第28話 どちらに付くか

 翌年の年賀の挨拶で昨年の武田軍迎撃戦の報告が行われた。


 どうやら武田軍は当主の陸奥守本人が出陣して来ていて、富士川を挟んで長期間対峙していたらしい。

こちらの大将は名目上は今川彦五郎。

軍監として雪斎禅師が出陣している。

岡部左京進、庵原左衛門尉、北松野城のおぎ図書助ずしょのすけなどと共に、福島上総介、小笠原信濃守も出陣している。


 福島隊は最も上流に布陣していたらしい。

対峙している間、両軍で小競り合いが何度か起こった。

だがそれは全て下流での事。

上流の福島隊、小笠原隊は撃って出るなと厳命されていた。


 ある朝、気が付くと敵が陣地替えをしていたらしい。

特に陣形が変わっている風でもなく意図が良くわからなかった。


 その日、福島隊には武田軍から挑発するように罵詈雑言が浴びせられた。

目の前の部隊の旗『月星』を見て上総介は、嫌でも以前の甲斐侵攻での事を思い出していた。

あの時叔父の首級を挙げた部隊の旗印である。

名は確か原美濃守。


 上総介は歯嚙みしながらも、それでも必死に耐えていた。

だが兵が我慢できず勝手に渡河してしまったのだった。

軍令違反の兵など放っておけば良いものを上総介は救出に向かってしまう。

結局、原隊に散々にやられ多くの犠牲を出して福島隊は後退。


 戦自体は和平がなって引き分けという形で終わったのだが、福島上総介には追って処分が下されるという事になったらしい。


 年賀の評定の中で『土方城の没収』という処分が言い渡された。

次回の評定までに小笠原信濃守へ引き渡すようにと。

これで福島上総介の所領は駿河国内のわずかな所領のみとなってしまったのだった。




「父上は福島殿の処分の件、どう思われますか?」


 銚子を取ってかわらけに酒を注ぎながら五郎八郎は尋ねた。

父子二人だけと言えど、ここは今川館の一室。

誰に聞かれているかわかったものではなく、自然と声は小声になる。


「どうと言われてもなあ。軍令違反は一歩間違えば全軍崩壊であるからな。ただ、所領没収はいささか罰として重すぎると思わんでもないがな」


 そなたはどう感じているのだと、兵庫介も酒を注ぎながら尋ねた。


「福島殿は恵探和尚の縁者なのですよね? 退路を断たれて思い切った行動に出ないと良いのですが……」


 五郎八郎は宗太の知識として、今のお館様――今川氏輝は短命で、その後で玄広げんこう恵探えたん栴岳せんがく承芳しょうほうが家督を争う事を知っている。

『花倉の乱』と呼ばれる内戦である。

そして恵探と福島が組み、承芳と雪斎に敗れ去る事も知っている。

承芳が還俗げんぞく(=僧籍を捨てる)して今川義元になるのである。


「思い切った事というと、恵探和尚と組んで謀反でも起こすというのか? 一体何の大儀があって? 所領没収が納得いかないので謀反しますでは誰も付いては来ぬぞ?」


 こういうところはさすが父上だと五郎八郎は感じている。

実は五郎八郎も現状で気になっているのはそこなのだ。

福島と恵探和尚だけでは、そこまで大きな内乱になるようには思えないし一瞬で潰されそうに感じる。

それに、それなら普通に考えて立て籠る場所は花倉城ではなく土方城のはずなのだ。


「例えばですよ。例えば今お館様が亡くなったらどうなりますでしょう? お館様は病弱ゆえ、そういう事もありえますよね? しかも彦五郎様まで亡くなったとしたら」


 兵庫介はかわらけを膳に置いて五郎八郎の言う状況を真剣に考えだした。

その二人が亡くなれば確かに恵探和尚か承芳和尚が還俗するしかなくなるだろう。

どちらも正妻寿桂尼の子ではない。

となれば順番からしたら恵探和尚が有利であり縁者である福島が筆頭家老となるであろう。

そもそも恵探和尚は僧籍に入れられたとは言え、あのまま福島上総介の従妹が正妻のままであれば嫡男だったかもしれない人物なのだから。


「もしもだ、そんな事になって恵探和尚と承芳和尚が対立するならば、それがしは恵探和尚に付きたいなあ。承芳和尚には雪斎禅師が付くのが目に見えておるし、あの坊主の兄の庵原いはら左衛門尉は遠江衆嫌いで有名だからな」


