「致命的なのは最初のことです」



 メフトが城を後にしてから3日後のこと。

 ローロが庭に備えられた物干し竿に洗濯物を広げて終え、空の青さに目を細めていると、「おーい」と声を掛けられた。

 やや低い声質。『国民なき国』と呼ばれるこの小さな国において、メフト以外にローロへ声を掛ける者など今のところただ一人しかいない。

 音源のあった正門の方を見る。門の向こうに、ひらひらと手を振るメイド服姿の女が居た。──ティアレスだ。森の管理人。城の裏手に広がる森の中で野営生活をしているというのに、不思議と彼女の衣服には汚れ一つない。紺色のロングワンピースと同じ丈の柔らかな白のエプロンは、今日も過剰でない程度に優雅だ。


「こんにちは。ティアレスさま」

「やあローロ、こんにちは。おっと、仕事の邪魔をしてしまったかな」

「いえ。ちょうど一息ついたところです。どうかされましたか?」


 長身の女はその言葉を待っていましたと言わんばかりに、得意げに腕を組んだ。


「ローロ、鹿を狩ったんだが肉はいるかな?」

「お肉ですか」


 この城での生活において、肉は貴重品だ。畑から収穫できる野菜や森で採れる山菜とは違い、(今まさにメフトが買い出しに出かけている)遠くの市場までいって保存の効く加工肉を買うか、森で野生動物を捕らえるしか入手手段が無い。


「いいんですか?」

「もちろん。先日のパンのお礼だ。や、久々に柔らかいパンを食べられて感動したよ」

「なんだか私の方が多く貰ってしまうように思えます」

「はは。いいんだ、ローロは育ちざかりなんだから肉をたくさん食べた方が良い」


 その、凛とした真っ直ぐな背筋がよく映える長身は、お肉をたくさん取れば得られるのだろうか。


「よし。じゃあ野営地まで来てくれ。剥皮まで済ませてあるから、あとは枝肉に分割するだけなんだ。お好みの部位をあげるよ」

「おお……」


 ローロは一旦城に戻り、清潔な布を何枚か持ってティアレスの生活拠点に向かう。先に戻っていたメイド服姿の女は、複数の木材を組み合わせた門構えに吊るしてある鹿(とはいえ皮まで剝いであるので肉の塊)を自前の剣ですぱすぱと切断していた。


「切れ味がいい剣ですね」

「ん? ああ、魔法を使ってるよ。さすがにこの手の武器が狩猟に適することはないから、動物を捌けるようにね。ナイフでも持ってこればよかったんだけどなあ、はは」

「……」


 恐らく剣に【震動】や【水弾き】といった切れ味を落とさない魔法を付与しているのだろう。特に、肉の脂が付着するのを防げる【水弾き】はこういった場面で重宝するが、残念ながらローロには魔力総量の問題で扱えない。決して使えないわけではないが、付与できる範囲が非常に狭まる。


「うん、もも肉が美味しそうだな。お、肩肉も引き締まっていて美味しいぞ。ここも、あとは腕肉も持っていくといい」

「……ほとんどを私がもらう形になってしまうのですが」

「いいんだ。一人じゃ食べきれない」


 自分もメフトも小食なのだが、干し肉にするなどして加工すれば日持ちはするか。──そこまで考えて、ローロはふと不思議に思う。

 ティアレスとて肉は貴重だろう。食べきれない分は保存食にすればいいはずだ。なのに、ティアレスが布に包んでローロに渡そうとしている肉の量は、どう見てもティアレスの取り分が減りすぎる。彼女の、今日の献立に使う以上を不要とみなすものだった。

 まるで、もう食事は不要だとても思っているみたい。

 小さな疑問だ。

 わざわざ訊くほどのことでもないか。それに・・・ロー・・ロは・・もう・・確信・・して・・いる・・


「ローロはどうしてメフトのそばにいるのか、聞いても?」


 肉を適度な大きさに解体しながら、ティアレスが唐突に訊いてくる。

 ローロは素直に答えた。


「私、騎士になりたかったんです」

「騎士に」

「生まれた国の騎士団に最初は入ろうとしたんですけど、試験に落ちてしまって。そしたらこの国でメフトさまに仕える騎士としてなら推薦できると言われて……契約書にサインして、ここへ」

