【一章完結】スキル【万物支配(ワールドテイム)】に目覚めたおっさんは、ダンジョンで生計を立てることにしました~無職から始める支配者無双~
岸本和葉
第1話 おっさん、無職になる
「――――なんだ、これ」
彼はいつも通り出社したはずだった。
毎月のサービス残業は、八十時間以上。
上司の無茶ぶりに応えるべく、休日返上は日常茶飯事。
それでも彼は、周りの社員が体や精神を壊していく中、無遅刻無欠席で今日まで出勤し続けた。
心身の頑丈さだけが取り柄だと思っている本人にとっては、この事実は決して特別なことではないが、傍から見れば異常者であることは間違いなかった。
春重は自分の勤める会社が
そう、そこにはもう、何もない。
社長の悪趣味な壺も、直近で販売したがまったく売れなかった美容グッズの在庫も。自分のデスクも、同僚のデスクも、ここに会社があった痕跡が、綺麗さっぱり消えていた。
――――ビルを間違えたか?
春重は、一度ビルから外に出る。
今週は本当に珍しく、三日も会社を休むことができた。
祝日を含めた三連休。本来であれば、社長に理不尽な理由で呼び出され、いつも通り休日を返上して出社するものだと思っていた。
しかし、今回はそれがなく、春重は違和感を覚えていたのだ。
「三日も休んだから、会社の場所すら忘れたのか。俺はドジだな、まったく」
なんて独り言をつぶやきながら、春重は歩道からビルを見上げる。
いや、確かにここは、どう見ても自分が勤めている
三日休んだところで、新卒から二十年以上通い続けた会社の場所を忘れるはずがない。
「ここにあった高宮商事って会社、昨日夜逃げしたらしいわよ~」
「聞いたわぁ~それ! 社長と秘書が会社のお金を横領しすぎて、首が回らなくなったんでしょ?」
「ひどい話よねぇ~」
通りすがりのおば様たちの会話が聞こえてくる。
夜逃げ、そうか、夜逃げか。
春重は納得した様子で手を打った。
ひとまず、今日は仕事がなくなったのだ。
春重はコンビニに寄り、缶コーヒーを購入した。
そして近くの公園のベンチに腰掛け、コーヒーを呷った。
「――――って、納得できるか!」
叫んだ勢いのまま投げた空き缶が、見事ゴミ箱に叩き込まれる。
午前中の閑散とした公園に、三十八歳の嘆きと、空き缶の虚しい音が響いた。仲間たちとゲートボールに勤しむ老人たち、スーツを着たまま
彼らは春重のほうを見向きもしない。
春重のような存在が珍しくないというのが、なんとも世知辛い世の中である。
「参ったな……退職手当とか出るのか?」
ベンチに座り、春重は天を仰ぐ。
三十八歳、独身、無職、童貞。
そんな言葉が、頭の中を駆け巡る。
仕事人間である春重は、女性と付き合ったことがなかった。
出会いを求める時間すらなかったわけだが、それは置いておくとして――――。
問題なのは、仕事がないこと。
春重は、忙しさのあまり、収入をほとんど貯金に回していた。
日々の大きな出費は、五畳ワンルームという狭いアパートの家賃くらいで、四万八千円。なかなか家に帰れないせいで、光熱費もほとんどかからず、一万円以下になることもしばしば。
さらには趣味と呼べるものもなく、結果として春重には、稼ぎがなくともしばらくの間は生活できるだけの貯蓄があった。
ただ、その貯蓄がなんだというのだ。
稼ぎがなければ生きていけない。
このまま新たな職につかなければ、そう遠くないうちに一文無しになってしまう。
品行方正、真面目、堅実――――そんな言葉を正義と信じていた春重にとって、この状況は絶望的だった。
「早く……一刻も早く、職を見つけなければ……」
早々にこの状況を脱しなければ。貯蓄がゼロになってしまう前に。
まさか自分がこの公園で項垂れる側に回るとは、思いもしなかった。
年相応に痛み出した腰を支えて、春重は立ち上がる。
そのとき、ふと、天にそびえ立つ塔が見えた。
――――東京スカイツリー。
しかし、それは
現在の正式名称は、『東京スカイツリーダンジョン』。
三本の足に支えられているその塔は、日本古来のそりやむくりが意識されており、まるで天まで届く巨大な木を連想させるような、洗練されたデザイン
それが、今やどうだろう。
東京のシンボルでもあった、あのスカイツリーは、地中から伸びた禍々しい漆黒の樹木に包まれ、異形の塔へと変化してしまった。
『ダンジョン化』――――あらゆる建造物が、突如としてモンスターの蔓延る迷宮へと変化してしまう現象。
初めてダンジョン化が起きたのは、もう五十年ほど前になる。
以来、この世界では珍しい現象ではなくなった。
「ダンジョン……探索者というのは、誰でもなれるものだったかな」
スカイツリーだったものを見上げ、春重は独りごつ。
