「なっなんで入ってくるんだ!」
翌朝。城門の前で、ローロはメフトを見送っていた。
門の先に立つメフトが、徒歩の旅に必要な準備を終え、「よし」と頷く。
「じゃあ、行ってくるから」
「どうかお気をつけて」
「なーに、心配してくれるの?」
くすりとメフトが微笑みを浮かべた。昨日とくらべて幾分柔らかい表情。
「別に戦場へ行くわけじゃないんだから大丈夫よ。変装の魔法だって使えるし」
ほら、こんな風に──そう言いつつメフトが何らかの魔法を発動させる。メフトの容姿は先ほどまでと変わらない細身の美貌だというのに、どうしてかメフトその人だという認識に至らない。発言通りなら【認識阻害】だろう。高難度の部類に入る魔法であり、これだけでメフトの技量の高さが分かる。
大きなサイズのリュックを背負い直し、メフトは静かに言った。
「……じゃあ、行くわ」
「はい」
「……」
頑丈な旅向きのブーツを履いた主君の足は、何故だか翻って歩き出さない。
ただただじっとローロを見つめて離さないメフトの瞳に、少女は小さく首をかしげてしまう。
「メフトさま?」
「ローロが来て、もう二週間経った」
唐突に。
だけどひどく穏やかな声音で。
「……私達はそれなりにうまくやれてると思う。世界を牛耳る悪い魔法使いに、あなたはよく尽くしてくれている」
「はい」
「私と、あなた。私達の生活はこの城に根差している。そうよね?」
「間違いありません」
まるでローロの首肯を期待していたと言わんばかりに、メフトの表情に変化が生まれる。
「なら……頼まれてくれる?」
それは、具体的な表現が難しい表情だ。
だけどローロは明確に感じられた。
彼女は私が頷くことを、祈っている。
「私達の日常が息づくこの城を、どうか守って」
ローロは、考える。
メフトの様子は明らかにおかしい。二週間の間に、このような頼みをローロにすることは一度もなかった。明確でない指示はつまるところメフトの想いが比重として強いということだ。
曖昧な願い。
原因があるとすれば──昨日の夜、自分が唯一扱える魔法を見せてからだ。
メフトの、ローロを見下ろす瞳には、それまではなかった何かが潜んでいる。
・──『私とメフトさまには』『何かが』『ある』
直感だった。
だけどきっとそうなのだろうとローロも思う。
メフトはローロの知らない『ローロ・ワン』の何かを秘めている。そしてそれを、ローロには伝えられない理由がある。
「……」
少しだけ、少女は悩んだ。ひどく短い時間の中で重ねた思考は、だけど最初から結論は出ていたのだ。
──メフトさまに、主君に、応えたい。
「それは、拡大して解釈するなら、メフトさまを守るということですか?」
「……、……ふふ。そーいうことかもね」
少しだけ言葉に詰まったメフトだったが、すぐにいつもの調子を取り戻していた。
彼女の、病的に白い頬は薄らと赤い。
「じゃあローロ。──私を守ってくれる?」
「もちろんです」
「……その言葉が聞けて良かった」
メフトは今まで見たことがないくらい、にっこりと笑った。
「すぐ帰ってくるから。お土産、期待してて」
そう言い残して魔王は門を離れる。
彼女の姿が地平線の先に消えるまで、ローロはその場から動かなかった。
◇
メフトが戻ってくるまで最短でも4日はかかるだろう。それまでローロは久方ぶりに、一人の時間を過ごすことになる。
とはいえやるべきことは大して変わらない。畑仕事をして、道具を直し、洗濯物を干し、食事を取る。
……しいて言うなら、少しだけ普段とは違うこともしているが、それは──。
「こんにちは、ティアレスさま」
「ああローロか! やあ、こんにちは」
城の裏手にある森の中。以前、熊に襲われた付近にはぽっかりと開けた平野の部分があり、そこにはテントが張られている。
ローロはテントの脇で焚火に当たっている女性に近寄る。
快活な笑顔で出迎えてくれた女の名をティアレス。ティアレス・ティアラ・ホルル。なぜかメイドの格好をして森の管理人を自称する、帯剣している“騎士”だ。
