『河東の乱(再発)編』 天文十三年(一五四四年)

~改史の章~

第59話 またもや井伊家が

 河東郡の争乱からわずか五年。

小豆坂での敗戦までの間で、今川家の周辺は大きく変化している。


 甲斐では武田家当主の陸奥守が嫡男太郎によって追放になっている。

表向きは陸奥守が飢饉の被害を顧みずに信濃への軍事行動を起こし、激怒した家人たちにクーデターを起こされたという事になっている。


 だが、漏れ聞こえてくる話の中には少し異なる話もある。

どうやら陸奥守は嫡男太郎の才覚をかなり評価しているらしい。

弟の次郎も兄に心酔している。

この二人であれば自分よりも良い結果を出せるだろうと自ら身を引いたというのだ。


 陸奥守は娘婿のいる駿府にやってきて、勝手に住み着いて駿府城下に住む諸将とよしみを結んでいる。

どうやら今川家の内情を探って甲斐へとこっそり流しているらしい。



 武田陸奥守が駿府に来た一月ほど後、小田原では北条左京大夫が身罷みまかった。

どうやらその前年くらいから体調がすぐれなかったらしい。

家督を息子の新九郎へと譲っている。



 これで甲斐、相模、駿河の三家の当主は全て代替わりし、河東郡の争乱は新たな局面を迎える。

そんな雰囲気が漂っていた。

中でも駿河の今川家がいち早く代替わりしており、安定統治という面で大きく二家をリードしていた。


 まずは後背の安全を確保、そう考えて三河の統治に乗り出したのだが……

初戦の戸田家征伐に失敗、続く小豆坂での敗戦とせっかく手にしていたイニシアティブをあっさりと失ってしまったのだった。




 小豆坂の敗戦の後、雪斎禅師は結局一月ほど謹慎していた。

お館様たちがどう対処するべきか悩んでいる間、松井家の屋敷に頻繁に武田家の先代当主陸奥守が訪れていた。

陸奥守は毎回良い清酒を携えて来て、何度も小豆坂のあのやり方はありえないと説いていた。

恐らく引き抜きの好機だとでも思ったのであろう。


 そんな折、久野、天方、匂坂、天野、大沢の各家から武田家からの誘いが来ているという文が続々と届いた。

五郎八郎殿の意向いかんでは当家もそれに従おうと思うと書いて来た家まであった。


 このままでは家中が武田家の調略でめちゃくちゃになってしまうと感じた五郎八郎はお館様にお目通りした。

陸奥守の件を報告し、さっさと丹波守を処刑して雪斎禅師の謹慎を解くように要請。


 その結果、朝比奈丹波守は他家の調略にのって、いたずらに駿河衆と遠江衆の分断を謀ったとして磔刑たっけいに処される事になった。

その処刑が五郎八郎の主導で行われた事で浮足立っていた遠江衆は落ち着きを取り戻したのだった。




 そこからさらに一月ほど経ったある日の事であった。

五郎八郎は雪斎禅師の呼び出しを受ける事になった。


 これまでお館様からの呼び出しは何度もある。

だが雪斎禅師から直々の呼び出しというのはほとんど無かった。


 雪斎禅師は五郎八郎の顔を見るなりため息をつき、まあ座れと言って座布団を渡した。

五郎八郎が座ると、文箱の中から一通の手紙を取り出し、読んでみてくれと言って手渡した。


 文は三日前に届いたものらしく、差出人は井伊家の家人小野和泉守。

内容は”亡き井伊宮内少輔が弟、彦次郎と平次郎が、父兵部少輔と共に謀反を企んでいる”というものであった。

どうやら田原城の戸田家と通じ、今川家からの離反を目論んでいるらしい。

新当主の内匠助たくみのすけ殿はまだ代替わりしたばかりであり、このままだと家中が離反の方向で流れそうである。

一度、彦次郎と平次郎の兄弟を駿府に呼び事情をお聞きになられてはいかがか。


「書状にはそうあるのだが、そなたはどう思う? 拙僧は小豆坂での一件と今の三河の情勢をかんがみるに十分ありえる話なように感じるのだが」


 雪斎禅師も讒言ざんげんだけを信じて処断しては、またぞろ五郎八郎に文句を言われかねないと思い、こうして相談してきたのであろう。

残念ながら五郎八郎もこの情報の信憑性は高いと感じている。


 現当主の内匠助は五郎八郎よりも三つほど年上の人物である。

先の田原城攻めの際に城代を務めており、正式に井伊家の世継ぎとして扱われていた人物である。

そのため内匠助の家督継承に家中が不満というわけでは無いはずである。

父の宮内少輔もだいぶ苦戦していたように、あの家はご隠居である兵部少輔の意向が強すぎるのだ。


 非常に困った事にその兵部少輔が今川家をあまり好いていない。

兵部少輔はまるで草原の掟でも守っているかのように露骨に強い者になびく。

福島上総介存命の時には、福島上総介とその盟友である堀越治部少輔になびいていた。

五郎八郎が福島家と堀越家を潰すと、今度は五郎八郎になびく。

その五郎八郎が三河で敗戦を喫すると、今度は三河になびく。


 だが、だからと言って兵部少輔を誅殺してしまっては井伊家は完全に今川家から離反してしまうだろう。

小野和泉守もそう考えたからこそ、兵部少輔ではなく二人の兄弟を誅すべしと進言してきたのであろう。


