第20話 そなただけの問題ではない

 年賀の評定は無事終わった。


 最後に寿桂尼様が挨拶をし、その一環という感じで前回の評定以降で家督を継いだ者が個別に挨拶をすることになった。

寿桂尼様たちへのお目通りという形式なのであろう。


 その期間で家督を継いだのは家中でただ一人、松井五郎八郎のみ。

進行役である三浦上野介に呼ばれ、五郎八郎は立ち上がろうとした。


 ここまで五郎八郎は、慣れぬ正装をし、腹を思い切り蹴られ、その後長く平伏し、見知らぬ方々に混じって座っていた。

悪条件が重なり、立ち上がった瞬間に眩暈を起こし倒れてしまったのだった。

意識が朦朧とする中、隣に座っていた人物が必死に自分を呼ぶ声が聞こえる。

幾人かの笑い声も聞こえる。


 気力を振り絞って何とか立ち上がろうとするのだが、手足が痺れて動かない。

結局、そのまま意識が薄れてしまったのだった。




 目が覚めると、どこかの部屋で横になって眠っていた。

どうやら今川館の一室で寝かされているらしい。

起き上がろうとすると、まだ寝ていてくださいと八郎二郎が慌てて駆け寄って来た。


 八郎二郎はこのまま大人しく寝ていてくださいと言い残し、慌ててどこかに行ってしまった。



 一人で寝ていると色々な事を考えるものである。


 一体先ほどのアレは何だったのだろう?


 あの男、朝比奈丹波守と言っただろうか。

備中守が愚弟と言っていた。


 確か以前聞いた話では、備中守の諱は泰能だったはず。

その名前知っていると心躍ったのを覚えている。


 朝比奈泰能は歴史ゲームで出てきて覚えている。

太原雪斎には及ばないものの、今川家中でも中々の能力の人だったはずだ。

確かその子が泰朝で、氏真時代の今川家で岡部元信と並んで見どころのある人物だったはず。


 そういえば今川家に『朝比奈』という武将がもう一人いた気がするな。

まあまあの雑魚武将で、名は何と言っただろう?

いつも要らないと言って首を斬っていたから覚えてないなあ。

もしその者の関係者であれば、恐らく世代的には父か祖父にあたると思うのだが……




「おお、目が覚めたか! そなたが突然倒れたものだから、お館様も寿桂尼様も大変心配しておられたのだぞ?」


 急いで駆けつけたと見え兵庫助は少し息が荒かった。

そこで何かを思い出したらしい。

険しい表情で自分が何者かわかるかと問いかけた。

五郎八郎は鼻で笑った。


「父上にもご心配をおかけいたしました。ところで八郎二郎はいずこに?」


 どうやら前回のように記憶が飛んだりしていないとわかり、兵庫助はほっと胸を撫で下ろした。


「何やら他からも報告をと言われておったから、そちらに行っておるのではないかな?」



 兵庫助が言い終えぬうちに、遠くからドタドタという複数の足音が速足で近づいてくる音が聞こえてくる。


「おお、五郎八郎殿! ご無事のようで何よりであった」


 宇津山城の朝比奈下野守が、近寄って来て五郎八郎の手を取った。


「話は下野から聞いた。誠に申し訳なかった。先ほど宗家当主として、愚弟には隠居と蟄居を申し渡した。あのように家中にいらぬ火種を起こされたら、いづれ朝比奈家自体が処分を受けることになりかねぬからな」


 備中守は兵庫助に、それで此度の事は水に流してはくれぬかと懇願し平伏した。

兵庫助は恐縮し、勿体ないことだと頭を上げてもらった。



 そこから備中守は兵庫助と世間話を始めた。

するとそこに井伊宮内少輔がやってきた。

次いで天野安芸守、天野小四郎、さらに久野三郎もやってきた。

皆、五郎八郎の容体を心配し、朝比奈家の二人をチラリと責めるような目で見ている。

久野三郎は義姉夕様の兄上なのだが、今回初めて知己を得た。



 そこにドスドスと、また複数の足音が近づいてくる音が聞こえる。

足音の主が姿を現すと、朝比奈備中守はかなりバツの悪そうな顔をした。


「おお、五郎八郎殿! 席を探してうろうろしていた頃に顔色が戻ったようじゃの」


 やってきた人のうちの一人、堀越治部少輔が冗談を飛ばすと、その場にいた多くが笑い出した。


「時に備中殿、弟御の処分は決まったのかな? 当然腹くらいは詰めさせるのだろうな? お館様も寿桂尼様も、あのように心配されたのだから」


 福島上総介の指摘に、朝比奈備中守は唇を噛んで俯いた。

下野守も目を伏せ痛恨という表情をしている。


「あの……先ほどのことは私も腹が立ちます。ですがそれで腹を詰めるというのは、いささか……」


 五郎八郎が少し慌てて口を挟むと、兵庫助は無言で黙っていろという表情をした。


「五郎八郎殿。これはそなただけの問題ではござらんのだ。あの者ははっきりと『遠江衆』と言ってそなたを蹴ったのだ。『駿河衆』として『遠江勢』を足蹴にしたということなのだよ」


 誰かよくわからない男性が五郎八郎を諭すように言った。

恐らく顔に出ていたのだろう、兵庫助は堀江ほりえ城の大沢左衛門佐さえもんのすけだと小声で囁いた。


「左衛門佐の申す通りだ。あの者は『駿河衆』として『遠江衆』など足蹴にしても良いという態度を取ったのだ。ここで我らが泣き寝入りすれば、我らはその辺りで斬り殺されても涙を飲んで耐えるしかなくなるのだ」


 久野三郎がそう言って朝比奈備中守を睨むと、井伊や天野たちも、その通りだと賛同した。



 五郎八郎は皆の態度に少し苛立ちを覚えた。

むくりと起き上がり布団の上で正座をする。


「そう思うのであれば、何故、あの時そう声をあげてくださらなかったのです。声をあげてくださったのは、福島殿だけだったではありませぬか。詰め寄ってくださったのも福島殿と井伊殿だけです」


 ここで縁者を捕まえてネチネチと責めたてるのも、それはそれで違うと思うと五郎八郎は毅然と言ってのけた。

堀越様には今川家一門として、しっかりとあの時抗議して欲しかった。

それができず、今ここで我々と共に遠江を守る二人を責めるのは、いささか卑劣なやり口に思う。

第一情けない。


 五郎八郎の言葉に、皆唖然としてしまった。

その場にいた全員が何と言うべきか言葉を探した。


「遠江衆としてそこまで誇りがおありなのでしたら、遠江衆として働きで見返しましょう。あの丹波とかいう者は隠居になるのですから、もうどうでも良いではありませんか」


 五郎八郎の言に皆押し黙り、各々苦虫を嚙み潰したような顔をしている。


「そなたの申す事もっともだ。申し訳なかった。だがな、あの者は隠居とはいえ、戦場に出て来てそなたの邪魔をするかもしれぬぞ? その時はどうする?」


 堀越治部少輔が全員を代表し五郎八郎に尋ねた。


「決まっていますよ。敵と認知し、一人残らず葬り去ってやります!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る