「ここがよく分かったね」
「ティアレスさまが以前こちらの方に去っていったのを覚えていたんです」
「なるほど。ローロは賢いね」
女の柔らかな髪質をした金髪が、後頭部で一つ縛りに結われて小さく揺れている。
そんなティアレスにローロは布で包んだパンを渡した。
「以前助けていただいたお礼です。大したものでなくて申し訳ないんですが、受け取ってください」
「む。はは、律儀だなローロは。礼なんて良いんだが……すまない。恩に着る」
「ここが家ですか?」
「拠点だよ」
「おお」
「……しかしこんなに頻繁に森へ来てしまうと、メフトは怒るんじゃないか」
「『メフト』……」
少し。
少しだけ、ティアレスの慣れた呼び方にローロは小さな棘を覚える。ちくりと刺された胸の痛みは幻想でしかないというのに。
「呼び捨てなんですね」
「昔馴染みでね。そうでもなければ世界中を支配下に置く魔王の領地管理なんて仕事、引き受けないよ」
「メフトさまの過去をご存知なんですね」
「それなりに」
密やかな口調だった。
隠すことを隠さない物言いに、ローロの中で小さな炎が燃え出した。
焚火を挟んで、ティアレスの対面に座り込む。
「──少し、お話、しませんか?」
「ああいいよ。ふむ、……はは、とはいえ私は君のことを全然知らないな。歳は?」
「16歳です。ティアレスさまは?」
「21歳」
「メフトさまのいっこ下……」
ああそうだ。と、くすぐったそうに笑うティアレスが、焚火の奥でその青い瞳に興味の色を宿す。
煌々と輝く青の眼はローロが『かちん』ときていることなんてきっとわかっていない。
「メフトはどうしてる?」
「メフトさまはしばらく城にはいません。買い出しに行っています」
「そうかい。丁度用事があったんだが……ふむ。ではしばらくここで待つとしようか」
「用事?」
「なに、大したことじゃない。つまらないことだよ」
「つまらないんですか?」
「つまらないさ。所詮は私とメフトの間の、ほんの小さな出来事でしかない」
また……誤魔化されている……。
「……さて。ローロ、そろそろ君は帰る頃合いだ。あんまりこの森に長居するもんじゃない。送るよ」
「ありがとうございます」
有無を言わさぬ口調だった。──また、拒絶。
結局大したことは聞けないまま、ローロはティアレスに連れられて城へと戻ることになる。
さて。そのようにして崩れてしまった塀──森と繋がる城の境目──に来た時、ローロはふと思い立った。
「……よければ城に来ませんか?」
「?」
「城には温泉があるのですよ」
「はあ。温泉が」
「ええ。温泉があるんです」
「……?」
ローロが思うに、ティアレスはメフトほど硬直な態度を示す人物ではない。
少しだけ欲求が高まるのを少女は感じていた。
『知りたい』という思いだ。誰も彼もが口を閉ざすなかで、少しでも何かを得たいと。
「あー。ああ……うん、そうだな。じゃあ、お言葉に甘えて」
そんな少女の想いが通じたのか、ティアレスも頷いた。
◇
ローロはティアレスが浴場へ行き、「うわすご」などと呟いているのを聞き届けてから、自身も服を脱いで同じく風呂場に直行した。
「──なっなんで入ってくるんだ!」
「え……」
湯気がもうもうと立ち込める城地下の浴場。先に浴槽で体を解しきっていたティアレスが、ローロの登場にうろたえている。
「同性なんですから気にする必要はないと思うんですが……」
ローロは浴槽に首まで浸かってしまった女に言い返す。なぜかティアレスはこちらを見ようとしない。
「いや気にするだろ」
「???」
ローロからするとティアレスの言動はさっぱり理解できなかった。
毎日メフトと同じ時間に風呂を済ませているのだ。同性の裸体を見てもさして思うことはない。しいて言うなら、メフトの肢体はほっそりとしていて、ティアレスのそれは少し筋肉質だな──という程度のこと。
「だめだだめだ、君が入るなら私は出る!」
