第23話 あの娘はよくない
見附館での宴会は陽が傾くと完全に愚痴の言い合いになっていった。
再度、年賀の朝比奈丹波守の話になり、遠江衆に対する扱いの話になっていった。
七年前の先代のお館様の仕打ちは未だに我慢ならんと年配の人たちは怒り心頭であった。
――甲斐の南西巨摩郡に
そこに大井家という家がある。
大井家は甲斐守護武田家の分家なのだが、今川家における堀越家のようにかなり遠縁である。
かつて関東で
禅秀入道は関東
大叔父は
ところが関東公方が代替わりした際、政治闘争に敗れ関東管領を罷免となり勢いで挙兵。
その戦乱で当主の武田安芸守は縁者だからという理由で禅秀入道に付き敗北。
そこから甲斐は守護代の
それに乗じ国人領主が跋扈。
その国人領主の一家が大井家である。
だが武田家の歴代当主は、そこから地道に守護代の跡部家の力を削いでいき、現当主の陸奥守が当主になると一気に甲斐統一に動いた。
当時大井家は隣の穴山家と共に武田家を離れ今川家の支配下に入っていた。
武田陸奥守は大井家と穴山家も支配下に入れようと兵を差し向けた。
大井家の当主高雲斎と穴山甲斐守は共に武田陸奥守と和睦。
勝手に武田家に鞍替えしてしまったのだった。
これを不服とした先代のお館様は遠江衆に武田領への侵攻を命じた。
「外様である遠江衆はこの戦で戦功をあげ、真の今川家の家臣であることを証明してまいれ」
遠江の国人たちは奮起し代表に兵を引きいらせ派遣。
井伊家、大沢家、久野家、匂坂家など多くの国人が派遣している。
大将は福島上総介。
福島上総介は従妹がお館様の側室になって男児を産んでおり、勝手に
上総介としては、この遠征を成功させ今川家の家老の地位を不動のものにしておきたいという思いがあった。
遠江衆は士気が高く精強で大井家の富田城はあっさり落城。
ところがそれ以上の指示が駿府から来なかったのである。
下されていたお館様からの指示は『甲斐侵攻』。
指示が来ないという事は現地の判断で作戦を続行せよということである。
ならば一気に居城である河田館まで攻め上り落としてしまおう。
これだけ皆の士気が高ければ武田家など恐るるに足らず、そういう雰囲気が富田城には漂っていた。
だが現実はそんなに甘くはなかった。
士気が高いと言えど、負ければ滅亡という武田軍とは覚悟という点において大きな差がある。
さらに戦線も伸びきっている。
河田館手前まで迫った遠江軍だったが、飯田河原で大敗北を喫してしまう。
大将の福島上総介は辛うじて撤退に成功したのだが、叔父を打ち取られてしまい他の家も多くが討死。
福島上総介は敗残兵をまとめ上げ何とか撤退に成功した。
一旦富田城に戻り、待機していた軍を中心に弔い合戦とばかりに再侵攻をしたのだが、飯田河原手前の上条河原でまたも敗北。
富田城を破棄し駿河への撤兵を余儀なくされてしまったのだった。
後から知ったのだが、富田城を攻め落とした時点で既に今川家と武田家の間で和睦が成立してしまっていたらしい。
まさか遠江衆ごときに富田城が落とせるなどとは思っていなかったのだろう。
恐らくお館様は駿河衆からの讒言で遠江衆など軟弱だと信じ切っていたのだろう。
これを機に経済の要衝を押さえている邪魔な遠江の国人たちの力も削いでおきたい。
遠征は最初から遠江衆を捨て駒にするつもりであったのだ。
遠征軍に和睦が成立したという使者は送られず、武田家には福島という者が命を聞かずに勝手に動いてしまっていると言い訳をしたらしい。
負ければ叱責すればよいし、万が一予想以上の成果を上げたら和睦の方を破棄してしまえばいいとでも考えていたのだろう。
福島上総介はお館様に呼び出され、何故伝令の命を無視して富田城を落としたのかと叱責を受けた――
