「なんだその言い方は。ちょっと傷つくぞ」
ローロ・ワンの生まれ故郷は辺境の田舎だった。元々人口は少なく、名産となる物もなければ豊かな実りも齎さない痩せた土地。折しも母親の死亡と時期が重なったこともあり、士官学校の寮で暮らすことになったきり戻ることはなかったその土地は、領主マギアニクス・ファウストが死亡した後はその地位を引き継ぐ者もおらず、ぽつぽつと住人がよその土地へ引っ越したり等、様々な理由で減っていき──最終的には領土全体で住む者が一家族のみになってしまったのだと言う。
だから、余計に、だろう。
──生命の発する音さえ死んだ、静けさだけで満ち満ちた屋敷だった。
いや、廃墟と呼ぶべきだ。
広い庭にはかつての花畑の残滓として乾いた土ばかりが広がっている。雑草さえ枯れていた。石畳は汚れ、割れ、玄関までの道を虚しく飾る。レンガ造りの屋敷は手入れする者がいないからか蔓草に覆われ、好天に恵まれた青空の下でも薄暗い。
そんな廃墟がローロ・ワンの生家だった。
「……」
緑と白と死ばかりが残る空間を前に、10日かけて故郷へと戻ったローロは独り立ち尽くす。少女は目の前にある無人の屋敷ではなく、その奥にある母との記憶を視界に映していた。
『母さん。アルがね、庭で花を育ててもいいかって』
『いいんじゃない? 好きにして』
領地の運営も人に任せ、魔法研究に没頭していた母──マギアニクス・ファウスト。幼年期のローロは彼女の背中ばかりを見つめていた。屋敷から外へ出ることもほとんどなかった母は、書斎に引きこもり魔法に関する研究論文ばかりを読み漁っていたのだ。
『母さん。料理作ったよ』
『そこに置いておいて。あとで食べるわ』
母と目線を合わせて会話をすることは滅多になかった。食も細くその頻度も不規則だったマギアニクス・ファウストは病的に痩せていて、なのに憑りつかれたように論文を読んでは魔法の展開や実験を繰り返していた。まるで何か、悪いものに魅入られているように。
だからローロが覚えている『母親』というものは、決まってマギアニクスの痩せ細った背中を想起させる。
・──『母さんが』『死んで』『もう6年かあ』
……過去を懐かしむのはこの辺にしておこう。
今はそれよりも声をかけたい三人がいる。
ローロはくるりと踵を返すと、庭を出、街路の向かい側まで歩いて行った。道を外れた先にあるのは誰も手入れをしていない雑草の茂みだ。
「何をしているんですか?」
そこへ、ローロはまっすぐな声を投げかけた。
──『がさり』。茂みが小さく揺れる。少女が『やっぱり』と右眉だけ器用に持ちあげる。
「三人で何をしているんですか?」
追撃の問いかけに、茂みが更に『がさがさ』『ごそごそ』揺れたかと思うと。
「……やっぱりばれてるじゃない」
と、嘆息交じりの女声が聞こえて。
「ううむ、そんな気はしたんだ……はあ」
更に、先の女声よりやや低いがはきはきした女の声。
「な、なんでー!? 完ぺきに尾行してたのに!」
などという困惑の声まで響く。
やがて茂みの奥から抜け出てきた女達三人に、ローロは改めて尋ねた。
「なんで三人がここにいるんですか?」
「旅行」
「尾行」
「探偵ごっこ!」
「……旅行で尾行で探偵ごっこなんですね。ふーん」
メフトは黒髪に絡まる木の葉を払いながら、どこか決まり悪そうに眼を逸らしていた。
ティアレスはその手に持つ非常に大きな鞄を持ち直しつつ苦笑いしている。
アルはというと、ぶい! と両手でダブルピースを見せつけていた。満面の笑みで。
「悪気はなかったんだ。ただメフトと後輩が君のことを心配していてね、とはいえ見送った手前後を追うのもなんだか躊躇われるといったところだ、はは」
「なーに? 自分だけは違いますみたいなこと言っちゃって」
「そーだよそーだよ! 先輩だって10日以上ローロが城に居ないって知ったらめーっちゃ寂しそうにしてたじゃん! 尾行に乗り気だったじゃん!」
「──うるさいぞッ! 私にも威厳ってものがあるんだよ!」
三人が後をつけてきていること自体は数日前から分かっていた。ふとした時に振り返ると必ず視界の端でちらつく、艶のある黒髪だとか。飲食店で食事をしていると後ろの席から「わあこれおいしそう!」などという聞きなれた幼馴染の声が聞こえてきたりとか。わざと裏路地を歩いて尾行を撒くと「しまった見失ったぞ!」「先輩尾行が下手!」などという会話を聞いたりだとか。
