第35話 時間稼ぎ

 エルヴァーナの背中から、突然翼が生える。

 そして彼女は、大きく拳を振り上げ、地面を殴りつけた。まるで爆撃のような衝撃が走り、三人の視界を粉塵が埋め尽くす。


「お前が一番強そうじゃのう」


 エルヴァーナのターゲットに選ばれたのは、もっともレベルが高い桜子だった。


「見せてみろ! 支配者の力を!」


「っ!」


 桜子は『反応速度上昇』『緊急回避』『空間跳術』を駆使し、抉るような軌道で向かってくるエルヴァーナの腕をかわす。それでもなお、腕の先端にある鉤爪が、桜子の服の一部を掠め取った。


 ――――これでも避けきれないのか……!


 久しく感じていなかった、命が脅かされる感覚。

 桜子の背筋に、これまでにない緊張が走る。


 しかし、そんな危機的状況にもかかわらず、桜子は笑った。

 

「ははっ、はははは!」


 命のやり取りによって生まれるスリルが、興奮へと変わる。

 桜子は今、かつてない喜びを覚えていた。


「ほう、笑うのか。面白い女だな、お主。わざわざ百層から上がってきた甲斐があったぞ!」


 再び襲いかかる、エルヴァーナの鋭い鉤爪。

 桜子はそれを驚異的な集中力で潜り抜け、エルヴァーナの胴体に向けて刀を振った。


十文字流・・・・、壱ノ舞――――桜月おうげつ!」


「っ!」


 桜子の斬撃が、エルヴァーナの体を深々と斬り裂く。

 エルヴァーナは瞬時に距離を取り、己の体を見た。


「……まさか、我が反応できんとはな」


 同時に、粉塵が晴れる。

 春重と真琴は、エルヴァーナの傷を見て、桜子が攻防を制したのだと理解した。絶望的な状況で、わずかに見えた希望。それは、やはり十文字桜子という一流の探索者がもたらしたものだった。


 ――――桜子と真琴が気を引いてくれているうちに、俺がやつを『支配テイム』できれば……。


 春重の頭にプランが浮かぶ。

 レベル241のエルヴァーナを『支配』するには、SPが1240ポイント必要になる。彼のSP量だと、半分以上を持っていかれてしまう計算だ。

 

 エルヴァーナを『支配』するまで、どれくらいの時間がかかるか分からない。桜子のときは三十秒ほどだったが、レベルの差から考えて、一分近くかかる可能性が高いと、春重は考えていた。

 

「きひひひひ……いいぞいいぞ、あの小僧とはまったくもって面構えが違う……覚悟の決まったいい面じゃ」


 いまだ緊張感に包まれた空間に、エルヴァーナの笑い声だけが響いた。


「さて、続けようか。我の初めての遊び相手ども……どうか、簡単には壊れてくれるなよ」


 エルヴァーナの体が、眩く輝き始める。

 三人の視界が真っ白に染まる。それから何か巨大なものが蠢く気配がして、地面が大きく揺れた。


『どいつが支配者かは分らんが……まあいい。全員まとめてかかってくるがいい!』


 視界が晴れたとき、そこにいたのは、白銀の鱗に覆われた巨大なドラゴンだった。

 アシュラオーガなど比にならないほどの巨体に、春重たちは目を見開く。


「こ、こんなの……どうすれば……」


 真琴の手が震え始める。

 本能を揺らす、死という名の根源的恐怖。圧倒的な強者である白銀竜エルヴァーナを前にして、真琴はその恐怖に心を圧し潰されそうになっていた。


「――――戦うぞ……!」


 そんなとき、春重が叫んだ。

 

「家族のために、帰らないといけないんだろ⁉」


「っ……! はい!」


「こいつを倒して、必ず三人で生き残る……! だから……戦うぞ!」


「はいっ!」


 真琴の弓を握る手に、再び力がこもる。

 家族のために、自分が稼ぎ頭になる。その一心で、真琴はここまで来た。

 ここで死ねば、これまでの稼ぎを家に入れられないまま終わってしまう。

 必ず生きて帰らなければならないという意志が、真琴に力を漲らせた。


『逃げるつもりは皆無か……! ますます気に入ったぞ!』


 エルヴァーナが腕を振り上げる。

 それを見計らって、三人は動き出した。


 ――――こいつのHPを削りきるのは、まず不可能だ……。



名前:エルヴァーナ

種族:白銀竜

年齢:

状態:通常

LV:241

 

HP:10322/10710

SP:14033/14033


スキル:『変身(LVMAX)』『気配探知(LVMAX)』『硬質化(LVMAX)』『加速(LVMAX)』『ブレス(LVMAX)』『精神耐性』『魔術無効』『飛翔(LVMAX)』『爪撃(LVMAX)』



 先ほどの桜子の一撃でも、400程度のHPしか削れていない。

 それにもう、あんなクリーンヒットは決めさせてもらえないだろう。


『重爪撃!』


「っ!」


『爪撃』のスキルを発動したエルヴァーナの一撃は、春重がいた地面を大きく抉った。一撃一撃が、地形を変えてしまうほどの威力。掠っただけでも、瀕死は免れない。


「すら一郎!」


 春重は、すら一郎の体を使って天井近くまで避難していた。

 そしてエルヴァーナの真上を取った春重は、あのスキルを発動させる。


「『支配テイム』!」


『む?』


 春重の視界の端に、桜子に『万物支配』を使用したときと同じウィンドウが現れる。そのゲージの進みは、桜子のときと比べて圧倒的に遅い。目測で、二分以上はかかる。


『そうか……支配者はお前か』


 エルヴァーナが、心底愉快そうに笑う。

 その言葉の意味は理解できなかったが、春重は、自分が狙われていることを理解した。


「春重、ゲージはあとどれくらいだ?」


「……二分だ」


「二分か……上等だ」


 春重を守るように、桜子と真琴が前に出る。

 

「時間を稼ぐぞ、真琴。援護を頼む」


「はい……!」


『万物支配』発動まで、残り二分。

 桜子と真琴による、命がけの時間稼ぎが始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る