どうやら五郎八郎はかなり早い段階で眠ってしまっていたようで、目が覚めたら翌朝であった。
一月ほどし、二俣にご隠居と父上、母上がやってきた。
どうやら堀江城に湯治に行ったらしく、その帰りに寄ったらしい。
母上は珍しく千寿丸のところに直行ではなく、話があると言って父上と共に広間に来ている。
「五郎八郎、あれは良くないぞ。まだ焦る時期では無い。他に良い娘御がいるだろうからもう少し慎重に探そう」
かわらけに酒を注ぐと、まだ呑んでもいないのに兵庫助がそう言い出した。
「それがしもあの娘はどうかと思うな。辛気臭いというか陰気臭いというか。何を言っても、かき消えそうな声ではいはいしか言わない。精神を病んでおるのやもしれぬぞ?」
山城入道のかわらけにも酒を注ぐと、五郎八郎は母上に何の話かと尋ねた。
そんな母上のかわらけには義姉上が酒を注いでいる。
「そなたの嫁の話に決まっているではありませぬか。大沢様から『
五郎八郎はすっかり忘れており、そんな話ありましたねえなどと呑気な声を出した。
「あら。五郎八郎殿の嫁の話なんて出ていたんですね」
すぐに内緒にするんだからと義姉上が五郎八郎の脇腹を突いた。
内緒にしたわけではなく本当に忘れていたのだが。
「母上はどうお考えなのです? 母上もお会いになられたのでしょう?」
五郎八郎に問われ母上もかなり渋い顔をする。
山城守が生きていた時であれば悪く無いと言ったかもしれない。
だが二俣松井家の当主となった現状では相応しいとはお世辞にも言えない。
しかも姪、せめて左衛門佐殿の娘御であったら。
「そもそもあのように細く尻の小さき娘で、まともに子がなせるのやら」
母上が難色を示すと義姉上は、まだ成長途上かもしれませんよと指摘。
すると母上は、そなたは会っていないからそのように申すのですと、やや語気強めに反論した。
「えっと、その……器量の方はどうだったのです? 左衛門佐殿は中々だとおっしゃっていましたが」
五郎八郎が恐る恐る尋ねると、母上と義姉上がじっとりとした目で五郎八郎を見た。
二人の視線が刺さるように痛い。
「少しやつれた感はあるものの、確かにそれなりの器量には思えたかなあ」
山城入道が思い出すように言うと、どれだけ器量が良くてもあのような貧相な見た目ではと兵庫助が眉をしかめる。
「あれなら匂坂殿の娘御の方がまだ良いとそれがしは思うな。少し抜けたところのあるそなたには年上女房が合っておると思うのだ」
兵庫助が真顔で五郎八郎を説き伏せるように言う。
山城入道もすぐに誰かわかったようで、あの娘は良いぞと言い出した。
「いやいやいや。その女性は私の倍近い歳ではありませんか。年上にもほどがありますよ」
五郎八郎は全力で拒んだのだが、兵庫助は、すぐに世継ぎが望めて良いと言い出し、山城入道は側室を貰ったら良い話だと身も蓋も無い事を言い出した。
さすがに山城入道の発言は母上と義姉上が猛反発した。
本人を他所に、ああでも無いこうでも無いと喧々諤々の議論が勝手に繰り広げられている。
そんな中で義姉上が五郎八郎のかわらけに酒を注ぎ、五郎八郎殿はどう思うのと尋ねた。
ここまでの三人の感想を纏めると、菘ちゃんは内気な性格のスレンダー美女という事になるだろう。
……悪く無い。
いや、良いかもしれない!
肉付きの話は完全に好みの問題だ。
父上とご隠居は少しふっくらしている女性が好きというだけの話に思う。
「先日の感じでは、左衛門佐殿は姪御の相手にかなりお困りの様子でした。私が娶れば左衛門佐殿の好意を買えるかもしれませんね」
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