第18話 挨拶回りは大変

 季節は過ぎ寒い冬へと移った。

師走を迎えると城内では、箒やはたきを持った人たちが、あっちにこっちにと動き回り非常に慌ただしい。


 外はパラパラと雪の舞う日も出てきて火鉢が大活躍している。

城下では毎日のように炭焼きの煙が山の麓から上がっており、遠江の各地から炭の買い付けに商人が訪れている。


 ただどの建物も木造建築である。

この時期最も注意すべきは『火の用心』。



 亡き兄に代わり二俣の主となった五郎八郎だったが、ここまでそれほどやることは無かった。

特に稲が不作ということも無かったし、大きく天竜川が氾濫を起こしたということもなかった。

流行り病が流行る兆しも無い。

せいぜい天野家の二人が遊びにやって来るくらいだろうか。


 平穏。

まさにそんな日々であった。



 だが年が明けるとそんな平穏は一気に過去のものへと変わった。


 まず年越し。

大晦日の夜は天龍院に行き皆で鐘を突くという大仕事がある。


 そして年が明けると、家中の者が集まり城主へ挨拶を行う。

挨拶をした後はどんちゃん騒ぎである。

家中の者たちはさっさとどんちゃん騒ぎで良い。

だが五郎八郎は、城主として、領主として、村人からの挨拶もあるのだ。

結局一日誰彼かが訪れ、おめでとうございますと挨拶をしていった。



 新年二日目。

今度は馬に乗り駿府へ年賀の評定に向かう。


 到着したからとてのんびりはできず、すぐに今川家中の方々に挨拶をして回る。

これが非常に面倒なのだ。


 なにせ五日には、年賀の挨拶を兼ねた評定がある。

実質一日半で主要な方々へ挨拶を済ませないとならないのだ。

当然挨拶が漏れれば要らぬ誤解を招くこともある。

その辺のことはよくわからないため、五郎八郎は、まるで兵庫助の従者のように付いて挨拶に回った。



 まず真っ先に挨拶に伺ったのは、お館様である今川上総介の御母堂、寿桂尼。

次に筆頭家老で横山城主の三浦上野介こうずけのすけ

次いでお館様の弟で徧照光寺の恵探えたん和尚。

その後、瀬名せな睡足軒すいそくけんの嫡男の瀬名陸奥守、朝比奈備中守、朝日山あさひやま城の岡部左京進さきょうのじょうと挨拶に回った。


 翌日、朝一番で堀越治部少輔に挨拶に伺う。

その後、曳馬城の飯尾いのお豊前守ぶぜんのかみ、土方城の福島上総介、宇津山城の朝比奈下野守、馬伏塚まむしづか城の小笠原おがさわら信濃守しなののかみと回った。



 最後に父兵庫助は久野殿に、五郎八郎は井伊殿に挨拶に向かった。


「初の登城は疲れたであろう。見知らぬ者ばかりへの挨拶回りは大変よな」


 井伊宮内少輔は人の良さそうな顔で烏帽子子を労った。


「粗相をしてはならぬと思うと、余計な緊張をしてしまいますね」


 五郎八郎が弱り顔を見せると、宮内少輔は、さもありなんと気遣わし気な顔をする。


「思い出すなあ。それがしも、最初はそんな感じであった。父の後を付いて、あっちの家こっちの家とな。あれが本当に肩が張るのだ」


 誰しも最初はそう。

すぐに慣れる。

宮内少輔は、そう五郎八郎を慰めた。


「その……山城のことは残念であった。よもや、あの後でかような事になろうとはな……」


 まさかあの酒宴が今生の別れの酒宴になろうとは。

宮内少輔は遠い目をして唇を噛んだ。


 宮内少輔と兄山城守はかなり気が合ったらしい。

歳は宮内少輔の方が上ではあった。

だが、山城守はあまり物怖じしない性格であったため、遠江の国人の中でも、匂坂六右衛門や、朝比奈備中守の父丹波守など無骨な者たちに可愛がられていたのだそうだ。


 ただ同じ遠江の武骨派の中でも、福島上総介はあまり快く思っていなかったらしい。

福島上総介は堀越治部少輔と非常に懇意にしている。

恐らく讒言などもされていたのだろう。

堀越治部少輔は、酒宴に呼んでは山城守に嫌味ばかり言っていたのだそうだ。


「あの、一つ伺いたいことがあるのですが。葛山中務少輔殿というのはどのようなお方なのでしょうか? その……人となりとか」


 突然予想だにしていない名が出て、宮内少輔は腕を組んでしばし考えた。


「それなりの齢の人物だよ。そなたの父兵庫殿よりも上だ。世継ぎがおらんでな、確か甥子を養子になされたと聞いたな。武よりも智に明るい人物で、そういうところは父に似たのであろうな」


 そこまで話を聞く限りでは、いわゆる『古狸』という感じの印象を受ける。


「中務少輔殿の御父上は、そんなに智に明るい方だったのですか?」


 五郎八郎の問いに、古今比類なき智将だと宮内少輔は笑い出した。


「葛山殿の父上は、先代のお館様の母君『桃源院』様の弟御だよ。今の小田原殿、左京大夫の父君『宗瑞入道』だ」


 宮内少輔の説明に五郎八郎は吃驚仰天だった。


 『宗瑞入道』

この名前は宗太の知識としてよく知っている。

戦国期でもトップクラスの有名人で通称『北条早雲』。

美濃の斎藤道三、大和の松永久秀と並んで『下剋上の代名詞』として有名な人物である。

実は早雲は最後まで伊勢姓を名乗っており、北条姓を名乗り始めるのは二代目の氏綱かららしい。


 考えてみれば、今川家の現当主上総介様からしたら、宗瑞入道は大叔父に当たる人物なのだ。

北条姓を名乗っている現当主の左京大夫は、上総介様の父治部大輔様からしたら従弟ということになる。

当然、弟の葛山中務少輔も同様。


 恐らくは北から武田が攻めてきた際、そのような人物に葛山城を与えておけば、北条の援軍が望めるという計算なのだろう。


 だが、だとしたらそんな人物が兄山城守に一体何の用事があったというのだろう?



「その……何だ、色々あって戸惑っていることとは思うが、決して思い切った行動に出てはならんぞ。今川の家だって、決して捨てたものではないからな。その……困ったことがあったら、それがしに相談にくれば良いから」


 五郎八郎は、宮内少輔が何を言い出したのか一瞬わからなかった。

だがその少し引きつった作り笑顔で、北条家への内応や出奔を疑われたのだということに気付いた。


「嫌だなあ。私は兄上から二俣の城と松井家を頼まれたのです。遠江衆の一員として、兄上の顔に泥を塗るような真似はいたしませんよ」


 五郎八郎は大笑いした。

宮内少輔も笑いはしたが、明らかに乾いた笑いだった。



 しかし、義姉上といい宮内少輔殿といい、そんなに私は謀反人面をしているのだろうか?

心外だなあ……

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