「ああ、あの契約書。諸外国はあんなものをまだ使っているんだな。くだらない。児戯を真に受ける国があるのなら、世も末だ……」


 ティアレスも契約書の内容を知っているらしい。鼻で笑うと、冷ややかな声音で呟く。


「ティアレスさまは、メフトさまに仕える騎士、だったんですか?」

「君が言うところの騎士とは忠臣オヴィディエンスのことだろ?」


 1900年代において騎士は二通りの意味を持つ。

 戦略兵器として国が擁する“騎士”と、古来より主君に仕える者として存在した騎士階級だ。前者の意味合いとして用いられることの多い言葉として定着しているため、後者の場合は騎士階級オヴィディエンスと分けて呼ばれることが多かった。


「厳密には違うが、まあ似たようなものか。──ああ、そうだよ。私は五年前までメフトの騎士をして、メフトの側にいた」

「五年前」


 それはメフトが【終末魔法】によって各国代表者を同時刻に殺害し、世界大戦を止めた頃だ。また、世界を支配した頃でもある。

 ちなみにまったくの偶然だがローロの母親が死んだのも五年前だった。


「というと、メフトさまが世界を支配した時ですか」

「それ以前の出来事になるが……」


 ふいにティアレスは口を閉ざす。喋りすぎたと思い直したのか、それともキリのいいところで解体作業が終わったからか。

 布に包まれた肉を、女はローロに手渡す。大量の肉はローロが両腕で抱えきれる限界量だった。 


「はい、新鮮な肉だ。食べきれない分は干し肉にでもするといい。今夜はごちそうだな?」

「ありがとうございます。今日の夜にはメフトさまも帰ってきますので、お礼に伺います」

「ああ。そうだな。じゃあ待っているよ」


 なんてことないように。

 本当に努めていつもの調子を維持しながら、ティアレスは笑っていた。




 ◇




 淡々と日々を生きていくということ。

 二週間もすると目を引くような出来事というのは早々起きなくなるものなのだと、ローロは身に染みて理解している。それは同時に目を引く出来事がより強い印象を伴って記憶されるという意味でもある。

 畑を耕し、種を植え、水を撒く。

 洗濯物を洗い、干して、修繕する。

 道具を手入れし、不足したものを偶に買い出しに行く。

 そんな中で──森の中で出会った彼女のことは、ひと際大きな出来事だったと言える。


「……」


 だから、ローロは最初から違和感の塊だと感じていたのだ。

 ──同日の、夜。つつがなく食事を終え、風呂を澄ませたローロは、腰に剣を挿して城の門へと向かう。 

 門を越え、月明りを受けてただただ広がり続ける平野をゆっくりと見回した。

 誰もいない。いるはずがない。だが……。


「ティアレスさま、メフトさまが帰ってくるのは遅くとも明日の夜なんです」


 ローロの声に反応する者はいない。


「ティアレスさまは──森の管理人、などではありませんよね」


 少女は気にせず続けた。


「致命的なのは最初のことです」


 初めてティアレスと出会った時。熊に襲われかけたローロを救った彼女との会話を──特に去り際のものを、ローロは完全に覚えている。


『じゃあ、同僚ってことになる、のだろうな』

『はい。そのようです』

『……とにかく今日はもう城へ帰るといい。私も、これで失礼する』 


「私は確かにメフトさまに仕えているとは言いましたが、城からやって来たとは一言も伝えていません」


 ティアレスは、ローロが城から森へ向かうのを見ていたのだ。そうとしか言いようのない違和感を、当初からローロは抱いていた。


「ティアレスさまはメフトさまの動向を監視していたんです」


 ローロは更に思い出す。共に風呂に入っていた時の会話だ。


『なら、いつかメフトさまは私にお教えくださるのでしょうか』

『メフトはそこまで意地悪なやつじゃないよ。君と過ごしていた二週間、そうだったはずだろ』


 彼女は、ローロが城へ来てから二週間経過していることさえ言ってみせたのだ。当然ローロは自分がいつから城に滞在しているかなど、一言も伝えていない。

 あまりにも隙を見せすぎるティアレスが何を考えているのか、ローロは本気で分からなかった。

 わざとなのか? 

