『祝言編』 享禄二年(一五二九年)
~出世の章~
第21話 銭が欲しい
二俣に戻った五郎八郎は毎日のように天龍院に通っている。
理由はいくつもあるのだが、一番大きいのは兄山城守の代わりが欲しかったという精神的なところであろう。
相変わらず天野安芸守や天野小四郎が、やれ大根ができた、玉葱ができた、大豆だ豆腐だ、鴨だ猪だと色々持って来てくれる。
その都度何かしら話をしていってくれるのだが、どうしても山城守の温かく見守ってくれるような温もりを欲してしまうのだった。
源信には山城守の悲願だった銭を得る手段を相談している。
銭が無ければ遠征先で十分な食料を購入することができない。
これまでは大きな動員は無かったが、戦国の世である。
いつ大規模な動員がかかるかわかったものではない。
棚田によって米は得られる事になった。
米が得られたことで、その分民を抱えられる事になった。
つまり多くの兵を抱える事ができたと計算できる。
その増えた兵の食い扶持分、余計に銭を作らねばならないのだ。
ただ、以前藤四郎にこの城の財務状況を見せてもらった事がある。
主な収入は材木の販売代。
材木は建築資材として欠かせない物であり何を作るにも材木が要る。
寒ければ薪としても利用するし、落ちている柴は種火を作るのに必須である。
つまり目の前の山は宝の山だったりしている。
ようするに山を支配下に置いているというのは、現代で言えば石油王みたいなものなのだ。
二俣の領内の大半は山で、そこで切り出した木を天竜川の水運を利用して東海道に輸送している。
生産だけでなく物流も持っているというのが何気に二俣の強みなのだ。
兄上が次は銭だと口では言いながら放っておいたのは、そこまで差し迫った問題ではないと感じていたからだろう。
だが実は五郎八郎にはやりたいことがある。
城を今の平野部の平城から、南西の小高い山の上に移したいと考えているのだ。
やっぱり
うんうん。
城下町は同じだが、改修ではなく新築という感じになると思う。
となると当然大量の銭と資材がいる。
その為にも、できれば材木一本の収入源ではなく、もう何本か収入源が欲しいと考えている。
銭を作ると一口に言っても手段はさまざま。
街道に関を作って通行料を取るのが一般的だろうか。
特産品作りを推奨するというのも良いだろう。
城内に市を作り場所代を取るというやり方もある。
難所があればそこを超える旅人のために宿場を作るという手もある。
あまりやりたくないはないが寺社から上納金を巻き上げるという手もある。
堀江城のように温泉が湧けば湯治代が取れたりするのだが、残念ながら二俣にはそんなものは無い。
曳馬や懸川のように大きな街道が通っていれば良いのだが心許無い秋葉街道があるのみである。
どうやら源信も兄上から似たような相談を受けていたらしい。
そこで様々な文献を当たった上で綿花の栽培はどうかと推薦したらしい。
綿花は水はけのよい土地が適しており二俣はうってつけだろうと説明したのだそうだ。
だが当時は田畑を潰してまで食えない綿花を作るのはいかがなものかと反対されたのだそうだ。
棚田を作った今ならそれも可能ではないかというのが源信の案であった。
五郎八郎は実は純粋に銭を欲しがったわけではなかった。
銭を得ようとする事によって人の往来を活発にしたかった。
人が集まらねば医師も来ない。
医師が来ぬと、もし流行り病のようなものが流行ってしまうと、あっという間に立ち行かなくなってしまう。
逆に人の往来が盛んになれば、新鮮な情報が手に入る事にもなる。
その為に天竜川を挟んだ南側、
上島は曳馬からの秋葉街道が通る地、鹿島は本坂通へ通じる道が通る地である。
この一帯に大きな市を作り人を招き、二俣には宿を作る。
これで二俣に人を集められないかと考えているのだ。
兄上を亡くした寂しさを仕事で埋めていた五郎八郎の元に一通の文が届いた。
差出人は堀越治部少輔。
親睦を深めるために『
『組香』という聞いた事もない文言に焦った五郎八郎は、家人たちに聞いて回った。
ところが誰も知らないと言う。
藤四郎は、もしかしたら花月院様か源信様なら何か知っているかもと苦笑いした。
五郎八郎は義姉上の元へと向かった。
兄上の葬儀の後、義姉上は落飾され今は『花月院』と名乗っている。
五郎八郎を見ると、ずいぶんとご無沙汰ですことと花月院はちくりと言葉の刃を刺してきた。
ご立腹という風ではない。
ただ単に拗ねているという感じである。
兄上が存命の頃から義姉上はこういう態度をとることが多かった。
姉妹の中でも一番下だと聞くので、こういう態度で兄姉に甘えていたのだろう。
ご無沙汰と言っても毎週一度は挨拶に伺っているはずである。
……今週はこれが初ではあるが。
五郎八郎はまだ嫁を娶っていない。
その為、未亡人の兄嫁の部屋に入り浸り悪い噂が立ってはならないと、なるべく距離を置いているのである。
義姉上もわかっていてからかっているのだろうが。
義姉上に『組香』を知っているかと尋ねたところ、やったことは無いが知ってるとの事であった。
嫁入り前の嗜みとして色々と母親から教わるのだそうで、その中の一つに『香道』があったらしい。
『香道』とはお香を嗅ぎ分ける作法のようなもの。
「何だ、お香の匂いを嗅ぎ分けるだけですか。簡単じゃないですか」
五郎八郎が余裕そうに笑うと、花月院は眉をひそめ首を傾げた。
花月院は兄上の仏壇に五郎八郎を連れて行き、これを嗅ぎ分けてご覧なさいと三種類の線香に火を付けた。
……どう考えても同じ線香にしか感じない。
「どうですか? 三本それぞれ異なる香を練った線香なんですよ?」
花月院はさらに一本の線香に火を付けると、どの線香と同じかと尋ねた。
……どう考えても全て同じ線香にしか感じない。
あてずっぽうで二番目の線香だと思うと答えると、花月院はクスクス笑い出した。
「今のは前の三本とは違う線香なんです。これが『香道』ですよ。どうです余裕でした?」
顔を引きつらせる五郎八郎を横目に、花月院は四本の線香を仏壇の香炉に立て手を合わせた。
……明らかに舐めていた。
五郎八郎はぐうの音も出なかった。
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