1921年2月12日14時56分2秒は今から1年と9ヶ月後である

「貴国を構成する主要政体ならびに軍事拠点への徹底的な破壊行動を継続します」



 1919年5月11日 

 メフィストフェレス条約締結国の一つである『議国』は、条約の一方的な破棄を宣言 近隣諸国への侵略派兵を強行


 1919年5月15日 

 メフィストフェレス条約締結者メフトは『議国』への、条約に基づいた政体破壊活動の最後通告を行う


 1919年5月20日 

『議国』はメフト個人へ宣戦を布告


 この日、国家対個人の戦争が開幕した





 ◇





 春もいよいよ終わり、昼下がりには薄らと汗ばむことさえある季節。

『議国』領。

 穏やかな気候に包まれる日中、街路を行軍する兵士達がいた。数は三百人。これから彼らが向かう先は、近隣諸国との国境線に最も近い駐屯地だ。

 肩に小銃を担いだ彼らの顔は暗い。兵士たちはまるで自分達の存在が見つからないことを祈るかのように黙々と歩き続けている。時折空を飛ぶ鳥たちの物音で慌てたように顔を跳ね上げる者さえいた。 

 五年前、類を見ないほどに世界最強の魔法使い──『魔王』によって世界が支配された。幾つかの反発した国々はそのすべてが『魔王』に政体を破壊され、以前とは違う国に変わり、抗う意志を……牙を抜かれた。ここ2年はどの国も『魔王』に抗うことを止め、経済発展に注力していたはずだった。

 兵士たちの顔は語る。



 だというのに、どうして自分達の国が! 



 ある日突然、国を運営する者が条約の破棄を決定した。──メフィストフェレス条約。多国へのあらゆる戦争行為を禁じ、絶対の掟を破った国家を徹底的に破壊する悪魔的不平等条約。

 五年前までの世界大戦すら容認するほど火薬の臭いが燻っていた時代ならば、そういった戦争容認の決断は多いにありえただろう。しかし今はもはやそんな時代ではない。どの国も経済発展に注力し、少しでも富を増して多国より優位に立とうと足掻いている。その優位性が『魔王』の支配を前提としたものだったとしても、構わないと。

 しかし自国の為政者は違った。そして兵士達は、彼らの言い分を実行に移すための手足とならなければならない。そこに異論を挟むことなど、彼ら軍人にはできなかった。

 何故なら彼らは、命令には従わなければならないという教育を徹底的に叩き込まれているからだ。軍という一種の群体が『一つの強大な力』として機能するためには、個人の意思はさほど重要視されない。

 だから誰もが諦めきった顔で、納得も理解もできない戦争のために歩き続ける。

 早く『魔王』に戦争を止めてほしいと願いながら。

 同時に、自分達を攻撃するのは止めてほしいと祈りながら。

 そんな消極的な絶望の中。




 ◇





「【質量転換マスコンバート】。全指の爪サクリファイス消化600秒カウントセット

 ──魔力放出、開始」





 ◇




 爆音。

 轟音。

 全身の皮膚を強く打つほどの震動。

 遥か彼方の空に、咆哮を上げる一際大きな炎の輝きが生まれた。

 それは流星にも似て大空を駆け巡る一条の光芒。向かう先、落ち行く先が、一斉に顔を上げた兵士達には理解できた。できてしまった。

 ──この国の、首都。軍総司令部がある方角……。


「大陸間弾道魔法……あれが戦略兵器……」


 足を止めた兵士たちの誰かがぽつりと漏らす。

 大陸間弾道魔法。

 尋常でない魔法的加速手段によって空すら突き破るほどに上昇し、その後は慣性と重力に従い落下地点へと弧を描いて降下。地形に一切囚われることのない遥か上空からの急襲は、魔法的加速が合わさることでほとんどの防衛魔法が起動する時間さえ与えず、的確かつ大陸を跨ぐほど遠方の敵地だろうと致命的ダメージを与えると言う。

