1921年2月12日14時56分2秒は今から2年と4か月後である

「それはそこの脳足らずアホぽんこつアホアホ野菜嫌い駄メイドに聞いて」


 春が来て、春は終わり。

 夏が来て、夏が終わり──秋がもう始まろうかという時期。

『国民なき国』という通称で呼ばれる土地は、紅葉の色づきが濃くなりつつあった。あれだけ激しかった日差しは随分と大人しくなり、風には冷たいものが交っている。平野を覆う草原は枯れた色合いが増えつつある。

 そして『国民なき国』にある唯一の建造物……廃城では、今、女同士の諍いが起こっていた。


「まだ終わらないの?」

「………………」


 詰問する調子の声音と共に、自身より背丈の高い女をじっと見つめているその女は名をメフトと呼ぶ。はっきりと自分の意思を伝えられそうな目力を思わせる二重瞼に、病的な白い肌と、つるんとした黒髪に細い体つき。『国民なき国の女王』と呼ばれる人物であり、世界中の国家に対して不平等条約を結び世界を支配する、史上最強の“魔法使い”──魔王その人である。

 対してもう一方の女は名をティアレスと呼んだ。当代最強の実力を持つ“騎士”であり、個人の趣味嗜好として侍従の服装を好んで選ぶ、真っすぐな背筋が高い背丈に映える凛々しい顔立ちの人物である。


「だ、だいたい八割は終わったんだぞ」


 ティアレスは言い訳じみた言葉遣いをした。彼女の後頭部で一つ結びにされた金髪は、子犬の尻尾みたいに頼りなくそよ風に揺れている。


「『まだ八割』の間違いでしょ」


 メフトの冷え冷えとした視線がティアレスの背後へと向く。

 そこにあるのは作りかけの塀。作った者の腕が悪いのか、塀を構成する石の削りは甘く、壁面は凹凸だらけだ。はっきり言って見た目は非常に悪い。


「あなたが塀を壊して半年以上経ってるんだけど」


 ティアレスは本名をティアレス・ティアラ・ホルルと言う。

 ホルル家という有名な騎士輩出の家系の生まれであり、五年前メフトによって一家全員を殺されている。そして、それだけが理由ではないにしろ、ティアレスは今年の春にメフトを殺すため城を訪れた経緯がある。しかし紆余曲折を経て復讐は未遂に終わり。メフトもまた、己を殺そうとしたティアレスを容赦なく殺すつもりでいたが──それもまた未遂に終わった過去の事件だ。

 その際の戦闘によって城が備えていた塀は破壊されている。

 メフトが詰るようにティアレスを責めるのは、ティアレスによって破壊された塀が遅々として修復されないからだった。 


「……仕方ないだろ。塀なんて作ったことないし」

「作ったこともないのに壊すのね。ちなみにあなたが昨日苦手だからって食べ残したニンジンだって作るのに苦労してるのよ。手を動かすのがとろいのはいいけど、せめて塀とニンジンに謝りなさい」

「……塀とニンジン、申し訳ない」

「もーっと思いを込めなさい。塀もニンジンもあなたより格上なのよ」

「塀さんニンジンさん、本当にごめんなさい!!!!」


 かつて殺し合いを繰り広げた二人は、こうして会話を出来る程度の関係にはなったものの……二人の関係は劣悪極まるものだった。


「あ、謝ったぞ」

「なーに? そんな怖い目をしながら謝っても意味ないんだけど」

「……クソ魔王が」

「はー?」


 メフトが実にわざとらしく自身の両肩を抱き寄せ、妙に女々しい仕草をする。


「ああ嫌だ嫌だ、昔からティアレスってそうやってムカつくことがあると黙り込んで睨むのよね。あー怖い怖い。今日にも殺されそう。私はこの城の主なのに、壊された塀が直るのを見ることもなく死ぬのねー」

「うるさいぞ貴様ッ! 私は細かい作業が苦手なんだ!」


 ──メフトのちくちくした言葉に耐え切れず、ついにティアレスがキレた。


「そうよね、あなた昔から掃除くらいしか出来ない残念メイドだったものね」

「おいおい掃除が下手くそなメイドに自分で作った恥ずかしい布団の染みを洗わせた女はどこのどいつだ?」

「……へえ。それ、もしかして私の話? まったくこれっぽっちもそんな記憶ないんだけど」

「なんだ貴様。るか?」

「なーにあなた。るの?」

「……」

「……」

「……」

「……」


 ついに黙り込んでしまった二人は、その表情に明確な殺意を乗せて睨み合った。凄絶を極める眉間の皺の深さは双方共に険しく、このままでは二人とも、将来は深刻な美容問題に悩まされることだろう。

