「ローロ、あなたは私のメイドになりに来たの?」
・──『お』
・──『き』
・──『て』
ローロ・ワンの朝は早い。明朝三時には強制的に意識が覚醒するよう出来ている。
「ん……」
小さく呻きつつもベッドから抜け出たローロは、その場で伸びを一つ。ぱちぱちと瞬きをすると、すぐ傍にある鏡台の前に座った。朝起きたローロが一番に行うのは、自身の背丈の1.4倍はある銀髪の手入れだ。
眠る際邪魔にならないよう太い三つ編みにしてあった長髪を解くと、数少ない私物のひとつである折り畳み式のブラシを使い、梳いていく。ゆっくりと。丁寧に。つらつらと考え事をしながら。
──城での生活も二週間が過ぎた。
自身にあてがわれた部屋で寝ることも馴染んできた頃だった。かつて女王の私室だったというだけはある豪奢でふかふかなベッドには未だに落ち着かないが。
二人きりの城内では日々を生きるための作業が中心となって時を過ごすことになる。
畑を耕し、種を植え、水をまき。
森へ行き、山菜を採り、罠を仕掛け。
洗濯をして、服を干して、道具の手入れをして。
そういった人が生きるためのことを毎日ローロはメフトと共に行った。知らないことは多かったが、この二週間で大体のことには慣れたと思う。そうして余裕ができ始めると、ローロも少しだけ自分ごとに時間を使いたいという欲求が芽生え始める。
「編み物、したいな……」
少女はその滑らかな声音で呟いた。
髪の手入れが手慰みの癖なら、編み物はローロ唯一の趣味だった。どちらも既に死んだ母親からの言いつけを守っているに過ぎないが、編み物には不思議と熱が篭った。脳の内から湧きだす『これがいい』という小さな意志だ。
・──『私は』『編み物が』『きっと好き』
じっくりと一時間かけて髪の手入れを終えると、ローロはちらとこの城へ来る際に荷物を運んだ旅行鞄を見やる。
毛糸はあの鞄の中にあるが、数に限りがある。市場も近くにないことは把握済みだ。であれば、あまり無駄遣いはすべきでないだろう。
そう判断したローロは、座ったままの姿勢で両手を前に差し出し、ゆっくりと魔力の放出を始めた。
「……」
魔力というものがなんなのかローロは具体的にはわかっていない。大半の人類がそうだった。世界中の研究者が、他の生物と違い人間だけが持つ不思議な力の源を解き明かそうと日夜研究を繰り返すも、真理には未だ至っていない。
魔力──魔法の動力源について分かっていることは三つだけ。
人体のどこにも『魔力を生成・放出する臓器』はないということ。
無色透明の魔力を、何故か人は感覚として認識できること。多くは『霧のようなもの』として。
そして魔力は生成者の意志に従い形質を自由に変化させることができ、肉体強化や難易度の高いものであれば物質化さえ可能だった。
特に強い感情に起因する変化は容易に行えるとの研究結果も出ている。その最たる例が敵意や殺意によって生成される兵器魔法の類だろう。
──ローロはというと、何かしらの魔法を行使するために魔力を放出したわけではなかった。
「……」
自前の、放出したばかりで周囲に溶け広がり続ける魔力を『捕まえる』。己の意思のみが魔力を手繰るのだと幼児でさえ理解している。そうしてローロは魔力を一度繊維状にした。
細く、どこまでも細い繊維。
それをさらに『より合わせ』、一本の糸にする。──魔力を用いた毛糸の代替だ。士官学校時代、手元に毛糸がない時はこうして魔力で編み物の真似事をしていた。
・──『貧弱な』『
魔力で出来た無色透明の糸で、ローロは自身の脳内に思い描いた物を構築していく。
ものの数秒で出来上がったのは実に精緻なつくりの城だ。
モデルにしたのは今まさにローロが住んでいるこの城と、周辺地域。
「城の裏手には森。正門から真っ直ぐ二日は歩くと街。あとは、まだわからない……」
ここ二週間で把握した範囲をローロは魔力の糸で構築していた。
森の木々の配置から城の崩れた塀の場所とその状態、更には城壁を構築する煉瓦の数まで。その全てが実物と完全に合致している。
驚異的なまでの空間把握能力が、尋常でない記憶力が、そして何より絶対無比の魔力操作技術が、ローロの掌の中で形となって現れていた。見る者が見ればそれだけでローロ・ワンの異常性を把握できるだろう光景だったが……この部屋にいるのは少女一人だ。
その後もローロは三時間近く微動だにしなかった。
微動だにせず、極めて少ない量の魔力を自由自在に変化させ続け、立体構造物を編むことに無心になった。
◇