 1900年初頭においてそれほどの精密性と膨大な推進力を確保できる兵器などたった一つしか存在しない。

 ただそこにあるだけで戦略兵器と見なされる存在。

 単一の魔法を、極め過ぎた者達。


「“騎士”の、到達点──」


 呟いた兵士たちは皆一様に空を眺めていたが、やがて自身に課せられた命令を思い出したかのように体の向きを正すと、また黙々と行軍を再開しだした。

 作戦の中止を告げる命令もなければ、自身らが被害を負った訳でもない。命令が取り消されたのでなければ、兵士達は命じられるまま動く他なかった。



 ──そして同時刻。

『議国』首都、軍総司令部にて。

 かつては立派な建築物だったはずの司令部は、今や瓦礫が辺り一面に広がる荒野と化していた。

 会議室だったのだろう。大勢の人物が詰め寄るその場所は、今では無窮の青空を濃く映す平野である。そして、誰もが、辺り一面の瓦礫ではなく──地面にへたり込む一人の男へと剣の切っ先を突きつける、小柄な少女へと注視していた。

 そう。

 少女である。

 まだ成人にも達していないだろう幼さの目立つ顔立ち。身に纏う七分丈のワンピースとキュロットスカート、薄いタイツにブーツという軽装の出で立ちは、春も終わりに近い今の季節ならどこにでもいる街娘の格好だ。

 軍という物々しい機関においては、酷く場違いな雰囲気の少女だった。


「貴国における国家代表者で間違いありませんね」


 少女の声音が、見下ろす位置にいる男へ向けてだけでなく、吹きさらしの荒れ地すべてに響き渡った。言葉を発せる者は誰一人いなかった。怪我をしていたからではない。遥か上空より突如飛来し、その破滅的速度のみで司令部を完膚なきまでに破壊され、その衝撃で死ん・・だか・・ら喋・・れな・・いの・・では・・なく・・、ただただ極めて異常な光景に言葉を発することが出来なかったのだ。

 その時司令部に身を置いていた全ての人物は──否、司令部の周辺地域にいた人物全員が、一人の少女が展開した防護魔法によって保護下にあった。マッハ12にも匹敵する降下速度ならびに大地衝突の余波は、完璧な形で人体が負うべき致死的負傷のすべてを防ぎきっていた。

 つまり人的被害ゼロの大陸間弾道魔法である。

 その異常性に、誰もが言葉を失っている。  


「条約執行者として名代を承ったローロ・ワンと申します」


 その声に尖りはなく。

 どこまでも滑らかさを保つ乙女のもの。


「私の行いはメフィストフェレス条約に基づくものです。私の行動のすべてを条約締結国が批准し、かつ、条約締結者メフトが承認するものです」


 背中の中ほど越す髪は色素の薄い銀髪。

 両の瞳は淡い紫。

 可憐で、場違いな乙女。


「私はしかし、メフトさまのように人を殺すつもりはありません。そのための【質量転換】です、そのための剣です──私は人的被害ゼロかつ10分で戦争を終わらせるためにここへ来ました」


 大陸間弾道魔法そのものとして直接『議国』軍総司令部を壊滅させた少女ローロ・ワンは、その淡い紫の瞳に静かな意志を乗せて、目の前の男を見つめ続ける。

 突然の事態に何を言うべきかも分かっていない男の様子に、少女は尚も続けた。その手に持つ剣の柄、握る右手五指の爪すべてから血を流しながら。


「降伏勧告を受諾してください。こちらにサインをどうぞ。サインをされない限りは……」


 空いている左手に持っていた書簡を男へと広げて見せつつ。


「貴国を構成する主要政体ならびに軍事拠点への徹底的な破壊活動を継続します」


 ──少女より放出されていた直径20m大の魔力が、一斉に魔法へと変換されていく。

 それは砲弾にも似た攻性魔法の数々である。

 上空へ仰角を持って射出された魔法的砲弾の全てが、『議国』領土のありとあらゆる方向へ発射され続けた。驚異的魔力操作技術によって展開され続ける砲弾型魔法の数は秒間500発を越えており──それら全ては一撃で建築物を破壊できるだけの威力を秘めている。

 少女の言葉。そして放たれ続ける魔法的砲弾の尋常でない発射数。

 意味するところをその場の軍人たちが理解できたのは、魔法展開から5秒が経過してからのこと。

 その5秒間で『議国』首都中央に位置する、国家運営に必要な議事堂が破壊されたからだった。




 ローロ・ワンなる人物は、この場所から、自国の軍事・政治拠点全てに壊滅的被害を出すつもりでいる──! 




