「私でも一応魔法は使えます」
城に戻ると、炊事場へローロは直行した。時刻は昼時、今ならメフトはそこにいるだろうと考えての行いだった。
炊事場は煉瓦造りのかまどをこしらえた立派なものだ。城というだけあって広々としていて、ここでなら沢山の料理を作れるとローロは思う。
かまどの前で丁度火を熾し終えたのだろうメフトが、その炎の揺らめきをぼんやりと見つめている。簡単な長衣の上からエプロンを着、後頭部で艶のある黒髪を纏め上げている。光を吸い込むような黒い瞳は炎に照らされ、宝石のようにも見えた。
「ただいま戻りました、メフトさま」
声に、メフトは首を巡らせる。立ちあがった女は調理の支度を進めつつ言った。
「おかえり。怪我はなかった?」
「はい」
「ならよかった」
元々ローロの安否については大して気にしていなかったのだろう。実際、ローロは五体満足で今この場にいるのだから、メフトが気に病む要素は何一つない。
……言うべきだろうか? ローロは思考を巡らせる。採ってきた山菜をメフトに見せ、保存処理やすぐ調理に使うかの指示を受けつつ、更に考え込む。
熊に襲われかけたこと。
その熊から、助けてくれた女性……ティアレスについて。
『──騎士が嫌いなの。イヤーな思い出があってね』
ティアレス。ティアレス・ティアラ・ホルルと名乗った長身の女性は、まず間違いなく“騎士”だった。
対しメフトは騎士に嫌な思い出があり、騎士を叙任することはないとも言った。出会った当初、前任の騎士がいるような発言さえしている。
一体ティアレスは何者なのだろう。『国民なき国』に森の管理人などという役職があるのだろうか。
ローロはまだ何も知らない。だが知るべき手段は分かっている。
「? どうかしたの?」
「いえ。大丈夫です」
「そ。ならいいけど」
『国民なき国の女王』は隣に並んで立っている。昼食を作るため、油を通したフライパンで野菜を炒めている。
メフトに聞けばいい。
ティアレス・ティアラ・ホルルなる人物を知っているのか。本当に森の管理者なのか。……前任の“騎士”で、嫌な思い出とは彼女とのことなのか。
しかし、そうだとしたら──自分は一体どうするのだろう。
・──『わからない』
知ったところで少女には何をすればいいのか分からない。ローロはメフトのことを何一つ知らないのだ。そしてメフトも、ローロに多くを明かすつもりはないと態度で示している。
そんな主君の過去を無理に訊いてもきっと答えてはくれないだろう。それに……教えられたところで、掛ける言葉をローロは知らない。
「森ではどうだった?」
「特に何もありませんでした」
「ふーん。そろそろ熊とかが冬眠を終える頃だから、あんまり一人で行くのは無用心かもしれない。次からは私と一緒に行きましょうか」
「はい」
だからローロは訊かないことにした。そういう判断をする自分に、少しだけ落胆しつつも──これ以上は考えないようにする。
「そうそう。伝え忘れてたんだけど、私、明日からしばらく城にいないから」
「え」
「買い出し。一番近くの街まで。……っていっても歩いて二日は掛かるわけだけど」
色々足りないものもあるし、とメフトは付け足す。
メフトとの生活を始めて二週間ほど経ったが、彼女が城を長期間空けるというのは初のことだ。なるほど、畑からの収獲や森での調達だけでは勿論得られる資源には限りがある。使い込んだ道具の買い替えや整備用の消耗品の買い足しも必要だ。こうやって時折城から出、市場のある街まで買い出しに行っているのだろう。
了解しましたと頷いたローロは当然のつもりで言った。
「では、私も同行します」
「それは駄目」
──メフトは即答した。さして変わることのない調子で。
炒め物を皿によそいながら、続ける。
「あなたは条約締結国から命を狙われている立場なの。彼らの殺意をあまり安く見ないほうがいいわ」
「で、ですが私はメフトさまの騎士です」
「………………」
フライパンを、水桶に入れて。
炙っていたパンとソーセージをまた別の皿に乗せて。
淡々とした行い。日々を粛々とこなす者がする、意味のないことに興味を示さない身動きの仕方。
昼食の準備を終えてから、メフトはようやくローロに向き直る。
「──ローロ、あなた魔力総量がとっても少ないでしょ」
真っ直ぐに少女を見下ろしながら、魔王は言った。
彼女の黒い瞳にはどのような感情の色もない。ただただ淡々と事実だけを述べようとしている。
事実だから、ローロは何も言い返すことはできない。小さく首肯し、認めるだけだ。
「魔力を持たない騎士、ね。いくら母親の遺言だからってローロはなぜそこまでして……」