ダンジョン化した建造物は、その最奥にいるダンジョンボスと呼ばれるモンスターを討伐することで、元の形と機能を取り戻す。
危険な迷宮へ挑み、様々な成果を持ち帰るために戦う者たちのことを、人々は『探索者』と呼んだ。
春重は、堅実な人間である。
少なくとも、彼が就職した高宮商事は、決まった給料を必ず支払ってくれていた。
それは至極当然のことであり、決して褒められるようなことではないものの、春重からすれば安定している状態と言えたのだ。
探索者は命がけかつ、歩合制である。
どれだけ危険を冒そうとも、モンスターを倒して手にいれる素材や、『
なるのも簡単。やめるのも簡単。
一攫千金も夢じゃない――――が、その分、命の危険を伴う。
それこそが、探索者。
この世界において、現在もっとも
「仕事探しは……明日からにしようか」
それは、三十八年間、三百六十五日、一日たりとも休むことなく真面目だった男の、初めての気まぐれだった。
彼の足は、ダンジョンを攻略する探索者たちを管理する事務所、通称『探索者ギルド東京支部』へと向かう。
ギルドは大きなビルを丸ごと一棟所有しており、そこでは多くの探索者が、日々忙しなく出入りしていた。
――――場違いにもほどがある。
春重の背中に、冷や汗が浮かんだ。
ダンジョン攻略のために、鎧や武器を持ち歩いている探索者たち。
そんな彼らの中に、スーツ姿のおっさんが混ざっている。
これが場違いと言わずなんと言おうか。
探索者たちは、珍しいものを見る目で、春重の横を通り過ぎていく。
ともあれ、ここですごすごと帰ったのでは、あまりにも不審者がすぎる。
――――仕方ない、一日だけ勇気を振り絞ろう。
春重は、意を決して受付へと向かった。
「ようこそ、探索者ギルドへ。お約束ですか? それとも登録ですか?」
「と、登録をお願いしたいのですが……」
「承知いたしました。では、登録の間へご案内いたします」
「登録の間……?」
恥ずかしながら、春重は探索者についての知識を、まったくと言っていいほど持ち合わせていなかった。
知っているのは、その日のうちに登録できることと、命がけの職業であることくらい。
「登録の間というのは、探索者になるための力と、武器の提供を行う場のことです。すぐに終わりますので、緊張なさる必要はありませんよ」
「そ、そうですか……」
緊張するなと言われると緊張してしまうのが、人というもの。
高鳴る心臓を押さえながら、春重は受付の女性について建物の中を歩く。
何を隠そう、この山本春重、病院での検査ですら、緊張マックスで挑む小心者である。
ここに来たのも、半ばヤケになっただけで。
すでに冷静になってしまった頭は、帰りたいという気持ちでいっぱいだった。
しかし、ここで帰れば、この女性の時間を無駄にしてしまう。
登録したいと言ったのは、自分なのだ。それすらやらずに帰るのは、情けないにもほどがある。
「ここが登録の間です。あとは中の者の案内に従って、登録をお願いします」
「あ、ありがとうございました……」
「よき探索者ライフを」
女性は頭を下げてから、春重の前をあとにした。
生唾を飲み込んで、春重は登録の間とやらに足を踏み入れる。
部屋の中心には、まるで黒曜石のような質感の大岩が鎮座していた。
高さは、パッと見で二十メートル以上あるだろう。
その分、部屋の天井もかなり高く、例えるならば、学校の体育館のようだった。
「ようこそ、登録の間へ。新規登録希望の方ですね?」
「は、はい……そうです」
「こちらへどうぞ。本人確認書類を提出していただいたあと、登録に移らせていただきます」
春重は、職員の男性に部屋の奥まで案内されたあと、運転免許証を渡した。
「――――山本春重さん、三十八歳……っと。珍しいですね、この年で探索者を目指すなんて」
「お恥ずかしいのですが……勤めていた会社が、突然夜逃げしてしまいまして……」
「え⁉ そ、それは災難でしたね……はい、確認させていただきました。早速ではありますが、探索者について詳しくご説明させていただきます。すでに知っている項目もあるかもしれませんが、規則なので」
男性は、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
何も知らない春重からすれば、むしろこの説明は大変ありがたい。
「まず、探索者とは、ダンジョンの最奥を目指し、あらゆる施設の復興を目指す者を指します。……比較的モンスターが弱い浅い層で活動し、収入を得る方々も探索者と呼びますが……大前提として、前者が推奨されるべき探索者です」
「なるほど……」
「探索者になるには、ここにある『覚醒の石碑』に名前を刻む必要があります」
