【一章完結】スキル【万物支配(ワールドテイム)】に目覚めたおっさんは、ダンジョンで生計を立てることにしました~無職から始める支配者無双~

岸本和葉

第1話 おっさん、無職になる

 山本春重やまもとはるしげ(38歳)は、その日信じられないものを目にした。


「――――なんだ、これ」


 彼はいつも通り出社したはずだった。

 毎月のサービス残業は、八十時間以上。

 上司の無茶ぶりに応えるべく、休日返上は日常茶飯事。

 それでも彼は、周りの社員が体や精神を壊していく中、無遅刻無欠席で今日まで出勤し続けた。

 心身の頑丈さだけが取り柄だと思っている本人にとっては、この事実は決して特別なことではないが、傍から見れば異常者であることは間違いなかった。

 

 春重は自分の勤める会社があったはずの場所・・・・・・・・で、ただ立ち尽くす。

 そう、そこにはもう、何もない。

 社長の悪趣味な壺も、直近で販売したがまったく売れなかった美容グッズの在庫も。自分のデスクも、同僚のデスクも、ここに会社があった痕跡が、綺麗さっぱり消えていた。


 ――――ビルを間違えたか?


 春重は、一度ビルから外に出る。

 今週は本当に珍しく、三日も会社を休むことができた。

 祝日を含めた三連休。本来であれば、社長に理不尽な理由で呼び出され、いつも通り休日を返上して出社するものだと思っていた。

 しかし、今回はそれがなく、春重は違和感を覚えていたのだ。


「三日も休んだから、会社の場所すら忘れたのか。俺はドジだな、まったく」


 なんて独り言をつぶやきながら、春重は歩道からビルを見上げる。

 いや、確かにここは、どう見ても自分が勤めている高宮たかみや商事があったビルだ。

 三日休んだところで、新卒から二十年以上通い続けた会社の場所を忘れるはずがない。


「ここにあった高宮商事って会社、昨日夜逃げしたらしいわよ~」


「聞いたわぁ~それ! 社長と秘書が会社のお金を横領しすぎて、首が回らなくなったんでしょ?」


「ひどい話よねぇ~」


 通りすがりのおば様たちの会話が聞こえてくる。

 夜逃げ、そうか、夜逃げか。

 春重は納得した様子で手を打った。


 ひとまず、今日は仕事がなくなったのだ。

 春重はコンビニに寄り、缶コーヒーを購入した。

 そして近くの公園のベンチに腰掛け、コーヒーを呷った。


「――――って、納得できるか!」


 叫んだ勢いのまま投げた空き缶が、見事ゴミ箱に叩き込まれる。

 午前中の閑散とした公園に、三十八歳の嘆きと、空き缶の虚しい音が響いた。仲間たちとゲートボールに勤しむ老人たち、スーツを着たまま項垂うなだれているサラリーマン。

 彼らは春重のほうを見向きもしない。

 春重のような存在が珍しくないというのが、なんとも世知辛い世の中である。


「参ったな……退職手当とか出るのか?」


 ベンチに座り、春重は天を仰ぐ。

 三十八歳、独身、無職、童貞。

 そんな言葉が、頭の中を駆け巡る。

 仕事人間である春重は、女性と付き合ったことがなかった。

 出会いを求める時間すらなかったわけだが、それは置いておくとして――――。

 

 問題なのは、仕事がないこと。

 春重は、忙しさのあまり、収入をほとんど貯金に回していた。

 日々の大きな出費は、五畳ワンルームという狭いアパートの家賃くらいで、四万八千円。なかなか家に帰れないせいで、光熱費もほとんどかからず、一万円以下になることもしばしば。

 さらには趣味と呼べるものもなく、結果として春重には、稼ぎがなくともしばらくの間は生活できるだけの貯蓄があった。

 

 ただ、その貯蓄がなんだというのだ。

 稼ぎがなければ生きていけない。

 このまま新たな職につかなければ、そう遠くないうちに一文無しになってしまう。

 品行方正、真面目、堅実――――そんな言葉を正義と信じていた春重にとって、この状況は絶望的だった。

 

「早く……一刻も早く、職を見つけなければ……」


 早々にこの状況を脱しなければ。貯蓄がゼロになってしまう前に。

 まさか自分がこの公園で項垂れる側に回るとは、思いもしなかった。

 年相応に痛み出した腰を支えて、春重は立ち上がる。


 そのとき、ふと、天にそびえ立つ塔が見えた。


 ――――東京スカイツリー。


 しかし、それは五年前・・・の名前。

 現在の正式名称は、『東京スカイツリーダンジョン』。

 三本の足に支えられているその塔は、日本古来のそりやむくりが意識されており、まるで天まで届く巨大な木を連想させるような、洗練されたデザインだった・・・


 それが、今やどうだろう。

 東京のシンボルでもあった、あのスカイツリーは、地中から伸びた禍々しい漆黒の樹木に包まれ、異形の塔へと変化してしまった。

 

『ダンジョン化』――――あらゆる建造物が、突如としてモンスターの蔓延る迷宮へと変化してしまう現象。

 