 これは困った事になったと五郎八郎は感じた。

現在の立場を考え負ける恵探和尚の方に付かれては、その後で承芳和尚が勝った際、冷遇が目に見えている。

生存戦略としては十分に有効なのだが、結果のわかっている賭け事で負ける方に賭ける馬鹿はいないであろう。


「そうなったら寿桂尼様はどちらの味方をするのでしょうね? もし承芳和尚に味方するようなら承芳和尚が圧倒的に有利になるように思いますが」


 もちろん知識とし寿桂尼が承芳に付く事を知っていて五郎八郎は父に聞いている。

兵庫介は困り顔をしてしまった。


「あの尼御台がどちらかに付くというのであれば、確かに付いた方が圧倒的に有利であろうな。だが、普通に考えてあの御方は中立を貫き、勝った方を養子に迎えるのではないかな?」


 なるほど、十分にあり得る話だろう。


「では父上、仮に寿桂尼様が承芳和尚に付いたらいかがします? それでも恵探和尚に付きますか?」


 兵庫介のかわらけは空になっていたのだが、五郎八郎が注がないので自分で注いでくいっと飲んだ。


「有利な方に付く!」


 父上があまりに真顔で言うので五郎八郎は思わず吹き出してしまった。




 残念ながら歴史というものは否応なしに動くものであるらしい。

それからわずか一月後の事であった。

二俣に堤城から早馬が来たのだった。


 早馬で手紙が来るといえば家の一大事と相場は決まっている。

大広間で父上からの書状を受け取ると、家人たちが何事かと自然と集まって来ていた。


「五郎八郎様、早馬とは珍しいですね。堤の殿は何と?」


 八郎二郎が興味津々で五郎八郎に尋ねた。

父上からの手紙を読んだ五郎八郎は静かに手紙を元の状態に畳んだ。


「……お館様が身罷った」


 五郎八郎からしたら、ついにこの日が来たのかという程度であった。

だが家人たちはそうではなく、皆言葉を失ってしまっている。


「では、家督は彦五郎様がお継ぎになられたのですか?」


 恐る恐るという感じで常葉又六が尋ねた。

父上の手紙にはその辺りの事は詳しくは書かれていない。

だが五郎八郎は知っている。

彦五郎などという弟については宗太の知識の中には無いのだが、少なくとも家督争いにそんな人物はいなかったはずである。

という事は、その彦五郎とかいう人もすでに他界していると思われる。


「まだわからないけど、場合によっては大きな戦になるかも。いつでも出陣できるように、皆、準備は万端にしておいてくれ」


 五郎八郎の指示に家人たちの反応は真っ二つに割れた。

藤四郎、弥次郎、権八、八郎二郎は腕が鳴ると実に嬉しそうにしている。

一方、又六と藤三郎は武者震いをしている。

小姓の弥三も震えているらしく抱えている刀がカタカタ音を立てている。


「ですが、お館様が身罷ったというだけで何で戦になるのですか?」


 そこに疑問を抱いたのはこれだけいて八郎二郎だけらしい。

堤城の惣左衛門尉は箸にも棒にも掛からぬと散々な事を言っていたが、それなりに頭は切れるらしい。


「もし彦五郎様に何かあったら、その次がいないんだよ。順番的には恵探和尚だろうけど、そんなの駿河衆が黙ってないだろうし。逆に承芳和尚になったら、それはそれで遠江衆が黙ってない」


 つまり今川家は駿遠で二つに割れる。

当然、そんな状況を甲斐の武田や相模の北条が見逃すはずが無い。

さすがに直接兵を差し向けてくる事はないだろうが、その後の影響を考え外交的なちょっかいくらいは出してくるだろう。


「その……もしそうなった場合、殿はどちらに?」


 藤四郎の問いかけに家人全員が五郎八郎の回答に注目した。


「……有利な方かな?」

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