とにかく隠すつもりが本当にあったのかとローロは訊いてみたくなるほど雑な尾行だった。
「ローロ、怒ってる?」
「別に怒ってなんかいません」
三人の意思を代表するようなメフトの問いに首を振る。とはいえローロ・ワンの、普段からさして動くことのない表情はより平淡さを増していた。心は非常に凪いでおり、三人から何か素敵な言葉を贈られても感じるものは“無”であろうことは明白だ。
ただただローロは思うのだ。
「でも、せっかくなら、帰りはみんなで城に戻りたいです」
「……そうね。四人でゆっくり帰りましょう」
一人で実家に帰るという行いはただの『移動』だが、四人で城に戻るという行いは『旅行』になると。
そんなローロの提案にメフトが柔らかく──そして嬉し気に目を弧にして、他の二人も同様に綻んだ表情で頷いてくれる。
「皆で旅行というのはここ一年で初めてなんじゃないか?」
「確かに! 尾行より楽しいよねきっと!」
「少し寄り道したっていいかもしれません。きっと楽しいはずです」
「そうと決まれば用事を済ませてしまいましょう」
コクリと頷く。メフトの言う通り、アルの両親から送られてきた手紙を──『母の処理に悩む遺品』とやらを確認し、城へ戻ろう。
ここはローロ・ワンの生まれ故郷だが、自分自身が定めた居場所は別にあるのだから。
「にしても……あの立派……いや、威厳……うーん風情ある……? 屋敷……がローロの生まれた家なのか?」
街路の向かい側に広がる廃墟を眺めつつ、ティアレスは何とも言えない表情をしている。当たり障りなく褒めようにも誉め言葉が浮かばないと悩んでいる様子に見えた。
見てくれも、恐らく建物の中も、間違いなく廃墟だ。『国民なき国』の城とは違う。
「6年前まであの屋敷で暮らしていたのは確かですが、今では誰も住んでいません。……私が士官学校に入学してから、屋敷は無人なんだよね? アル」
「うん。でも、一応わたしの両親が管理してたはずなんだけどなあ」
おかしいなあと同郷の出であるアルが首を傾げている。彼女の緑色をした瞳が見つめる先には、もはや管理などされていない廃墟と庭が映っている。確かに幼馴染の言葉通りなら、ここまで荒れ放題になることは無さそうだが……。
「ローロの結んだ契約書に基づいて考えれば、資産として没収されていると思うけど……」
「誰かが管理してるようにも、売り地として出されてるようにも見えませんね」
ローロ・ワンが一年と三か月前、『国民なき国』に赴任するに至った契約書がある。それはローロ・ワンの国籍や身分・経歴を剥奪し、資産をすべて没収するという条件が課されていた契約書だ。その契約の通りに話が進んでいるなら、この領土は売地として扱われているのが筋だろう。しかし道中にそのような旨を記載した看板の一つさえなかった。
「この土地には人の気配というものがない」
ティアレスは辺りを見回しながら続ける。
「人が住むことを放棄した土地というのは、大抵が荒れるものでね。空気の質が、人里離れた山奥の原生林とも違った異質なものになる。……ここも似たような雰囲気を感じるな」
「先輩ってたまに獣みたいな感じ見せるよね」
「なんだその言い方は。ちょっと傷つくぞ」
許して先輩! と茶化すようにティアレスに抱き着くアル。勢いに任せて飛びつくせいでティアレスはその場で年上の女を慌てて抱きしめ、ステップを刻むように回った。……が、なにやら面白くなったのだろう。二人はそのまま踊るように回り始めた。
「ぎゃー! 足がつかない! た゛の゛し゛い゛!」
「ははは、もっと早く回せるぞ!」
「……まずはアルのご両親に、挨拶に伺いたいと思います。手紙の件もありますし」
いつの間にか随分仲良くなっているティアレスとアルの様子を眺めつつ、ローロはそう告げる。アルの両親とは昔からの付き合いになる。せっかく故郷へ戻ってきたのなら、近況報告も兼ねて挨拶をしたいと思っていたのだ。そんなローロの提案に異を唱える者はおらず、屋敷から少し離れた位置にある一軒家へと四人は向かい。
そして。
「……誰も居なかった?」
「はい。無人で、なんというか……」
アル・ルールの実家は、どこにでもある一軒家、といった趣だ。決して広いとは言えない庭。正面から見るとフラットな印象を抱かせる四角形をした、素地のレンガで組まれた壁と屋根。三階建ての部屋部屋に拵えられた小さくて同じサイズの窓ガラスは長年の月日を経ることで曇り、中を伺うことはできない。
