「全能の神がいたとして、その神は自分がどのように死ぬかさえも把握していると思う?」




 ローロが飛び去って、少し経った頃。

 その姿が月下の薄明の中にも見えなくなってから。


「……何を考えている、メフト」


 城で少女の帰りを待つ事にした女二人は、ようやく言葉を交わしだした。

 最初に口火を切ったのは金髪と青の瞳を持った女、ティアレスの方だった。


「あんな年端もいかない少女に禁術を与えるなんて……あれはメルツェルが生んだ秘匿魔法だろうが。人間が扱える魔法じゃない」

「それでもローロは望んだ。であれば私は、助けになりたい」


 ティアレスの何もかもを見知ったような口ぶりに、黒髪と黒の瞳をした女、メフトは構わず言い返す。

 メフト──魔王の声音は、何もかもを覚悟した上でのものだった。

 その超然とした態度にティアレスの声音は少しだけ平淡になる。


「……あの子の行く先にまっとうな未来はないぞ」

「分かってる」

「歩むべき正しい道がローロにはあった」


 ティアレスが隣に並ぶ女へと体の向きを正す。未だ空を見つめているメフトを、明確な殺意の滲む表情で睨みつけた。

 許せないものがあると、その青い瞳は怒りで燃えている。


「言ったよな。この件が終われば、私はお前を殴ると」


 言いつつ、ティアレスが右腕を振り上げる。空の片手が何かを引っ張るような動きをした直後、城の裏手から轟音が鳴り渡った。二人のいる位置からでも空に舞った土砂が僅かに見える。

 そうして空より飛来する物体があった。一つ、二つ、三つ、四つ……合計十二。細長く、柄があり、鞘がついているそれは、剣だった。

 ティアレスは自身の武装……剣を複数、住処である森の野営地に置いている。それらは常にティアレスが生成している魔力糸と繋がっており、その魔力糸を瞬間的に【物質化】することでどこからでも武装を引き寄せることができた。

 十二本の剣はティアレスの周りに落下し、その勢いのまま大地に突き刺さる。一本は綺麗な形で彼女の右手に納まった。


「十発殴る程度のつもりでいたが──気が変わったよ、クソ悪魔」

「……」


 ティアレスが鞘から剣を引き抜く。しゃらん、という硬質なもの同士が擦れ合う澄み切った音。侍従の格好をした“騎士”は、そのまま魔王へと剣の切っ先を向けた。 


「今ここで首を斬ろうか?」


 メフトは殺意の具現を突きつけられても尚、隣の女を一瞥さえしなかった。ひたすらな祈りの表情をして空を見つめ続けている。だがティアレスが引き下がるつもりもないことを理解しているのだろう。

 やがて。ぽつりと。 


「全能の神がいたとして、その神は自分がどのように死ぬかさえも把握していると思う?」


 唐突な問いに、ティアレスは殺意の乗った視線だけを送る。話の続きを促す騎士にメフトは続けた。


「仮の話よ。全知全能、世の法すべてを知り尽くした完全無欠の神がいたとして──その神は自らが死ぬ瞬間さえも理解しているものかしら」

「何が言いたい」

「そうでないなら、……神が・・自ら・・の死・・ぬ時・・を知・・らな・・いの・・なら・・、神は神であるというその罪業を根拠に自らが死ぬ手段を用意しなければならない」

「──驕るなメフト!」


 主旨が分かったのだろう。ティアレスがメフトの言葉を遮るように吼えた。より一層、女の右手は剣を握りしめる。


「お前は神にでもなったつもりか? あの子の、ローロの神にでもなれるつもりか! ──その癖神殺しの業をローロに押し付けるつもりでいるのか……!」


 比喩のつもりだったとしてもあまりに傲慢な物言いだとティアレスは唾棄する。

 メフトが言っているのは、つまり最強の魔法使いを殺すに足る存在として、ローロ・ワンを見出したということだ。 


「貴様はそんなにも崇高な存在だったか、悪魔だったはずだ、神ではないはずだ、救いを──間違った救済を、本当にお前が分け与えるつもりなら、私は今ここで【究極魔法グスタフ】を解放する……!」

「発動の瞬間、代償にあなたは脳幹を破壊され死に至る。その覚悟があるのね」

「構うものかよ。お前がローロを狂わせるよりは遥かにマシな未来が来るさ!」

「相変わらずね、あなたは」


 ため息を吐いたメフトはようやくティアレスへと向き直った。彼女は目と鼻の先にある剣の切っ先にも動じることなく口を開く。


「……あの子はついに致命的な魔力総量の不足という問題を解決できた。元来の魔力操作技術と、絶対演算魔法に合わせて莫大な魔力をも獲得したローロは、もはや敵う者を探す方が難しい領域にある」


 魔法使いへの天敵。絶対的カウンター。──“騎士”。

 手のひら程度にしかなかった魔力総量でさえ、絶対演算魔法【MOSマギマ】稼働時には極超音速域の突撃に対応してみせたのだ。世界でも類を見ないほどの魔力を得さえすれば、この世界の存在でローロ・ワンに打ち勝てるものは居なくなる。

