「ローロぉ! おはよー!」




 ローロ・ワンは朝の三時に意識が覚醒するように作られている。

 これは厳密に言えば生体脳の覚醒めざめではなく、『ローロ・ワン』として平常時の判断機能を主に担う【シナプス代替魔法】群が明朝三時に稼働状態へ全機能を移行させるよう設定されていることを意味する。が、当の【シナプス代替魔法】群である私からすれば似たようなものだ。魔法による判断機能を主制御とするローロ・ワンの肉体は、生体・・脳が・・睡眠・・状態・・にあ・・って・・も活・・動可・・能な・・のだ・・から・・

 とはいえ常日頃から三時までに就寝を完了できるわけではないので、そういった場合には生体脳が自然覚醒するまで眠ることになっていた。

 そういうわけで朝の9時。

 ローロは自身の頬にあたる人肌の温もりに気づき、気付いた自己の判断機能の正常性を認識し、直後に【シナプス代替魔法】群に予め設定された機能正常性確認チェックサムならびに機構立ち上げブートスタートを終了……よって意識を覚醒させた。

 ぱちり。瞼を上げる。

 見えるのは、衣服の白い布地。ふくよかな柔らかさを押し上げて隆起する形状。女性の胸部。


「ローロぉ! おはよー!」


 声は頭上からだった。

 見知った声に、顔を上へ動かしながら口を開く。


「おはようアル。いつからいたの?」

「さっき!」


 元気よくはきはきと答える女の名をアル・ルールと呼ぶ。現在24歳で、幼馴染の間柄。ついこの間ローロも17歳になったのでローロ・ワンの7歳上ということになる。

 彼女の翡翠にも似た濃い青の瞳は、その丸っこい形をにこにこと緩めている。

 ローロの後頭部をかき抱くようにしている彼女の両腕が、強く引き寄せる動きをした。結果としてローロはアルの胸元に抱き寄せられる格好となる。──ただでさえ同じベッドの中で、抱きしめられているというのに。


「昨日は大活躍だったって魔王さまから聞いたよ! すごいねぇえらいねえさすがローロだねぇ!」

「むぐぐ。く、苦しい」


 数か月前から共に暮らす幼馴染の女は、普段通りスキンシップが多い。大抵ローロの方が朝早くに起きているので滅多にないが、こうしてベッドに入り込んできては一緒に眠ろうとすることも度々あった。おかげで以前まで多くあったメフトと共に寝る機会が減って、それはそれで寂しい思いをしているが。


「あそうだ! ねえねローロ、朝食できてるよ」

「……私を起こしに来てそのまま抱き着いてきたんだね」

「だってローロの寝顔見るの久しぶりだったもん」


 などと言いつつようやく抱擁を解いたアルが先に体を起こす。ぴょんとベッドから飛び出た女の格好を見て、つい言った。


「すっかりメイド服が板についたね」

「でしょでしょー。いいよねこのひらひら〜てしてるロングスカート。お気に入りなんだー」


 スカートを両手で摘んでくるりと翻すアル。彼女が今着ているのは踝までを覆う紺色のロングワンピースに同じ丈のエプロンという、シンプルな給仕のそれだった。


「今度のお給料でまとまったお金になるから、また街で服を仕立ててもらおうかなって思ってるんだー」

「仕事着なんだしメフトさまに言えば用意してもらえると思うけど……」

「半分好きで着てるものだし、自分好みな服にしたいじゃん?」


 アルが『国民なき国』でメイドとして働きだして二か月は経つ。

 どうやら城主たるメフトはアルと労働契約に近いものを結んでいるらしく、彼女はきっちり毎月の給料というものがあるらしかった。ローロはといえば元々お金に興味もなく、衣食住もこの城で事足りているので、事あるごとに金銭を手渡そうとするメフトを丁寧にかわしている。

 アル・ルールは稀代の治癒魔法使いである。非常に感覚的に魔法を手繰る才能があり、たいていの怪我は治すどころか復元させてしまう。世界的に有名な彼女が自由奔放に自身の行く先を決め……結果メイドとして働いているのは、何というかアルらしいとローロは思った。


「朝の支度まだでしょ? 手伝うよー」

「うん。ありがとう」


 幼馴染と同じくベッドから抜け出、近くの鏡台の前に座る。鏡の中に映るローロの銀髪は、寝る前にゆるくまとめた太い三つ編みにされている。ほどくと柔らかなうねり癖がそのまま残った。