 初めてダンジョン化が起きたのは、もう五十年ほど前になる。

 以来、この世界では珍しい現象ではなくなった。


「ダンジョン……探索者というのは、誰でもなれるものだったかな」


 スカイツリーだったものを見上げ、春重は独りごつ。

 

 ダンジョン化した建造物は、その最奥にいるダンジョンボスと呼ばれるモンスターを討伐することで、元の形と機能を取り戻す。

 危険な迷宮へ挑み、様々な成果を持ち帰るために戦う者たちのことを、人々は『探索者』と呼んだ。


 春重は、堅実な人間である。

 

 少なくとも、彼が就職した高宮商事は、決まった給料を必ず支払ってくれていた。

 それは至極当然のことであり、決して褒められるようなことではないものの、春重からすれば安定している状態と言えたのだ。

 

 探索者は命がけかつ、歩合制である。

 どれだけ危険を冒そうとも、モンスターを倒して手にいれる素材や、『未解明兵器アンノウンパーツ』と呼ばれるアイテムを持ち帰れなければ、収入は発生しない。


 なるのも簡単。やめるのも簡単。

 一攫千金も夢じゃない――――が、その分、命の危険を伴う。

 それこそが、探索者。


 この世界において、現在もっとも熱い・・職業である。


「仕事探しは……明日からにしようか」


 それは、三十八年間、三百六十五日、一日たりとも休むことなく真面目だった男の、初めての気まぐれだった。

 

 彼の足は、ダンジョンを攻略する探索者たちを管理する事務所、通称『探索者ギルド東京支部』へと向かう。

 ギルドは大きなビルを丸ごと一棟所有しており、そこでは多くの探索者が、日々忙しなく出入りしていた。


 ――――場違いにもほどがある。


 春重の背中に、冷や汗が浮かんだ。

 ダンジョン攻略のために、鎧や武器を持ち歩いている探索者たち。

 そんな彼らの中に、スーツ姿のおっさんが混ざっている。

 これが場違いと言わずなんと言おうか。


 探索者たちは、珍しいものを見る目で、春重の横を通り過ぎていく。

 ともあれ、ここですごすごと帰ったのでは、あまりにも不審者がすぎる。

 ――――仕方ない、一日だけ勇気を振り絞ろう。

 春重は、意を決して受付へと向かった。


「ようこそ、探索者ギルドへ。お約束ですか? それとも登録ですか?」


「と、登録をお願いしたいのですが……」


「承知いたしました。では、登録の間へご案内いたします」


「登録の間……?」


 恥ずかしながら、春重は探索者についての知識を、まったくと言っていいほど持ち合わせていなかった。

 知っているのは、その日のうちに登録できることと、命がけの職業であることくらい。


「登録の間というのは、探索者になるための力と、武器の提供を行う場のことです。すぐに終わりますので、緊張なさる必要はありませんよ」


「そ、そうですか……」


 緊張するなと言われると緊張してしまうのが、人というもの。

 高鳴る心臓を押さえながら、春重は受付の女性について建物の中を歩く。

 何を隠そう、この山本春重、病院での検査ですら、緊張マックスで挑む小心者である。

 ここに来たのも、半ばヤケになっただけで。

 すでに冷静になってしまった頭は、帰りたいという気持ちでいっぱいだった。

 しかし、ここで帰れば、この女性の時間を無駄にしてしまう。

 登録したいと言ったのは、自分なのだ。それすらやらずに帰るのは、情けないにもほどがある。


「ここが登録の間です。あとは中の者の案内に従って、登録をお願いします」


「あ、ありがとうございました……」


「よき探索者ライフを」


 女性は頭を下げてから、春重の前をあとにした。

 生唾を飲み込んで、春重は登録の間とやらに足を踏み入れる。

 

 部屋の中心には、まるで黒曜石のような質感の大岩が鎮座していた。

 高さは、パッと見で二十メートル以上あるだろう。

 その分、部屋の天井もかなり高く、例えるならば、学校の体育館のようだった。

 

「ようこそ、登録の間へ。新規登録希望の方ですね?」


「は、はい……そうです」


「こちらへどうぞ。本人確認書類を提出していただいたあと、登録に移らせていただきます」


 春重は、職員の男性に部屋の奥まで案内されたあと、運転免許証を渡した。


「――――山本春重さん、三十八歳……っと。珍しいですね、この年で探索者を目指すなんて」


「お恥ずかしいのですが……勤めていた会社が、突然夜逃げしてしまいまして……」


「え⁉ そ、それは災難でしたね……はい、確認させていただきました。早速ではありますが、探索者について詳しくご説明させていただきます。すでに知っている項目もあるかもしれませんが、規則なので」


 男性は、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

 何も知らない春重からすれば、むしろこの説明は大変ありがたい。


「まず、探索者とは、ダンジョンの最奥を目指し、あらゆる施設の復興を目指す者を指します。……比較的モンスターが弱い浅い層で活動し、収入を得る方々も探索者と呼びますが……大前提として、前者が推奨されるべき探索者です」


