、契約書一枚でこの国……『国民なき国』へ旅立ったローロは、それから一度も城を出たことがなかった。ローロがサインした契約書は、契約者に対し『メフィストフェレス条約』締結国が恒久的な殺意を持つと記してあるいかれたものだ。その代わり契約者は魔王の騎士として叙任されるだろう、とも記載はあったが……。
魔王──メフトはかつて言った。条約締結国の殺意は本物だと。だからローロを城外へ連れ出すことは危険を伴うと。
そういう理由で、この半年間一度も城の外へ出たことのなかったローロだったが、──ついに今日、メフトとの同行を許された。
その気合の入り様は凄まじいものがある。
今少女が履いているブーツは汚れがなくなるまで徹底的に磨いたし、旅向きのジャケットやパンツはきっちりアイロンがけした。必要な道具は前日から部屋に並べて三回は点検した。街までの道も完ぺきに把握している。これ以上ない準備を終えたローロ・ワンは、うん、最強だ。
「ティアレス、じゃあ後はよろしく」
「別に貴様のために留守を任されるわけじゃないんだがな」
「は?」
「よろしくお願いします、ティアレスさま」
「君に頭を下げられると任されるしかないな、はは」
いつも通り、塀に使う石材を運んでは組みつけているティアレスへと頭を下げるローロ。留守番は彼女がすることで決まっていた。
少女に向けて、メイド姿の女は優しい顔をしている。
「せっかく街へ行くんだ。ケチケチ女の財布が許す限り好きなものを買ってもらうといい」
「は?」
「完全に完璧にメフトさまの護衛役を果たしてきます!」
「いや、ちょっと違うんだが……まあいいか。旅の安全を願ってるよ」
──などと手を振るティアレスを背に、二人はいよいよ城を出た。
城を出た先に広がるのは建造物など一つもない平野だ。草葉が風に揺れるだけの空間を、二人はまっすぐに歩く。
「そうそう。一応もう【認識阻害】の魔法が働いてるから、気を付けてね」
唐突にメフトが言った。【認識阻害】とは、他者の五感を言葉の通り阻害する魔法だ。
メフトが魔王であるというのは世界中に知れ渡っている。城に近い位置の街へ行こうとしているのだ、その素性が知れ渡るのは無用な騒ぎを起こすだけなのだろう──メフトは買い出しの度に、素性を偽っているらしかった。
「いつの間に……」
「魔王だもの。悪い魔法使いはなんでもできるのよ」
冗談めかしているが、本当に魔力放出が一切ない。
魔法は明瞭な理論化がなされていない力学ではあるものの、明確な論理に則って起動する法則でもある。 詳細はともかくとして魔法発動の手順とは、
『1.魔法発動者による魔力放出があり』
『2.放出された魔力を放出者が操作し、様々な魔法に使用する』
という大原則に則っている。言い換えれば発動したい魔法に必要な魔力を、操作者は放出する必要があるということだ。大規模魔法であればあるだけ大量の魔力を放出する必要がある。
魔法戦において、魔力放出は敵へどのような魔法を発動するかの予測を与えうる要素でもある。だから“騎士”は最速での魔法展開を目指したし、ローロとてその驚異的な魔力操作技術によって神速の魔法発動が可能だ。
しかし……メフトのように、魔力放出の瞬間さえなく魔法を発動するなんて見たことも聞いたこともない。それほどにメフトの技量は異次元で、凄まじいのだと、ローロはつい感嘆してしまう。
「ローロも知っているでしょうけど、【認識阻害】は強力な魔法ではある反面、初対面でない相手には効果が薄いという弱点もあるの」
「大丈夫です。私の友人は一人しかいませんし、この辺りに親戚もいません」
「そう。ならいいんだけど……あとは名前を知っている者の名を、その姿と共に聞いてしまったりとかね」
【認識阻害】は他者の五感──主に視覚と聴覚に与える情報を歪曲する魔法だ。歪曲以前の顔立ちや声音を知っている者には効果が薄い。
特に、世界に名だたる『メフト』なんていう名前は、【認識阻害】を簡単に解除してしまうだろう。
そういうわけでメフトはローロに、二人の関係性について予め考えた設定を伝えていた。
「お嬢様。召使にはちゃんとした言葉遣いをしないとだめですよ」
メフトがローロに向けて恭しく目を伏せる。言葉には気取ったものがあり、なんというか演技っぽい。
なんともいえない胸騒ぎからローロは口をもごもごさせた。
「……これはあまり慣れません。なんだか落ち着きません。メフトさまの主君になるなんて仮の設定とはいえなんというか……難しいです」
「そう? じゃあお忍びのお嬢様とその召使って設定は止めた方がよさそうね。不自然な態度も【気配遮断】を解きうるものになる……いけると思ったんだけど」
意外とあっさり引き下がってくれる。うーん、と品の良い横顔が思案に耽りだした。
やがて、ぴん、と人差指を立てる。
「姉妹ってことにしておきましょう。私が姉で、ローロが妹」
「姉妹……ですか」
「だめ?」
「いえ。大丈夫です」
どの道メフトを『メフトさま』と呼ぶわけにはいかないのだ。『お嬢様と召使』よりは『姉妹』の方がまだローロにはしっくりくる。メフトが姉というのも、それはそれでアリな気がする。
「メフ──」
「ん?」
私の主君がにっこりと、目を弧にする。
「……お、お姉さま」
「なーに?」
メフトは実に嬉しげな笑みになった。
「……これはこれで慣れない気がします」
