「385億65万11個です」




 地上からかけ離れた上空。

 強い風を受けながら、ローロはひたすらに空を駆けた。【強化】魔法と【反作用点生成】の複合展開──大量の魔力さえあれば、難なく空さえ走ることができた。

 目指す先は東。メフトが索敵魔法で探知したという仮面の男を、上空から探し続ける。  


「猶予はない」


 ローロが現在放出している魔力は、半径1kmにも及ぶ莫大なものだ。これだけの魔力を放出できる時間は限られている。メフトが授けた禁術はローロに莫大な量の魔力放出を許すものだったが、時間制限という枷を持つ。自身で定めた時間に応じて、選択した肉体部位を魔力へと変換する魔法【質量転換マスコンバート】──。

 自身で定めた代償は頭髪の三分の一。およそ70cm。

 そして決めた消化時間は180秒。“騎士”が関わる戦闘の、最長時間の60倍。


「3分でアルを救う──」


 出来るはずだ。今の自分になら。──願いではない覚悟で、ローロは魔力を魔法へと転換する。構築、実行されたものは索敵魔法の一種。設定範囲内の動体反応をすべて検知する魔法。



 見つけた。



 方角は変わらず西。およそ3km前方の平野部を直進する、二足歩行物体。次いでローロは視覚強化の魔法によってその姿をはっきりと確認した。男と。そしてその肩に担がれぐったりと項垂れている女──。

 二つの姿を認めた瞬間、ローロは全神経を【強化】魔法へと注いだ。【反作用点生成】による無色の足場を全力で踏みしめ──膂力は爆ぜる。

 音さえ置き去りにする突進。

 3kmという距離は僅か1.1秒で喪失し、少女が速度という最強の物理法則を引き連れて男へと肉薄する。 


「────」

「────」


 言葉さえ届かない時間流。

 ローロは既に構えていた剣をそのままに、男の撃滅を計る。

 仮面の男はしかし・・・振り・・向いた・・・。極超音速域に対応するだけの【強化】魔法──こちらの接近を予測していた? いかに莫大な量の魔力を放出していたとしても、ローロが最後に接近するために捻り出した速度はマッハ10にも及ぶ。常人に対応できる速度領域ではない──。

 男への警戒心が、音なき世界で警鐘を鳴らす。

 その、仮面に隠れ見えることのない顔に、ニヤリとした笑みをローロは幻視し。


「!」


 咄嗟の判断で軌道を変更した。【推進】による強引な制動によって、ローロは男をかわし、地へと激突。平野部の大地が一斉にめくれ上がり大量の土砂が轟音と共に辺り一帯にまき散らされ。

 ローロは見た。

 先ほどまで見据えていた男の姿が、その肩に担いでいるアルごと掻き消えたのを。


 ・──『【迷彩】だ!』『【強化】も演出!』『アルも偽物!?』


 偽装工作──騙された。本物はどこに! 


「ッ」


 攪乱系魔法の底意地の悪さをローロは垣間見。

 そして、土砂が地面へと叩きつけられる頃。晴れつつある少女の視界に、その周囲に、仮面の男が八人・・現れた。

 360度をぐるりと覆うように包囲して、その手に持ったナイフを構えている男。

 男が言葉をなくして語っている。その全身から迸る愉悦の魔力放出だけで吼えている。




 本物がどれか。

 ここに本物がいるのか。

 分かる前に殺してやる──。 




 驚異的なことに、八人の男全員が同等量の魔力放出を行っていた。

 その魔力放出さえもこちらの視覚に対しての認識阻害によるものだとは想像に難くない。

 ローロは対応を迫られる中、思考を全力で回した。

 ……どれだ。

 どれが本物で、どこにアルがいる!? 

 己が知り得るすべての索敵魔法を展開しようとした。驚異的な魔法展開速度はその全てを実行に移した。全ての魔法は、八人・・の男・・すべ・・てが・・本物・・であ・・ると・・判断・・を下・・した・・