 悲鳴にも似た怒号が炸裂した。

 少女の行いをこれ以上許せば『議国』は自国防衛機能と政権運営能力の全てを失う。軍人達は一斉に攻性魔法を展開し、または殺傷性の高い銃を構え、もしくはその身で少女を止めるために突進した。

 しかしその全ては少女の展開する強固な防護魔法の壁によって阻まれた。 


「繰り返します」


 猛烈な殺意が過密する中でも、少女の声音に狂いはない。まるで一様の動作を繰り返すだけの人形じみた平坦な声音のまま、一切の尖りをなくして、ただただ目の前の男だけを見下ろし続ける。


「降伏勧告を受諾してください。こちらの文書にサインをどうぞ。サインをされない限り、私はこの国の軍事・政治拠点のみ・・を徹底的に破壊します」


 激音によって聴覚を塗り潰される中、ようやく男は少女が左手に広げる書簡に目を向ける。そこに書かれた内容に目を剥いた。

 酷くシンプルな文と、サインを記載する欄だけ書かれた紙だった。



 ・全軍に対し無条件降伏を布告し、あらゆる作戦行動の停止を命じる

 ・現政権における主要構成人員全員の資産没収ならびに国外退去命令を承諾する



 男、『議国』の国家代表者はようやく悟る。自分が今、誰を相手にしているのか。

 これが『魔王』。『国民なき国の女王』、その尖兵。

 ──魔王の騎士。 


「……こ、殺さないという、保証は?」

「私があなた達を殺していないという事実では不足ですか?」


 有無を言わせぬ口調に、ついに男の腕がのろのろと動く。ペンを手に持ち、書簡を受け取り、死んだような顔でサインをしようとした瞬間。 




 天に強大な魔力放出が発生。

 そして空より、一本の槍が投擲された。




 速度にしてマッハ3.5──音の壁を突き破る轟音は空力加熱を伴い、凄まじい衝撃をもって突き進む。狙う先はただ一点、銀色の髪を持つ乙女のみ。

 ローロ・ワンは槍の投擲に対し的確に反応し、砲弾型魔法の展開を停止、防護魔法を更に展開してみせた。

 槍の投擲も、ローロの防護魔法再展開も、1秒以下の対応である。

 もはやまっとうな人間が身を置く戦闘速域ではない。

 防護魔法の壁と超速の槍が衝突し、その衝撃波だけで周囲にいた全ての人物が吹き飛んだ──驚異的だったのは、少女が展開していた周辺人物への防護魔法がまだ有効だったことだろう。吹き飛ばされた軍人達は未だに無傷である。


「……」


 そして、突然の事にサインも忘れて目を白黒させている男を放って、少女は首の向きを変える。空へ。

 青ばかりがある空には、砂粒ほどに小さい黒点があった。異物は徐々に徐々にその姿を大きく変え──やがて、ローロの眼前数メートル先に落着する。


「……あれがか? まだ子供じゃないか」

「侮るな。俺の槍を魔法障壁だけで防いでいる」

「わかってる、これも仕事だ」


 それは人だった。数は2人。いずれも軽装であり鎧の類はなく、ズボンにシャツという動きやすい服装をしている以上の特徴はない男達。しかし腰に挿した鞘入りの直剣は特徴的で、少女は理解した。

 身を守るための鎧を着けないのは、高度な魔法展開能力を持つ者にとっては不要だからだ。殺傷性ばかりが高い魔法という力学は、既存の防護服や鎧というものを簡単に貫通する。動きやすい服装も同じ理由で、最高の武器である自身の肉体、その可動範囲を邪魔しないため。

 そして、唯一の武装として携帯する実体剣は彼らの誇りそのものである。

 少女は槍を投げつけてきた二人の男達に向けて口を開いた。


「対応が遅すぎます。この国の者ではありませんね。所属は?」

「しいて言うなら、魔王の支配を受け入れられない者達の集まりだな」


 男の片方が代表するように言葉を返す。

 そして、更に続けた。


「騎士二名、現着。

 これより魔王の騎士ローロ・ワン討伐を実行する」


 言葉と同時。

 二人が一斉に【強化】魔法を展開し、抜剣、散開した。

 その速度領域は初速時点でのマッハ5。




 0.003秒後──二方向からの斬撃がローロ・ワンへと振るわれる。




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