「なるほど……」


「探索者になるには、ここにある『覚醒の石碑』に名前を刻む必要があります」


 男性が示したのは、部屋の中央に鎮座する、あの巨大な黒曜石のような岩だった。

 よく見れば、岩の表面に数多の名前が彫られている。


「あの石碑に名前を刻んだ時点で、あなたは『探索者レベル1』となります」


「レベル1……なんだか、ゲームみたいですね」


 春重も、子供の頃はゲームで遊んだものだ。

 ただ、やたらと厳しい家庭で育ったせいか、新しいゲームはなかなか買ってもらえず、永遠と同じRPGを周回していただけだったが。


「みなさんそう仰います。不思議ですよね、ゲームでよくあるステータス表が、現実で見えるようになるなんて」


「それなら……ダンジョンでモンスターを倒すと、レベルが上がったりするんですかね」


「その通りです。経験を積めば積むほど、あなたのステータスは上昇し、超人的な強さを手に入れることができます」


 ――――夢のような話だな。


 春重は石碑を見上げ、そんなことを考える。


「では、登録を進めましょうか」


 男性に連れられ、春重は石碑の前に立たされた。

 石碑に触れるよう言われ、その通りにする。

 ひんやりとした無機質な温度が、手のひらから伝わってきた。


「うおっ」


 すると突然、春重の眼前に青白いパネルが出現する。

 向こう側が透けて見えていることから、どうやらホログラムに近い仕様のようだが――――。


「そこに指で名前を書いてください」


 指で? と疑い半分なまま、春重はパネルに名前を書く。

 引っ掛かりもなく、思いのほかスラスラと書けたことに驚いていると、突如としてパネルが石碑に吸い込まれた。

 そして石碑の一部が欠け、『Harushige Yamamoto』という文字が浮かび上がる。


「では、先ほどの青白いパネルをイメージしながら、ステータスと声に出してください」


「す、ステータス?」


 春重がその言葉を口にすると、再び青白いパネルが宙に現れた。



名前:山本春重

種族:人間

年齢:38

状態:通常

LV:1

 

HP:62/62

SP:54/54


スキル:『万物支配ワールドテイム』『鑑定』



「名前やHPが表示されてると思いますが、スキルの欄には何が書いてありますか?」


「あ、これって周りの人には見えないんですね」


「そうなんですよ。最初に目覚めるスキルは、いくつかの基本スキルの中から一種です。すでにマニュアルがあるので、使い方を解説させていただきます」


「なるほど……えっと、スキル欄でしたよね? ……『万物支配ワールドテイム』と、『鑑定』の二つがあります」


「ワールドテイム……? あ、『調教テイム』ですね! あー……そうですか、厄介なスキルに目覚めましたね」


 そう言いながら、男性は苦笑いを浮かべる。

 その表情は、ひと月の残業時間を新入社員に伝えたときのものに、極めてよく似ていた。

 ひと月後には会社に来なくなってしまったが、彼は今頃どうしているだろうか。


「『調教テイム』は、モンスターを使役するスキルです。弱らせたモンスターを味方にし、命令を出すことができます」


「……? それだけなら、使えそうなスキルに思えるんですが」


「うーん……問題は、命令ひとつでSPを大きく使ってしまうことと、モンスターの知能が低すぎて、ほとんどの命令を理解してくれないという点なんですよね。知能が高いモンスターはレベルが高いことが多いですし、そうなると、スキルを弾かれやすいんですよ」


 だめだこりゃ――――と、春重は思った。

 

 男性の説明は、春重にとって馴染みがないものばかり。

 十全に理解できたわけではないが、少なくとも、周りからの評価が低いことは理解した。

 

「『鑑定』のほうは、モンスターのステータスを暴くために使えます。ダンジョンを探索する際は、うまく活用してください」


「……ありがとうございます」


 ――――きっとすぐに引退するだろう。


 男性は、肩を落とす春重を見て、そんな風に思った。

 探索者ギルドの職員として、数々の探索者誕生の瞬間に立ち会った。

 辞めていく探索者は、最初のスキルチェックで分かる。


 まず、最初に目覚めるスキルが弱ければ、ダンジョンの最奥にたどり着くことは極めて難しくなる。

 モンスターを倒すことは困難で、レベルも上がらない。

 当然、収入も得られない。 

調教テイム』は、ファーストスキルの中でも、三本の指に入る超ハズレスキルである。


「……初心者用の探索者セットを配布しますので、ぜひ活用してください。それでは……よき探索者ライフを」


「はい……ありがとうございました」


 別に、何かに期待していたわけではない。

 あくまで、探索者登録したのは気まぐれであり、職業にするつもりは一切なかった。

 しかし、才能がないと言われたら、それはそれで悲しいではないか。

 自分の人生から、一つの希望が失われたのだから。


「ダンジョンの入り口で、モンスターを一体倒そう……せめてもの思い出に」


 そう呟きながら、春重は近場のダンジョンへと向かう。

 

 春重はもちろん、ギルドの職員も、まだ気づいていない。

万物支配ワールドテイム』は、決して『調教テイム』ではないということに。



 山本春重(38)の伝説は、今日、この時より始まる。

 

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