「まずは今度の評定の際、内匠助殿に話を聞いてみます。判断はその後でも遅くはないかと存じます。この一件、それがしに一任いただけませぬか?」



 こうして井伊家の一件は五郎八郎の判断に委ねられる事となった。



 ここのところ毎回、評定の数日前から松井家の屋敷は遠江衆の挨拶で朝早くから夜遅くまで人が溢れかえっている。

昼も過ぎるとちらほらと酒が入る者が出てきて、もはや収集が付かなくなる。

そんな中、五郎八郎は二人の人物と個別に面会している。

一人は井伊内匠助。

そしてもう一人は高根城の奥山金吾正。



 家中が揉めているという噂を耳にしたと言うと、内匠助は取り繕うでもなく、ほとほと困り果てていると言って額の汗をぬぐった。

やはり五郎八郎が推察した通り兵部少輔が今川家から独立と言い立てているのだそうだ。


 兵部少輔には都合六人の男子がいる。

嫡男は先日討死した宮内少輔、次男が彦次郎、三男は夭折、四男が平次郎、五男が刑部少輔、六男が夭折。

元々、内匠助は叔父の中でも比較的年齢の近い刑部少輔を頼りとしていた。

ところが、刑部少輔は何年か前に病に倒れてから、度々健康を害している。

何かと祖父に同調する彦次郎と平次郎、その二人の叔父とは意見が合わず、どうしても押し切られてしまいがちなのだそうだ。


「家中の内情はわかりました。で、あなたはどう考えているんです? それによってはそれがしも井伊家について色々と考えを改めねばなりませんからね」


 これまでは烏帽子親である宮内少輔が当主であったからこそ色々と便宜をはかっていたが、それに甘んじて好き勝手するのであれば、こちらもそれ相応の態度を取らさせていただく。

五郎八郎は少し低い声で威圧するように言った。


 思ってもみない厳しい言葉に内匠助はたらりと冷や汗を零す。


「それがしは父同様、今川家の臣下である事を良しと考えています。身の程をわきまえているつもりですから。ご隠居たちのように独立などと大それた事は考えていませんし説得もしています」


 内匠助はそう言って平伏するのだが……

残念ながら内匠助も隠居たちに同調しているという事は事前に奥山金吾正から聞き知ってしまっている。

はてさていかがしたものか。


「わかりました。近いうちに再度戸田家を攻める事になると思います。その時の部隊に井伊家を加えるように進言いたしましょう。そこで大いに戦功をあげ忠節を示したら良いでしょう。もし武功無き時は……井伊家の存続は保障できない」


 五郎八郎がはっきりと『井伊家取り潰し』を口にした事で、内匠助は頭が真っ白になった。

視線を落とし、頭を垂れ、体を小刻みに震わせている。

恐らく目の前にいる人物に畏怖を覚えているのだろう。


「……そう五郎八郎が言っていたと言ってご隠居と叔父を説得なされよ。それがしが言っていたとなれば、少なくともあのご隠居は愚かではないから、今川家中で井伊家の置かれた立場が理解できるでしょう」


 井伊家の存続は崖っぷち。

間違いなく兵部少輔はそう捉えるであろう。

そしてそれを言ったのが五郎八郎だとなれば、五郎八郎が大将となって井伊谷城を落としに来ると思うであろう。


 必ずや祖父と叔父を説得してみせますと言って内匠助は床に額を擦り付けた。




 この年のうちに岡部美濃守が井伊家他数家と共に戸田家討伐に向かった。

井伊家は内匠助を大将に彦次郎と平次郎が出兵。

まだ敗戦の痛手から立ち直っておらず井伊軍は少ない兵数ではあったのだが、その井伊軍の奮戦もあって今橋城はわずか数日で落城。

それに恐れをなし仁連木城が降伏。

田原城の戸田孫四郎は抗戦を諦め降伏を申し出てきたのであった。


 その後の評定にて井伊内匠助は、お館様から感状を賜る事となった。



 評定が終わった後、内匠助は五郎八郎の屋敷に挨拶に来た。

近侍が一台の大八車に土産と思しき品を乗せて引いてきた。


「祖父から、五郎八郎殿に貰っていただけと言われてきました。当家の城下にて作らせたかすりです。金糸をふんだんに使ったものです。ぜひ奥方様のお召し物に仕立てくだされ」


 兵部少輔が反物、彦次郎が酒、平次郎が脇差。

兵部少輔は菘に、彦次郎は家人に、平次郎は五郎八郎にそれぞれ土産を用意したといったところだろう。


「それがしには娘しかおりませんで。これがまあじゃじゃ馬で困りはてておるのですが、それはさておき、叔父彦次郎に七つになる男の子がございます。今それがしはその子を養子としておりまして。つきましては、この子の元服の際、烏帽子親を務めてはもらえないでしょうか?」


 祖父と彦次郎のたっての頼みだと内匠助は懇願した。

五郎八郎がすぐに返答しないでいると、内匠助は何卒と再度懇願してきた。


「方々に断られていたそれがしの烏帽子親を、兵部殿が承諾し、宮内殿が受けてくださったんですよ。その兵部殿の頼みを断るわけにはいかないでしょ。かまいませんよ。六年後を楽しみにしています」

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