第15話 換金
「はー……腰いた」
新宿ダンジョンを出た春重は、いつものように腰をさすった。探索は無傷で済んだし、HPもまったく減っていないのにかかわらず、腰だけが痛いというのはなんとも不思議な話である。
「え、ダメージ受けてましたっけ?」
「いや……その、まあ、色々とな」
節々の痛みとはまったく無縁の真琴には、春重の気持ちは分からないだろう。歯磨き中に嘔吐いたり、油っこいものを受けつけなくなったり、枕元に落ちている毛が増えていたり……日に日に衰えを感じる自分と比べて、真琴は肌もぴちぴちだし、背筋もピンと伸びている。
男のプライドとして、せめて印象だけでもよくしようと思った春重は、猫背気味になっていた背を伸ばし、ボサボサの髪を整えようとした。
本人も理解しているが、整えられたとは言っていない。
「……夕方になると探索者が増えるから、効率が落ちるのか。勉強になったな」
春重は入り口のほうへ振り返る。朝はスムーズに入れた新宿ダンジョンだが、今は多くの探索者でごった返していた。
新宿ダンジョンは、日本有数の大人気ダンジョン。アクセスがいいことと、様々な探索者のレベルに適した階層が存在することが、人気の理由である。
春重たちは、他の探索者との獲物の取り合いを避けるべく、ダンジョンを出た。今後、獲物の争奪戦は避けられない。しかし、わざわざ競争相手が多いときに挑む必要はない。
二人の共通点は、朝に強いことだった。
始発で出社することがざらだった春重、日々弓道部の朝練に出ていた真琴。話し合った二人は、今後は人の少ない早朝をメインに活動すると決めた。
「そういえば……阿須崎さん、部活はどうしてるんだ? まだ高三だろう?」
「探索者になるために、早めに引退しました。どのみち夏が終われば引退でしたし……まあ、正直、最後の大会は出たかったですけど」
寂しそうに笑う真琴を見て、春重は涙が出そうになった。
なんと頑張り屋で健気な子だろう。自分を押し殺して家族のために戦うなんて、誰でもできることじゃない。己にはない輝きを持つ少女を前に、春重は強い尊敬の念を抱いていた。
「とりあえず、アイテムの換金に向かおう。……大金になるといいな。そうすれば、平日は無理に探索する必要もなくなるし」
「……そうですね」
そうして二人は、探索者ギルドへと向かうことにした。
「合計で、八万六千円となります」
ギルドにいる換金係の女性は、春重に報酬を支払った。
一日働いて、一人四万三千円の収入。素晴らしいと言わざるを得ない。週二十日も働けば、サラリーマン時代の春重の二倍以上の月収が見込める。
「すごい……一日でこんなに」
「土日だけ活動しても、月に三十二万はもらえる計算だな」
税金など、諸々引かれたとしても、春重くらい無趣味な人間であれば、十分すぎるほどの収入である。
「それだけ稼げれば、お母さんのパート代と合わせて十分生活できます……!」
「よかったな。これで無理する必要はなくなった」
「はい!」
最低限の収入は、土日で確保できる。あとは必要に応じて、平日の午後も探索すればいい。
「山本さん、ありがとうございます……! こんなにすぐ希望が見えたのは、あなたのおかげです!」
「ちょ、ちょっと……!」
他の探索者もいる中で、真琴は深々と頭を下げる。彼女の感謝は十二分に伝わってくるが、春重は目立ってしまっていることのほうが気になって仕方なかった。
「と……とりあえず! 一旦どこかで飯でも食べないか?」
「ご飯、ですか?」
「パーティメンバーなのに、まだお互いのこともほとんど知らないし、親睦を深めるって意味でもさ」
言い出した瞬間はこの場を離れるための口実でしかなかったが、我ながらいい案なのでは? と春重は思った。
これからもパーティとしてやっていく仲なのだ。連携力を上げるためにも、互いのことはよく知っていたほうがいい。
「もちろん俺の奢りだから、お金のことは気にしなくていい」
「そんな……!」
「戦闘じゃ世話になりっぱなしだし、せめて大人の男として、らしいところを見せないとな」
「そういうことなら……お言葉に甘えさせてもらいます」
そう言いながら、真琴は遠慮気味に笑った。
そんな彼女を連れて、春重はギルドをあとにする。
「……もしもし、はい、俺です」
彼らが出ていったのを見て、柱の陰に隠れていた男はスマホに語りかけた。
「はい……今ギルドを出ました。間違いありません、伊達が逃がした連中です」
◇◆◇
「はぁ……美味しかったぁ」
焼肉屋を出た真琴は、夜空を見上げながら幸せそうにつぶやいた。
そこに会計を終えた春重が現れると、彼女はすぐに頭を下げる。
「ご馳走様でした! 本当に美味しかったです」
「喜んでもらえたようで何よりだ」
「でも……大丈夫なんですか? 家族の分の焼肉弁当まで……」
真琴は、手に持った袋に視線を落とした。中には、真琴の家族分の焼肉弁当が入っている。彼女の家族、特に姉弟たちが羨ましがるだろうと思い、春重が購入したものだ。
「大人は余裕を見せたがるもんだ。阿須崎さんも社会人になったら、若い子に世話焼いてあげるんだぞ」
「はい!」
真琴から尊敬のまなざしを向けられ、春重の心臓がチクりと痛む。
――――若い胃袋を舐めてたな。
軽くなった財布を想い、春重はそっと尻ポケットを撫でる。
運動部に属していた真琴は、見かけによらずよく食べた。かっこつけて高い焼肉屋を選んでしまったが故に、用意してもらった弁当もずいぶん高額になり、春重の今日の稼ぎはほとんど溶けてしまった。
しかし、満足げに笑っている真琴の姿を見ていると、そんなことどうでもよくなってくる。
「……また頑張ればいいさ」
「? 何か言いました?」
「いや、なんでもない。駅まで送るよ」
強靭な探索者とはいえ、真琴はまだ少女。どこかで読んだ『女性を一人で歩かせるな』という雑誌のアドバイスを思い出した春重は、彼女と共に駅に向かって歩き出した。
「そこの二人、ちょっと止まれや」
しかし、二人の歩みは、物陰から現れた一人の男によって阻まれた。
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