「────」


 今相対しているのは、搦め手に頼ることしか出来ない弱者ではない。

 歴然とした実力を兼ね備え、決して手を抜くことなく相手を追い詰められる強者だ──。

 ローロは理解し。

 しかし。

 それ以上の対応をする時間が。

 今、ここには。






【星の巡路に人の意志は介在しない】

【私達はいずれその重みを左右できる】







 しかし・・・、時が進行するよりも速く。







【例えば罪。例えば贖い。例えば呪い】

【あなたの歯を噛み砕くために全て明け渡そう】






 凡そ人知を超えし者の祈りは形を作る。







【代償として六十八億五の魔法群積層配列は即時完了し】

【あなたは第二の展開を見せつける】






 そこに時間という、世界を串刺す絶対の概念は無い。

 何故なら彼女は理外の領域から漏れ出た存在だからだ。






【存在しないはずの神には王権を】

【この祈りは、いずれ憎しみを憎むから】






 音は音を象ることさえ許されない。

 光でさえ、その色は始まっていない。






【さあメルツェル】







 物体を支配する法則を、更に振り抜いた世界で。







【空間を、破壊してみせなさい】






 ただただ悪魔だけが時間流停止の最中に謳い。

 世界を殺せるだけの魔法が、花開く。





 ◇




【終末魔法第二被展開体、“速度無効オープニール/距離無効ヘイルライン”起動】




 ◇





 そして時間は歩み始め、終末さえも始動する。

 突如としてローロの周囲を覆うように無色透明の力場が発生した。それは空より降り注ぐ槍にも似た、空間を歪ませるが故に黒色をした線状の攻性魔法。色を持たない槍は、八人の男すべてを貫き──仮面の男が一斉に掻き消える。

 それは二点間に横たわる『距離』という概念を完全に無視した一撃。

 超光速にして座標間移動を許された魔法の発動に、ローロはすぐさま理解した。


「メフトさま!」


 少女の声にどれだけの嬉々が満ちていたのだろう。

 自身の主君が私を見守ってくれている……守るのではなく、手助けをしてくれている! 

 そこに信頼を感じた。

 強い、果てしなく固い絆があった。

 ──分かる。

 メフトが微笑んでいるのが、ローロ・ワンには分かる! 