さすがにいきなり四人で押し掛けるのはアルの両親を驚かせてしまうからと、一人娘であるアルと、見知った仲のローロが玄関扉を開けたのだが。
「ここ数か月……ううん、一年以上人が生活してた様子がなくて。それで……『旅行にいってる』ってわたし宛ての置手紙が、あって」
「手紙に書かれた年月日は1918年でした」
「去年からご両親が旅行に行ってるということ?」
「たぶん……」
家中を探し回ったアルが少し疲れた様子で、普段よりも数段落ちたトーンの声をしてそう伝えた。
居るはずの両親が家に居ない。管理されているはずの屋敷があまりにも荒れている。そして誰一人として物音を立てない土地。
ううむとティアレスがその細いあごを撫でた。
「つまりこの土地一帯には本当に誰一人住んでいないということか」
「……あの手紙は誰が寄こしたかわからないということにもなるわ」
メフトが慎重に選んだ言葉に、ティアレスもはっとなって顔を上げる。アルは無言のまま、ローロは小さく頷いた。
手紙の消印は間違いなくこの土地からのものであり、なおかつ日付は直近のものだ。差出人こそアルの両親の名だが、当の彼らは一年以上この土地を離れている……。
「危険な予感がします」
ぽつりとつぶやいた言葉に呼応するかのように、メフトが冷徹な眼差しを向けた──アルに対して。
「あなたが仕組んだこと?」
女の声音は言葉以外で物語っている。『敵意を向けてくるなら受けて立つ』と。
アルは一年ほど前、魔法使いに誘拐されるように見せかけメフトの命を要求したことがある。
「この状況は出来過ぎている。第一にあなたを疑う他ないけど」
あくまで表情に機微を乗せないでいるメフトに対し、アルはすぐさま感情を剥き出しにして頬を膨らませた。
「そんなわけないじゃん。わたしだってここ数年は戻ってないし、両親の近況なんか知らないよ」
「あなたは前科がある。……ローロの前であまりあなたと喧嘩したいとは思わないけど、事が事なら話は別よ」
「前にも言ったよねわたし。わかりやすい罠なんかしかけないって! わたしならもっと上手くやるよ!」
「へえ」
過熱しつつあった二人の口論にローロが口を挟めないでいると、「はあー……」と盛大な溜息が隣から。
この場で最も背の高い長身の女が、その青い瞳を普段となんら変わらない様子でメフトとアルへと向けている。
「喧嘩するなお前達。メフト、城に異変はないんだな?」
「……ええ。索敵魔法は異常を検知していない」
「ならよし。──アル。後輩よ、悪だくみはしていないんだな?」
「むッ! 先輩までわたしを疑ってるの? わたしは何もしてないよ!」
「ただの事実確認だ」
双方から意見を聞いたティアレスは、メフトとアルどちらにも与することなくそのまま空を見上げた。すっきりとした晴れ模様だったはずの青空は、いつしか暗い雲が立ち込めている。分厚い雲の奥で陰りつつ輝く陽の光は、もう間もなく日が暮れることを示す位置にあった。
「今日はもう日が暮れる。それにあの雲は雨雲だな。一夜を明かす場所が必要だ」
「そんじゃあわたしの家に泊まろうよ!」
思いついたと言わんばかりに目を輝かせたアルが、自身の実家を指差す。先ほど四人で遠目に見た屋敷よりずいぶん綺麗な状態だ。
「わたしのこと疑ってるなら四人で一緒に行動すればいいよ。寝るのも一緒、食べるのもお風呂も一緒! なにかあったら先輩と魔王さまならすぐわたしを無力化できるし、そっちのが安全でしょ?」
「……私の実家はあの有様です。アルの家の方が状態は良かったです」
それに。
何ら判断材料などない推測になるが、ローロは断言したかった。
「私は今回の件にアルは関わっていないと思います」
「ろ、ローロぉ~!」
「……私も別に、望んでアルと険悪になりたい訳じゃない。ローロがそう言うなら、それを信じるわ」
「よし、なら決まりだな」
その場のまとめ役に納まったティアレスが頷き、四人はアルの生家へと入っていく。
最後に玄関を潜ったティアレスが、扉を閉める前にちらと空を見上げ。
「長い雨になりそうだ」
黒いものが交りつつある曇天には、黄金の輝きが僅かだけ姿を見せている。
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