 ──と。いよいよティアレスが魔力を放出しかけた頃。


「お二人ともー、休憩にしませんかー」


 城の玄関扉を開けつつ二人へと掛けられる声が一つ。

 その声音には尖りがなく、非常に滑らかな少女のそれ。二人の表情から憎悪が失せ、同時に声の方を向いた。

 快晴の日差しを受けて光り輝く銀の長髪は、少女の身長の1.5倍はあろうか。それを彼女は非常に複雑な髪形で纏めることで背中の中ほどで流すことに成功している。

 白磁の陶器にも似た白い肌は未だに日焼けの気配はなく。また淡い紫色の瞳は日々の生活の中でも極めて特異に美しい。

 誰もが目を引く可憐な乙女がそこにいた。


「メフトさま。葉物野菜の種まき、おわったみたいですね。お疲れ様です」

「ええ。まあ」


 少女の名をローロ。ローロ・ワン。

 目下魔王の騎士であることを目指し、メフトと共に生活する16歳の少女である。


「ティアレスさま。今日も塀を直していただきありがとうございます」

「ぐ、む、まあ……うん」


 三人の中で最も背が低いローロだが、二人の年上の女を見上げる眼差しには真っ直ぐな尊敬が含まれている。

 やや無感動さが目立つ声音は、だからこそ余計に二人の大人に冷静になることを選択させた。


「けっ……」

「ふんっ……」


 二人が何やら劣悪な舌打ちと共に顔を逸らし合うので、ローロは小さく溜息を吐いた。


「またですか……」

「またってなんだ、またって」

「そうよ。それじゃ私とティアレスがいつも喋ってるみたいに聞こえるじゃない」


 それ、事実ですよね。

 今年の春。ティアレスの復讐が未遂で終わり、彼女が初めて城に来てシチューを作ってからというもの、一向に二人の関係は良くならない。ローロがどうにか取り持つことで何日かに一度、夕食を共にする程度に顔を合わせられるようになったものの、二人きりになった途端すぐに口喧嘩を始めてしまう。

 いや。口喧嘩だけで留まるならまだ良い。

 この二人は国を……ひいては世界を個人で壊せる領域にある。

 メフトには超光速域で発動可能な対象規模不問の殺傷性魔法【終末魔法】があり、ティアレスには極め過ぎてしまった結果として極超音速まで加速可能な【強化】魔法がある。

 この二人が本気で衝突すればそれだけで城は消滅するのだ。──きっとそんな事は起きないと、ローロは二人を信じているが。


「なぜメフトさまはティアレスさまと仲良くできないのですか?」

「それはそこの脳足らずアホぽんこつアホアホ野菜嫌い駄メイドに聞いて」


『脳足らずアホぽんこつアホアホ野菜嫌い駄メイド』の方を見上げた。彼女は唇を尖らせて拗ねている。


「……なぜティアレスさまはメフトさまと仲良くできないのですか?」

「ふん知るか。性悪ねちねち陰険ドケチ根暗魔王が悪い!」


『性悪ねちねち陰険ドケチ根暗魔王』の方を見上げると、彼女は青筋バキバキの笑みと共にティアレスへ中指を立てていた。


「ローロ。君はやっぱり騙されているんだよ。そうだ、うんそうに違いない。あんな邪悪な魔王に仕えるのなんてやめた方がいい。私と一緒に暮らそう、あんな女放っておいて!」