男性が示したのは、部屋の中央に鎮座する、あの巨大な黒曜石のような岩だった。
よく見れば、岩の表面に数多の名前が彫られている。
「あの石碑に名前を刻んだ時点で、あなたは『探索者レベル1』となります」
「レベル1……なんだか、ゲームみたいですね」
春重も、子供の頃はゲームで遊んだものだ。
ただ、やたらと厳しい家庭で育ったせいか、新しいゲームはなかなか買ってもらえず、永遠と同じRPGを周回していただけだったが。
「みなさんそう仰います。不思議ですよね、ゲームでよくあるステータス表が、現実で見えるようになるなんて」
「それなら……ダンジョンでモンスターを倒すと、レベルが上がったりするんですかね」
「その通りです。経験を積めば積むほど、あなたのステータスは上昇し、超人的な強さを手に入れることができます」
――――夢のような話だな。
春重は石碑を見上げ、そんなことを考える。
「では、登録を進めましょうか」
男性に連れられ、春重は石碑の前に立たされた。
石碑に触れるよう言われ、その通りにする。
ひんやりとした無機質な温度が、手のひらから伝わってきた。
「うおっ」
すると突然、春重の眼前に青白いパネルが出現する。
向こう側が透けて見えていることから、どうやらホログラムに近い仕様のようだが――――。
「そこに指で名前を書いてください」
指で? と疑い半分なまま、春重はパネルに名前を書く。
引っ掛かりもなく、思いのほかスラスラと書けたことに驚いていると、突如としてパネルが石碑に吸い込まれた。
そして石碑の一部が欠け、『Harushige Yamamoto』という文字が浮かび上がる。
「では、先ほどの青白いパネルをイメージしながら、ステータスと声に出してください」
「す、ステータス?」
春重がその言葉を口にすると、再び青白いパネルが宙に現れた。
名前:山本春重
種族:人間
年齢:38
状態:通常
LV:1
HP:62/62
SP:54/54
スキル:『
「名前やHPが表示されてると思いますが、スキルの欄には何が書いてありますか?」
「あ、これって周りの人には見えないんですね」
「そうなんですよ。最初に目覚めるスキルは、いくつかの基本スキルの中から一種です。すでにマニュアルがあるので、使い方を解説させていただきます」
「なるほど……えっと、スキル欄でしたよね? ……『
「ワールドテイム……? あ、『
そう言いながら、男性は苦笑いを浮かべる。
その表情は、ひと月の残業時間を新入社員に伝えたときのものに、極めてよく似ていた。
ひと月後には会社に来なくなってしまったが、彼は今頃どうしているだろうか。
「『
「……? それだけなら、使えそうなスキルに思えるんですが」
「うーん……問題は、命令ひとつでSPを大きく使ってしまうことと、モンスターの知能が低すぎて、ほとんどの命令を理解してくれないという点なんですよね。知能が高いモンスターはレベルが高いことが多いですし、そうなると、スキルを弾かれやすいんですよ」
だめだこりゃ――――と、春重は思った。
男性の説明は、春重にとって馴染みがないものばかり。
十全に理解できたわけではないが、少なくとも、周りからの評価が低いことは理解した。
「『鑑定』のほうは、モンスターのステータスを暴くために使えます。ダンジョンを探索する際は、うまく活用してください」
「……ありがとうございます」
――――きっとすぐに引退するだろう。
男性は、肩を落とす春重を見て、そんな風に思った。
探索者ギルドの職員として、数々の探索者誕生の瞬間に立ち会った。
辞めていく探索者は、最初のスキルチェックで分かる。
まず、最初に目覚めるスキルが弱ければ、ダンジョンの最奥にたどり着くことは極めて難しくなる。
モンスターを倒すことは困難で、レベルも上がらない。
当然、収入も得られない。
『
「……初心者用の探索者セットを配布しますので、ぜひ活用してください。それでは……よき探索者ライフを」
「はい……ありがとうございました」
別に、何かに期待していたわけではない。
あくまで、探索者登録したのは気まぐれであり、職業にするつもりは一切なかった。
しかし、才能がないと言われたら、それはそれで悲しいではないか。
自分の人生から、一つの希望が失われたのだから。
「ダンジョンの入り口で、モンスターを一体倒そう……せめてもの思い出に」
そう呟きながら、春重は近場のダンジョンへと向かう。
春重はもちろん、ギルドの職員も、まだ気づいていない。
『
山本春重(38)の伝説は、今日、この時より始まる。
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