朝九時。ローロは私室を出、隣室の扉を数度叩いた。
「メフトさま。朝です」
部屋の中から『んー……』というくぐもった声が聞こえてくる。ローロは扉を開けた。鍵がかかっていないことはこの二週間の共同生活の中で把握した情報のひとつだ。
広い部屋だった。
住んでいる本人曰く『たぶん王様の私室だったんじゃない?』とのこと。大きな天蓋付きのベッドに、幾つかの調度品。飾り気はないがその分空間を広く感じられる。
部屋に備えられた大きな窓からは柔らかな朝日が差し込む。陽光を、上体を起こした姿勢で一身に受け、眩しそうに瞼を擦っている女性が一人いた。
それなりに長い黒髪は愉快な癖と共にふわふわと暴れきっている。
「おはようございます、メフトさま」
「…………おはよう」
目頭を揉んで低い調子で答える女。彼女の名をメフトと呼ぶ。
世界中の国々が平伏する個人。史上最強の“魔法使い”。魔王その人。そして何よりローロの主君……と勝手に少女が認識している女王。
「朝が弱いですね?」
「うん。寝ている間の方が疲れるから、あまり寝られないのよ」
「?」
時折メフトは理解しがたい言葉を使う時がある。その大半は、ローロが詳しい説明を受けていないことに起因する。そしてメフトは大抵において説明する気がないようだった。ローロも、主君の全ては理解できないだろうと考えている。
魔王メフトの経歴は全てが謎に包まれている。
全国家が打倒魔王を掲げその出自を徹底的に調査しても、『生まれた国も今まで何をしてきたかもすべてが謎』という結論が出ただけだった。
突如として世界という大舞台に名乗りを上げ、そして【終末魔法】によって世界を支配した魔王。その心には人知れない何かがあるのかもしれない。……とはいえそんなこと、ローロにはどうでも良いことだった。
「朝食の準備はできていますから、支度ができたら来てくださいね」
「んー」
この『んー』は、『わかったから先に食べてて』の『んー』だ。二週間メフトと接してわかったことが幾つかある。
・──『メフトさまは』『間延びした言葉を』『たまに使う』
そしてそういう時のメフトはリラックス状態にあるらしい。
ローロは頷いてから魔王の私室を後にした。
この城はかつて廃城だったとはいえ、それなりに大きい。二人で──二週間前まではメフト一人きりで──使う以上、当然使い道のない部屋というのは出てくる。
例えば広いだけで意味のない食堂とか。
メフトはあまり無駄なことを好まないようで、食事は炊事場の隣室を使っていた。簡単なテーブルと椅子があるだけの部屋だが、メフトもローロも十分だと思っている。
今日の朝食は昨日の夕食で余った野菜のスープを暖め直したものと、乾燥パン。スープに浸しながらパンを食べていると、身支度を済ませたメフトが部屋に入ってきた。
「なんかすっかり朝食の準備をローロがするようになってる」
「お夕飯の余りものです」
「それでも助かってるのよ」
言いつつ対面の席に座るメフトの黒髪はすっかり威厳を取り戻して真っ直ぐだ。つるんとした黒髪。艶のある、綺麗な髪。
「ここでの生活もすっかり慣れた気がします」
ローロはやや胸を張ってそう言った。メフトもパンを千切りつつ頷いている。
「畑仕事もばっちりこなせてるしね」
「掃除もできます。料理もです」
「そうね。あなたの作る食事はいつも美味しいし、私の舌にも合ってると思う」
「……で。では」
おずおずと。
少女の表情が変わっていく。どことなく精彩を欠いた人形めいたものから、歳相応の幼さが表に。
ローロがする上目遣いには期待の色があった。
「そろそろ……そろそろどうですか?」
「ふ。無理ね」
「むむむ……」
騎士に叙任するかどうかのことだ。二週間前、メフトはローロを騎士にするつもりが無いと宣言した。主君(になってほしい人)がその気はないからと、はいそうですかとローロは引き下がれない。騎士になれという母の遺言があるからだ。それは、絶対に、守らなければならない。
この二週間、ローロは自分なりの努力をしてみた。まずは出来ることからということで、生活に慣れること、メフトの役に立つ事。
しかしそんなローロの行いは、どちらかというと……。
「ローロ、あなたは私のメイドになりに来たの?」
「騎士になりに来ました!」
「そう。なら、これじゃだめよね。……侍従としてなら雇いたいとちょっと思うけど」
「私は騎士になりたいんです」
「私にその気はない」
この会話も二週間で五回はしている。メフトはどこか愉快そうに笑う始末だ。