そうは言うものの、不思議そうに首をかしげている少女が脱衣所へと向かう道を塞いでいるせいか、ティアレスはううっと怯んだ様子でまた顔を赤くする。
「…………で、出たいので、そこをどいてくれないかな。立ち上がれないんだが……」
「え、いやです」
「ええ……」
もう服を脱いでしまったし、髪も解いてしまった。凄まじく長いとメフトから言われたこともある少女の髪の長さは、自身の身長の1.4倍近い。一度髪形を崩すとそれだけで直すのが手間なのだ。ここまできたら、ゆっくりとお風呂に浸かり、疲れを癒したいと思う。
「あ、ああー……いたいけな少女と同じ風呂に入るなんて……私はこんなことをしている場合ではないのに……」
そういうわけでローロがティアレスの少し隣で腰を落ち着けると、女はぶつぶつと何事かを呟いていた。一体ティアレスはどうしてしまったのだろう。こんなこと、毎日メフトと繰り返している日常だというのに……。
湯脈をそのまま引っ張ってきているという温泉は、実に心地よいとローロは思う。決して熱くはなく、だからこそゆっくりと浸れる湯温。体の芯まで暖まっていく心地よさに包まれながら、ローロは隣の女に聞いてみることにした。
「ティアレスさまは──メフトさまと、何かあったんですか?」
言葉の意味をどう捉えたのか。
それまで落ち着きのなかったティアレスが、(決してローロの方は見ないようにしながら)殊更静かな声音を使う。
「別に、おもしろい話でもないよ」
「……そうですか」
知りたいと思ったことをごまかされる。はぐらかされる。明らかに『何か』を抱えている二人は何をやってもローロに真実の一かけらさえ見せてはくれない──とても、とっても、不服だ。
「ティアレスさまも教えてくれないのですね」
「おや。怒ってるのかな。はは、君はそんなふうに怒るのか」
「よくわかりません。私の周りにいる人は、みんな何も喋ってくれません……」
「……それはねローロ。君を蔑ろにしているわけじゃなくて、──そうだなあ」
ティアレスの髪をかき上げる仕草。湯の滴がすっきりとした鼻筋を流れ、艶やかな唇を覆う。明瞭な青い眼差しは浴場を包む白い湯気の更にその奥を見つめているように、遠い目をしていた。
「言葉にできないんだ。私も、きっとメフトも」
少女の言葉がどの方向を向いてのものか、ティアレスは理解しているのだろう。彼女は諭すように優しい笑みを横で浮かべている。
「深すぎる情念は一節程度で終わるような言葉にはならないよ。私はあんまり頭も良くないし、家じゃずっと役立たずって言われてきたしな」
「そんなことないです。ティアレスさまは私を助けてくれました」
「はは、ありがとう。……だけど事実さ」
──ろくでもない生き方しか出来ないから、ここにいる。
誰を侮蔑しての独り言でもないようにローロには思えた。少なくとも、ローロと、メフトに対してのものではないと。
「なら、いつかメフトさまは私にお教えくださるのでしょうか」
「メフトはそこまで意地悪なやつじゃないよ。君と過ごしていた二週間、そうだったはずだろ」
「……」
「いつか時が来る。君が望む限り、応える日が来るさ」
「だったら、私は待ちます。……待てると思います」
「うん。いい返事だ」
ティアレスがにこりと笑う。ローロもまた頷いた。
「しかしまあ、いい湯だなあ……メフトのやつ、こんないい温泉に毎日入れてるのか。少し羨ましいな」
「あ、思い出しました」
「?」
「そろそろ洗濯物を取り込まないといけません。ティアレスさま、私は先に上がりますね」
「ってうわー! 急に立つんじゃない!」
いきなり大声を上げたティアレスが全力で顔を背け、更には顔を両手で覆った。ばしゃん! と弾ける水しぶき。見れば耳まで真っ赤にしてティアレスは俯いている。
「みえてる……みえてるから……」
「?」
この人、たまによくわからないな。
そう思いながらローロは浴場を後にした。
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