第19話 どこの小姓だ

 翌日、いよいよお館様への新年の挨拶の時がやってきた。


 さすがに守護大名の館、大広間が広い!

いったい何十人が入れるのだろうか。

聞けば、その隣にそこそこの広さの広間もあるのだそうだ。

これが名門今川家かと、このようなところでも実感してしまう。



 どこに座れば良いかわからず小声て父兵庫助に尋ねた。


「馬鹿たれが! 新米なのだから『末席』に決まっておるではないか!」


 周囲からクスクスという笑い声が漏れている。

そんなことを言われても『末席』がどこかわからない。

うろうろしていると、兵庫助がもの凄い形相で一番後ろを指差した。


 入口に一番近い場所。

すでに座っている方々に挨拶しながら、ぺこぺことお辞儀をして向かった。



 その時だった。


「小僧邪魔だ!!!」



 一体何が?

何だかよくわからないが天地がひっくり返っている。


 息が苦しい。

意識が飛びそうになり瞼が落ちてくる。

何となく瞼が落ちたらいけないと感じ、必死に目を開けようと試みる。


 腹に鈍い痛みがある。

食べたものが込み上げてくる。

口から酸っぱい物が垂れるのを感じる。


「「「何をする!!」」」


 周囲の人たちが騒いでいる声がかなり遠くで聞こえる。


「どこの小姓か知らんが、どうせ遠江の誰かの小姓だろ。ここは小姓ごときが参列して良い席じゃねえんだよ。分をわきまえろや!」


 少し恰幅の良い男が喚き散らした。


 その男がどれだけ偉いのかは知らないが、集まっている遠江の国人たちは

抗議の声はあげたものの、それ以降は黙っている。

ただただその男を睨みつけているだけである。


 井伊宮内少輔が兵庫助と共に、五郎八郎を心配して駆け寄って来た。


「五郎八郎、大丈夫か? 起きれるか?」


 兵庫助が横になっている五郎八郎を抱き起す。

宮内少輔は五郎八郎の肩をさすって心配そうに声をかけた。


「五郎八郎殿、大丈夫か? 気分が悪くなったりはしておらんか?」


 五郎八郎がゴホゴホと咳込むと、宮内少輔は立ち上がり五郎八郎を蹴った男を睨みつけた。


「あん? おい奥遠の山猿。お前のとこの小姓か? 躾がなってねえぞ! 躾けがよ!」


 男は偉そうに右腰に手を当て宮内少輔に啖呵を切った。

兵庫助も五郎八郎を支えながらその男を睨みつけている。



 一人の男が雄々しく立ち上がり、平然と席に着こうとしたその男の前に立ち塞がって睨みつけた。


「おい! いい加減にしろ! 新しく領主になったばかりの者をいびって楽しいか? それとも何か? お前の敵は今川家中か? 申してみよ!」


 息苦しさで少し朦朧とする中、五郎八郎は声の主に目を移した。

あの人は確か、昨日挨拶に伺った土方城の福島上総介。

この状況であのような毅然とした行動、ずいぶんと気骨のある人だ。


 二人の男が睨みあいをしていると、別の男が割って入って来る。


「あいや待たれ上総殿。従弟の丹波が申し訳なかった。丹波の非礼それがしが謝罪するゆえ、ここは怒りを収めてはくださらぬか。めでたい新年の席ゆえな。な?」


 この人も覚えている。

昨日挨拶に伺った宇津山の朝比奈下野守だ。

ということは、この無礼な男も朝比奈家の人?



「謝る相手が違うのでは無いか? それにこの男は、新米といえど一城の主を足蹴にし、小姓呼ばわりしたのだぞ。その程度の謝罪で許されるわけがあるまい」


 福島上総介は仲裁に入った朝比奈下野守を見もせずに、朝比奈丹波守を睨みつけている。

気が付くと、井伊宮内少輔も丹波守ににじり寄り睨んでいる。

だがそれ以外は座ったままその光景を苦々しい顔で見ているだけである。



「新年早々、ずいぶんと物騒な状況になっておるな。何かの余興かな?」


 すでに何人かの駿河衆の国人がやってきていて、喧噪を無視して席に着いている。

そんな中やって来た駿河衆の一人が、来て早々に素っ頓狂な声をあげた。


 この人物も覚えている。

一昨日挨拶に伺った岡部左京進だ。


「おい丹波? これは何の余興なのだ? 新年早々、何をそんな盛り上がっておるのだ。ん?」


 丹波守は左京進の声は聞こえぬという態度で上総介を睨みつけている。


 この状況のどこをどう見たら余興に見えるのやらと兵庫助が呟いた。

その父の言葉で、左京進は何とかこの場を穏便に収めようとしているのだと五郎八郎は察した。


 左京進は無理やり丹波守の服を引っ張り自分の方に向けさせる。


「そなた耳が遠くなったのか? それともわしの声だけ聞こえぬのか? あん?」


 丹波守は非常に気まずそうな顔をして舌打ちをした。


「おい丹波! 新年早々何をしておるのかと聞いておるのだ! それについて答えんか!!」


 丹波守は左京進が掴んでいる手を服から引き剥がそうとしたのだが、左京進の馬鹿力でなかなか引き剥がせない。


「何をしておるのだ左京? 新年早々騒がしい。もうすぐお館様が御成りだぞ。さっさと席につけよ」


 新たに入って来た男が左京進の肩を扇子でぽんぽんと叩いた。


 周囲を見渡しある程度の事情を察したのだろう。

その男――朝比奈備中守は、五郎八郎の元にやってきてしゃがんだ。


「愚弟が申し訳なかった。そなたも早う席に着け。かようなことでお館様に睨まれてもつまらぬであろう?」


 備中守は立てるかと優しく尋ね五郎八郎を席に送り出した。



 五郎八郎が座ると少し遅れて三浦上野介がやってきた。

次いで寿桂尼と恵探和尚。


 皆が席に着くとお館様が御成りですと小姓が知らせに来た。

皆が平伏すると、小姓を引きつれてお館様が現れたのだった。

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