第2話 明星丸って誰?

 萎えた体を無理やり起こそうとし、首の奥の激痛に起きることを諦めた。


 そのまま布団に横になっていると、廊下を走って来る複数人の足音が近づいて来た。


「明星丸、大丈夫か? ちゃんと手足は動くか? どこかおかしいところは無いか?」


 若い男性がドスドスと音をたてて近づいてきて顔を覗き込んできた。


 この顔!!

先ほど木刀を持っていた人だ!


 だけどイマイチ状況が飲み込めない。

そんな表情をしていたのだろう。

横にいる女性が私たちが誰かわかりますかと丁寧な口調で聞いてきた。


 わかるわけがない。

小さく左右に首を振ると首の奥に激痛が走り思わず顔を歪めてしまった。


 女性は優しい声で無理はしないでと言ってほほ笑んだ。


 男性は少しバツの悪そうな顔をしたが、鼻から息を吐きこちらをじっと見つめた。


「命に別状が無いようで良かった。何かあったら父上に何を言われるかわかったものでは無いからな」


 男性は乾いた笑いをして周囲に同意を求めた。


 横にいた女性がムキになるからいけないんですよと男性にチクリを小言を言ってから、お父上に報告してきますと部屋を出て行った。


「痛むのは首だけか?」


 男性が優しく聞いてきた。


 首の後ろとおでこが痛い、それ以外は特に。

そうかそうかと言って男性はほっと胸を撫で下ろした。



 剣術の稽古をつけてやろうとしたらしい。


 最初は余裕の態度だったのだが、打ち込みの中に明らかに鋭く良い「突き」があった。

それを防ごうと木刀を弾いたのだが、戻した木刀が見事に眉間に当たってしまった。

さらに倒れるところを癖のように首の後ろを叩いてしまった。


 そこから倒れたまま死んだように眠ってしまい、ずっと目を覚まさなかったのだそうだ。



 ここはいったいどこなのか?

その質問に男性は記憶が飛んだのかと渋い顔をした。


「自分が誰かはわかるのか?」


 男性は逆に質問してきた。


 いえと短く答えると、男性は小さくため息をつき、後で医師を呼ぶから今日は大人しく寝ていなさいと言って布団をポンポンと叩いた。




 翌朝早くにトイレに行きたくなり目が覚めた。


 だがトイレの場所がわからない。

何とか布団から起き上がり、よろよろとした足取りでトイレを探した。


 何となくの勘であちこちの戸を開け、やっとそれらしき場所を見つけた。

この鼻を突く独特な匂い……

間違いないだろう。


 下半身を見てかなり驚いた。

『ふんどし』である。


 資料や時代劇で見たことはあるが、実際にしているのを見るとどうなっているのかよくわからない。

ただ男性というものは便利なもので、横から摘まみ出して無事用を足し終えることができた。


 トイレが床板に穴を空けただけのものというのも衝撃的であった。

……この縄は一体何に使うものなのだろう?


 さらにトイレの窓から外を見て、何かが無い事に気が付いた。

ガラスが付いていない。


 トイレから出て念のため周囲を見渡してみるも、靴が無く草履が置いてある。


 戸には障子が貼ってある。


 外に電線が無い。


 ここが時代劇のセットじゃないのなら、少なくとも明治時代よりは前の時代。

江戸時代かそれより前か。




 しばらくして一人の女性に遭遇した。


 この女性は見覚えがある。

確か最初に自分の様子を見に来てくれた人である。


 いまいち年齢がわかりづらいのだが、二十代後半か三十代前半といったところだろうか。


 おはようございますと挨拶をすると、おはようございますと元気に返してきた後、もう動いても大丈夫なんですかと尋ねられた。


「ええ。少しお腹がすきましたね」


 女性はくすりと笑うと、胃に優しい芋粥でも煮ますねとほほ笑んだ。


 顔を洗いたいと言うと、女性は少し首を傾げ井戸ならそこにと庭の井戸を指差した。



 まさか裸足で井戸まで行くわけにもいかない。

縁側に腰かけ草履を手に取ってみると、藁で編んであるというだけでビーチサンダルとあまり変わりないものであることがわかる。


 ところが今度は井戸の使い方がわからない。

何となくの記憶でロープを引き上げてみるが桶はほぼ空だった。


「おう! 明星丸! ずいぶんと朝が早いのだな」


 元気な声に振り返ると、昨日の壮年の男性が腹をぽりぽり掻きながら縁側に立っていた。


 おはようございますと挨拶すると男性は笑い出し、おはようと言った後空を見上げ、よい天気だと言ってほほ笑んだ。


 男性が出てきた部屋の障子が開いており、その奥に昨日の優しそうな女性が寝ているのが見えた。

よく見ると白い膨らみが露わになっていた。



 男性は草履を履くと井戸にやってきて空の桶を見て首を傾げた。


 その桶を井戸に落とし、もう片方の桶を一度持ち上げてから、ゆっくりと先ほどの桶を引き上げた。

桶には水が並々と入っており、手ですくうと、おもむろに顔をじゃぶじゃぶと洗い出した。


 男性を真似て顔を洗うと、男性はその姿をじっと見つめていた。


 手拭いが無く男性を真似て袖で顔を拭くと、男性はげらげらと笑い出した。


 昨日あの後、医師が来て脈を診てくれたらしい。

だが一切起きなかった。

医師は寝る子は育つと言うからと笑っていたのだそうだ。


「なあ明星丸。今日は後で共に領地の視察にいかぬか?」


 領地。

この人は自分の領地を持っているのか。

ということは間違いなく、自分は江戸時代より前にタイムスリップしてきたということになるだろう。


 よろしくお願いしますと頭を下げると、男性は肩をがっしりと掴んだ。


「そんなかしこまることは無い。同じ母上から生まれた兄弟ではないか」


 そう言って優しくほほ笑んだ。


 さああさげにしよう、今日は膳を共にしようぞと言って、男性は縁側に向かって歩き出した。




 二人で食事をする部屋に入ると、先に中年の男性が待っていた。


 おはようございますと挨拶すると、中年男性はあまり表情を変えず、もう良いのかと聞いてきた。

まだちょっと痛みますと答えると、何かあったらどうしてくれようと思ったと言って壮年の男性を睨んだ。


 三人で板の間に座っていると朝の女性が膳を運んできた。


 朝食が終わると壮年の男性に、再度ここはどこですかと尋ねてみた。

男性は中年の男性の顔を見て二人で困り顔をした。


「本当に何も思い出せないのか? ここは遠州豊田の二俣だよ」

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