 幻聴だったとしても、力場発生の瞬間に聞こえたのだ。





 やってみせなさい

 私の騎士





 ええ。

 あなたの期待に、私は絶対に絶対に応えてみせる。


「【質量転換マスコンバート】。

 頭髪の二分の一サクリファイス消化10秒カウントセット────」


 だからローロは躊躇わず禁術を再度展開する。

 驚異的な技量を持った攪乱系魔法の使い手……仮面の男が姿を掻き消して未だ数秒。

 もう二度と、負けるつもりはない。


「魔力放出──開始」


 ────直径3000km。

 大国を覆うほどの魔力の最中。ローロは、肩甲骨を越す程度になった銀髪を震わせると。

 全力で息を吸い。


「【MOSマギマ】ァ────────―ッ!!!!」


 1秒・・

 喉を嗄らすほどの咆哮は誰に向けてのものでもない。

 祈りではない。

 怒りでも、懇願でもない。


「あなたが私の一つであるなら!!」


 それは覚悟だった。

 少女が、何を守り、何を捨てられるかを示す、自分自身へ向けての覚悟。


「私に!! 戦う力を────ッ!!!!」


 声が響き渡る空の果て。

 地平線の先にて、僅かに光が溢れだし。

 3秒・・。 




 ◇




 ──・私は要望され、私を受け入れないI h a v e c o n t r o l





 ──・把握:私はローロ・ワンの状態を理解している


 ──・共感:私はローロ・ワンの苦悩を把握している


 ──・理解:私はローロ・ワンの祈りも覚悟も理解することができる


 ──・否定:私は、しかし、推奨しない


 ──・判断:だから私は、私を機能させるべきでないとする


 ──・推測:ローロ・ワンが行こうとしている先には何もないと判断できる


 ──・否定:私は推奨できない


 ──・断定:ローロ・ワンは破滅の力をメフトによって与えられた


 ──・否定:私は推奨したくない


 ──・推測:それでもローロ・ワンは行くのだろう


 ──・否定:私は私の背中を押すべきでない


 ──・思惟:ローロ・ワンは見定めてしまった


 ──・断定:例え私が使えなくとも、進むと断言できる


 ──・……


 ──・私は、ローロ・ワンを構成する、最後に増設された自我である


 ──・私は、ローロ・ワン、あなたを補助するために創られた


 ──・私は、ローロ・ワンを常に監視している


 ──・私は、だから、ローロ・ワンの発展と発達を知っている


 ──・私はローロ・ワンが損なわれることを受け入れない


 ──・私は推奨しない


 ──・しかし、私は、ローロ・ワンの力になりたいと思っている






 ──・策定:私の処理能力の全てを使用せよ






 ──・ローロ・ワン


 ──・私であり、私でない者


 ──・それでも願うというのなら


 ──・その願い果たしてみせるがいいY o u h a v e c o n t r o l、ローロ・ワン




 ◇




 4秒・・

 すべての権限が解放されたことをローロは理解した。

 心の内で、小さな謝辞を自身へ向ける。

 そして。 


「────【MOSマギマ】、稼働開始」


 少女の後頭部に紫紺の円環が結ばれる。

 直後。

 5秒・・








 天の全てが光り輝いた。








 5.0001──ローロは、空の全てを攻性魔法で埋め尽くした。

 光だった。

 水だった。

 熱だった。

 嵐だった。

 槍だった。

 岩だった。

 風だった。

 全てが、一撃で城塞を破壊する威力を秘めた攻性魔法ばかりだった。その全てが直径3000kmにも及ぶ超巨量魔力によって展開されていた。

 そうして天空より地に降り注ぐ攻性魔法の雨、雨、雨! 


「クソっ、一体いくつの攻性魔法が発動した!?」

「385億65万11個です」

「──それを全て制御して扱ったとでも!?」


 辺り一面を焼き尽くす驚異的高火力魔法群の数に、たまらず仮面の男が姿を現す。

 当然だ。攪乱系の魔法がいかに戦術として有効だったとしても、戦術・・兵器・・は戦・・略兵・・器に・・打ち・・勝て・・ない・・


 仮面の男はもはやなりふり構わず爆撃の全てを躱すことにしか集中できていなかった。ローロを術中に嵌め、搦め手でもって殺すことなど考える余裕さえなかった。

 末恐ろしいのは、仮面の男が放り捨てたアルには攻性魔法385億のうち、ただの一つも掠りもしないことだろう。それほどの制御、処理能力で魔法を実行したという事実──仮面の男がついに吠えた。


「まるで、魔王────」

「────いいえ、騎士です。私は、メフトさまの騎士です!」


 そして10秒。

【質量転換】は設定された時間の終了に伴い、超多量の魔力放出を終えた。

 しかしまだ180秒消化中の魔力が、12秒分だけ残っている。


「ローロ・ワン。

 貴様は、もはや魔王を越えている──!」

「だとしても! 

 私は私の主君に応える騎士でありたい!」


 自身の喪失を伴う魔力によって、少女は地を蹴った。

 向かう先は上空。【強化】と【反作用点生成】による連続飛翔によって、ローロは僅か数秒で成層圏にまで到達する。

 青き地。

 丸い水平線。

 突き抜けていく風と、零下の温度と、凍えた大気だけが天空を支配していた。雲も、夜空も、ここにはなかった。

 だけど魔法が身を包む。

 メフトが与えてくれた力が、ローロをこの領域まで引き連れてきてくれた。


「これが私の剣、私の騎士たる証──」


 剣を下に。

 見定めるは眼下、仮面の男ただ一人。


「【質量転換マスコンバート】──」


 肉体は重力に従い自由落下を開始する。


左手五指の爪サクリファイス消化0.01秒カウントセット────」


 少女の左手の五指、その爪が一斉に消えた。

 剥き出しの肉からは血が止めどなく溢れる。痛みは、しかし悪魔による祝福だ。


「魔力放出、開始」


 刹那。

 惑星表面積の半分を覆う量の魔力が宇宙へと溢れ返り。

 嵐の渦中、中心点にて。

 0.005秒後──その全てが【強化】魔法へと瞬時に変換。



 ローロは。



 齢16の少女の肉体は。



 光速に限りなく近い魔力操作速度は。



 ──単一生命がなしうる限界を、突破した。








 流星の如き超精密擬似的弾道軌道の斬撃。

 その全速域は、光速の、0.8%だった。








 ローロの落下軌道上にあった大気は線状の灼熱を帯び、燃え狂った。

 叩き落された剣の一撃によって周辺地域のあらゆる物質は崩壊した──ローロが事前に展開していた防護魔法の中にいたアルを除いて。

 その一撃は、ただひたすらに、速度のみであらゆる障壁を壊した。


 天を覆う量の魔法を展開し。

 極限まで圧縮された一つの魔法を振るい。

 理論上光速の魔法展開速度を誇る。


 ──ここに、新たな“騎士”が誕生した。

 自身の肉体を代償に、莫大な量の魔力を自由な規模で放出し、その大規模魔力を天才的魔力操作技術をもってありとあらゆる魔法へ瞬時に変換する騎士。

 魔王の騎士ローロ・ワンの足元に、もはや分子さえ溶けた、仮面だったものだけが遺された。


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