「さすがに我慢して」
苦笑するメフトが前を向く。練習は終わりらしい。ローロもまた目線を前に。
平野は広い。まだ、街の形すら地平線には浮かび上がらない。旅路はまだ始まったばかりだ。
──そうして一日、適宜休憩を挟みつつ歩き続ければいつの間にか夜だ。
ローロとメフトは焚火を囲んで平野に座り込んでいた。
「明日には街に入るから、よろしくね」
「はい、メ……お姉さま!」
「よろしい」
雨が降る様子もないので、平野の開けた場所に寝袋を広げた二人は、焚火を前に暖を取っている。簡単な夕餉は済ませてあった。本番は明日の、街に入ってからだ。必要なものを買い集める。勿論メフトが世界を牛耳る魔王だと知られるわけにはいかない。自分は完全に完ぺきな妹を演じなければならない。これは重大な任務だ……。
焚火の奥で、女が寝袋の上で寝転がる。街灯りもない暗夜には星々の輝きも遠慮がなかった。空を埋め尽くす瞬きを見上げつつ、メフトは言う。
「……にしても、誰かと買い出しに行く日が来るなんてね。昔の自分が知ったら鼻で笑うと思う」
「想像もしていなかったのですか?」
「ずっとずーっと独りで生きていくつもりだったのよ」
自分は、知らない。
メフトが何故世界を支配する魔王になることを選んだのか。ティアレスの生家、ホルル家の一家全員を殺害したのか。彼女の過去に何があったのか──何一つ知らない。勿論今でも知る機会があるのなら是非知りたいと思っているが、それを教えられるのはメフトからでいいとも思っている。
私達の間にはそれだけの信頼があると分かっているから。
だからローロは、これからの話ができるのだ。
「一人よりも、二人で来た方が沢山買い込めると思います」
「……そうね」
「例えばメフトさまが足をくじいても、私なら背負って歩けると思います」
「あら頼もしい」
「まだまだ私は成長期です。もしかしたらメフトさまより背が高くなるかもしれません。期待株です、成長株だという自信があります」
「ティアレスみたいに見上げるのはちょっと困るかもね」
くすくすと女が笑う。その頬を照らす焚火の灯りが、彼女の笑みに光を紡いだ。
ローロは躊躇わず言える。
「私はきっと、三年を過ぎてもメフトさまのお側にいます」
「……だとしたら、嬉しい」
メフトはローロを騎士に叙任すると言った。三年間、傍にいてくれたら、と。
長いとは思わない。自分にも、彼女にも。現にこの半年間は気付けば過ぎ去っていたのだ。
日々畑を耕し、塀を直すティアレスを眺め、森で山菜を採り、罠を仕掛け、風呂に入って……。そういう時間の積み重ねを、今、メフトと共に出来ることがローロには喜ばしい。
主君と同じように、少女も自身の寝袋に入り込んだ。焚火の勢いは随分弱くなった。
「そろそろ寝ましょうか」
「はい」
土を被せてしまえば、辺りには暗闇ばかりが広がる。目を閉じれば、ぱっと閉じた輝きの残照が瞼の裏に焼き付く。同時に浮かび上がるのなメフトの実に嬉し気な顔。
そうして二人が緩やかな眠りについて。
しかし呪いはまだ嗤うのだ。
◇
──・強制:その女の下に忍び込め
──・忘却:命令実行後、上記命令を忘れよ
◇
・──『?』『?』『?』
目の前に、シャツの布地があった。意味がわからなかった。
自分は寝ぼけているのだろうか。わからない。とても、眠い。その眠気に従って額を……顔をシャツの布地に押し付けると。
布地の先にまた別の布地。そして薄らと柔い感触。
その奥に、骨の存在。──これは胸骨だ。
「んん……」
そして眠気に浸る声音は頭上から。
ローロの思考が一気に覚醒状態へと移行していった。
「あ、あれ」
なんで。自分はなんで。どうしてローロ・ワンの体がここにある、なぜメフトの寝袋の中にいる?
わからない。わからない。わからないけど、
辺りは暗い。深夜だ。そして当然、一つの寝袋でもぞもぞと動く者が居れば、もう一人も目を覚ましてしまう──。
「……ローロ? どうしたの……?」
「ご、ごめんなさい。私……寝ぼけてたみたいです」
「…………んー」
寝起きだというのに、その眠りを妨げられたというのに、頭上から聞こえるメフトの声音には不快が欠片もなかった。
ローロは茫然としたまま、だけど思い出す。ティアレス曰く、メフトは自分の体に触られるのを嫌がるらしい。
「あの、出ます」
「……しかたないなあ」
頭上の声は、緩くて、甘い。
「ごめんなさい……」
「いいの」
そのままローロの背にメフトの両腕が回される。狭い寝袋の中、抱きすくめられたローロは身動きもできない。
ぽつりと女が呟いた。
「あなたを……産湯で洗ったこともあるんだから……」
産湯。生まれたばかりの赤子を洗う行いのこと。
どういう意味だろう?
言葉の通りなら、彼女は、私が生まれた頃を知っていて……。
◇
──・強制:忘却せよ
──・おまえが知るべきことじゃない
◇
そのうちメフトの穏やかな寝息が聞こえてきて、ローロは寝袋から抜け出ることもできなくなってしまった。首筋を垂れる汗の感触は季節外れで、だというのに、傍には温い熱源。身じろぎ一つしないようにと耐えていたローロだったが、やがて全ての制御機構が眠気に抗えなくなり。
──メフトの体は、心地いい熱がわだかまっていた。
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