第63話 いつぞやの仕返しを
岡崎城は東から南に乙川が流れ、さらに西にも南北に伊賀川が流れている。
乙川と伊賀川が交じり合う三角形の丘を利用して建てられている城である。
出口は大きく二か所。
伊賀川に面した東部に一か所と、丘の北部に一か所。
織田軍は主に大手門である北門に戦力を集中し、伊賀川の西に本陣を置いている。
乙川の南にも多数の兵を配置し、まさに蟻の這い出る隙も無いという状況である。
夜遅くに入城した五郎八郎と九郎は、入城するやいなや城門を閉じよと命じた。
城門を閉めたのを確認した後で本丸へ行き、松平三郎にここまでの話を報告した。
夜が開けたら家人を集めて対応を検討しよう。
そう言って松平三郎は五郎八郎たちに部屋を与え夜を過ごした。
翌早朝、三郎は近習に叩き起こされる事となった。
目が覚めたら城の前に続々と織田軍の兵が集まって来ているのだった。
まさに間一髪。
まず三郎は真っ先に大草松平家の左馬允を拘束し牢に入れた。
さらには西の門を守っていた左馬允の郎党たちも全員捕縛。
同じく牢に放り込んだ。
岡崎城の大広間で評定が始まった。
奥の席に松平三郎と松井五郎八郎が並んで座っている。
机を取り囲むように、松平の一門衆、本多、酒井、鳥居、石川、大久保、夏目、平岩、内藤といった家人たちが座っている。
「恐らく今日中には駿府城に報告が飛ぶとして、どんなに早く見積もっても、今川軍がやってくるまで十日はかかります。その間ここで抵抗を続けるしかありません」
五郎八郎が口火を切ると、松平の家人たちはここはああだ、これはこうだと積極的に意見を出した。
一方で松平の一門衆は無言である。
この状況を五郎八郎はかなりまずい状況だと判断した。
すでに一門衆に広く織田家の工作が浸透してしまっている。
藤井松平家の彦四郎や、長澤松平家の善兵衛など、それなりの熱量で評定に参加する者もいる。
だが他は家人たちに比べると明らかに温度差を感じる。
そこで彦四郎を北門に善兵衛を西門の守りに付かせ、そこに家人たちを配置。
一門衆の多くは二の丸と本丸に配置転換とした。
「反撃が弱くなるのと、壊れた壁が放置されたら攻め手から好機だと判断されます。ですから反撃は全力で、敵の攻撃で壊れた所は敵が退いたらすぐ直す。これを徹底していきましょう!」
五郎八郎がそう言って締めると、家人たちが全員立ち上がった。
かわらけが配られ全員に酒が注がれると、松平三郎がかわらけを掲げた。
「皆の奮闘に期待する!」
初日から織田軍の攻撃は非常に激しかった。
北門では塀に梯子をかけてよじ登ろうとする者、門を丸太で壊そうとする者、矢を射かけてくる者と完全に総攻撃の様相であった。
西門は門を丸太で壊そうとするのが主であったが、伊賀川を泳いで渡ろうとする者もおり、櫓から矢で迎撃している。
伊賀川にかけられた橋からしか侵攻できない西門はともかく、防衛線の広い北門は早急な対応が必要。
そう考えた五郎八郎は弓の狙撃に自信のある者を選び出してもらった。
松平三郎が自信をもって選出したのは内藤甚一郎という若い家人であった。
五郎八郎は甚一郎を引き連れ北門へと向かった。
敵の矢が飛んでくる中、攻撃側の陣容をじっくりと観察。
その中の一人の武者を指差した。
甚一郎は通常よりも二回りほど大きな弓を引き絞り無言で一本の矢を放つ。
矢はほぼ一直線に飛んで行き、その武者の顎の下を貫いた。
突然将を失い兵たちは一斉に門前から引き上げて行った。
攻城戦が始まってから十五日が経過した。
初日の狙撃で討ち取った武者は、どうやらそれなりに重臣だったらしい。
翌日から明らかに攻撃の手が緩み、七日目くらいからはどうやら兵糧攻めに切り替えたように見える。
五郎八郎は毎日のように軍議を開き、被害状況の報告を受け、それに対する対処を指示していった。
以前であれば、こういう役割は本多吉左衛門が行っていたらしい。
だが、吉左衛門は三年前の安祥城の攻防で、落城の際に松平三郎を逃す為に城と運命を共にしてしまっている。
もし五郎八郎が来て指揮を執ってくれなければ、誰が指揮を取るかで対処が後手後手になってしまっていたと松平三郎は情けない顔で言った。
明らかに攻め手の織田軍が攻めあぐねている。
その状況に、松平の一門衆も徐々に防衛に本腰が入り始めてきている。
夜に奇襲をかけようと思うがどうか?
