第37話 タイムアップ
桜子は、この危機的状況においても、妙に冷静さを保っている自分がいることに気づいた。桜子のHPは、依然として少ないまま。決してポーションがないわけじゃない。ここは回復しないことが最善だと、彼女自身がそう判断したのだ。
自らを極限に追い込むことで得られる、普段以上の集中力。桜子は、その可能性に賭けた。
「ふー……」
『痛覚耐性』によって、痛みはすでに薄れている。
真っ直ぐ、ただ目の前にいる敵だけに集中するため、桜子は深く呼吸した。
――――厄介じゃな。
時間がないとは分かっていつつも、エルヴァーナは慎重にならざるを得なかった。
桜子は、エルヴァーナと比べれば遥かに脆弱なはずの生物。しかし、生死の瀬戸際に立ってなお、彼女の闘志はさらに大きく燃え上がっている。
エルヴァーナの本能が、十文字桜子を警戒すべきと訴えていた。
「まあ、我は止まらんが!」
エルヴァーナは己が本能を抑え込み、戦いの愉悦だけを求めて、桜子へ飛びかかった。残り一分。最後の攻防が始まる。
「きひひっ!」
エルヴァーナは片腕だけを本来の姿に戻し、その鋭い鉤爪を桜子目掛けて振り下ろす。それを寸前でかわした桜子は、飛び散った瓦礫を意に介さず、エルヴァーナの懐へ飛び込んでいく。
「ほう! まだ前に出るか!」
桜子が振った刃を、エルヴァーナは腕に鱗を生やして弾いた。
エルヴァーナは、自身の肉体を変化させる際、同時に傷を修復することが可能である。故に、竜の状態で負った目の傷は、人型になった際に完治していた。
しかし、体を変化させる際、エルヴァーナは一瞬だけ無防備になってしまう。今の桜子は、その隙を逃さない。いくらエルヴァーナでも、桜子レベルの探索者に首を斬られてしまえば、大きなダメージを負ってしまう。
――――攻めろ。
刃をわざわざ鱗で弾いたエルヴァーナを見て、桜子は確信した。
この刃は、エルヴァーナに届き得ると。
守りに集中するのは分が悪い。むしろ攻撃は最大の防御と割り切り、桜子は攻めの手を緩めないと己に誓う。
「十文字流、四ノ舞! 桜吹雪!」
「むっ」
止まることを知らない、怒涛の連続攻撃。
幾度も幾度も刀を振るい、桜子はエルヴァーナを押し返していく。
「いいぞ……! 滾るではないか!」
「……!」
エルヴァーナの笑顔に危機感を覚えた桜子は、とっさに後ろに跳ぶ。
その次の瞬間、エルヴァーナの尾が、周囲をまとめて薙ぎ払った。
「よくかわした! 赤髪の女ァ!」
変身を封じられたエルヴァーナだが、部分部分の変身に関しては、大きな隙は生まれない。桜子は、その厄介さをよく理解していた。エルヴァーナの攻撃には、範囲が広いものが多い。鉤爪や尻尾、これらはどれも、たやすく桜子の命を奪うであろう殺傷能力の塊。
しかし、桜子は攻め続けなければならない。わずかでも臆してしまえば、エルヴァーナは悠々と竜に変身し、後ろの春重ごとまとめて蹴散らされてしまうからだ。
――――春重……お前は私が守る。
桜子は、田舎の剣道場の娘として生まれた。
彼女には、兄がいた。歳は離れていたが、とても優しく、そして強かった。
当時は病弱で、体が弱かった桜子は、竹刀を持ち上げることすら困難な子供だった。しかし兄は数々の剣道大会で入賞し、実家の道場を盛り立てていた。
桜子は、そんな兄を尊敬し、愛していた。
故に兄が事故で
兄の死を受けて、とてつもない絶望感に暮れていた桜子だが、精神状態に反比例して、その体は突然丈夫になった。
抱えていた病は完治し、明らかに筋力がついた。桜子は、それを兄が残してくれたギフトだと思った。
桜子が探索者になったのは、大切なものを守り切れるよう、誰よりも強くなりたいという兄の願いを継ぐためだった。兄がくれたこの体に報いるには、それしかないと思っていた。
春重は、そんな兄によく似ている。
外見はともかく、困り顔や、優しげな笑顔の雰囲気が、本当にそっくりだった。
桜子に妹はいないが、こんな妹がいたらよかったと思わせてくれたのが、真琴だった。血の繋がりなどなくても、桜子にとって、あの二人は間違いなく大切な存在だ。
だから守る。この命に代えても。
「十文字流、八ノ舞……!
強烈な踏み込みと共に、桜子はエルヴァーナに突進を仕掛けた。
一瞬にして眼前にまで迫る剣先を前にして、エルヴァーナはとっさに腕を交差させて受け止めた。しかし、桜子の刃は腕を覆っている鱗を貫き、さらにエルヴァーナの左胸を貫いた。
「まさかここまで……!」
「はぁぁあぁああああッ!」
気合の声と共に、桜子はさらに深々と刃を突き入れる。
そして捻りを加えたあと、刃を思い切り引き抜く。するとエルヴァーナの胸から、大量の血液があふれ出した。
「きひっ……ひひひ! いいぞ、いいぞ人間! もっと楽しませろ!」
「っ!」
エルヴァーナが大きく息を吸い込む。
その瞬間、桜子の全身に鳥肌が立つ。
「『ホワイトブレス』――――」
エルヴァーナの口を中心に、高密度のエネルギーが集まる。
『ブレス』のスキルを極めたエルヴァーナは、周囲一帯を消し飛ばせるほどの熱線を放つことができる。
それを理解した桜子は足を止め、刀を構え直した。
ひとりなら、ただ熱線をかわせばいいだけのこと。しかし、彼女の後方には、春重がいる。なんとかして熱線を受け止めなければ、彼の体が吹き飛んでしまう。
「ほう、避けるつもりなしか」
「当たり前だ……!」
「いい度胸だ! ならば消し飛ぶがいい!」
エルヴァーナから、暴虐の熱線が放たれる。
しかし――――。
「『イクスプロージョンアロー』……!」
「ごっ……⁉」
エルヴァーナの眼前で、爆発が起きる。
その拍子に、エルヴァーナの集中が切れてしまう。
集めたエネルギーは拡散し、粒子となって周囲に霧散した。
「こ、小娘……!」
「仲間には……! 手を出させません……っ!」
桜子と同じくらいボロボロになった真琴が、力いっぱい叫ぶ。
――――まずい……! 時間は……⁉
エルヴァーナが顔を上げる。
その視線のはるか先。そこには、笑みを浮かべた春重が立っていた。
「――――タイムアップだ」
春重がそう呟くと、エルヴァーナは、呆気なく地面に崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。