 そう。この・・世界・・の存・・在で・・あれば・・・


「あの子にはいずれ私を……いいえ、メルツェルを超えるほどに強くなってもらわないといけない」


 あくまでメフトは真剣だった。本気で、今ここには居ない少女を想う表情をしていた。祈りであり、愛が、彼女の黒い瞳を優しいものに変えていたのだ。

 彼女の表情に嘘偽りがないと分かっているティアレスは、歯噛みするままに呻く。


「……そこまでする理由に、お前と、ローロの母親が関わっているんだな」

「勘が良いのね」

「なぜそうまで事を急ぐ」

「ローロ・ワンには、生まれた瞬間から宿業が付き纏っている。妄執、憎悪、恩讐、宿業、罪業……あの子はそういったもので雁字搦めに束縛されているに等しい。ローロを本当の意味で思うなら、自らの手で未来を掴み取れるだけの力を無理にでも与える必要があるの」


 だから【質量転換マスコンバート】を、肉体の喪失と同時に莫大な魔力放出を許す禁術をローロに与えたのだと、メフトは言外に語る。

 ティアレスの表情から殺意が少しだけ減った。代わりに現れたのは困惑だった。


「メフト。お前はいつも肝心なことを言わない。だから私はお前とローロの母親……マギアニクス・ファウストとやらの間にどのような因縁があったのかなんて分からない。そこに、どのようにローロが関わっているのかについても、把握していないんだ」


 恐らく当のローロ・ワンでさえ知りえない情報をメフトは秘匿している。……隠さざるをえないのかもしれないとティアレスは考えている。

 明かすつもりがメフトにない以上、余人が真実を知る機会はないだろう。メフトは非常に頑固で、一度決めたことを捻じ曲げることは滅多に無い。──いや、最近あったか。今ここで生きているティアレス・ティアラ・ホルルを殺すつもりでいたメフトは、しかしローロに説得されて矛を収めている。

 ローロ。

 ローロ・ワン。

 まだ16歳の少女だけが、きっとメフトを揺り動かせる。


「言えよ。私も、あの子のためなら力になりたいんだ」

「……そう言ってくれるあなたがここに居てくれて、感謝している。だけど今はまだ話せない。真っ先に知るべきはローロだもの」

「……」


 会話は平行線を辿る。それは、メフトという女の頑迷さと、ティアレスという騎士のひたすらな真っすぐさが生んだ軋轢だった。

 しかし双方ともに理解していた。

 どちらも譲れない部分があり、──その果てにローロの無事を祈っているという事を。


「私は何としてでもローロの幸福を願っている。お前が同じ気持ちでいることも、願うよ」

「そうね」


 そうしてティアレスは剣を下げ、鞘に納める。決してメフトへの殺意が消えたわけではないが、引き下がれる程度の納得は出来たということ。

 直後。

 東の空が一斉に瞬いた。膨大な光量の爆発──無数の魔法によるものだ。


「ここからでも尋常でない魔法展開が分かるな」

「ええ。ローロは遠いところまで行ったわ」 


 二人が会話を終えた頃には、大地全体を揺るがすほどの衝撃が地を駆け巡る。地震にも似た震動の直前には空から一条の熱線が駆け下りていた。

 そして辺りは静寂に包まれる。

 終わったのだと、メフトもティアレスも悟っていた。

 それから程なくして。


「──来た」


 地平線の先から上り始めた太陽を背に、小さな影が空を駆けていた。二人の視覚の中で、徐々に影は明確な形へと変化していく。

 その両手に年上の女を抱えた少女だった。

 自信の漲る表情だった。

 ローロ・ワンが、自身の力で幼馴染を救い、帰還しようとしている。薄明の空を灼熱の茜が染め上げるのを眩しそうに目を細めて眺めていたティアレスが、ついといった様子で呟いた。 


「もう私でも届くかどうかわからないな」

「それは私も同じ。でも、私達はローロの帰りを待てた。……違う?」

「……違いはしないな」


 二人は自然と小さく笑っていた。

 かつて殺し合いを繰り広げ、命を終わらせる直前までいった女達は、肩を並べて少女の帰りを待つ。  


「なあ」


 朝日は濃い。

 茜に燃え立つ空が薄い藍色に包まれた世界を変えていく。それと同時に刻々と近づきつつある少女。彼女の銀髪はずいぶん短くなっていた。少女の背丈を超すほどだった銀髪は背中の中ほどまでしか無い。魔法による代償として捨てたのだ。人生で一度も切ったことのなかった、美しい髪を。

 それでも力を望み、そして己が望んだ未来を勝ち取った少女の勇姿に──ティアレスは確かな笑みを浮かべる。


「私は今この時が、この瞬間が、どうしようもなく奇跡にしか思えないんだ」


 お前が殺したメルツェルにも、こんな未来があったのかな──。

 呟かれた言葉に、メフトは否定も肯定も見せることはない。

 そうして。 

 少女は茜色の空を引き連れて、ついに城の庭へと降り立つ。その両手に抱える幼馴染と共に──腰には騎士たる証としての長剣を挿して。


「ただいま帰りました、メフトさま、ティアレスさま!」


 ローロ・ワンは光り輝くような眩い表情で女達の下に近寄って行った。アルは気絶しているらしく、今はローロの胸に頭を預けている。


「無事にアルを救出できました」

「ああ。そのようだ」


 頷いたティアレスが少女の状態をさっと確認する。頭髪は背中の中ほどまで短くなり(それでも十分に長い)、左手五指の爪は完全に無くなっており、右手の小指も同じく爪が無い──帰還のための魔力用に使用したのだろう。

 メイド姿の騎士は少女を労うために笑みを浮かべた。


「おかえり、ローロ。さっぱりしたな」

「はい。背中が軽いです」


 ローロの、剥がれ切った爪の跡からは少量の血が零れ続けていた。痛いだろうに、少女の表情には疲労の影さえない。どころか自身の成した事に誇りをもって胸を張っていた。腕の中にいる幼馴染を……親友を、自ら助け出せたことに、少女は満ち足りたように瞳を輝かせているのだ。

 その、ひたすらな、あどけなさ。


「ティアレスさまから貰った剣も大いに役立ってくれました!」

「……まったく」


 ティアレスの我慢は早々に限界を迎えた。


「ローロ。本当に君は、ああもう! ──君は本当にまったく!」

「わ、わ、わ!」


 その大きな両腕でローロを抱き寄せると、そのままアルごと持ち上げる。腰の下に回されたティアレスの腕に乗る形で宙に持ち上げられた少女は、目を白黒させながらもされるがまま、嬉し気に目を弧にしてしまう。それはティアレスが見せるものとまったく同じ表情だった。

 女が、少女とその親友を抱え上げて、くるくると回った。

 柔らかに膨らむ紺色のロングワンピース、そして同じ丈の白いエプロン。華やかな笑顔がローロを包む。


「君が好きだ、大好きだローロ! だからあまり心配させないでくれ!」

「私もティアレスさまが好きです、大好きです!」


 やがてゆっくりと下ろされたローロからアルを受け取った女は、そっと少女へと囁いた。 


「──君の理想でいることは、とっても難しいよ」

「──それでもティアレスさまは、私の、世界で一番、最高の、理想の騎士です」


 言われ、騎士は屈託なく笑う。

 アルを介抱すると告げたティアレスが城内に向かう。彼女に頭を下げてから、ローロはもう一人の女に……自身の主君に向き直る。


「メフトさま。ローロ・ワン、王命を果たしました」

「……ええ。ちゃんと見てた」

「【終末魔法】の手助け、本当にありがとうございました」

「なんのこと?」


 目を瞬かせたメフトがわざとらしく小首を傾げる。

 あまつさえ口端を緩めながら、女は笑みを含んだ声音をした。


「私はローロの無事を祈っていただけだけど?」

「……はい! その祈りが、きっと私を助けてくれたんだと思います」


 強く頷いたローロを──具体的には彼女の背で軽やかに揺れる銀髪を見て、メフトは微笑む。

 女の手指が実に自然な動きで、少女の肩を流れていた銀髪をそっと撫で払った。


「髪が短くても、ローロはいつもかわいい」

「あ……ありがとうございます。メフトさま」


 唐突なことに、そのこそばゆさに、ローロが僅かだけ頬に緊張を帯びる。同時に朱に染まる少女に、メフトは柔らかい口調で言った。


「まだ襲撃があるかもしれないから、城に入りましょう。……まずはアルの容態を確認して、そしたら、次はローロの爪の手当てをしっかりしないとね」


 言いつつメフトはこれ以上の敵襲はないと考えていた。

 その理由は彼女の中で、既に明確な形になっている。──ローロとて戦闘後に何らかの確信を得ているのだろう。少女もさほどの警戒心はない様子だった。


「その後は……そうね、お風呂に一緒に入ってから、とりあえず一緒に眠りましょうか」

「……はい!」


 何の気なしにされた提案にローロは頷く。

 必要以上に怪我を気遣われないこと。城へ戻ろうとするメフトが、しかし歩き出すことなくローロを見つめていること。

 彼女の細い手指が、掌を上に向けて差し出されている事実──。


「はい! 私の主君メフトさま!」


 それら全てが、ローロの中で喜びに結実する。

 顔を綻ばせた少女が女の手を取り、そっと力を込めた。女を伺うように少しだけ上目遣いになって、──そして女もまた、薄らと頬を赤くしている事実。

 何もかもに愛おしいものを見つけられる時間は、砂糖の一粒一粒を慈しんで味わうに等しいほど、密やかに、甘くて。


「え、っと。……一緒に眠るの、最近多い気がするけど、ローロはいやだったりする?」

「そんなことありません。メフトさまとならぐっすり眠れます」

「……そ。実は私もそうなの」


 だからローロはメフトへと笑いかける。

 メフトもまた、ローロにはにかむことが出来る。 


「同じですね」

「そーね。同じ」


 二人は手を繋いで、二人の帰るべき場所へと戻っていく。

 上りきった恒星はそんな彼女達の背を輻射熱と重力によって祝福していた。

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