そんな事を言ってくる者まで出ている。
岡崎城全体の士気が高まっている事を多くの者が感じていた。
そんな中行われていた軍議の最中に、一人の兵が報告に来た。
「申し上げます! 南の
旗印は『左三つ巴』。
五郎八郎は、物見櫓に駆け上り旗を確認する。
家紋は朝比奈家のものであるが、懸川城の兵にしては数が少ない。
さらに『竹輪に九枚笹』の二俣城の兵も混じっているように見える。
「恐らくあの部隊は誘引の部隊です。前回の件がありますからきっと織田軍はあの部隊を追うでしょう。織田軍が全軍で追撃を開始したら、我々も撃って出ましょう!」
大広間に戻った五郎八郎は、松平三郎にそう進言した。
三郎は好機到来と叫んで床几から立ち上がった。
昼少し前、前回同様、今川軍は織田軍を弓で攻撃。
前回の事があるため、織田軍は最初から全軍で今川軍の誘引部隊に襲い掛かった。
前回同様、今川軍の誘引部隊は
そして竜美台に部隊が到着。
ここまでは前回と同じである。
だがここからが違っていた。
今川軍の誘引部隊が竜美台を過ぎると、一帯の森に潜んでいた部隊が織田軍を左右から挟撃。
これによって織田軍は誘引部隊を追う部隊と、伏兵に対処する部隊に分断されてしまった。
誘引部隊を追う織田軍は真っ直ぐ小豆坂へと追撃。
一方、竜美台で分断された部隊は今川軍の伏兵に完全に足を止められてしまった。
誘引部隊が小豆坂に到着すると今川軍の本隊が坂の上に現れた。
お館様の隣で雪斎禅師が軍配を振る。
それを合図に今川軍は一斉に織田軍に襲い掛かった。
織田軍は追撃態勢で戦線が伸びきっており、将の命令が行き届かず、まるで雫が地面に落ちて弾け散るかのように、闇雲に今川軍の大軍に向かって行き叩き潰されていく。
竜美台で足止めを受けた織田軍にも小豆坂の惨状が目に入った。
どうやら謀られたと織田弾正忠は感じた。
こうなってはもはや万に一つも勝ち目はないだろう。
尾張に撤退する事を第一に考えないといけない。
弾正忠は一軍を割き佐久間大学助に任せて伏兵へ集中攻撃させ、残りを西に向かわせた。
ところがどこからか現れた敵部隊によって行く手を阻まれた。
「逃すな! かかれ!」
岡崎城の兵が織田軍の退路に布陣していたのだった。
五郎八郎の号令で一斉に岡崎城の部隊が織田軍に襲い掛かる。
目の前の部隊を突破しなければ戦場離脱もままならない。
織田弾正忠は目の前の松平軍を打ち破ろうと必死に攻めかかった。
だが先ほどまで鬼神の如き活躍であった柴田権六がたった一人の十文字槍を持った武者に釘付けとなっている。
攻城によって疲労の溜まっていた織田軍は松平軍の勢いに押され、徐々に小豆坂方面に追いやられて行った。
元々今川家の遠征軍に比べて、織田軍は半数くらいしかいない。
その半数は小豆坂を流れる血の川となってしまっている。
織田弾正忠は時間経過と同時に減っていく味方を前に口から何も発せられなくなってしまっている。
近習が一人、また一人と小豆坂の血の川となって流れていく。
「もはやこれまでか……」
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