 背後に立ったアルが手に持っているブラシで少女の髪を手に持ち、優しく梳きだした。丁寧に。慈しむように。


「髪、前より伸びたねえ」


 言いつつ彼女が手で拾うローロ・ワンの銀髪は、少女の背中半ばを越した程度の長さを持つ。


「昔ほど長くないけどね」

「でもこれくらいの長さが丁度いいと思うなーわたし」

「うん。実際楽だよ」


 数か月前までローロ・ワンの髪の長さは255cm近くあった。

 それは優に自身の身長を超えており、そのままでは地面と擦ることになってしまう。だからローロは複雑極まる髪形を整えるのと、長すぎる髪の手入れだけで毎朝二時間、寝る前に一時間は費やす生活を送っていた。【質量転換】の代償として消費して以降は随分と手入れに掛ける時間も減ったが。


「髪形は何がいいー?」

「なんでもいいよ」

「じゃあわたしの好きな感じにするね!」


 さほど時間をかけずにアルのお任せが鏡の中で出来上がる。複数の編み込みと共に作ったシニヨンだ。こうして人の髪を触る時だけは見事な器用さを発揮するものだと感心してしまう。

 いつにも増して風通しの良い背中に違和感を覚えつつ、ローロはアルと共に部屋を出た。目指す先は炊事場の隣にある、普段ダイニングとして使っている部屋。

 扉を開けると、既に朝食を採っていたメフトがそこに居た。大きな机にはローロ達の分の朝食も配膳が住んでいる。炙った小麦のパン、酢漬けの野菜、野菜の切れ端を煮た大豆入りスープ、目玉焼き。湯気を立てるティーポットの中は最近ローロが育てている香草類を使ったハーブティーだろう。

 ナイフで目玉焼きを切り分けながら、そのくっきりとした二重瞼を笑みの形に変えて、メフトは二人を出迎える。


「おはよう。……なーに? すごく素敵な髪形ね、ローロ」

「はい。アルがやってくれました」

「わたしがやりました!」

「そ。とっても似合ってる」

「えへへえそれほどでもあるよね!」


 なんでアルが照れ照れしてるんだろう。

 二人で席に着くと、メフトが率先してハーブティーをカップに注いでくれる。向かいの席に座るアルは満面の笑みでパンをぱくぱく食べている。どうもメイドだというのに主人には割と尽くす気がないようだった。


「よく眠れた?」

「はい。あの、昨日は傷の手当ありがとうございました」

「え、なに、そんなことしてたの? 二人きりで? ──ずるい! わたしもローロの手当したかった!」

「そうね。今度はアルに治療を頼みましょう」


 うーうーいーいー健康な歯並びの良さを見せつつ唸る、この場で最も年上のアル。それをさらりと宥めたメフト──ローロと同じくこの間23歳になった彼女は、その混じりけのない黒の瞳にローロ・ワンの顔を余すことなく映した。


「ローロ。今日はあまり激しい運動はしないで。畑の方は私でやるから……」


 昨日の戦闘で消費した血液500mlのことを心配されている。

 彼女の声音はいたって真剣で、言葉を挟む隙がない。他人を気遣う時のメフトがどこまでも頑固なことをローロはもう知っていた。彼女との一年近い生活の中で学んだことは、両腕で抱えきれないほどに多い。

 とはいえローロ・ワンはメフトの騎士だ。主君に仕えるのが騎士だとローロは思っている。主君たる彼女にばかり負担を強いるのはローロの望むところではない──ので。

 ……少しだけ。本当にちょっとだけ、頬を膨らませる。眉を八の字にして目玉焼きを食べる。

 すると。


「……そーね。おつかい、おねがいできる?」

「はい。勿論です」


 するとメフトが困ったように微笑みながら仕事を『託してくれる』。

 二人ともが双方の性根というものを理解しきっているからこその会話だった。他愛ない駆け引き。だけどそれを二人だけのやり取りにできる心地よさがここにはあるのだ。

 私達はこの上ない関係を結べている。




 ◇




 さて。朝食を終え、皿洗いを終えた後に向かったのは森だった。城の裏手に広がる大きな森林地帯を決まった道筋に沿って進むと、ぽっかりと開けた平野部に突き当たる。

 そこに野営地があった。木材を組み合わせ枝葉を敷いて屋根としたテントに、同様の作りをした簡素な小屋が二つ。焚火の跡──どうやら不在にしているらしい。

 ローロは思い当たる彼女の居場所を目指し、更に野営地の奥へと向かった。行き着く先はゆったりとした時間の流れる湖だ。

 湖には人がいた。『国民なき国』と呼ばれるだけあって住む者が極端に限られる城周辺の、人の手が入り込んでいない森の中で出会う人物など一人しかいない。彼女はこちらに背を向ける形で湖のほとりに腰を下ろし、なにやら釣竿を手に持っているらしかった。