ひと際小さな逡巡──だけどメフトはすぐに首を振った。
「いいえ、いいわ。聞く気はない。それに、あなたを連れていく気もない」
「……」
徹底的な拒絶を感じた。
これが恐らく魔王とまで呼ばれる人物の精神性だ。排他、拒絶、孤独の希求。他人と共に居てもどこかで一線を引き、それ以上を踏み込まないし踏み込ませない。
「私でも一応魔法は使えます」
……たぶん。恐らく。
「へえ、どんな?」
たぶんローロは──少し寂しかったんだと思う。二週間共に過ごした相手からさほどの興味も得られていないことが。
自分のことだが、精神機序に関するところをローロは上手に制御できていない。
しかし魔力を扱うことはそれなりに得意だった。
「そんなに大した魔法ではないんですけど」
ローロが放出した魔力量は、せいぜいが掌程度の大きさ。
傍から見れば『ほぼ無いに等しい』と評せる量の魔力だったが、少女にとっては捻り出せる限界量がたったそれだけだ。
この程度では有効な魔法展開などほぼ不可能に近い。ローロが、騎士団選抜試験に落第した最大の要因。メフトの瞳にはローロの魔力を捉えても未だ感情の気配がない。
それでもローロは魔力を操作し始める。
まずは形。
次に動作。
イメージはひどくシンプルだ。魔力を走らせられる溝を持った構造物。
魔力は意思に乗じて踊る。ローロ・ワンは形なき物質であるところの魔力がどのように振舞うかが理解できている。
「できました。これです」
出来上がったのは────正直、ローロも何と呼ぶのか分からない【魔法】だった。
今、少女の手のひらの上には、パン屑よりも小さい魔法構造物の欠片が浮かんでいた。今ここに顕微鏡さえあれば、その異常な程作り込まれた立体構造が分かるだろう。――メフトが視覚強化の魔法を瞬時に展開したのがローロには分かった。
女は少女の手のひらから目を外さぬまま、静かに問う。
「……これは、何」
「えっと」
どう説明すればいいのか。ローロは考えながら説明する。
「よく見えないかもしれませんが、中にたくさんの魔力投入口があって、そこに流し込まれる魔力量だとか速さとかに応じて一定の高低差が生まれるんです。……あ、魔力にです。それを繰り返していくと、色んな結果を私に返してくれるんです」
「これを、あなたはどこで……教わったの」
「母さんから」
「……」
メフトの顔には今、奇妙なものが浮かんでいた。
この世のものではない何かを見つけてしまった者の顔? 信じられない現実に直面して、受け入れようと努力している者の顔? どう表現すればいいのかローロには分からない。分からないが──。
「こうして組み合わせると複雑なんですけど、一個一個はつくりがすごい単純なので、もっともっと小型化ができます。だから私みたいに魔力総量が少ない人でも使えるからって。私はとにかくこれをたくさん並列実行できるようになりなさいって」
「……たくさん、って。どれくらい?」
「
初めてローロは、メフトの感情を揺り動かせた気がした。
顔を振り上げた主君が口を一度開き、そこで戸惑い、やがて噤む。何度か繰り返すのをじっとローロは見つめた。自身が唯一使える魔法をメフトがどう評価するか、知りたかった。
「これは」
ようやくメフトが言葉を発する。
「これは、幾つかの魔法群によって構成される……計算機構、よね」
「母もそう言えばそんな言葉を使っていた気がしますけど……そうなんですか? 士官学校でも似たような魔法は見たことがありませんでした」
「そうでしょうね。だって、本来この時代にはあってはいけないものだもの。私も、16年前に見たことがあるだけよ」
「?」
メフトの言葉はよく分からない。
「ねえローロ。あなたの……────いえ、なんでもないわ」
もう十分よ。とメフトは呟く。
ローロが魔法の展開を終えると、女は曖昧に笑っていた。
「ごめんなさい。食欲、なくなっちゃった。部屋で寝るから……お昼はあなただけで食べて、ローロ」
「はい。おやすみなさい、メフトさま」
突然のことにローロは困惑してしまう。一体メフトはどうしてしまったのだろう。そう思っている間にもメフトは炊事場を後にしてしまった。
少女は先ほどメフトが小さく呟いた言葉を思い出す。
『あなたの母親の名前って────』
・──『私の母の名前が』『どうしたのだろう』
ローロには分からない。
ただただ、作られたばかりの昼食だけが、湯気を上げている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます