「あなたは使わないでしょ」


 アルがローロの手によって救出されてしばらく後。

 陽は上りきった朝七時頃のことである。

 場所は城内、客室にて。ベッドの上でぱちりと目を開けた女が、真っ先に視界に映った曖昧な人影に声を掛けた。


「ろー、ろ?」

「ごめんなさい。違うの」


 意識の覚醒により輪郭は結像し、翡翠にも似た濃青の瞳の持ち主は人影の正体を知る。

 メフト。廃城の主にして世界の支配者。魔王。──彼女は、ひどく平淡な眼差しをして、ベッドの傍に置いた椅子に座っていた。


「私……攫われて……」

「ローロが取り返してくれたわ。あの子に感謝してあげてね」

「そうなんだ……」


 客室を見回すアルが何を言いたいのか、察したようにメフトは続けた。


「ローロなら今は寝てる。皆、夜通しだったから」


 室内は暗い。怪我人に無駄な刺激を与えないためという理由こそあれ、カーテンをぴたりと閉めているがために、早朝の日差しが部屋を照らすことはなかった。


「様態は問題なさそう?」

「うん。怪我もないし」


 言いつつアルは体の各部を動かし調子を確かめている。


「どこも問題なさそうかな」

「そ。なら少しお話に付き合ってくれる?」

「いいけど……」


 アルの垂れ目ぎみの瞳が真っ直ぐにメフトを見つめた。女の、平淡な眼差しを。

 二人は見つめ合う。小首をかしげ、メフトが喋り出すのを待つアルと。なぜか黙りこくってアルを見つめ続けるメフト。

 ……奇妙な無言の時が客室を満たした。

 が。やがて。


「どうだった?」


 唐突な問いをメフトは紡ぐ。

 問いかけの内容もあったものではない質問だ。アルは当然といった様子で首をかしげてみせた。


「なにが?」

「ローロは強くなったでしょう」

「何の話?」

「仮面の男……人形の兵士は、あなたの作ったものでしょ」


 なんの話かわかんないんだけど。

 そう、アルは怪訝な表情でメフトを見る。ひたすらな困惑の顔色に──メフトはくすりと目元を淡く緩めた。

 決して穏やかさを崩さずに、黒い瞳の女は尚も言う。


「そうね。あなたは隙が無さ過ぎてかえって愉快なのよ」

「?」

「そしてローロに優しすぎる」

「……」


 客室内には闇が満ちていた。カーテンが閉められることで生まれた暗がり。メフトという女の艶をもった美しい黒髪。宝石にも似た黒の瞳。


「あの子に魔力がないなりの戦い方を教えたかったんでしょ。だからあの人形兵、やけにローロに親切だったのね」

「……まるで会話を盗み聞きでもしてたみたいに言うんだね、魔王さま」

実際・・して・・いた・・もの・・


 そんな中でも、メフトの病的なまでに白い肌は異質なものとして浮かび上がっていた。

 柔らかく。真珠のようなきめの細かさがあって。だが、どこか現のものとは思えない。


「──“騎士”だけが人生じゃないと、気付かせたかったんでしょ?」


 まるで非現実の塊のような女は小さく笑っている。

 幼子の悪戯を微笑ましく見つめる母親のような、顔で。


「だけど一度だけわかりやすいミスを犯した。あの人形がローロに向けて魔法を放った時、あなたは分かったのね、──直撃すると。本来ならローロ・ワンに生命の危機が及べば稼働状態へ移行するはずの【MOSマギマ】が発動しないことに焦ったんでしょ?」


 何故なら、あなたはローロに怪我をさせるつもりはなかったから。


「だからあなたは、展開・・され・・きっ・・た魔・・法の・・出力・・を強・・引に・・弱め・・という離れ業を即興でやってみせた」


 人体が放出した魔力を、その放出者が操作することで展開・実行される超常の力学が魔法である。

 一度魔力から変じ、展開されきった魔法がその効力を弱める……もしくは消失する時というのは、展開の際に使われた魔力が消費されきった時だけだ。魔力総量という概念は、故に放出可能な魔力の多寡によって魔法の効力を絶対的に決定づけてしまう。

 つまり、完全に発動されてしまった魔法の出力を人為的に弱めることは出来ない。──そんなことは最強の魔法使いであるメフトとて十分に理解している。


「展開された魔法を魔力に分解する魔法──【対消滅反応フェイルアウト】を使った。これ当たってる?」

「……」


 女は未だに笑みを浮かべていた。

 アルは何も言わない。


「あなたなら知ってると思うけど、【対消滅反応】は対象とした魔法の、その発動理論すべてを把握していなければ効果を示さない魔法よね」

「……【対消滅反応】とひとくくりにされていても、それはつまり個々の魔法に対して効果消滅を誘因する魔法をぶつけているに過ぎない──だっけ? わたし、あんまり詳しくないけど」


『あなたなら知ってると思うけど』──などと自尊心を刺激するような言葉を使われ、ややぶっきらぼうながらアルは言い返す。

 メフトは鷹揚に頷いて見せた。


「最悪に完全実行が難しく、しかし魔法使いに対して最高のカウンターたりうる絶対の魔法、【対消滅反応】。……あくまで机上の空論として存在する魔法であって、およそ人間に扱える魔法ではないけど、そこはあなたの天才的感覚の賜物ということで納得しておきましょうか」


 さて。

 と、メフトはここまでの話が前置きなのだと言わんばかりに、手を叩く。


「……魔法に作用する魔法なんていうものはね、魔力がどういう存在か把握していないと思いつかないし使えないのよ」


 1900年代において魔法は未だ神秘の要素を多く残す。魔力を基に展開されるという大原則が働き、ある程度の理論化こそ果たしつつも、その深奥は未だ遠いと誰もが諦めている力学だった。

 その理由を例えばとある研究者はこう判断する。『観測機器が未発達だからだ』と。


「魔法がいまだ人類史において完全な理論化を果たしていないのは、そもそも魔力というものへの認識に誤りがあるからでしょうね」


 しかしメフトには、まったく別の考えがあるようだった。

 彼女は黙っているアルに対して喋り続ける。


「魔力は、魔力・・に変・・じる・・前の・・状態・・で世・・界に・・満ち・・ている・・・。言うなれば原始魔力とでも呼ぶべきものとしてね。あなたたち人間はそれを一度に魔力へ変換できる量が個々に違う──それこそが魔力総量」


 人が魔力を生み出しているのではなく、人は魔力を作ること、操作することができるというだけだと。

 メフトはそれまで人々が積み上げてきた常識を、その核心をあっさりと否定した。


「そう考えると愉快な発想ができるようになる。──魔法を、人間以外でも扱えるんじゃないかって」


 誰もが、人間の体には『存在を確認できない臓器』があると考えている。そこから魔力を生み出し、放出している……と。

 観測機器の精度が増し、解剖観察を行ったとて、そのような臓器は見つかっていない。しかしそれでも人々は『存在を確認できない臓器』があるとしか思っていなかった。何故か? ──念じれば魔力が確かに自身から放たれるからだ。そして何より、捻出される魔力量に個人差があったからだ。なんなら肉体の成長とともに魔力総量が増えるケースすらある。誰もが誤った理解の仕方をしてもおかしくなかった。


「そんな仮説をなんとなくの思いつきで打ち立てて、そして証明してしまった者がいた。簡単よね。魔力総量を持たない存在が魔法を構築できれば、証明できる話だったのだから」


 だが、世界の常識を疑った者がいた。

 幼稚で。

 無邪気で。

 可憐な乙女。だが彼女は誰よりも聡明であり、そして異次元的な魔法使いだったのだと、メフトは遠い目をして思い出す。


「物質化魔法による模倣人体の創造。

 この体に封じ込められる形で展開された、魂さえ獲得できた魔法。









 私はそのようにして無から生まれ、

 有限なるこの世界に喚び起こされた。

 だから私はその名を空想の悪魔メフィストフェレスと呼ぶ。









 22年前、マギアニクスが14歳の時よ」


 メフトの顔にはもう笑みは残っていなかった。

 表情筋の使い方をまっさらに忘れた様に、無だけがあった。有限の命を持つ者達をひたすらに震えさせるただただ静かな虚無──黒いばかりの瞳には、無機質な色ばかりが宿っている。


「──私の創造主にして召喚者、マギアニクス・ファウストは比類なき天才だった」


 そして。

 ここまでも前置きなのだと言わんばかりに。


「マギアニクスの意思を継ぐ者。あなたはローロの母親……マギアニクスから何を託されたの?」


 メフトは再度、うつくしく笑って見せた。

 およそ情動とはかけ離れた動作をする笑い方だった。

 女の笑顔が向かう先。これまで黙りつづけていたアル・ルールは真正面からメフトと視線を重ね合わせ。

 気付くと。

 にっこり。


「攪乱系の魔法ってさ、わたし的にはすごい簡単なんだよね」


 にいっこり。

 普段通りにどこか幼げな笑みを浮かべて。


「すっごい簡単な部類の魔法だと思ってるからさ、それなら人形でも展開できるんじゃないかなあって思って──試してみたら大成功。なんだ自律稼働する魔法なんて意外と簡単にできるじゃん! よーしついでにもうちょい高度な判断機能なんかも付けてみるかあ! お、これもうまくいったぞーさすが天才のわたし! って思ったんだけど……そこから発展させるのが中々難しくて。なんかね、攪乱系の魔法くらいしか使えないんだよねあの人形たち。他の魔法はてんでダメダメで簡単な攻性魔法くらいしか覚えてくれなくて、そこから進捗ナシ。だけど魔王さまはローロを連れて城を出るみたいだし、あのめちゃくちゃに勘の良い野生の塊みたいな先輩とも距離を置いてくれるし。……もうこんな機会二度とないよなって思ったんだー」


 堰を切るように延々と喋り続けた。

 いつも通りのアル・ルールは、さして変わったところもなく、今回の首謀者が自分だと告げていた。


「あ、ごめんなさい魔王さま! わたしばっかりべらべら喋っちゃった」


 やがて自分ばかりが喋っていることに気付いたのか、慌てて口元に手を当てたアルは、人差指を宙でくるくると回して見せる。

 次に使うべき言葉を探すような逡巡の後。


「えーとね、結論を手短に言うと」


 稀有な才能を持った魔法使いは断言した。


「わたしも、魔法を自分で作れる魔法・・創造・・型魔法・・・はまだまだ未完成。

 マギアニクスおば様みたいな本物の天才には敵わないよね」




 ◇




 メフトは、アル・ルールがマギアニクス・ファウストと出会っていたと知った時点で、アルが関係者・・・だと悟っていた。

 この碌でもない恩讐の関係者だと。


「いつから監視していたの?」

「いつ? それって定義の問題だと思うけど」


 部屋の中は相変わらず暗い。しかし言葉を交わす二人の様子には陰りなど微塵も見当たらなかった。


「ローロが私の下を離れて士官学校に入学してから、って意味なら五年と半年になるし。

 ローロが契約書にサインをしてこの城へ来てから、って意味なら半年になるよね」


 天性の明るさで悪びれる様子もなく腕を組むアルに対し、メフトも超然とした態度で呆れたように嘆息している。


「あっけなく認めるのね」

「隠してても無駄でしょ? なんか塀を直したあたりからわたし疑われてたみたいだし」

「あの塀は明らかに一部分が【認識阻害】の効果を受けていた。……塀を作り直すと同時に、人形を即興で作って埋め込んでいたのでしょう?」

「そうだよ。魔王さまは当然かもしれないけど、ローロにまで不審がられるとは思わなかった。やっぱりローロもローロで相当冴えてるよね。わたしの可愛いローロはさすがだなあって感心しちゃった」

「目的は?」

「決まってるじゃん。マギアニクスおば様の復讐を叶えてあげること」

「復讐……ね」

「うん。わかってるでしょ、魔王さまは」


 実にけろりとした態度である。

 アル・ルールは目の前にいる、いつ殺されてもおかしくはない魔王を相手に、一切の動揺もなく言い切った。





「魔王さまを殺すんだ。

 そうしたらローロは本当の意味で自由になれるよ」





 ──そして、堂々と殺害予告までされた当の本人は、くすくすと笑っている。


「私、簡単に死ぬほど安い女じゃないけど?」


 ふーん。

 と、つまらなさそうな相槌を打ったアルは、唐突にその緑に近い色合いの瞳に興味の輝きを宿した。


「ねえ魔王さま。せっかくここまで腹を割って話してるんだしさ、教えてくれない?」

「なにを?」

「──そこまでの力があって、どうしてティアレス・ティアラ・ホルルが森に居るのを放っておいたの?」


 半年前の出来事だ。

 誰も住んでいなかった森に、突如として管理人を名乗る少し考えなしな言動の目立つ女が現れた。その女と出会った少女は、森の所有者であり城の主であるメフトには報告しなかったが──そもそも報告など必要なかったのではないか? と、アルはそう言っている。

 他者からの情報提供などなくとも、メフトほどの魔法使いならば常時周辺に何が居るかを把握していてもおかしくはない。街への買い出しの際に街中の生体反応を【探知】によって把握し続けていたように。


「……」


 ひどくどうでもいい、場違いな質問に、メフトは笑みを絶やすことなく黙った・・・

 そして彼女の沈黙は黙殺と同義であり──それを見過ごせるほどアルは弱い女ではない。


「そう。そこで黙るんだよ魔王さまは。なぜなら本当に先輩が森に居たことを知らなかったから。なぜならあなたは常時索敵魔法を発動して、得られた情報を的確に処理できるほどの──ローロが持つような処理能力を持っていないから」


 アルは一切遠慮しなかった。妥協することなく、自身の疑問を明確な形にすることができた。それは彼女が持つ元来の性格であり、研究者として非常に重要な資質だったと言える。

 彼女の中でぐるぐると回り巡っていた疑問が連鎖して言葉となった。 


「もっと言おうか? 魔王さまは何故、魔力・・放出・・を一・・度も・・しな・・いの・・?」


 魔法戦における魔王メフトの最も厄介な点は何かと、世界最強の“騎士”ティアレス・ティアラ・ホルルに問えばこう答えるだろう。

『魔法発動の瞬間が読めない』と。

 その理由は極めてシンプルだ。メフトは、魔法を発動するための魔力放出を一切行わない。魔法という力学を展開するのに絶対必須である大原則を無視して魔法を発動しているのだ。

 しかしアル・ルールはそれを間違った認識だと否定する。


「答えは明白だよね。──魔王さまは常時魔法を展開しているんだもん」


 彼女は魔力放出を行っていないのではない。

 何なら常時行っているのだ、と。


「魔王さまじゃないでしょ? 【終末魔法】を使えるほど魔王さまは器用じゃないよね?」


 そしてアル・ルールは断定している。

 ローロ・ワンが持つほどの処理能力を彼女は獲得していない。あの、理論上は光速にさえ匹敵する世界最高峰の魔力操作速度を、メフトは持っていないのだと。

 つまり。

 論理の帰結する先はこういったものになる。

 魔王・・はな・・い誰・・かが・・彼女・・代わ・・りに・・魔法・・を起・・動し・・ている・・・






「魔法創造型魔法【メルツェル】はどれだけの魔力を使用してるわけ? 例えば『無限の魔力』とか? たかだか魔法にそうまでする価値があるの?」

「──マギアニクスの従者。それ以上を言うなら、私は三重の終末を指示する」






 そして、メフトは、アルの推論を一切否定しなかった。

 否定はせずに怖い笑顔をしてみせた。


「そもそもが“速度無効オープニール/距離無効ヘイルライン”だけでも十分すぎる力を持つの。その上で“硬度無効キーチェス”まで私に指示させたいの?」


 笑顔なのに、笑っていない。

 笑顔なのに、ひとつも喜んでいない。

 彼女は明確な怒りをもってアルを見つめている。


「はっきり言うけど、メルツェルがこの銀河を、果てには宇宙を未だ割っていないだけ幸運に思うべきよ。対象規模不問・・・・・・の事実を見くびらないで」


 あまりにも凍え切った顔だ。そんな彼女がする零下の眼差しがさすがに応えたのか、アルは少しだけ眉根を寄せた顔になると、しゅんと俯いた。


「……わたし、別に魔王さまを憎んでるとかじゃないよ。魔王さまにとってメルツェルがどれだけ大事かわかってないから、失礼なことを言ったなら謝る。ごめんなさいでした」


 まだ出会って数日とはいえ初めて見せる素直な反省の態度に、メフトが思わずといった様子で瞬きしていた。 

 素朴な疑問が、真顔になったメフトの口からこぼれ出る。


「憎んでいるわけでもないのに殺そうとするのね」

「うん。だってローロのためだもん」


 どこまでも純粋な言葉。

 ──アル・ルールは心の底から年下の幼馴染のために、魔王を殺すつもりでいる。 

 その事実が理解できたのか、メフトは乾いた溜息を吐いていた。


「勘違いしないで。……私はあなたを殺しに来たわけじゃない。敵対したいわけじゃないの」

「そーなの? じゃあなんでこんな風に二人きりになって、こんな話してるの?」

「私には目的がある。……半年前に私は私の道を見定めた」


 ? と疑問を小首をかしげる仕草だけで伝えるアルに、メフトはとても真摯な表情をした。


「ローロを幸せにしたい。母親の呪縛から解き放ってあげたい」

「……それは、私も同感だけど」


 二人とも、相手にも理解されているところまでは分かりつつある。

 一切の躊躇なくどのような手段でも魔王を殺そうとするアルも、そんなアルを未だに生かしあまつさえ受け入れているメフトも、分かっている。

 どちらもローロ・ワンのことを想って行動しているのだと。


「だけどわたしは魔王さまには手を貸さないよ。魔王さまがローロにしたことを、わたしは知ってる。わたしはその一点だけで魔王さまを絶対に許せない」

「……」

「魔王さまを殺したいのはマギアニクスおば様の復讐を叶えてあげるためでもあるけど、わたしの中にも少なからず怒りはあるよ」

「ええ。わかってる。それでいい。少なくともここにはローロのことを想う者だけがいるとわかるだけで、十分よ」


 言葉を交わす二人の間には、奇妙な関係性がここに構築されつつあった。


「どうしてそこまでマギアニクスに手を貸すの? 彼女はもう死んでいるでしょう」

「死んだからってマギアニクスおば様の作った仕組みが解けるわけじゃないよ。マギアニクスおば様は控えめに言っても狂ってた。だから、ローロが今どうなっているのかくらい、わかるよね」

「……ええ」

「マギアニクスおば様は約束してくれたんだ。復讐が終わったらローロは自由になるって。そうしたらやっとあの子は自分の人生を生きられる。騎士になんか、ならなくて済むんだ! あの子はもっともっと好きに生きていい。あの子は、あの子は、なんだってなれるよ」


 アルの言葉に嘘はないのだと、メフトには分かってしまった。

 ひとつ歳が上だというのにアルの目に擦れたものはない。彼女はひどく純粋な思いとして、ローロを救いたいと願っている。そのために死んだ狂人に尽くすのだとしても。


「そうね。私もそう思う」

「だから私が、いつか魔王さまを殺す」

「……それはきっと無理ね」

「できるよ絶対!」

「あなたにはそれほどの実力がない。だから今回も人形兵による誘拐と脅迫なんていう面倒な手段を使ったんでしょう?」

「……」


 メフトの指摘通り、アル・ルールは稀代の治癒系魔法使いであり、感覚的な部分で魔法を使うことのできる『天才』ではある。しかしその天才性は独創的かつ創造性に富んだ分野にしか向かないとメフトは見抜いていた。

 メフトやティアレス、そして凄まじい処理能力を持つローロのような、魔法戦特化の魔法使いとは別種の存在だ。


「あとね。私を殺す者はもう決まっているの」


 ──それにだ。

 それに、メフトは既に心を決めている。酷く歪で、だけど異常なまでに硬い覚悟を秘めている。


「私の騎士ローロが、いつか望んで魔王を殺すのよ」


 言葉の意味を、アルはしばらくかみ砕く必要があった。


「…………な、何を言ってるかわかってるの?」


 一切の嘘はないとメフトは頷く。

 その首肯に、アルの思考を電撃にも似た発想が駆け巡った。一瞬で膨れ上がった疑問を口に出さずにはいられない。


「まさか、そのためにローロに禁術を──」


 そうとも。

 そうであれば辻褄が合うのだ。


「だっておかしいもん。今回の件、魔王さまはあま・・りに・・も無・・能だ・・った・・


 無限の魔法的手段を持つ魔王だ。何なら街に滞在中は生体反応をすべて【探知】で把握していたと本人は口に出していた。

 ティアレスが森に潜伏していた頃とは訳が違う。厳重な魔法的警戒をしていたメフトが──どうしてローロが襲われるのを放置できたのだ? 

 アルが塀を直した時もそうだ。


「魔王さまほどの魔法使いがどうしてわたしの人形兵を見逃したの?」


 ティアレスが現れうやむやになったとしても、メフトはアルが塀の中に人形を仕込んでいると気付いていたのだ。なのにどうしてそれを放置していた? そして、魔王が事態を見過ごすことで一体誰が何を得た? 

 誰がローロが

 何を力を


「──ローロに力を与えるために、ローロが力を欲する方向へ向かわせるためだけにわたしを放置したの……!?」

「私が思うに」


 アルが呆然と見つめる先で、女は笑うことを止めていた。

 すべてが思惑通りに進んでいたというのに、メフトの情動は一切動いていない。

 彼女はひたすらに閉め切ったカーテンの先を見つめ続けていた。

 その先に、その奥に、求める闇があるかの如く。



 ◇




「ローロが私を殺せる領域に立つまで、あと二年と四か月は必要でしょうね」




 ◇




 彼女は、淡々と駒を動かすように自身の行いすらも制御してしまっている。

 ──全てはローロ・ワンを、母親マギアニクス・ファウストの呪縛から救い出すために。

 それほどの呪いが、ローロには降り掛かっているのだと。


「わたしは【MOS】のマスターオーバーライド権限を、そのための魔法を知ってるよ!」


 どれほどの因果がここに絡まりあっているのだろう。

 どれほどの恩讐が、マギアニクス・ファウストという女から端を発しているのだろう。

 それはメフトにも、アルにも、きっとローロでさえも分からない。

 マギアニクス・ファウストは五年も前に死んでしまっている。


「マギアニクスおば様からもらった切り札があるんだ! それを使えば、魔王さまを今すぐにでも……!」

「あなたは使わないでしょ」

「──」

「仮に、そうやって強引にローロを操作してマギアニクスの復讐を……私を殺すという目的を果たしたとして、結果ローロは心に深い傷を負うわ。アル、あなたにそんな惨いことが出来るの?」

「それは……でも……そうしないと……! そうやって私が恨まれでもしないと、ローロが壊れてしまうよ!」

「壊れさせなんかしない。どれだけ間違ったとしても、私が、絶対に、ローロを助けるのよ」


 アルは、完膚なきまでに負けていた。

 自身の命の価値を隅々まで理解している者の前では、純粋な願いすら霞む。


「……あなたはローロが悲しむことを出来ないんだと思う。その優しさは、アル、きっとあなたの武器になる」


 だから大事になさい。

 そう言って、メフトは椅子から立ちあがった。

 部屋から、去るのだろう。──そしてこの部屋を出たら最後、メフトはここでの会話をなかったことにするのだ。これまで通り魔王であろうとし、そしてローロにとっての主君であろうとする。アル・ルールのことはローロの幼馴染として丁重に扱うに違いない。アルには直感でそうと分かった。

 彼女は。

 メフトは……本気だ。

 本気で、ローロに殺されるためだけの二年と四か月を過ごそうとしている。そのために今後も何らかの思惑を張り巡らせる。作為を持って暗躍するつもりでいる。


「ありがとう。アルのような人がいるなら、ローロに何があっても大丈夫ね」

「──」


 だというのに。いいや、だからこそなのか。

 メフトは心の底からの感謝をもって、アルに笑いかけるのだ。


「最後まであの子を支えてくれると嬉しい。私にはできないことを、あなたならきっと出来るから」


 ローロの傷をアルが癒した時のように。あの時でさえ、アル・ルールの作為があったにも関わらず。

 ただひたすらにローロ・ワンを想う女の声音に、アルは何一つ言い返すことが出来なくなり。

 そして。


「城で過ごしたいなら好きなだけ居て。ローロもそれを望んでる」


 去り際の一言ともに、城主たる女王は客室を後にした。

 残された女は茫然としたまま開くことのない扉を見つめていたかと思うと──脱力するように、ベッドに体を倒し込む。

 手で目元を覆いながら、アルは呻いた。


「完全に負けた……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る