 突然ティアレスがローロの両肩をがしっと掴んで、熱心な言葉遣いをしだす。ごつごつした彼女の両手は大きく、丸くて小さいばかりのローロの肩をすっぽりと覆ってしまう。


「ちょっと。なに勝手なこと言ってるわけ?」


 少女が困惑した様子で何を言うべきか悩んでいると、ティアレスに食ってかかったのはメフトの方だった。珍しいことに彼女はむっとした顔をしている。


「ローロは私の……」


 その勢いで口を開いて──だけど急に黙り込んだ。

 言葉の続きを、ティアレスと共にローロは待つが……彼女は『しまった』と言いたげな顔で口を噤んでいる。


 ・──『私の』『私の』『なんだろう』


 わからない。でも、知りたい。

 耐え切れずローロが口を開いた。


「わ、私の……。私はメフトさまの何ですか?」

「…………私の騎士見習いだから。そうやって勧誘されるのは困るの」


 ぷいとそっぽを向いたまま、メフトがぼそぼそと呟く。騎士見習い、かあ……。

 妙に気弱な態度にか、ティアレスが小さく口端を緩めた。


「メフト、お前相変わらず肝心なところでヘタレだよな。はは」

「…………それでは聞いてください。メフトで、下手くそな歌。『わったしがー、りーそうのき」

「貴様を殺す────ッ!!!!」


 ああまた始まってしまった。

 これでは火の点いた導火線だ。彼女たちは火薬庫だ、爆弾だ、赤い布に勝てない闘牛なのだ。

 ローロはとてつもない罵詈雑言が飛び交う口喧嘩を見上げつつ、嘆息と共にこの半年間の出来事を振り返る。


『ティアレスあなた料理作れたの?』

『お前よりは作れるが?』

『へー』

『ああ?』


 まず最初に、ティアレスがシチューを作りに来た時から二人の仲は良くなかった。


『ティアレス。あなた、そろそろ塀を直しなさい』

『……なんでお前の城の塀を直さないといけないんだ?』

『へえ、そんなこと言うんだ』


 塀を直すのをティアレスが認めるまでも大変だった。


『ローロ! また鹿を狩ったんだ、肉はいるかい?』

『ちょっとちょっと。あなたね、勝手にローロを餌付けするのはやめてくれる?』

『おいおい。いつからローロはお前のペットになったんだ?』

『は? なーにそれ、そんなつもりないのに少し考えが邪悪すぎない?』


 とにかく。事あるごとに。二人は衝突を繰り返した。

 ──だいたい仲悪いなこの二人。


「なによ」

「なんだよ」

「は?」

「お?」

「ふーん?」

「へえ?」

「……」

「……」

「……」

「……」

「──わかりました。わかりましたから、そうやって黙り込むのはやめてください」


 この二人に仲良くしてもらいたいという願いは一生叶わないかもしれない。 

 とはいえ二人ともローロの大事な人である事に変わりなかった。二人にはせめて穏やかな雰囲気で会話ができるようになってほしいと思う。


「メフトさまは何故いちいちティアレスさまに突っかからないと気が済まないのですか? そういうところは私、あまり尊敬できません」

「ぐっ……」

「ティアレスさまは何故毎回メフトさまの挑発に乗ってしまうのですか? 私の理想の騎士さまはもっともっと聡明で素敵な人だと思ってました」

「うぐぐ……」

「私の素敵な主君と、私の理想の騎士さまにはもっと仲良くしてもらいたいと思います。お二人とも私の尊敬する人達です。きっとメフトさまもティアレスさまも立派な大人なのですから、仲直りくらい簡単にできるはずです」

「くっ」

「ムム」


 メフトもティアレスも、ローロより5歳は年上である。この場では未成年の少女が最も論理的かつ理知的だという事実に、さすがの二人も多少の冷静さを取り戻しつつある様子だ。

 あと一押しだな……。ローロ・ワンの判断機能は少女に次の行動を促す。

 一歩前へ。

 強く、二人を見上げる。


「さあ、ほら、握手を。仲直りの握手を!」

「く、くそ、──メフト!」

「わ、わかったわよ……もう」


 押しに弱いティアレスがその青い瞳をぐるぐると回しながら、隣のメフトへと手を差し出す。そしてメフトも勢いに巻かれる格好でその手を掴んでしまっていた。


「仲直り……できたよな……!?」

「ええ……たぶんね……!」

「掌がバチバチ痛いんだが!? 魔法使うのやめろ!」

「林檎潰せそうな怪力で握ってくるのは誰……!?」


 二人がヤケクソ気味の笑顔を顔に貼りつかせているのを見て、ローロは満足げに頷いた。


「ティアレスさまもメフトさまも汗をかいているようですし、休憩よりも三人でお風呂に入りましょうか」

「えっ……ティアレスと?」

「まさかメフトと共にか?」

「はい。きっともっと仲良くなれるはずです」

「……」

「……」


 絶対に嫌だ……と悲愴な顔だけで物語る二人に気づかず、ローロは先に風呂場へと歩き出した。

 



 ◇



 

 少女が魔王の騎士になりたいと願った春の激闘から、半年以上が経過していた。

 孤独を望んで選ぼうとするメフトとの生活はあと数か月で一年にもなる。彼女の騎士になりたいと願うローロの側には、理想とする騎士が、ティアレスが居てくれる。

 二人は強い。

 時に険悪だったとしても、尊敬できる気高き人達。

 三人で過ごす春は全生命が喜びを謳歌する歌声で満ちていた。

 三人で過ごす夏は暑さの中にも豊穣の息吹があった。

 三人で過ごす秋は――この城で過ごす秋は、きっと楽しいものになるはずだ。


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