 釣り中のようだ。

 その、アルとお揃いのメイド服を着る女の背中に近寄り、そっと尋ねた。


「釣れますか?」

「はは、さっぱりだね」


 振り向くことなく女が言った。彼女……ティアレス・ティアラ・ホルルの、惚れ惚れするほど真っ直ぐに伸びた背筋が曲がることはない。横で同じ様に座り込みつつ、ふとした疑問を口にする。


「釣り竿も自作なんですか?」

「勿論。前々から興味はあったんだ。……はは、恥ずかしい話だが魚釣りなんてしたことないからね。これも経験だろうよ」


 水面に垂らした釣り糸がぴくりともしない中でも、ティアレスはいつも通り明朗な笑みを浮かべている。

 自然物に囲まれる中では、春の終わりに流れるにしてはやや冷たい風が静かに拭いている。ティアレスの後頭部で、一つに結われた金髪の毛先がゆらゆらと動いていた。

 ローロはティアレスに籠を差し出す。中身は布で包まれたパンと、瓶入りのピクルスだ。


「メフトさまからの遣いで来ました。今日は、昨日焼いたパンと、野菜の酢漬けです」

「いつも助かる。じゃ、あとでいつものを渡そう」


『いつもの』というのは、この森で採れる山菜や野生動物の肉類などのことだ。

 ティアレスが森に野営地を築き生活をする内に、それまでメフトが行っていた森での採取を彼女が代わりに請け負うようになった。何の対価も求めずに採取物を与えようとするティアレスに決まりの悪さを覚えたローロがこそこそパンや野菜などを差し入れていると、見かねたメフトが『物々交換』を提案したのだ。


『元々ここはあいつの土地で、私が勝手に住み着いているに過ぎないんだ。物々交換も何もないと思うんだがな』


 とはティアレスの弁で、彼女はこの物々交換のやり取りにはあまり乗り気ではないらしい。そもそもティアレスが差し入れをしていたのもローロ・ワンに向けてのものだった。そしてティアレスとメフトは過去の因縁から死ぬほど仲が悪い。本当に──殺し合いに簡単に発展するほど。

 余程の用事でもない限り二人きりになろうとしない仲なので、もっぱら『物々交換』の対応はローロが任されている。

 今朝メフトが言ったお使いというのはこれのことだ。


「ローロ。そうやって何事もなく来れるということは、なんだ、昨日の仕事は無事いったみたいだな?」

「はい。爪を全部使いましたが」


 女の青い瞳はローロの片手に……爪があるべき指先を覆う包帯に、ちらりと向かう。


「でも君は後悔なんかしていないのだろう?」

「──はい」


 城とこの森に住む、ローロより年上の女たちは皆が【質量転換】がどのような魔法かを知っている。ローロが何かしらの代償として自身の肉体を使えば、彼女たちの反応は様々だ。

 例えばメフトはローロが肉体を自壊させればさせるほど真摯な庇護を与えようとする。

 アルはいつも通りの態度でいてくれる。

 そしてティアレスはと言えば、彼女がローロ・ワンにとっての『理想の騎士さま』である最たる理由を体現するかの如く、ローロの行いを理解してくれる。──かつて、メフトに仕えた元騎士として。


「ならいいんじゃないかな。私は君が悔いなく君の騎士道を行けるのなら、それで良いと思うよ」

「ありがとうございます」

「とはいえその爪では日々の労働は少し苦労するだろう? どれ、私も明日から畑仕事を手伝おうかな。実は土いじりもやったことがないんだ。自分の手で作物を育てるのも興味があるぞ私は。もうすぐ夏だし、ツヤツヤのトマトあたりが旬なはず。赤くて酸味があって食感に厚みがあってきっと美味しいだろうなあ……」