ローロは思わず頬を小さく膨らませながらもずっと抱えていた疑問をこの際訊くことにした。
「国主はその身辺警護に騎士を擁すると歴史の座学で習いました。なぜメフトさまは騎士を必要とされないのですか?」
「そうね……いろいろと理由はあるけど」
述べるならば理由は三つ。
「ひとつ。私は騎士を必要とするほど弱くない」
世界大戦を引き起こしかけていた主要国家は、五年前、一斉に国家代表者を失った。同日同時刻に、それぞれの場所で、メフトに殺されたのだ。
魔王だけが唯一行使できる【終末魔法】は、あらゆる物理的要素を無視できる殺傷性魔法だという。距離も、規模も、場所も問わない究極の戦略兵器。メフトは事実上最強の魔法使いだった。
星を個人で掌握できる領域の“魔法使い”だ。
戦略兵器である“騎士”は確かに不要だろう。自分自身が既に戦略兵器超級の力を持つのだから。
「ふたつ。私は他人から向けられる感情を……それこそ忠誠心なんてものは信じていない。誰もが利害によって簡単に誰だって裏切るのだと知ってるもの」
もちろんローロ、あなたの
とメフトは淡い笑みに言外の言葉を乗せている。
メフトという女性の人となりを表すのに適当な言葉を、ローロはこの二週間で理解していた。──『拒絶』。魔王は自身の国に独りでいることを望み、排他的であろうとし、そして根本的なところで他人を信用していない。
「みっつ。まあこれが一番大きな理由になるけど、──騎士が嫌いなの。イヤーな思い出があってね」
いー、と目を瞑り歯を見せるメフト。時折メフトは見た目以上に幼げな仕草をする時がある。地はどちらなのだろう。
そしてローロはこういった疑問を抱え込む。
・──『騎士が嫌いなら』『騎士になりたい私を』『なぜ許すのだろう』
・──『そもそも』『あの契約書は』『なぜ作られた』
他者を拒絶するメフトが何故、ローロと生活を共にしているのか。思い当たる理由は自身が二週間前サインし、この国へ赴く原因となった契約書以外思いつかない。
メフトの考えることは、まだローロには分からなかった。
口に含んだパンをもごもごと喉奥に押し込んで、また尋ねる。
「……それでも騎士と認められるにはどのような成果が必要ですか?」
「あは。率直な物言いは好感が持てるわ」
本当にそう思っているのか分からない笑い顔だった。
目を弧にして、その特徴的な二重瞼を殊更にくっきりと際立たせた表情のままメフトは言った。
「そのうちローロには頼みごとを聞いてもらうことになるでしょうね。果たせた時には、きっと。恐らく」
「……!」
言葉を少女の聴覚が捉え、言語野は音階を意味として変換し、それらは自身の拙さを
脳内で再構築されたメフトの言葉に、ローロの動きがぴしゃりと止まった。
ややあって──。
「ほ、本当ですか? 私を……メフトさまは、騎士に?」
「その時が来たらね」
何度言葉をかみ砕いても意味は同じだ。
少女の顔に、ゆっくりと笑みが灯った。一際大きな喜びの感情。とても嬉しいのだとローロは表情だけで喋っている。
「大きな進歩です。これはとても大きな前進です」
「…………なんだかローロのことを上手くコキ使ってるみたいで、すこーしヤな感じがする」
対照的にメフトは困り顔をしていた。
「決めた。今日の昼食と夕食は私が作るわ。ローロは今日はお休み」
「いえ、私がメフトさまのお役に立てることをたくさんアピールしたいです!」
「そーお? ……なら、森で山菜を取ってきてくれる?」
「是非に」
そうと決まれば早速仕事に取り掛かろう。
朝食をそそくさと済ませたローロは城の裏手にある森へ入る準備をすぐに終えた。大きなリュックに厚手の生地でできた衣服。手袋。各種道具と、非常手段として直剣を腰に挿す。
城の裏手には塀が完全に崩れた箇所がある。ローロとメフトは時折そこから森へ入り、薪や山菜、時には野生動物を捕まえていた。
今まではメフトと共に森へ入っていたが、今回はローロ一人だ。
「いーい? この森熊とか狼とかいるから、無理はしないこと、遠くに行きすぎないこと。守れるかしら」
「はい」
少し心配なのだろう。メフトは少女の見送りのため塀の跡地に立って、少女へと言って聞かせるような口調だった。
大きく頷いたローロが手を振ってから森へと分け入っていく。銀髪が軽やかに揺れ踊る様が見えなくなるまでその場から動かなかったメフトは、ぽつりと言った。
「……大丈夫かな、あの子」
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