 それとも……嘘が苦手なだけ? 

 今でも理解できない部分は多い。だけど、おおよそ断言できる部分はある。


「……推測になりますが、断言したいと思います。──そんな人が、森の管理人であるはずがありません」


 ひとつは、彼女が森の管理人などという役職に就いているのは、嘘だということ。

 もう一つは──。


「あなたは……メフトさまに害意を持って接近しようとした、“騎士”です」


 しんと静まり返った夜の平原。雲はなく、白銀の月光が透き通らせる闇の下。

 人気は絶え、ただ一人ローロが立つだけの世界に──。

 唐突に。


「……やれやれ。まさか君に釣られるなんてな」


 ローロの視界中央数メートル先。

 さめざめとした青の瞳をした、長身の女が虚空から現れた。 


「【気配遮断】の魔法は完璧だったと思うんだが。まあ、落伍者の私にできる魔法など、たかが知れているか……」


【気配遮断】……他者の視覚情報を阻害する魔法。

 ティアレスは隠れていたのだろう。

 誰かを待っていたのだ。その、待っていた人物が来るまで、姿を晒すつもりはなかったのだ。そして待ち構えていた人物がローロでないことは明確で。


「……騙すつもりもなかった。というかそもそも、本当は二週間前には城へ乗り込むつもりだったんだ。あの日のうちに、メフトの下へ向かう予定でいた」


 だが、メフトへと先にたどり着いたのはティアレスではなく──ローロだった。

 少女を見つけてしまい、ティアレスは戸惑ったのかもしれない。彼女の目的には明らかな障害で、だけど手を出せなかった。


「だけど、できないだろう? ──打ち倒すべき相手の隣に、君みたいな女の子がいたら」


 自身の不器用さを隠すことさえできない女性ひとが、不出来な笑みで唇を歪めている。


「ティアレスさま。──あなたは、私の」

「──それ以上を言うな。君が口に出すべき言葉じゃない」


 笑みを引っ込め、殊更に冷えた口調で紡ぐ女。

 彼女の手が腰の長剣に触れた時、反射的にローロも右手を自身の剣に向けていた。


「君は、弱くて、守られるべき存在だろ。それでも相対するというのなら、……はは、残念だなあ」


 ローロはティアレスという人物の実力について多くを知らない。だが、彼我の実力差に圧倒的な違いがあることだけは分かる。

 亜音速までの加速を許す【強化】魔法の使い手。

 他にも戦闘を有利に進める幾つもの魔法を扱える、間違いなく実戦経験のある“騎士”。 


「私は君と戦わなければならないな、ローロ・ワン」


 戦略兵器級の強者が──その目から一切の情を廃し、長剣を鞘から引き抜く。

 月光を受けて鈍く輝く剣身を中段に構え、躊躇いなくローロを見据えた。 





「私はティアレス。

 ホルル家の最低愚作・・・・、ティアレス・ティアラ・ホルル。

 私には全生を賭してでも成すべき復讐がある」




 どちらが強者で、どちらが弱者かなど、歴然としている。

 ローロにはティアレスの振るう魔法の大半が扱えない。扱えるだけの魔力総量が無い。

 しかし引き下がるわけにはいかなかった。

 少女には守るべき主君が居る。だから、直剣を鞘から引き抜き、同じように構えた。


「──だからッ、魔王を殺しに来た!」

「──なら、私はあなたと戦います」



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