 思うに、ティアレスは、普段食べてる野菜が種を植えたらそのまま土から生えてくると考えているタイプだろう。

 脳内で愉快な妄想を広げていそうなにまにま顔にそっと尋ねる。


「メフトさまと並んで野菜の世話を出来るんですか?」

「む。ぐむむ……。…………やっぱりさっきの話はなかったことにしよう。うん、適材適所だな、はは」

「たまにティアレスさまは嘘つきになりますよね」

「な、なんだ、そんな言い方しなくてもいいだろう。だってメフトのことだ、私が野菜を触る手つき一つだってネチネチ言いそうじゃないか!」


 まあ、確かにそうかもしれないが。

 などと会話をしている間も、ティアレスが握る釣り竿はぴくりとも動かない。よくしなる枝を使った簡素な釣り竿だが、それにしたって釣れなさすぎるのではないだろうか。


「よかったら釣り、するかい?」


 ローロの視線に気づいたティアレスが釣竿を手渡してきた。断る理由もないので受け取り、それっぽく構えながら隣の女を横目に見やる。


「釣れないんですよね?」

「チッチッチ。釣るために釣るんじゃない、釣りをしたいから釣るんだよローロ」

「……」

「そ、そんな真顔にならなくてもいいじゃないか。私だって本音を言えば魚を釣ってみたいんだよ……大物釣りあげてみたいんだよ……」

「──ああっ、ティアレスさま竿が反応しました」

「!?」

「大物です。この引きの強さ、大物です」

「!?!?」


 ティアレスが口をぱくぱくさせたまま凄い顔をしている。

 ちなみにローロも釣りなどしたことがない。こういう時はどうすべきなのか。


 ・──『引っ張れば』『いいんじゃない?』


 それもそうだと思った。

 瞬間的な【強化】魔法で竿を引っ張ると、その勢いで湖面を突き破った魚が少しの間宙に浮かんだ。が、釣り糸として使用していたロープが【強化】と魚の重さに耐えきれなかったのか、ぷちん、と糸が切れる音。──次いで水柱が立ち上がり、盛大な音はかき鳴らされる。

 遠くへ泳いでいく魚影を、女が呆然と見つめている。


「そんな馬鹿な……私がここ数か月どれだけやっても釣れなかったのに……」

「ティアレスさま。釣り上げることはできませんでしたが、釣りって面白いですね」

「は、はは。うんそうだな、釣りは面白いよな……釣れるとな……」

「とはいえすみません。糸をダメにしてしまいました」

「いいさ。元々深い考えもなしに始めた事だった。次は魚に負けないようなものにするよ」


 糸が切れてしまっては仕方がないな、と淡い笑みをしたティアレスが立ちあがるので、ローロも腰を上げる。

 二人で野営地に戻ると、ティアレスが小屋の中から布に包まれた肉の塊を持ってきた。


「鹿の燻製肉だ」

「おお」


 両手で持つと、そのずっしりとした重みが伝わってくる。普段調理前に触る肉とは違って、湿り気のない乾いた硬さが不思議だ。布越しでも感じられる煙っぽい匂いはだけど肉を普通に焼くのとは違う味を秘めているように思えてくる。恐らく、いや、かなり美味いに違いない。


「最近うまい燻製肉を作るのに凝っててね。うん、この間できたのはかなり良い感じだと思う。味の感想を知りたいから多めに持っていってくれよ」

「こんなに大きなお肉、いいんですか?」

「いい、いい。半分は私の趣味だ」

「……なんだかティアレスさまは充実した生活を送ってますよね。釣りに、燻製。あと野営地もだんだん規模が大きくなってきています。もはや完全な森の管理人です」

「うん? そうかな、そうかもなあ」


 ティアレスがなし崩しとはいえ森で生活するようになって、もう一年と三か月になる。当初は非常に簡易的なテントだけがあった野営地は、物置に、薪を斬るための切株や、薪を保存するための小屋、屋根を拵えた調理場まである。

 常変わらずメイド服に身を包む彼女の背筋が丸くなる気配は一向にない。


「色々と事件の絶えない土地だが、君の傍で暮らすことはそれなりに気に入ってるんだ」


 メフトへの復讐が未遂に終わって以降、ティアレスが『国民なき国』に居続ける理由はローロ・ワンがそう望むからだ。それ以上の理由を持ち得ないティアレスの笑顔は、どこか吹けば飛ぶような身軽さがあって、だから時折不安になってしまう。


「あの。何かあったらいつでも城に来てくださいね。ティアレスさまにはいつも助けられていますから」

「なんだなんだ、嬉しい事を言ってくれる。……言われなくとも風呂に入りたくなったら城へ行くし、ローロの顔を見たくなったら君に会いに行くし、後輩の面倒だって見ないといけないからね。あまり気にしないでくれ」


 両手で嬉しそうにパンを抱える女へと、ローロは頭を下げて城へ戻る。

 そうしてローロが野営地を後にしてからである。


「へくしっ!」


 突然ティアレスがくしゃみをした。ぶるりと体を震わせ、彼女は呟く。


「うーん。風邪か?」





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