第13話 我々だけの胸の内に

 勝鬨の後、五郎八郎たちは先に南領家村に行き、陣幕を張ることになった。

井戸のすぐ隣に張るのが良いとされていると弥次郎が教えてくれた。

兵たちも慣れたもので、場所を指定するとさっさと陣幕を張り終えてしまった。

もしかしたら一番張り方がわからないのは、五郎八郎と八郎二郎かもしれない。



 床几の一つに座って待っていると、まず井伊宮内少輔たちがやってきた。

井伊宮内少輔は五郎八郎の前に立つと肩に手を置き、にこりとほほ笑んだ。


「初陣とは思えぬ見事なご活躍であった。烏帽子親として誇らしいぞ!」


 その後、権八、藤四郎といった家人がやってきて、最後に総大将の山城守がやってきた。


「こちらに引き寄せる予定が、そなたの方に釘付けになっておるから肝を冷やしたよ。だが、おかげでやつらを完全に封じ込めることができた。よくやった」


 そう言うと山城守は五郎八郎の肩をポンポンと叩いた。



 山城守が中央奥の床几に腰かけると、天野安芸守が引き立てられてきた。


 想像してたよりずっと若い。

それが五郎八郎の第一印象だった。

恐らく山城守よりも若いだろう。



「もう城も落としたのだろう。これ以上抵抗はせん。好きにするが良い」


 天野安芸守は後ろ手に縛られ跪いている。

夢破れた、計画は破綻した、全ては終わった。

そういう態度であった。


「狭隘な街道を封鎖し弓で射撃、それ自体も見事ながら、まさか別動隊で空になった犬居城を攻めるとは。恐れ入った。完敗だ」


 天野安芸守の発言に山城守は小首を傾げ、井伊宮内少輔、次いで五郎八郎の顔を見た。

五郎八郎に小声で何の事だと尋ねた。


「あの……城の前で薪を焚いただけで、城は落ちてはいませんよ。そう見えるように二か所で煙を出しただけです」


 五郎八郎が言いづらそうに発言すると、天野安芸守はあんぐりと口を開け、山城守の顔を見てさらに落胆した。


「松井殿も井伊殿も剛の者で知られておるが、なかなかどうして、大した智慧者だ」


 天野安芸守が呆れたような口調で言うと、井伊宮内少輔は豪快に笑い出した。


「そなたを出し抜いたのは、そこにいる昨日元服したばかりの若武者だ。我々も、全てそこの五郎八郎殿の策に従ったまで。そなたは初陣の小僧に負けたのだよ」


 天野安芸守は信じられんという顔で五郎八郎を見た。

真かと正面の山城守に尋ねた。

山城守も苦笑いしこくりと頷いた。


「これは大変なことになった。気が変わった。この命、簡単に散らせるわけにはいかなくなった。我が命、そこの五郎八郎殿に預ける。今川家ではない。松井五郎八郎殿にだ」


 安芸守はそれまでの疲れ切った顔ではなく、希望に満ちた顔になっている。

そんな安芸守を見て、山城守は権八に綱を解いてやれと命じた。


 体が自由になった安芸守は、改めて五郎八郎の前で平伏した。


「無能非才の身ではござるが、それがしが必要な折は遠慮のうお声をかけてくだされ。貴殿の指揮の下戦える日を夢見て、兵を鍛えておきます」


 心躍り興奮している安芸守に比べ、五郎八郎は極めて冷淡な態度であった。


「どうした? 五郎八郎。武士もののふがここまで申しておるのだ。何か答えてやらぬか。それとも何か不満なことでもあるのか?」


 山城守に叱責を受けても、なお五郎八郎は安芸守をじっと見つめている。


「その前に一つ聞かせてください。何故こんなことをしたんです?」


 五郎八郎はかなり声のトーンを落として尋ねた。

その声に弥次郎たちも少し背をぞくりとさせた。


「此度の非礼、深くお詫びいたします。領家村については秋葉寺にお願いし菩提を弔ってもらいます。それでご勘弁ください。それ以上は……」


 安芸守は背後関係などについては言を避けた。

だが五郎八郎ではなく山城守から、五郎八郎に命を預けたのではと指摘された。


「……そうでしたな」


 そこまで言うと安芸守は、青空を仰ぎ見てゆっくりと息を吐いた。

夏の高い空に入道雲がひと際映えている。


「堀越家の誘いに乗ったのでござる。昨今、松井家は駿府の宗家ばかりを重んじ、本来の主家である当家を軽んじておる。だから痛い目を見せてやって欲しいと」


 二俣城が包囲され、そこに堀越家が援軍として駆けつける。

堀越家の裁定で当家が停戦に応じれば、松井家も堀越家をもう一度重んじるようになるであろう。


「我らはその際、領家、春野、堀之内の三村を貰えることになっておりました」



 安芸守の自白に一同はシンと静まった。

木々の騒めきだけが陣幕に響いた。


 その静けさの中で井伊宮内少輔が一つ咳払いをした。


「この事は我々だけの胸の内にしまっておくのが良いでしょうな。天野殿も単に戦で敗れただけということにしましょう。でないと、遠州に立たなくてもよい戦火が立つことになる」


 井伊宮内少輔の提案に、山城守、五郎八郎、天野安芸守が頷いた。




 五郎八郎隊、井伊宮内少輔隊に次いで、山城守の本陣が二俣城に到着した。


 戦勝の第一報は二俣城にも届いてはいる。

次いで山城守、五郎八郎が共に無事という報も届いた。

そうは言っても、兵庫助もそれなりの損害は覚悟していた。

初陣の五郎八郎に至っては、最悪、初陣でそのまま討死することも覚悟していた。

だが帰還したどの隊もほとんど兵数が減っていないことに気付き、作戦の大成功を察した。


 五郎八郎と山城守は、留守居の兵庫助に戦勝を報告した。


「どうやら大勝利であったようだな」


 兵庫助は兵たちを見渡し満面の笑みを浮かべた。


「父上! 実に気持ちが良うございましたぞ! かように一方的な戦は、そうそう味わえるものではございません」


 留守居などさせて申し訳なかったと、山城守は大笑いしている。 

井伊宮内少輔も井伊谷に良い土産話ができたと、ほくほく顔である。

兵庫助の隣で、白い鉢巻を締め、腹巻を締め、薙刀を手にしている夕も、それは良うございましたとニコニコしている。


 山城守たちは兵たちをそのままに待機させ、まず城内にある神社に参拝した。

その後で兵たちの前に立ち、再度、勝鬨を上げた。


「今日は呑むぞ!!」


 山城守が吼えると、兵たちはそれに答えるように大歓声をあげた。


 戦は終わったんだ。

僕たちの勝利で。

皆の嬉しそうな顔を見て、五郎八郎は改めて感動が込み上げてきた。

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