第4話 新宿ダンジョン
ぺたん、ぺたんと、ダンジョンの入り口でスライムが跳ねる。
春重は、自分が支配したスライムたちを見て、深く唸った。
実験のために支配下に置いただけなのだが、十時間も一緒にいると、愛着が湧いてしまう。なんといっても、この跳び回る姿が愛くるしいにもほどがある。
連れて帰りたい――――。
春重は頭を悩ませていた。
とにかく、悩んでいた。
街中でスライムを連れまわせば、間違いなく変人だし、下手すれば、ダンジョンからモンスターを連れ出したテロリスト扱いされる可能性もある。
職を失い、おまけに国家反逆罪で逮捕、まったくもって笑えない。
「……俺の服の中に入れるか?」
思いつきで命令してみると、三匹のスライムは、スーツの裾からワイシャツの中まで潜り込んできた。
ひんやりとした感触が肌を撫で、くすぐったい。
「いけるのか……? これ」
スライムは、自身の形を自由に操れる。
その特性のおかげで、かろうじて服の中に収まってくれた。
ワイシャツがパツパツすぎて、胸元だけボディビルダーのようになっているが。
「……バレることはないだろ」
そう言い聞かせて、春重はようやくダンジョンをあとにした。
「ねぇ、あの人さ、胸元すごくない?」
「わっ! パツパツじゃん……! でも、なんか……腕とか足は細いんだね」
「スーツだからそう見えるだけじゃない? 多分ジムとか行ってるんだよ!」
電車に揺られていると、スライムによってパンプアップした春重を見て、若い女性たちがそんな会話を繰り広げていた。
少し離れた位置での会話なのだが、索敵スキルが発達してしまった春重の五感は研ぎ澄まされており、不幸にも聞こえてしまっているのである。
ちなみに、探索者の力を悪用すると、すぐにギルドから指名手配されてしまう。
二度とダンジョンには入れないし、起こした問題の大きさによっては、見つかり次第死刑――――ということもあり得る。
強い探索者は下手に問題を起こすより、ダンジョンで大金を稼ぐほうが大きな利益を見込めるため、非行に走る者は極めて少ない。
――――明日は……どうしようか。
そんな風に考えて、春重は笑った。
昨日まで、仕事のことばかり考えていた。
それが、今日はどうしたことだろう。
体力的にも、精神的にも余裕があり、明日のことまで考えられる。
この充足感を味わってしまえば、前の生活に戻るのはなかなかに困難だ。
「なんか、笑ってるよ?」
「多分プロテインのこと考えてるんだよ。ボディビルダーは、プロテインが大好物だって友達が言ってたし」
違うよ――――頭の中で反論する。
少なくとも、今後はスライムの持ち運び方に気を使おう。
そう心に決めて、春重は無心を貫くことにした。
◇◆◇
翌日。
春重は早朝から電車に乗っていた。
ダンジョン化してしまった駅は多く、日本にあった元々の路線は、現在ほとんど機能していない。
それに伴い、日本全土には新しい路線、『
駅がダンジョン化しやすい原因は、いまだ不明とされている。
ダンジョン化の法則として分かっていることは、なんらかの『施設』であるということだけ。
知名度や規模、どれを取っても、決まった法則は確認されていない。
時には、利用者数の多いターミナル駅。
時には、地方の病院。
時には、閑散としている神社。
自分が利用している施設だって、いつダンジョン化するか分からない。
そういった不安が人々を苦しめている時期もあったが、今はもう適応したのか、ダンジョン化について言及する者はかなり少なくなった。
人類の適応力は恐ろしい。そう語った専門家が、いるとか、いないとか。
春重が向かうのは、『
最初は『新新宿駅』になる予定だったのだが、それではあまりにも字面が悪いということで、路線名と同じく
無骨な外観は、元々あった新宿駅と比べると、ずいぶん小さい。
ダンジョン化の可能性がある以上、下手に商業施設を置けないため、その分簡素な造りになっている。
様々な路線の起点となっているのは健在で、数多の電車が出入りする駅であるが故、
そんな駅をあとにした春重は、目の前に聳え立つ『新宿ダンジョン』を見上げる。
誰かが、「新宿駅は広すぎて、まるでダンジョンのようだ」なんて言っていたが、まさか本当にダンジョンになってしまうとは、考えもしなかっただろう。
形状は、日暮里ダンジョンに近い。
洞窟タイプで、地下に階層が伸びている。
ただ、日暮里ダンジョンと大きく違うのは、その階層の数だ。
「
春重は、スマホで調べた情報を確認しながら、そう呟いた。
現在、平均レベル100を越える探索者パーティが攻略に当たっているが、彼らの最高到達地点は八十階層。
彼らの攻略経過報告では、深層には規格外のモンスターが多く生息し、罠も格段に増えているとのこと。
――――俺がそこまで行くことはないんだろうなぁ。
ダンジョンの前で呆けながら、春重はそんな風に考える。
では何故、彼がここにいるのか。
実はこの新宿ダンジョン、浅い階層の敵は、初心者の経験値稼ぎにおす
すめされるほど弱い。
そして十階層ごとに脱出ポイントがあり、十階層まで進めば、アイテムを使わずとも帰還することができる。
春重のように
「……よし、行くか」
前と同じく、荷物をしっかりと確認した春重は、新宿ダンジョンに向かって歩き出した。
今度はちゃんと、動きやすいジャージ姿で。
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